シングルママと不登校児のまいにち -30ページ目
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新しい友達

息子が1年生になるのとほぼ同時に、私は個人事業主になりました。 いわゆるSOHOでプログラマーの仕事をすることになったのです。 仕事場所は自宅とは別にアパートを1室借りてそこに通うことにしました。 

通常だったら息子は学童保育に通わせるところですが(お姉ちゃんは学童に2年間通いました)、学校に行かせるだけでも大変なのに、学童なんてとてもとても無理と思い、放課後は野放し(^^;することにしました。


1年生になってすぐに出来たお友達は隣の席の男の子でした。 その子も両親が働いているらしいのに学童に行っていないようで、うちの子は学校から戻るとすぐその子の家に遊びに行っているようでした。 何しろ子供から話を聞くだけなので何もかも定かでない...(^^;


しかし友達が出来たと思ってほっとしたのもつかの間、どうもうちの子はその子に脅されてしかたなく?遊びに行っているらしいのです。 うちの小学校区は急坂をはさんで上と下に分かれているのですが、うちは上の方、その友達の家は下の方にあり、その子のうちに行くとどうしても帰りは急坂を一人で上らなくてはなりません。 急坂の下にはトラックが多く通る道路もあるため、安全面から1年生くらいの頃は親達も坂上の子は坂上の子どうし、坂下の子は坂下の子どうし遊ばせるようにしているようでした。 


うちの子はその急坂がいやで、本当は近くの友達と遊びたいのに、学校で「今日は行かない」とその子に言うと「来ないと指折るよ!」とか何か脅し文句を言われるというのです。


嫌な子がいるなぁと思いました。 「そんな子とは遊ばない方がいいよ」と言ってみましたが、やっぱり強く出られると断れないのか、その後もその子と遊び続けました。


あとでそのことを私の友人に話したら、その友人が「その子寂しいんじゃない?Mくんのことよっぽど好きなんだよ。」と言うのです。 あっ、そうか。 そうなのかもなと思いました。 どうも夜になるまで両親とも家に帰って来ないみたいだし、どうしてもうちの子に遊びに来て欲しくて、そんな脅しめいたことを言うのかもしれないなと思いました。 


とはいっても、その後もその子、T君は一日におこづかいを1000円もらっているとか、そのお金で駄菓子屋さんで他の友達にお菓子を買ってやっているとか、 スーパーにあるゲームコーナーでみんなでそのお金でゲームをしているとか、 まったくいいウワサは入って来ないのでした。 


正直、T君とは遊んで欲しくない...というのが本音でしたが、子供の友達付き合いに親がどうこう言うのもなんだかいけない事のような気がするし、自然に離れて行ってくれないかなと思っていたのでした。


結論から言うとT君はいまだに友達です(笑) でも今では本当にいい友達。 T君の方がうちの子よりずっとしっかり者なので兄貴分って感じかな。 でもT君のことをよく知るようになったのは最近のことで、当時は家に遊びに来ないし、お父さんお母さんの顔も見えないし、とても不安だったのです。 というわけでT君はこれからレギュラー出演することになります。

小学校入学

そんなこんなで休みがちに年長さんの1年間を過ごした長男も小学校へあがる時が来ました。 予想通りというか、入学式の日から学校へ行くのを嫌がる長男。 でも私は態度を決めていました。 保育園ではもしかしたらいじわるな子がいるのかも、とか、私には分からない何か特別嫌なことが...とかいった可能性がありましたが、始まったばかりの学校にそんなことあるわけないじゃないですか。 しかも授業は午前中だけだし。 行かないなんてとんでもない。 


しかし1年生といっても男の子、本気で身体を張って抵抗して来るので朝教室まで連れて行くのはかなりの体力がいりました。 本気で暴れる男の子に着替えをさせて靴をはかせるのを想像してみてください。 私は顔を蹴飛ばされたり、身体には毎日アザを作ってました(^^; 何度か脱走されて取り逃がしたこともありますが、 4月のほぼ毎日、嫌がる子の手をひっぱって教室まで連れて行き、「先生、お願いします!」と言いながら先生に引き渡していました。 子供の方も相当イヤだったでしょうが、私も毎朝泣きそうでした。 他の子は普通に登校班で登校しているのに、なんでウチの子だけ? という思いがぐるぐる頭の中で回ってました。


永遠に続くかと思われた朝の戦いも、ゴールデンウィーク後に終わりを告げました。 やっと観念したのか、ゴールデンウィーク前には昇降口まで連れて行けばあとは教室まで一人で行くようになり、その後登校班とは別に一人で、そして登校班と一緒に、という具合にだんだん普通の子と一緒に学校に行けるようになったのです。 


しかし、かといって私の不安が消えたわけではありませんでした。 この子はどこか弱い部分を抱えている。 それをどうにかしないことにはいつまでも問題は解決しないだろう、いつかまた登校を拒絶する日が来るだろうと思っていました。


また相変わらずちょっとしたことでキレやすい子でした。 この頃だったか、17才の男の子が事件を起こし、世間ではキレやすい17才という言葉がよく聞かれていました。 そういうニュースを聞くたび、自分の子もこんなに小さいうちからキレやすいのでは思春期とかどうなるんだろう? 親に暴力を振るうようになったらどうしよう。 もしそうなったら、私はこの子を殺して自分も死ぬかもしれない。 と、とても不安になりました。


この頃は長男のことを思うだけで胃の中に重たい石が入っているみたいな、とても不安な毎日でした。


赤ちゃんだった頃

赤ちゃんだった頃を振り返ると、長男はとても手のかからない子でした。 長女の方は甘えん坊で寝るときは必ず私に身体が触れていないと寝られなかったのですが、長男は私が一緒でなくても自分からすっとふとんに入って寝てしまうような子だったのです。 ああ、困ったといえば夜泣きがひどかったというのがありました。 赤ん坊の頃夜中の2時前後になると必ず「ぎゃーっ」と泣き出して、ミルクをあげてもおむつを替えても抱き上げてあやしても何をしても泣きやまないのです。 しかたないのでこちらも覚悟して泣き出したら一度完全に起こして、しばらく居間で遊んでやってからあらためて寝かしつけるということを毎晩やりました。 これがかなり大きくなるまで続いたのです。 大きくなると(2~3才)夜泣きとまではいきませんでしたが、必ず夜中に一度「ぎゃー」と声をあげました。 そういう時は背中をとんとんと軽くたたいてやればすぐ静かになりましたが、そのおかげで私はいつも就寝後数時間たつと起こされて何年も朝まで連続して眠ることが出来ませんでした。 

 

しかし困ったといえばそれくらいで、日中何かで手を焼くということがありませんでした。 あとで考えたらあんまり手がかからなかったので、放ったらかしてしまったんだろうかとも思います。

 

保育園で手を焼くようになってから、もしかしたらスキンシップが足りなかったのかな、愛情不足だったのかなと考えた私は、意識して長男とスキンシップを取ることを心がけてみました。 例えば長男が何か話しかけて来たら抱き上げて話を聞くとか。 気が付いたら抱っこして、抱っこで心の隙間を埋めてあげようとしたのです。 そうしたら、自分から甘えて来ることのなかった長男が、何かにつけ抱っこをせがむようになったのです。 私が台所にいると必ず抱きついて来るのでしばらく抱っこしてやってからでないと料理が出来なくなりました。 すわってテレビを見ていればひざの上に乗って来ました。 これはその後何年も続きました。 さすがに小学校4年生になった今は台所で抱きついて来たりはしませんが、たまにテレビを見ているとひざの上に乗って来ます。 ちらっと「まさか中学生くらいまでこんなことして来ないよね?」と不安になりますが、子供の頃に十分に甘えた方が自然に親離れしていくだろう(そうであってくれ!)と考えて拒絶しないことにしています。 まあひざの上といってももう重くて耐えられないのでひざの間にただすわらせているだけなんですが。


スキンシップといえば、これもスキンシップの一環だと思って続けているのは「おすもうごっこ」です。 長男が時々「おすもうしよう!」と言って来るので(しぶしぶ)相撲の相手をしてやります。 まだ本気になれば私が勝ちます。 が、適当にやってると負けたりもします。 そういえば最近は「おすもうしよう!」もあまり言わなくなったような... だんだん無くなることを祈ります。

保育園の頃4

家でそんな状態だったため、これはよっぽどのストレスがあるんだろう、保育園で親が計り知れない嫌な思いをしているのかもと思いました。 本人も毎朝保育園に行くのを嫌がるので休ませる日も多くなりました。仕事を休むわけにはいかないので家に一人で置いておくのですが、本人は家で一人でいてもまったく平気なのでした。 保育園に行くくらいならひとりぼっちでいた方がましだという態度なのです。 当時はまだゲーム機は買い与えていませんでしたから、一人で何をしているのか、ヒマじゃないのか、寂しくないのか非常に謎でしたが、どうも朝つけている教育テレビをそのまましばらく見ているらしく、妙に博識になってたりして驚かされました。 お昼ご飯は近くに住む母(長男の祖母)が何か持って来てくれたりしましたが、母も毎日ヒマがあるわけではなく、本当に夕方まで一人でいることもありました。


しかし、保育園を休ませたからといって長男の状態が良くなるわけではありませんでした。 ちょっとしたことで怒ってキレて暴れました。 


ある日、トランプでゲームをして遊んだのですが、負けそうになった長男は癇癪を起こしてトランプのカード(プラスチックのやつ)をつかんで手でにぎりつぶしてくちゃくちゃにしてしまいました。 そういうふうに長男が癇癪を起こしだすとしばらく手がつけられない状態になるので30分くらい離れているつもりで私は別室に行きました。 離れたといっても私は冷静ではありませんでした。 そういうとき、普通に「そんなことしちゃいけないよね?」などと言ってもまったく聞いてくれないし、乱暴するのを手で押さえようとすればもっともっと暴れるのです。 私はどちらかというとおとなしい家庭で育ったので家で暴れる子供というのを見たことがありませんでした。 うちの子は異常なんじゃないだろうか、 こんな子を育てられるだろうかという思いでいっぱいでした。 


別室でひとりでくちゃくちゃになったトランプを伸ばすようにして手でさすっているととても悲しい気持ちでした。 しばらくそうやって一人でいたら、少し怒りがおさまったらしい長男が部屋に入って来ました。 「おかあさん、何してるの!」と、口調はまだ怒っています。 私がだまって下を向いていると、長男は私の前にすわりました。 「何してるの!」とまた聞いて来たので、「だって、Mくん、トランプこんなにしちゃったでしょう。」と静かに言いました。 するとなんとあの暴れていた長男が、しばらくだまった後、「ごめんなさい...」と目に涙をためてすすり泣きし始めたのです。 私はすごく驚きました。 じーんとなって、すぐさま長男をひざの上に抱き上げて胸に抱きしめました。 「Mくん、悪いことしたって分かったんだね。 Mくんほんとはいい子なんだもんね。 おかあさん知ってるよ。」と言いました。 今思うと全然いい言葉かけじゃなかったけど、その時はそれしか言えず、しばらく長男を抱いたまま背中をさすってやりました。


ああ、この子は本当はこんなに素直な子なんだ。 でもいつも怒りや不安で心がいっぱいいっぱいになってて、そのやさしさや素直さが閉じ込められてる。 表に出てこれなくなってるんだ。 そう気付いた瞬間でした。


今だに時々思い出すことがあります。 長男の行動がおかしいと気付く前、 私と一緒にふとんに入っている時、私の肩が半分しかふとんに入っていないことに気付いた長男が、私の肩にふとんをかけ直してくれたのです。 その時のやさしい子が本当の長男なのだと思います。 もしその優しさが表にあらわれなくなっているとしたら、それは私の責任なのだと思うのです。   

保育園の頃3

この頃は一番つらい時期だったので書いていてもつらくなります。 ある日、保育園から帰るクルマの中で長男が言った言葉があります。


「ぼくはもうしみたい。もうきえてなくなっちゃいたいんだ。」


5才の子が言う言葉でしょうか。 まだ「死にたい」とちゃんと発音も出来ないような子供が、どういう思いでこんなことを言うのでしょうか。 私はただびっくりして、こんなことを言いました。


「どうしてそんなこと言うの。 そんなこと言われたら、おかあさんとっても悲しいよ。」


なんと言えば良かったのか分かりません。


この頃、長女の学童保育のクリスマス会でこんなことがありました。 クリスマス会は夜行われるので、長男と長女を連れて、会場となる公民館へ夜道を歩いて行こうとした時のことです。 3人で歩いていたら突然長男が「ぎゃーっ」と泣き出したのです。 びっくりして「どうしたの?」と聞いても、ただもう泣いていてわけが分かりません。 泣いているというかほとんどパニック状態なのです。 長女を公民館に連れて行かなくてはいけないのに、何がなんだか分からずにいると怒った長男は泣きながら家の方に戻ってしまいました。 しかたなく近所に住む母に家に来てもらうことにしてとりあえず長女を公民館に連れて行きました。 その後家に戻って見るとアパートの前で長男がまだパニック状態で靴を脱いで怒っていて、今度は裸足のまままた外へ飛び出して行ってしまいました。 本当に何がなんだか、どうしてこんな急に気が違ったような行動に出るのかわけが分からなくて、私も精神的にいっぱいいっぱい状態でした。 一緒に長男を探しに来てくれた母の前で「どうしていいか分からない」と言って泣いたのを覚えています。 ふたたび公民館への道を長男を探しながら歩いて行くと、途中の駐車場に長男の子供用自転車が乗り捨ててありました。 なぜそこで自転車を降りたのかもよく分からない。 公民館に着いてみると、公民館の外の暗闇で長男が泣きながら立っていました。 暗闇からこっちに気付いた長男は、私に気付くと「おかあさーん!」と叫びながら私の胸に飛び込んで来ました。 こちらに飛び込んで来るのは少し落ち着いて来た証拠です。 パニックの時は抱っこを受け付けないのですから。 それからしばらく抱っこしていてあげたらだいぶ落ち着いたようで、「クリスマス会見てみる?」と問い掛けるとうなずきました。


また保育園のクリスマス会でも一騒動ありました。 普段保育園に行きたがらない長男でもクリスマス会は楽しみにしていたようなので、今朝はすんなり保育園に行ってくれるだろうと私も楽な気持ちでいました。 ところが、朝私が、昨夜長男が遊んでいた切り紙細工を片付けようとしたらまた突然怒り出し、泣き怒りながら食事をひっくり返す、テーブルを蹴飛ばすなどの乱暴をしだしたのです。 止めてもやめないのでもういい加減腹が立った私は「じゃあもうお母さん一人でお仕事行くからね!あんたは一人で勝手にしなさい!」と言って一人で家を出てしまいました。 母に「これこれこうで、もう仕事に行くから長男をお願い」と電話を入れて。しかし家に母が来た時には長男はもう自分の小さい自転車で家を出てしまったあとだったのでした。 実は長男は以前にも朝私とけんかして一人で保育園に自転車で行ったことがあるのです。 家から保育園まではクルマでも20分から25分かかる距離です。 小さな子が小さな自転車で行くにはものすごく遠い距離だと思います。 一度目は保育園の園庭の外にいた長男に気付いた保育園の先生が無事保護してくれましたが、今回は誰も気付いてくれなかったようです。 保育園まで自転車で行って、あきらめて帰る途中、疲れて泣き出したところを近くの不動産屋さんに保護されました。 不動産屋さんからの電話(長男が私の携帯番号を言った)で急いで迎えに行ってみると、すっかり落ち着いた様子の長男が不動産屋さんからもらったみかんを食べているところでした。 まだパジャマのまま、靴もはかずに裸足でした。 「保育園行く?」と聞くと「うん」と言うので、一旦家に帰り、着替えてまた保育園に行きました。 なんとかクリスマス会に間に合ったようでした。

保育園の頃2

保育園の送り迎えはクルマでしたが、帰りは道が混んでいるので保育園から家まで40分程かかっていました。 いつ頃からだったか運転している間中長男が後部座席から私に暴言を吐き続けるようになったのです。 何もかも悪いのはお母さんのせいだとばかり延々と嫌な言葉を私にぶつけて来るのです。 私も息子がストレス発散しようとしているのだろうと思い、息子の言うことになるべくちゃんと受け答えしてあげよう話を聞いてあげようとしましたが、私が何か言うとまた真っ向から「違う!」と否定して来ます。 もういいやと思ってだまっていると後ろから座席を蹴って来るし、どうしたらいいのか。 

 

私も仕事で疲れて、その後毎日のように暴言を吐き続けられるのには時々耐えられなくなることもありました。 本当に途中で息子を降ろして一人で帰りたい衝動にかられ、クルマを道路の脇に止めて後ろのドアを開き、「もうおまえなんかいらない!ゴミ置き場に捨ててやるから降りなさい!」と怒鳴ってしまいました。 「ぼくはゴミじゃないー!」と泣き出す息子を見て我に返り、「まーくんはゴミじゃないよ。おかあさんの大事な子だよ!」と抱きしめてあやまったこともありました。 

 

その頃家でも息子が荒れることが多くなって行きました。 たった5歳かそこらの子が本当に「荒れる」という言葉がぴったり来るくらい、家でちょっとしたことでキレて暴れるのです。 ものすごい顔になって家具を蹴る、物を投げる、食事をひっくり返すなどしました。 そういう時は本人も自分がコントロール出来なくなっているので、物を投げたりする行為をしかっても無意味でした。 そんなことをすればよけいに暴れるのです。

 

当時私が読んだ本は「心の基地はおかあさん」(平井信義)

そこには、幼稚園や学校に行きたがらない子は過保護に育てられた子だと書いてありました。 「え、私って過保護なんだろうか?」と思いました。 そう言われてみて思い当たることといえば朝時間通りに家を出るために子供の着替えをほとんど私がやってしまっていたこと。 しかし朝保育園に行くのを嫌がる子をだまって放っておいたら自分で着替えるわけがないのです。 その本には「無言の行」(親が○○しなさいということを一切言わないこと)をするように書いてありました。 子供が一日中パジャマでいようと何をしようと一切口を出さないこと。 そうすれば小学校低学年では半年、高学年では1年で自分から学校へ行くようになるというのでした。 今だにそれが本当なのか私には分かりません。 ただ、その本を読んで以来私は出来る限り子供の自主性にまかせようというのは心にとどめるようになりました。

 

それからホームページで「抱っこ法」について書かれたものも読みました。

「抱っこ法」というのは、うまく説明出来ませんが、心に何らかの問題を抱えた子を抱っこすることで癒してあげる精神療法のようなものでしょうか。 これも私はやってみました。 子供がキレて暴れだした時、力ずくで抱っこするのです。 その時「まーくん、つらいことがあるんだよね。」とかの言葉かけをします。 そうすると子供は狂ったように暴れるので抱っこを続けるのは至難の業でした。 しかし、その抱っこをしたあと子供はどこか少しすっきりするのか、ふっとやさしさを見せたりするのです。 確かに不思議な効果がある療法でしたが、しろうとには難しさもありました。専門に行っている人もいるのですが、そういう人にお願いするのは多少お金がかかりそう(1回数千円など)ということもあって、特にそういう人に相談することはしませんでした。

 

保育園の頃3へつづく。

保育園の頃

長男の様子がちょっとへんになって来たのは確か5才になってしばらくした頃ではなかったかな?と思います。 4才の頃は、お姉ちゃんの学童保育の行事などに一緒に連れて行っても物怖じすることなく、初対面の子達と一緒になって「わーっ」と駆け回って遊ぶような子供でした。 

 

スイミングスクールではちゃんとコーチのお話を聞いていたし、「ああ、この子は人なつこいし、先生の話もちゃんと聞けるから学校に行っても勉強も大丈夫だろう。きっと将来何の心配もしなくて済みそう。」なんて思ってました。 その頃小学校にあがったお姉ちゃんは極度に算数が苦手で、そっちの方が心配の種だったのです。 なにしろ一年生のうちから算数が授業について行けてないのですから。 

 

それに比べると弟の方は小さいというのに計算大好きでした。 別にこちらは英才教育をしようなどと思ってないのですが、「問題だしてー!」などと計算問題を出してもらいたがるような子でした。 

 

その子が保育園の年長さんになる頃から保育園に行くのを嫌がるようになりました。 こちらも仕事があるので朝ぐずぐずしているわけには行きません。 毎朝のようにイヤがる子にある時はしかりつけ、ある時はなだめすかし、ある時はしかたなしに家に置いて会社に行ったりもしました。 保育園に行くよりは一人ぼっちで家にいた方がましならしいのです。 

 

保育園の先生に聞くと、まあ時々はお友達とトラブルもあるけれどたいがいは楽しそうにみんなと遊んでいるし、そんなに来るのを嫌がるふうには見えないということでした。 私から見た長男は、例えば友達がふざけてキックなどして来てもそれを返せない子でした。 友達は別にいじわるでやっているつもりでなくても長男はそういうのがすごくいやだと思うタイプなのではないかと思いました。 友達と楽しそうに笑っている時でも、もしかしたら本人はどこか自分を殺して相手に合わせてしまっているのでは?とも思いました。 

 

ともかくそんな調子で保育園に行ったり行かなかったりを繰り返していましたが、長男の様子のおかしさはだんだんひどくなって行ったのです。

はじめに

みなさん初めまして! 不登校の小学校4年生の息子と、まあまあ元気に学校に行っている6年生の娘を持つ母のさくらです。 数年前に離婚して母子家庭になりました。 母親一人で子供を育て、しかもそのうちの一人は不登校だなどと言うとだいたい世間の人は「大変だろうな...」と思うと思いますが、 いや実際大変ですよもー。 苦労の連続っていうか、死ぬかもって思ったこともありました。 毎日崖っぷちを歩いているような気分の時期もあったし。 けれどもいろいろな時期を通り過ぎて今はちょっとさっぱりした気分です。 そりゃあ不安でいっぱいになるときもありますけれど、第一次どん底状態からは脱したかなとやっと思えているところです。 その間悩みながらやってきたこととか、日々思うことなどをここに少しずつ書いて行こうかなと思っています。 がんばりますのでよろしくです。

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