ふたたび新宿
今日はまたこの前話した千葉の友人(30代で大学院生の)に会うため、新宿に行って来ました。 会いたいと言われた時は、「こないだ会ったばかりなのに?」と正直思ったのですが、会ってみたら実は聞いて欲しいことがあったみたいで、研究室での人間関係の悩みを打ち明けられました。 「困った君」とのことはすっかり解決したけど、また別のことで悩んでいるというのです。
彼女はとても独立心の強い人で、個人主義なところがあって、自分では正しいと思って行動してきたのに、ある日気付いたら、どうも研究室の他のメンバーとの間に溝が出来ているようだというのです。
話を聞いてみると、確かに彼女が言うことは「正論」で、他のメンバーにはちょっと甘えがあるかなという気はするのですが、「正論」だからみんなに受け入れられるとは限りませんよね。 私には他のメンバーの人の気持ちも分かるし、彼女の気持ちも分かるし、どうしたもんだかなーと考えたのですが、ここはやっぱり「7つの習慣」に照らし合わせて考えてみようと思ったのです。
彼女に「7つの習慣」のことを話して、それに基づいて彼女がどう行動すべきかというのを一緒に考えました。 一つには研究室自体のミッションと彼女の行動が合っているかどうか、それから、彼女は自分の考えをみんなに分かってもらわないといけないから、「理解される前に、相手を理解する」ということ。 この場合Win-Winとはどういうことかなど。
「7つの習慣」を読んでいなかったら、きっと私は「うーん、どっちの言い分もわかるしー...」としか言えなかったと思うのですが、今日はほんとに、私が彼女にアドバイスをするとかではなくて、私も彼女と一緒に考えることが出来て良かったと思いました。 「7つの習慣」って何にでもあてはめることが出来るので素晴らしいです。
彼女と別れた後、せっかく新宿に来たのでまた地球探検隊に寄って来ました。
もちろんそういう場所では私は本名を名乗るのですが、私が他の人の旅行体験記を読んでいたら隊長さんが、「ボクのブログにコメントしてくれてる『さくらさん』ですよね?」と声をかけてくださって、とても恥ずかしかったです(笑) 実物の私と、ブログのさくらの両方を知っている人はこれで二人になりました。
実はグランドキャニオンに行ってみようかと思っていたところ、友人に「あのツアーは富士山を降りて登るようなもので、きついんじゃない?」と言われて実際どうなのか隊長さんにお聞きしたところ、やっぱり大変そうでした...(^^; でも「極限に挑戦するから楽しいんですよー!」「他では味わえませんよ、こういうのは。」と言われ、性懲りも無くやっぱり行ってみようという気になってます。
隊長さんが、普段特に運動はしていないけど、おヘソの下あたりに意識を集中して歩くようにしているというので、例えば1年後とかに目標を定めてウォーキングの練習しておくっていうのも(健康にも)いいかもしれないなと思いました。
いつ行けるか全然分からないのに、とりあえずバックパックとシュラフを揃えようなどと、すっかり気分だけ盛り上がっている私なのでした...
母のパラダイム変換
このところ母とあまり話していなかったのですが、今日、久しぶりに話をしました。
すると母が驚いたことを言うのです。
「私は昨日気がついたのよ。私はいつもいつも、誰々さんのことを影で批判していたけど、よく考えたらその人を批判するだけで自分では何も行動していなかった。 行動していないから、行動している人の苦労とか気持ちとかが分からずに勝手なことを言っていた。 つまり自分が未熟なだけだったんだ。 お父さんのことも、いつも悪く言っていたけど、お父さんが嫌な言葉を自分に投げかけて来るのは自分も相手に嫌な言葉を投げかけていたからだと思う。 つまりお父さんのことは半分は自分のせいだったんだよね。」
私はびっくりしました。
母は、一生そういうことに気付かない人だと思っていたからです。 今度機会があったら「何でもかんでもお父さんや周りの人のせいにしていたら一生幸せになんてなれないからね。」と説教でもしてやろうかと思っていたところでした(笑)
母は、「こんなことを考えるようになったのも、長い年月生きてきたからなのよね。」とえらそうに言ってました。 64年もかかってやっとだっつーのに...
でもそうやって自分を省みることがその年で出来たというのはなかなかのことではないかと思います。 普通はそろそろ、自分の経験した範囲内で決め付けた物の言い方をしがちになるものではないかと思うけど。
結局、相手が大人でも子供でも、「この人はこうだから...」と思い込んではいけないのかなと思いました。決め付けてしまってあきらめてしまえば、そこからずっと状況は変わらなくなってしまう。
そこで私は母に「7つの習慣」の話をしました。
今頃自分のお葬式のシーンを思い浮かべて、自分にとっての本当の成功とは何か、考えてくれていたら面白いですが、たぶん「鬼平犯科帳」でも読んでいるだろうなぁ...(^^;
倫太郎10才になる
昨日は倫太郎10才の誕生日でした。
倫太郎君、おめでとう! 10年のあいだにつらいこともあったけど、優しくいい子に育ってくれてどうもありがとう!
倫太郎が生まれた時、産声がふうちゃんに比べて大きかったこと、看護婦さんに抱かせてもらった時、腕にずっしりと重くて、「命の重さ」みたいなものを感じたことなどしみじみ思い出してしまいました。
私は専業主婦時代はすごくケーキ作りに凝っていて、誕生日などといったらむちゃむちゃ手の込んだケーキを手作りしたものでしたが、今やそんな気力は全く無く、コージーコーナーでお誕生日ケーキを買って来てしまいます。
それでもろうそくを10本立てて、ハッピバースデーツーユー♪と歌ってやったらとても嬉しそうにしていました。
親って子供の嬉しそうな顔を見ただけで、なんでこんなに幸せになれるんでしょうね。
しかも昨日は、ジャーン、誕生日プレゼントにニンテンドーDSを買ってもらって倫太郎はますます嬉しそうでした。
子供は3才までに一生分の親孝行をすると言うけれど、どうしてどうして、今だってその笑 顔で充分親孝行してくれてるじゃないかと思う私なのでした...
ふうちゃん包丁を持ち出す
夕べ、またふうちゃんと倫太郎がケンカを始めました。 いつものことで、私は「嫌だなぁ。外でやってくれ。」と思いながらも口出しすまいと思ってだまって無視していました。
でもそのうち、怒ったふうちゃんが、台所から包丁を出して来たのです。
いくらなんでも無視しているわけにいきません。
そこで、あくまでも平常心を装って、二人の言い分を通訳してやることにしました。 倫太郎は包丁を見て私の隣に逃げて来ていました。 最初は倫太郎がふうちゃんが何をしたかというのを言い始めたので、「倫太郎はこれこれこうだって。ふうちゃんは、どうして怒っちゃったの?」という具合に聞きました。
ふうちゃんは最初包丁を持ったまま「知らない。」などと言ってまともに口をききませんでしたが、少し様子が落ち着いて来たようだったので、私が側まで立って行って、「それ、しまおうか。」と言ったら包丁は仕舞って別の部屋へ行ってしまいました。
私は恐怖だったであろう倫太郎をだまって抱きしめてやり、その後ふうちゃんのいる寝室へ行ってベッドでうつぶせになっているふうちゃんの背中をなでてやりました。
その時は何も言わなかったけれど、寝る時間になって、ふとんに入ってから、「おかあさん、眠りたくない。」と言うので、それからずっと話を聞いてやりました。
ふうちゃんにしても倫太郎にしても、言うことはすごく利己的で理不尽なことが多いのです。 「そんなことで不機嫌になられるこっちの身にもなってくれよ。」と言いたくなるような内容ですが、そんなことは言わずにただ聞いてやりました。
一日の終わりに、ただだまって子供の心のはけ口になってやる、というのは非常に疲れました。 それでなくても、携帯のことで長いこと話し合った後だったし。
しかし今朝になってみると、ああいうふうに、利己的で理不尽になってしまうのも、普段からやり場の無い怒りとか寂しさとかを感じているからではないかと思えて来ました。
やっぱり私のせいなのだと思うのです。今まで倫太郎のことで頭がいっぱいで、ふうちゃんの言うことが理不尽であればある程ふうちゃんを受容することが出来ず、ずっとこういうふうに話を聞いてやるということが出来ずにいたのだから。
おそらく、倫太郎も一時期そうだったように、心の中に嫌な気持ちがいっぱいに詰まっていて、本当は沢山あるはずの優しい気持ちが隅っこに追いやられているんだろうと思いました。 今どんなに間違ったことを言っていても、心の中にある嫌な気持ちを吐き出すことが出来れば子供が本来持っている優しさが出てくるのだと思います。
それまで、どんなに疲れても頑張らねばと思いました。
R君
倫太郎はいつも通り日中は家で一人で生活してます。 そして学校が終わる頃から夕方にかけてはT君やH君と一緒に遊んでいるようです。 先週末はT君が家に泊まりに来たり、うちのがT君の家に泊まりに行ったりしてました。 そしてたまに不登校仲間(?)のR君のところへも遊びに行くというパターンなようです。
ま、この頃いちいち聞いたりしないので本人の断片的な話を聞いた中でということなのですが。
しかし今日、仕事中に倫太郎から気になる電話がありました。 昼間、R君と遊ぼうと思ってR君の家に電話したら、お母さんが出たらしく、どうもR君が「誰とも遊びたくない」と言っているというらしいのです。
実は昨日も倫太郎は午後にR君に電話して、「昼寝しているから」と断られていたのでした。 R君は喘息の発作が夜あるので昼寝していることはよくあるらしいのですが...
お母さんと二人で一日中家で過ごしている子が、「誰とも遊びたくない」とはどういう心境なのか、ちょっと私には推し量れませんでした。 嫌なことでもあったのか、倫太郎がなんかしちゃったか。
学校へ行っている子と遊びたくないというのであればなんとなく理解出来るのですが、倫太郎とは一緒にいて安心出来ると言ってくれてたみたいなのに。
倫太郎は「遊びたくない」と言われてどうだっただろう。 私は、「そう、R君何か落ち込んじゃうことでもあったのかな。心配だね。」と言っておきましたが。
R君は、1学期は日が暮れてからお母さんと一緒に登校していたのが、2学期になってそれもぱったり行かなくなったというのを聞いていました。
そして先週だったか、R君ママから「思い切って相談センターに行ってみたらいろいろ話しを聞いてくれて良かった。」というメールが来てました。 それはいいのですが、ただそのメールの最後に、「これで学校へ行けるようになるかなぁ。」と書いてあったのです。
相談センターで、「大丈夫ですよ。行けるようになりますよ。」とでも言われたのか? 何か、相談センターでなんとかしてくれるか何かと勘違いしているように感じました。
私とR君ママとは、不登校に対する考え方が違います。 でも、私は自分の考えを言う時はあるけど、それはあくまで私が思ったことをただ「最近はこういうふうに思うんだ。」って伝えるだけ。 けして、人の子育てに意見するようなこともしないし、まして否定するようなことは絶対言わないことにしています。
だから、「それは違うんじゃ...」と思っても見守るだけ...
倫太郎とR君の友情がつづくことを祈るだけなのです。
子供に携帯&パソコンはどうなのか
またふうちゃんが、携帯電話と自分用のパソコンを買って欲しいと言い出しました。 なんか私は100回くらいダメだと言っているのですが。 聞き分けの無いこと山のごとし(T-T)
それで、またいろいろと話し合いました。
ふうちゃんが言うには、仲良しのYちゃんは、メールの出来ない携帯と、自分用のパソコンを持っている。 もう一人の仲良しのKちゃんはメールも出来る携帯を持っている。
私は、お母さんは心配なのだということを話しました。 携帯を持っているだけでヘンな勧誘メールが来たりすること、友達とメールをすることの危険性など。 今までにそういうことが原因で起きた事件についてなど。だから、高校生くらいになればそういう危険なことも分かると思うので、携帯を持つのは高校生になってからにして欲しいと。 そしてもちろん経済的なことも。
ふうちゃんは、「お母さんは他のお母さんに比べて心配性だ。」「お母さんはふうちゃんを信用していない。」「ふうちゃんだって、最近は料理もするし、いろいろなことが出来るようになっているんだから信用して欲しい。」「お母さんは大人でふうちゃんは子供だと言うけど、大人も子供も同じ人間だと先生が言っていた。」
などと主張していました。 ふうちゃんは途中泣きべそになっていましたが、私が、「うん、そうだね。大人も子供も同じ人間だよね。ふうちゃんはいろいろなことを頑張っているよね。」と聞いてやっていたら、だんだん笑顔になって来ました。 私は、「お母さんは、子供を健康に、安全に、大人になるまで育てる義務があるのだ。」ということも言いました。
自分用のパソコンについては、私は内心は「ふざけんな。」と言いたいところでしたが(^^; 今よりも広いアパートに引っ越したら家族みんな用に安いデスクトップパソコンを買おうと思っていることを話したら納得したようでした。
現在、うちの子達は「安心だフォン」という相手先限定でメールも何も出来ない子供用の携帯(PHS)を持っています。 親とおばあちゃんくらいにしか電話出来ないやつです。 これは基本料金も安価だし、子供と別行動になる時など非常に便利です。 メールは、我が家の電話がたまたまLモード契約しているので、普通の固定電話ですが携帯電話のようにメールをやりとりすることが出来ます。ただしもちろん絵文字などは送れません。そういう機能のことやら、友達が持っているのと同じ携帯を自分も持ちたいというのが本音なんじゃないでしょうか。
通話に関しては家の電話で十分だし、わざわざ高い携帯電話が必要なのは何故なのか、ふうちゃんに説明して欲しいと言ったのですが、そろそろ食事の時間でもあるし、話し合いはまた明日となりました。
「信用して欲しい。」と言うふうちゃんを信用してあげたいけど... 明日またああだこうだ言って携帯買ってくれって言うんだろうな。 考えるだけで疲れてしまう。
しかし、小学生に携帯電話(メールも出来るような普通の機種)を与えたり、自分用のPC!!を与えたりするのってどうなんですかね??? ふうちゃんがブランド物の服を欲しがるのも、その仲良しの子達の影響なのですが...
こんなこと、昔の親達は悩む必要なかっただろうに。 ほんとに、いちいち子育てしにくい世の中だなぁと思います。
「7つの習慣」 Win-Win
Win-Winとは、「親業」で言うところの「勝負なし法」と同じだと思います。 何か問題が起きた時、双方に利益となる打開策がみつかるまで話し合うという、問題解決方法です。
「7つの習慣」のこの部分を読んだ時、私はふうちゃんの行動でどうしても許容出来ないことがあって、それも複数、どうしようか悩んでいました。 その許容出来ない行動というのを、冷静に考えるためにノートに書き出してみました。(このような作業を私は昨日、モスバーガーで一人でやってました(^^;) ふうちゃんの、私にとって受容出来ない行動とは...
・食事中行儀が悪い(ひどい時はあぐらをかいている。背中をまるめて、お皿に口を近づけて食べるなど)
・出された食事に対して文句を言う。
・たまに「洗濯物たたんでくれる?」と頼んでも「嫌だ」と言う。
・ブランド物の服や携帯電話などを欲しがる。
・弟とのケンカの火種をつくる。(何の脈絡もなく相手が不愉快になることをわざわざ言い出す)
・テレビを見過ぎる(1週間に19時間以上見ていて、その上夜9時からのドラマを見たいと言う)
このようなことは、別に今になって急に始まったことではなく、以前からずっと、何度叱ろうとも、何度説明してやめてくれと言っても、どんなに私が嫌な顔をしようとも一向にやめる気配がなく、ほとんど一日に1回以上はこのことで私はムカっとし、ふうちゃんに注意し、ふうちゃんがむくれた顔をしてその時だけやめるということが繰り返されて来たのでした。
一つ一つについて、何故受容出来ないかというのも考えてみました。 本当に悪いことなのか、悪いことだとすれば、どう言ったら分かってもらえるのかなど。
食事中の行儀などは、「一緒に食事している人が気分が悪くなるんだよ。」と説明したのですが、説教だと思うのか聞く耳を持ちません。 携帯電話やブランド物の服については、友達がそういうものを当たり前のように持っているので、ますます私の説明などかすんで見えるようです。 9時からのドラマや夜更かしなどもその家によってまちまちで、今時子供は9時に寝なさいなんていう我が家の方が時代錯誤なのかなぁと思ったりもしました。
しかし私が腹が立つのは何度ダメだと言ってもしばらくするとまたケロっとして要求してくるふうちゃんの態度や、ダメだと言った時のむくれた態度なのです。
もしかしてこの子は、人が嫌がっているということが分からない子なのではないか?とも思いました。
普段から、相手が今楽しそうなのか、つまらなそうにしているのか、怒っているのか等に全く無頓着で、例えばふざけていて相手が明らかにもう飽きて嫌がっていても全く意に介さずいつまでもふざけっこを続けるのです。 そういう部分は全く幼児と一緒なのです。
だとしたら、例えば私がやられて嫌なことを文字で書いて見せ、あらかじめ理解させておくというのはどうかなども考えました。
しかしそれを見せるタイミングとか、嫌味にならないためには比較的ふうちゃんと私が平和な日に穏やかに話し合うのがいいだろうなどと思っていた矢先、また同じようなことが起きて、とうとう私はブチギレてしまったのでした。
「あんたのその態度でどれだけ私が嫌な思いをしていると思ってるのよ!」「どんなに今まで我慢してると思ってるの!」などと怒鳴り、怒り爆発。 ほんとはその時関係ない別のことなんか言ってはいけないんだけど、上に書いた受容出来ないことを全部挙げて非難しまくりました。 もう自分でも止められない状態。
ふうちゃんはびーっと泣き出したけど、途中、「なんで勝手に決め付けるのよ!」など逆襲もしてきました。
ひとしきり怒りを吐き出した後、一人で居間でひざを抱えていたら、「7つの習慣」でその日読んだばかりのところに、「問題が起きた時は、物事を良くするチャンスだ。」と書いてあったのを思い出しました。 これをチャンスになんて変えられる気が全くしなかったのですが、とりあえず鬱憤を晴らして冷静になってたところだったので、泣き寝入りしようとしていたふうちゃんを起こし、「話し合おう」と言いました。
以前に、弟とゲームをやる時間についてケンカになった時に勝負無し法で話し合ったことがあったので、「話し合う」というのが、「問題点を明らかにして、解決するためのアイデアを出し合うこと」だというのはふうちゃんもなんとなく分かっていたと思います。
最初はテレビを見る時間について、現在週に何時間見ているかというのを計算して、もっと減らせないかどうか話し合いました。 私からは週に14時間にして欲しいと要望を出しました。 ふうちゃんは毎週見ている番組を少し削りましたが、19時間以上は減らせないと言います。 そこで私が、「テレビばかり見ていたらバカになっちゃうんだよ。」(ホントかなぁ?)と言ったら、ふうちゃんが、「そしたら、テレビは見るかわりに、チャレンジ(通信教材)を毎日やる。」と言いました。 ふーん、なるほど、確かにそういう努力を見せられたら私もテレビくらい(毎週決まったものなら)いいかという気になるのですが、もう一つ、午後8時以降の番組は、居間ではなく、子供部屋の小さい(ゲームする時用の)テレビで見て欲しいと要望を出しました。 それなら午後8時からは私は子供に付き合ってバカバカしい番組を見なくて済むし、子供部屋の小さいテレビで見るとなったら、本当に見たいものでないと見ないだろうと思ったからです。 それもふうちゃん的にはOKということで、そんなこんなでテレビ問題は合意しました。 今日倫太郎も交えてもう一度話さないといけないけど...
その後、食事の時の行儀については、ふうちゃんが最初「私は正座というのが出来ない。痛いから。」と言うのでじゃあ斜め座りは?とか、正座出来る座椅子でも買うか?とかなんとか話していたのですが、なんか突然ふうちゃんが、「あ、やってみたら正座出来た。そんなに痛くないかも。」と言うのです。 「正座すると背筋も伸びるし、これで解決だね。」とふうちゃんが言うので、「そう?、それで良いの?なんか他にアイデアがあれば言っていいんだよ。」と言いました。 一方的に従わせたのではなんだかWin-Loseみたいなのでそう言ったのですが、夕べは遅かったのでお互いに眠くなってしまい、そこで中断しました。
ふとんに入って、向こうを向いて寝ているふうちゃんに向かって、「さっきはごめんね。すごく怒っちゃって。」「最初から話し合えば良かったね。」と言ったら、ふうちゃんはだまって泣いていました。
朝になって、いつもはめんどくさいと思う、ふうちゃんの髪を二つに結う作業が全く嫌じゃありませんでした。それだけでなく、昨日と今日ではふうちゃんに対して受容出来ない範囲が格段に小さくなっている気がするのです。
きっとふうちゃんに対して受容出来ない部分が多すぎて、普通の母親だったら幸せを感じるんじゃないかと思うことすら感じられなくなっていたんじゃないかと思いました。
今思うに、単なる私からのお説教というのは、子供の自己解決能力を信じていないやり方だったのかもしれません。 知らないんだったら教えてやろうみたいな。 そうじゃなくて、一緒に考えようというスタンスだと、子供もちゃんと親の意見を受け入れてくれるものだと思いました。
受容出来ない部分は、まだまだあってこれからも感情的になるかもしれないけれど、もしかしたらWin-Winを繰り返すことで、「協力して考えれば解決策はある」というのがお互いの常識になるかもしれません。
そうして行きたいと、つくづく思いました。
ミッションステートメント
「7つの習慣」で、「静かな場所で自分のお葬式を思い描き、そのお葬式で自分の家族や友人、親戚や仕事仲間にどんな弔辞を言って欲しいか、どんな人でどんな功績を残したと言って欲しいのか具体的に考えて欲しい」と書いてありました。
私は、友人には「いつも向上心を持って、主体的に物事に取り組んだ人だった。」「一緒にいると暖かい感じのする人だった。」「人を敬い、人を愛する人だった。」と言って欲しい。 そして子供たちからは「私達を誰よりも愛し、信頼してくれた。」「生きる勇気と自信を与えてくれた。」という言葉を贈ってもらいたいと思いました。
そこで考えたことは、自分自身の根本にある価値観に基づいた、自分にとっての真の成功とは何かを意味するのだそうです。 そしてそれが自分自身のゴールとなり、行動の指針(原則)となるのだと書いてありました。
そうか、私にとっての真の成功ってそういうことなんだ。 これから生きて行く道程は、すべてそのことに向かっていかなきゃいけないんだなぁと思いました。
本にある通り、自分がどこへ行くべきかを意識していれば、目先のごたごたに煩わされることが無くなり、自分にとって必要なこと、不必要なことが見えてくるはずなのです。
その原則をさらに具体的な行動指針として明文化したものがミッションステートメントです。 自分自身の憲法のようなものです。
私は次のように考えました。
・困難に出会った時、人のせいにせずに自分に何が出来るか考えよう。
・人を好きになろう。相手のことを好きだと伝えよう。
・失敗は自分を成長させると考えよう。
・「親業」を実践し、子供を信頼しよう。
・好きなことを探し続けよう。
本には、これから起きそうな問題について、ミッションステートメントと比較してどう対処すべきか、具体的にシュミレーションして欲しいと書いてありました。
近々起きそうな問題...
うーん、ふうちゃんが自分も学校行きたくないって言い出すとか?(^^; そしたら、ミッションステートメントに照らし合わせれば「子供を信頼する」ってことだから、「分かった。お母さんはあなたを信頼しているから、あなたが自分で考えてそうしたいならそうしなさい。」って言うか。
本では個人のだけではなく会社のミッションステートメントも取り上げていたけど、確かに、会社でもなんでも向かうべきゴールを先に決めることは重要だと思いました。
以前、イギリス人で、日本の公立中学校で英語を教えている人と話したことがあるのですが、その人が「イギリスではまず子供達がどういう大人になって欲しいかというビジョンが先にあって、そのためにどういう教育が必要かと考える。 そうやって学校教育がどうあるべきか考えるのだが、日本にはそういうビジョンが無い。」と言っていました。 その人が日本の中学生がいかにバカかっていうことを話して聞かせるので腹が立ったのですが(^^; 実際彼の言っていることは正しいと思いました。 まず先にどういう大人に育てたいかと考えてみると日本の学校はよけいなことばかりしている気がします。 どういう大人かなんていう考えはなくて(大義名分上は謳ってはいても)、少しでもいい大学に入らせるための教育なんではないでしょうか。 親がたとえそう望んでいても、教育の専門家がそれに与してしまうのが分かりません。
そういえば今朝のニュースで小学校で英語教育を義務化するとかなんとか言ってました。 バカみたい!ムキーッとなってしまいます。 日本人が英語話せないのは中学校と高校の英語教育がダメなだけなのに、そっちを改善しようとしないで小学生からやれば話せるようになるなんて、どんなしろうとが考えてるんだか。
あ、話がそれてしまいました。
ともかく、「7つの習慣」を読んで、目的地を決めることが大切だと思いました。 いずれ子供が大きくなった時にこのことを教えてあげたいし、家族のミッションステートメントを子供と一緒に考えてみたいと思います。
スタバが...
今日、「スタバで本でも読もうかなぁ~。でもあそこだとアイスラテくらいしか好きなものないし、けっこう値段するしなぁ。どーしようかなぁ~。」などと考えながらスタバの前を通りかかったら...
な、なんと!? スタバがあったはずの場所が建物ごとなくなっちゃってるんですけど!!
だって、確か先週あたり来たばかりなのに、閉店するなんて聞いてないし!
いったい、何? って感じ。
ああ~あ~、ひょっとして我が街は、スタバの無い町になってしまうんでしょうか。 けっこうショックです。
それでなくても、最近街全体が感じ悪くなってて、風俗店とパチンコ屋とゲーセンとコンビニばかり増えているというのに...
私の好きなパン屋さんもコンビニになったし。 人口20万人で増えてるんですよ。 なのになんでこんなになってるんでしょうね??
こうなったらタリーズコーヒー(こっちの方がスタバより危ない気がする)とヴィレッジヴァンガード(非常にユニークで大好きな本屋さん。。)にだけは残ってもらわねば!!
今日からその2軒の売上に協力しよう と思う私なのでした(^^;
スタバ、そんなにファンでもなかったけど、カムバ~ック!!
相談センター10月の月例面談
今日は毎月恒例の相談センターの面談でした。
今日は運動会前のドタバタやらなんやら、いろいろ話すことがありました。 私が、「今どうこうということより、長い目でみて、大人になった時に倫太郎が元気であるためにどういうことが必要か」という観点で考えたいこと、そして倫太郎の自主性を大事にしたいことなどを話すと、Tさんも同意してくれました。 Tさんも、つい困っている人を目の前にしてしまうと目先の問題の解決を考えてしまいがちなので反省したいと言っていました。
私が保健室登校を続けたくない理由についても分かってくれたと思います。 ただ、いつか倫太郎がやっぱり学校に行こうと思った時のために、学校との関係は維持したほうがいいだろうという話でした。 でも学校側はほとんど何も出来なさそう(子供への個別対応は定時内にしろってことらしいから)なので、週に一度相談員のSさんが倫太郎の保健室登校に付き添ってはどうかという案が出ました。
まあ、本人さえ行き たいのであればそれもいいのではないかと思います。
倫太郎はSさんの家庭訪問が嬉しいようなので、家庭訪問はこれからも続けていただこうと思っています。
今日はSさんと一緒に「どうぶつの森」で遊んだらしく、楽しそうに話してくれました。