ゲームを義務化する | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

 

 

子どもに制限を課すなら、親にも制限を課そう、ってことね。

 

いつも不思議に思ってるんだけど、子どもに対して、

 

「ルールありき」

 

になってるのは謎よね。

 

 

 

この考え方だと、

 

子どもにルールを課すのは当たり前で、

 

親子は対等なんだから、

 

親にもルールを課しましょう、ってことよね。

 

 

 

しかも、この感じ、ルールはきっと子どもにとって不利益になることだから、

 

親にとっても不利益になるルールを課しましょう、ってことやん?

 

 

 

つまり、

 

「子どもを不幸にするなら、親も不幸にならなきゃおかしいでしょ」

 

っていうことよね。

 

 

 

違うのよ。

 

 

 

僕が言ってるのは、

 

「ルールありきなのはおかしいよね」

 

ってことと、

 

「もし、ルールを設定するなら、そのルールを守ると幸せになれるようなルールにしようよ」

 

ってことです。

 

 

 

ゲームを制限するルールになんで異を唱えているか?っていうと、ゲームの制限をすると、子どもがやりたいことできず、楽しいことができなくなり、幸福度が下がるからです。

 

幸福度が下がるルールなんて、要らんでしょ、ってこと。

 

 

 

子どもが守って幸せになれるルールなら、親も守った方がいいよね。

 

逆に、親が守って幸せになれてるルールがあるなら、子どもにも共有して、

 

「これを守ってみたらどうかな?」

 

って提案をしてみるのはあり。

 

 

 

「ルールはあるのが当然で、守らなければならないものだ」

 

っていうのはおかしな考え方です。

 

 

 

自然な状態ではルールなんて無いはず。

 

でも、自然状態だと、人が傷つけあったり、よろしくないことが起こるから、

 

「ルールを設定して、みんなで、みんなの幸せを守っていきましょ」

 

っていうのがルールだよね。

 

 

 

そして、何より、ルールっていうのは、人じゃなくて場に適用されるものです。

 

適用範囲が個人っていう場合はあり得る。

 

家庭全体で守るルールだってある。

 

 

 

その時、

 

「ゲームは1日1時間までね!

 

これはあなただけじゃなく、家族全員で守るルールです」

 

ってやってさ、

 

「ま、親である私はゲームをしないから、常に守れてるんだけどね」

 

っていうのはズルいじゃん(笑)

 

 

 

結局、それって、

 

「親が子どもを自由にコントロールしたいだけでしょ?」

 

ってなっちゃって、子どもから親に対する信頼が失われる。

 

 

 

「子どもにルールを設けるなら、親にも設けるべき」

 

っていう考え方は、

 

「ルールありき」

 

になってる。

 

 

 

そうじゃなくて、

 

「そのルールは、何のためにあるの?ちゃんとルールの範囲内にいる人が幸せになっている?」

 

っていうことを1つ1つ丁寧に考えていこうぜ、って話です。

 

 

 

 

 

 

 

Twitterでこんな話がありました。

 

 

 

 

「ゲームを義務化すると、子どもがゲームを嫌いになって、やらなくなる」

 

っていうのは、たしかにそう。

 

 

 

たしかにそうなんだけど、僕はこの関わり方は

 

「非常に悪質な関わり方だな」

 

って思う。

 

 

 

親の関わりによって、子どもをマインドコントロールして、

 

「子どもの意思に反して、ゲームを嫌いにさせられて、子どもの楽しみが1つ減らされてる」

 

ってことよ。

 

 

 

子どもは親の巧妙なやり口によって抵抗もできず、幸福感が減ってる。

 

もう、最悪よね。

 

 

 

こういうことをする親は、金輪際、二度と、

 

「子どもを幸せにしたい」

 

とか言わないでほしい。

 

 

 

親のやってることと、親の言ってることが矛盾してるからね。

 

親のやってること ⇒ 子どもの幸せを減らしてる

 

親の言ってること ⇒ 子どもを幸せにしたい

 

 

 

親の強権を発動して、子どもの精神をコントロールして、洗脳していく。

 

「強烈な義務を課して、相手を追い込んでいく」

 

っていうのは、一時期毒ガスをばらまいて世間を騒がせた、某宗教団体で信者を洗脳するのにも使われていた手法と同じなんよ。

 

 

 

子どもの幸せを願う気持ちよりも、

 

「子どもを私の思い通りにしたい!」

 

っていう想いが強烈すぎるのよ。

 

 

 

とはいえ、子育ても教育も、何をどうやったって、親による洗脳です。

 

だからこそ、親の倫理観がめちゃくちゃ大事になる。

 

 

 

こういうマインドコントロールの手法は、心理学を学んでいると普通に出てきます。

 

催眠とか、心理操作とか、普通にできるようになります。

 

 

 

ちょっと考えたら分かると思うけど、相手の心を自由に操作できるからって、

 

「相手の心を自由に操作してもいい」

 

とはならないよね。

 

 

 

親が子どもの心を自由に操作できるとしても、親が子どもの心を自由に操作してもいいとはならない。

 

それでも、親は子どもの心に影響を与えて、子どもの人生を操作してしまう。

 

これはどうやっても避けようがないこと。

 

 

 

この時、親がこのTwitterの事例で紹介したような、

 

「子どもを親の想い通りに操作したい!」

 

みたいな、悪質な、程度の低い倫理観を持っていると、子どもは親によって操られてしまう。

 

 

 

3歳くらいの子どもってさ、

 

「ワガママを言えば、親は聞いてくれる」

 

って思ってたりするやんか。

 

だから、スーパーのお菓子コーナーでダダをこねたりする。

 

 

 

その精神性のまま、親になり、

 

「自分のワガママの通りに、子どもをコントロールしてもよい」

 

ってなったら、もう子どもは災難よね。

 

 

 

自分の人生の主導権を握りたいのに、

 

反発もできないように、巧妙な心理テクニックを使って、

 

親によって人生の主導権を握られてしまう。

 

 

 

パッと見、子どもは楽しそうだったり、幸せそうに見えたりする。

 

でも、その楽しさや幸せは、親による心理操作によって作られたものです。

 

 

 

外科手術に例えると、盲腸の手術を受けた時に、医者から、

 

「お腹を開いてみたら、大腸も問題があったから、ついでに手術しておきましたよ」

 

って言われるような感じ。

 

 

 

患者の同意も無しに、医者の独断によって、外科手術される感じよ。

 

「そっちの方がいいと思ったんで」

 

って医者は言うんです。

 

患者は麻酔で寝てるから、気付かなかったわけよ。

 

 

 

どれだけ医者が良いと思ったことであっても、患者の同意もせずに、知らないうちに手術されていたら、どれだけ良い結果になるものであっても、

 

「いやいや、私の身体なんだから、何勝手に手術しちゃってるのよ!!」

 

ってなるやんか。

 

 

 

せめて、ゲームを義務化するなら、

 

「ゲームを義務化したら、ゲームが嫌いになって、もうやらんくなるやろ?

 

私は、あなたにゲームをさせたくないから、今日からゲームを義務化するね」

 

くらいは事前に伝えておきたい。

 

 

 

当然、子どもは抵抗するやろうけれども、子どもの意思を無視して、マインドコントロールするのはさすがに倫理違反よ。

 

勝手に外科手術するのと同じ。

 

勝手に心の外科手術してるようなものやからね。

 

 

 

「結果さえ良ければ、過程や手段は何でもいいのか」

 

っていう話です。

 

 

 

何でもいいわけないよね。

 

ゲームは、親によってコントロールされるのではなく、子どもが自分でコントロールできるようになるからこそ良い。

 

親が子どもの主導権を奪おうとせずに、さっさと返還してあげてほしい。

 

 

 

 

 

あと、コメントに、

 

「ゲームが大嫌いな理由は、

 

1.ブルーライトをずっと浴びてると視力が落ちるから

 

2.ゲームを楽しむと地味な勉強はしなくなるから」

 

って書いてあるんやけど、これも言ってみれば、

 

「子どもがゲームしてると、私の想い通りにしなくてムカツク」

 

って話よね。

 

 

 

つまり、この人が思ってることは、

 

「私は、子どもを私の想い通りにコントロールしたいです」

 

っていうこと。

 

 

 

子どもをコントロールしたいのよ。

 

それが主訴なんだけど、ゲームという存在があるから、主訴が実現されなくて困ってる。

 

 

 

親の思う理想の子どもに仕立て上げたいと思ってる。

 

ひと昔前の子どもはプラモ作りをしてたけど、この人にとっては「子どもがプラモデル」なんよね。

 

 

 

でも、思い通りにしたいけど、そうもできないから、代わりに、

 

「ゲームが大嫌い」

 

っていうことにしてる。

 

 

 

なんで、子どもをコントロールしたいのか?っていうと、

 

「子どもの状態が親の成績表になってる、と思ってるから」

 

です。

 

 

 

ひと昔前の子どものように折り紙をしたり、レゴやプラモ作りなどの遊びを通して、手先が器用になったり、創意工夫をして遊んでいた。

 

その子どもように、我が子が遊んで、手先が器用になったり、創意工夫をしてたら、

 

「親としてちゃんと子育てしてる」

 

っていう評価を"他者から"下される。

 

 

 

他者からの評価のための子育てやね。

 

他者から認められるために、他の子どもがそうするように、我が子にもそうさせたいと思う。

 

 

 

子どもの幸せと引き換えに、他者からの評価を得たい。

 

でも、もう子どもをコントロールすることを諦めていて、

 

でも、拗ねて、

 

「ゲームが大嫌いです」

 

って言ってるんだと思う。

 

 

 

 

ちなみに、理由1の「ゲームをしてると視力が落ちる」って話に関しては、

 

「それは間違いだよ」

 

ってことをすでに解説しています。

↓↓↓

「ゲームで視力が落ちる」は間違ってる

 

 

 

それと、理由2の「ゲームで手軽に楽しむと、勉強をしなくなる」って話に関しても、

 

「それは間違いだよ」

 

ってことをすでに解説しています。

↓↓↓

ゲームを制限しても、子どもは勉強をするようにならない

子どもが勉強をしないのは、勉強をしないのを「ゲームのせい」にしてきたから

勉強は楽しむもの

 

 

 

良かったら、読んでみてね!

 

 

 

 

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