シングルママと不登校児のまいにち -26ページ目

「ここまで治せる不登校・ひきこもり」

ここまで治せる不登校・ひきこもり 久徳重和 マキノ出版


この本では、不登校・ひきこもりを人間形成医学という先進医学から人間形成障害ととらえている。 人間の脳は生まれた時には不完全であり、生まれてから自分の生活環境に合わせて一人前になるように出来ている。 つまり適切に育てられないと一人前になれないということである。 日本は高度経済成長期から核家族化が進み、近所付き合いも減り、国、地域、家庭といった集団の連帯感や仲間意識が急激に薄れて行った。 いわば子育てのための畑がやせおとろえた状態である。 このような中で不登校・ひきこもりといった集団維持能力に問題のある子どもが育つにはその前段階として、まず子どもを不登校やひきこもりになるように育ててしまう、問題のある親や大人が育つのである。


このように現代は、子どもを放っておいてもちゃんと育つ環境にはなく、親がぬかりなく子育てしなくてはならないという。 その後年齢別に子育てのポイントに触れ、後半は著者のクリニックでどのように不登校を「治療」しているかという話になっていく。


最初の人間形成障害の話は面白かったが、全体を通して親がどうすべきかという具体的な記述があまりなく、役に立った印象が少なかった。 子育てのポイントでは年齢に応じた「手伝い」をさせよと書いてあったのだが、我が家のお手伝いは少ないのだろうか? 現在は子どもと私の3人でお風呂掃除を交代でやっているのだが。 以前は日が暮れたら雨戸を閉めること、乾いた洗濯物をたたむことなどをやらせていた。 昔であれば母親の手にあまるほどの家事が家の中に山程あっただろうが、現代は核家族化、電化して手伝いというのは親が意識して子どもに与えないとやらなくても済んでしまうものだと思う。 兄弟も少ないので赤ちゃんの世話をするなどの経験も出来ないままいきなり親になってしまう。 確かに、昔と比べたら子育てのしにくい世の中であり、母親一人の力ではどうにもならないことが多いと思った。


今日の書籍「不登校」

「不登校」 河合隼雄 編 金剛出版


カウンセラーなどを仕事としている人向けに書かれている本。

最初は心理学の専門用語を使って「不登校」を分析しているのでウンザリしそうになったが、症例報告などは興味深く読むことが出来た。 ここに出てくるカウンセラーの方達は、「答えは患者自身の中にある」と考え、カウンセラーはその答えを引き出すための触媒のような働きをしている。 長く通ううちにカウンセラーとの対話の中から(親が)自分自身を見つめ直し、子どもは箱庭療法などを通じて、親子関係が改善され登校につながっていくケースが紹介されている。 


本文より・・・

「不登校状態になった子どもを抱える親たちは、子どもの不登校によって自分たちの子育てを振り返る機会を持つ。そこで、子どもの気持ちの理解が広がり、新しい子どもの姿や新しい親子関係を発見し、創造することもあるが、一方で親子関係を通して、自分自身の葛藤や問題に取り組むことになる可能性もある。そして、親という部分も含めて、自分自身がより自分らしくなるためのこころの仕事に取り組むことも多い。 その人がその人らしくなるために援助するのがカウンセラーの役割であるし、カウンセリングは、時には変化しない生き方も含めて、どう生きて行くのかを親自身が決めて行くプロセスと言える。」


この本の紹介されている不登校事例はすべて家庭になんらかの問題をかかえている場合である。 中には「よくそんな状況で耐えているね。」と言いたくなるような、母親にとっての劣悪な環境もあったが、ほとんどの事例で不登校児の母親が自分自身の生き方を見直すことで親子関係が改善されている。


私自身も、子どもの不登校に出会って、自分自身を見つめ直さねばならなくなった。 それはつらい旅で、今もその最中なので、そこに書かれていることが良く分かる。


しかしながら、カウンセラーと対話をするだけでは自分自身の内面をみつめるまでに行かない人もいるのではないか。


以前出会った母親で、(小6になっても母親から離れられない)娘に対して「おまえが悪い。産まなければ良かった。」など言葉の暴力を振るってしまう人がいた。 「正直、子どもをかわいいと思えない。」とも言っていた。 その人はいくつかの相談機関、医療機関などに行ったが、どこも「こうしなさい」ということは言ってくれなかったと言っていた。 患者との対話を通して自らの答えを引き出すというのは正しいとは思うが、いきなり自分の内面と向き合うことが難しい人もいるのではないか。 この人も自分で自分のどういう言動が悪いかというのを分かっていながらやめられない。 医療機関の人というのは患者がその場所に通ってくれないと何も出来ない。 それにしては、対話をするだけというのは、人によってはとても物足りないのではないかと思った。 


また事例として取り上げられている家庭には何かしら問題があったが、(といってもひどく特殊なものではない)勝手ながら私の身近な人で不登校児をかかえている家庭を見てもそんな問題があるようには見えない。もちろん外部から見ただけで分かるわけはないが、少なくとも私にはどこにでもいる普通のお母さんと普通の家庭に見える。 もしそういう普通の家庭でも不登校が起きるとしたら、どんなささいなことが原因となるのか疑問が残った。

落ち込み気味...

最近、ちょっと落ち込んでいます。 いろんなことがうまく行っていないなと思い、低迷している時、普段ならそう気にも留めないなようなことでドーンと落ち込むものですね。


今週始め、たまたまポカっと時間があいたので、気分転換&現実逃避のためR君ママのお宅におじゃましてしまいました。 R君ママとの他愛もないおしゃべりが心地よく... 学校のことやらPTAのことやら趣味のことやらいろいろお話してきました。


R君ママはおととしPTAの広報委員をやっていたのですが、半端でなく大変だったそうです。 広報委員ってちょっと興味あったのですが、やっぱやめといた方が無難か...(笑)


R君ママは頑張っています。 毎日連絡帳を担任の先生とやり取りして、翌日の時間割を教えてもらっているそうです。 例の市役所先生に我が子のことを忘れてもらいたくないからだそうです。 それにもし本人が行く気になった時に時間割が分からないと困るし、と言っていました。 すごいなぁと思う。 でも、そういうのだってR君ママにとってはつらいだろうなと思うのです。 そうまでして一生懸命している母親に、担任の先生も、何か気休めでもいいから家庭訪問するだとかしてもいいんじゃないかと思うのですが。 家庭訪問は一度来たきりで、ある日戻って来た連絡帳に市の「相談センター」のパンフレットがはさんであったそうです。 そこに行ったらどうですかってことですよね。 投げてますね。


そうは言っても、我が子の担任の先生からもとうとう「相談センター」という言葉が出てしまいましたよ。 昨日の家庭訪問で、「実は昨日研究会の分科会でMさんのことを専門の先生とお話したんですが、まずは専門家に『診断』してもらってはどうかと言われたんです。 原因が分かれば、対処の仕方も変わりますし、『相談センター』に心理学の先生もいて診断出来るそうなので、一度行ってみられてはいかがでしょうか。」だそうです。


今の私の気持ちとしては、「専門家」に「相談」したいとも「診断」して欲しいとも思ってないので、その「相談センター」に行ってみてという言葉には少なからずがっくり来てしまいました。 そもそも市の施設なんかどうせお役所仕事だろうというイメージしか無いし... 「診断」とかされてヘンな病名とかつけられた日には私はそれこそ何を信じたらいいのか分からなくなりそうで恐怖なのですよ。 しかも、子供に何て行って連れて行くんだろう。 「学校に行けないことなんて悪いことじゃないよ、あなたは至って元気ないい子だよ」というスタンスなのに、知らない大人がいる場所へ連れて行って心理テストとか受けさせちゃったりしておかしくないですか? 「やっぱりお母さんは僕のこと問題だと思ってるんだ。心理テストを受けないといけないような子なんだ。」と思っちゃわない?


なんかね、足が向かないんですよ。 そういう場所に。 病院とかも。


もし何かが悪いとしたら私が悪いんです。 それプラス環境、生まれた時代。 子供は悪くない。 だから今つらいけど、不登校を母親の育児のせいにする本をあえて読んでいます。 いわゆる専門家が書いたやつ。 息子が保育園時代に一度その手の本を読んだことがあって、それからずっと過保護にならないように自分なりに頑張って来たというのに、これ以上まだあれこれ文句を言われるかと思うと非常に腹立たしいのですが(笑)、 でも敵(?)の言い分も全部聞いてみないとでしょう。 自分の育児を重々検証してみたい。 そのうえで自分はこう考えるというのを確立出来たらいいなぁと思う。

その延長として相談センターみたいな場所にも一度は行かないとな...とは思うんですけどね... まあ、いい出会いがあるかも!!しれないですしね。 頑張ってみます。 しくしく。

6月20日月曜日、本日の家庭訪問

今日は家庭訪問の日、いつものように午後6時過ぎに先生から「帰ってますか~?」という子供の在宅確認の電話あり。 どうしてもその確認電話はやらなければいけないのね...しくしく。 でも今回は子供が電話のあと先生を待っている間に緊張してしまうことに配慮して「じゃあ、今からすぐ伺わせていただきます!!」と言ってくれたので、すぐ来てくれるならと思い、待つことに。


しかし、アニメなんか見ながら待っていたけど、待てど暮らせど先生やって来ないんですが~!


あ、あれ... すぐ来るって言ってたよね?


「先生、ウソついた。」と言い出す息子。 「き、きっとまた教頭先生につかまっちゃったりしてるんだよ。」(過去にそういうことがあったから)と弁護する私。


待つこと40分。 再び先生から電話あり。 「す、すみません、実はちょっとトラブルが発生してしまいまして、あと少し待ってもらえないでしょうか。 それとも、日をあらためた方がいいですか?」


「え、そ、そうなんですか。 あと何分くらいかかりそうですか?」


「そうですね、あと10分くらいで伺えると思うのですが。」


「そうですか、それじゃあお待ちしてます。 もっとかかりそうであればまたお電話ください。」


「わかりました。」


「お願いしますー。」


というわけで結局今日は確認電話から1時間くらい待たされました(^^; でも今日はアニメを見ていたせいか息子もそんなにハラハラした様子もなく、家具の陰に隠れたりしないでくれたので助かりました。 


結局トラブルというのはなんだったかというと、先生のクラス(というのはうちの息子のクラス)の父兄からあることでクレームがあり、その件については一度学年主任も同席して説明して納得してもらったつもりであったのに、今度はその父兄から同じ件で直接教育委員会にクレームが上がった。 というようなことでした。 うーん、詳しい経緯は知りませんが、先生もクラスの父兄から直接教育委員会にクレームが上がるとは慌てたことでしょう。


先生が来た時我が家では「ブラックジャック」を見ていたところで、そのまま先生も最後まで一緒に見てました。 リラックスしたかったそうです(^^;


今日は先生と少しお話しましたが、先生も(不登校児に対して)何か他に出来ることはないかと文献を漁ったりしているそう。明日は研究会があるので(研究会とは何?)そこでも何か得られるものがあるかもしれないとのことでした。 家庭訪問についても前担任の先生と週2回を3回にしたらどうかなんていう相談をしてくれているらしく、何か本当にありがたいなぁと思わずにはいられませんでした。 私としては先生がこうして家庭訪問してくれることは自分にとって精神安定剤になっていること、いつも甘えてばかりで申し訳ないと思っていることを伝えました。


そんなことを言うのは先生にとってプレッシャーだったですかね?(^^;


実際一番頑張らねばならないのは私だとしても、誰か他の人が別のアプローチで我が子のことを考えてくれているというのはとても嬉しいのです。 先生が文献をあさってくれているというのに、私もまだまだ勉強せねば、と思うのでした。

算数の不思議

息子は朝からT君とかなり遠くにある運動公園に自転車で行って来ました。 T君はなかなかワイルドというか、ゲームと同じくらい外遊びも好きなようなので息子も否応無く付き合わされて体力づくりをさせられているようです(笑)


娘は5年生の時から仲良しのYちゃんと図書館に行きました。 


娘と息子は得意な分野が正反対。 息子は算数が得意だけど国語が苦手。 娘は算数が苦手で国語が得意です。 息子の漢字、作文の出来なさ加減もすごいですが、娘の算数の苦手さ加減もすごくて、小学校1年生の時すでに落ちこぼれていました。 もし当時私がLDという言葉を知っていたら、たぶん専門家の診断を仰いだのではないかと思います。 例えば、1年生であっても10+2=12というのは指を使わずに出来るのではないかと思いますが、娘は10、11、12と、指を使わないと計算出来ませんでした。 そのあとに、じゃあ10+3は?と聞くとまた10、11、12、13と数えなおしです。 また12-5などの繰り下がりのある引き算はまず5-2とやるわけですが、これも娘にとっては理解の範囲を超えていました。 また、98と100ではどちらが大きいか?と聞くと100だと答えるのですが、お店に売っている98円のものを買うにはどの硬貨を出したらいいか分からないようでした。(これは3年生くらいまでそうでした)


当時、息子の方はなんら問題なく見えたので、私の気がかりといえば娘の算数でした。 小学校1年生で授業について行けないようでは、この先娘はつらいだろうなと思いました。 分かりもしない算数の授業をこれから何年もずっと椅子にすわって聞かなければいけないとは...。 娘が不憫で、私もみかんなどを使ってどうにか説明しようとしましたが分かってもらえませんでした。


その後も娘は普通の子よりかなり理解が遅いと思われましたが、「覚える」ということが出来るために九九などは無難にこなしました。 年齢が上がるにつれて、全く出来なかった基礎的な計算も徐々に出来るようになって来ました。 ただ、理屈が分かっていないので割り算のひっ算など習った時はやり方を覚えていても少したつとすっかり出来なくなっていたり、相変わらず悲惨だったのですが。


いつだったか忘れましたが、ある日の算数の宿題は面積を求める問題でした。 長方形の一部が欠けたような図形が書いてあって、その面積を求める問題です。 その面積を求めるには各辺の長さを求めなければいけません。 点Aから点Bを結ぶ線があり、その線上に点Cがあるとします。 AからBまでが30cmで、AからCまでが10cmだとしたら、CからBまでは引き算で求められますよね? 30-10=20cmですよね。 しかし娘はそれが出来ないのです。 出来ないというか、答えは20cmだと答えるのに、式が書けないと言うのです。 は??? って感じです。 よくよく聞いてみると娘は「10cmにいくつを足したら30cmになるか?」と頭の中で考えているようなのです。 娘の脳は引き算という発想が出来ないために、足し算で答えを求めようとしているのだとその時始めて気付きました。


もしかしたら普通の人の脳には瞬時にこれは引き算だなと導かれる回路があるんだけど、娘の脳にはそれがなくて、遠回りに遠回りして答えを求めているのでしょうか?


娘が、引き算を使わずに足し算で差を求めようとしていたことからこんなことを思い出しました。


ずっと前、何かの科学雑誌に、コンピュータは0と1の足し算だけですべての四則演算を行っていると書いてあったのです。 足し算だけで引き算も掛け算も割り算もやるのです。 実際どうやって割り算をやるかというのが書かれていて、もう忘れてしまいましたが、これを考えた人はすごい!!と思った覚えがあります。


もしかして娘の脳はコンピュータと同じ仕組みで動いているのか!? 処理速度が天文学的に遅いだけで(笑) 


でも、人とは違う発想なんだなぁ、だからチンプンカンプンなんだなぁということがその時なんとなく分かったのです。 


算数で思い出しましたが、つい最近友達(女性)が言っていました。 「私、マイナスの数値にマイナスの数値を掛け算するとプラスになるっていうのがどうしても分からんないのよねー。」と。 そういえば私もなんだか全然分かりません。 結局私も、娘の同じように理屈も分からずただやり方を覚えていただけってことですね。 その友達は、「マイナスとマイナスを掛けるとどうしてプラスか」という質問をした時に一生懸命説明してくれるかどうかというのを男を選ぶ時の一つのポイントとしているそうです(笑)。


どなたか説明出来ますか??


数学は私は好きでした。 得意じゃなかったけど好きでした。 パズルみたいだったし、1週間考え続けて問題が1問解けた時はすごく感動しました。


娘にもあの面白さを教えてあげられたらいいんだけれど...難しいです...

6月16日木曜日、今日の家庭訪問

先生がやっぱり早い時間が良いということで、また6時~6時30分開始ということになりました。 いつもは先生から「Mさん、帰ってますか?」と確認の電話が入るのですが、今日は私から「もう帰ってますのでお願いしますー。」と電話を入れました。 いちいち電話しなくていいですよと言っても電話してくるので、それならこちらから電話入れた方がいいだろうと思って。


ただ、この確認の電話がけっこうネックなのです。 電話が終わると息子が緊張しだすのです。


なんとなく、私だって家に先生が来るというのは緊張しますから分からなくはないですね。 電話があると、学校から家までは徒歩5分かからないくらいですから、息子としては「今にも来るかな」っていう緊張が高まるのかも。 でも、実際には電話があってから先生が来るまでにはだいたい15分から30分、今日などは結局45分後の午後7時でしたが、かかるのでその間、緊張を通り越して「もうやだー。」「会いたくない。」が始まるのです。 そういう時の私、内心とっても慌てます。


本当は嫌じゃないと思うんですよ。 今日だって先生が帰ったあと先生の話を嬉しそうにしていたし。


本当に嫌がってるのだったら私も対処のしようがあるのですが...


でも先生が来た時は子供部屋のテーブルの下に隠れていました。 しばらく放っておいたら出て来てちょこちょこ先生のところに顔を出して、結局最後は普通にまた二人でいろいろ会話していましたが。


今日なんて、先生が来る日だから6時のチャイムが鳴ったらすぐ帰って来るんだよと言ったらちゃんと6時過ぎに帰って来てました。 (この頃いつもおばあちゃんちで従兄弟と遊ぶことが多く、お姉ちゃんと一緒に7時まで遊んで帰って来るのです) 嫌だったら私の言うことなんか聞きやしないですから、ちゃんと素直に帰って来るところを見るとけっこう先生が来るの楽しみなんじゃないのかなぁ~と思うのですけど。


息子がテーブルの下に隠れているあいだ、電話のあと緊張してしまうこと、電話予告無しに来てもらった方がいいと思うことなど先生に話しました。 それでどうするかーという話にはならなかったんですが、どうなったのかな。


確かこの家庭訪問の意味は、先生が言われていたのは、学校との関係を切らないこと。 それと、子供がまず先生に慣れること。 だったような気がします。 だったらまあこんな調子で続けて行けばよいのでしょうか... 


しかし、この学校に戻る気のさらさらない息子に週に2回も付き合っている先生に何のメリットもなさそうなのが申し訳なく...


ただ私としては家族以外の人がこうして息子と接してくれることはとてもいいことだなぁ~と思っているのです。 息子にしてみれば「先生=学校に連れ戻そうとしている人」ってことでありがた迷惑なのかもしれないですけどね。

引っ込み思案

私は小学生の頃とても引っ込み思案な子でした。 いつも通知票に書かれていることといったら「芯はしっかりしているが、おっちょこちょいな所がある。 もっと積極性が欲しい。」 でした。


本当にどの先生も判を押したようにそう書いているので後で見ると笑えます。


5年生の時の担任の先生は、「間違ってもいいから授業中手を挙げなさい」「積極的になりなさい。」と散々みんなを励ましたため、最後の方は私もちょっと洗脳されて授業中手を挙げたりするようになりました。


しかし、今思うと私はすごく自分に無理をして手を挙げていたのです。 自分を一生懸命叱咤激励して。


でもなんであんなに無理する必要があったんでしょうか。


先生が、「もっと積極性が欲しい」と書く裏には「積極性があること」が良いことで、「引っ込み思案」な子はダメという意識が感じられます。 そしてそれは私の中にも無意識に植え付けられていたと思います。 積極的で強いことが良いことで、おとなしくて弱い子はだめ。 つまり、引っ込み思案は私にとっては克服せねばならない短所だったわけです。


でもそれって本当に短所なの?


中学2年の時、担任の先生は家庭科の先生で年配の先生でしたが、三者面談の時に母が「うちの子はおとなしくて困るんです...」と言った時、「大人になったらまた別ですから、大丈夫ですよ。」と言ってくれました。 その時何故だかとてもほっとした気持ちになったのを覚えています。 初めて「大丈夫」と言ってもらえたからでしょうか。


その後、私が子供の頃の自分を「あるがままで良かったんじゃない」と肯定出来るようになったのはもうだいぶ大人になってからでした。 おとなしいのもあなたの個性だよ。 自分に素直にしていて良かったんだよって。 


最近ですが、息子が3年生の時の担任の先生が、懇談会の時言っていました。 「お子さんが授業中手を挙げなくても、ちゃんと授業を聞いていたらそれを誉めてあげてください。」と。 それを聞いて私は嬉しくなりました。 そう、授業中手を挙げなくても、私は授業に参加してなかったのではないのです。 すっごく先生の話を真面目に聞いていたんですよ。


自分の子も、ありのままを肯定してあげたいなぁ。 現実にはイライラ~っとすることが多いけれど、

親の目から見て、一見「困るなぁ」と思える子供の個性も、本当に「困る」ことなのか、見方を変えて見なければなぁと思う私なのでした。

なんかのんびり

夕べの、息子と私の会話。


息子:ねえお母さん、「プリン」はなんで「プリン」っていうか知ってる?

私:さぁー、英語でプディングっていうからかなぁ?

息子:そう。最初はプディングだったんだけど、日本人が聞き間違えてプリンになったんだって。

私:へえー、そうなんだ。

息子:じゃあさー、「うんこ」はなんで「うんこ」っていうか知ってる?(ニマニマする息子)

私:え~、なんでだろう?分かんないなぁ。なんで?

息子:それはねー、「うーーーん...」ってやると「」って出るからだよ。(自分で言って笑い出す)

私:ああ~、そうか、「うーーーん」とやると「」ね。 なるほどねーー。 何言ってるのこの子は!!

→息子をとっつかまえてくすぐりの刑。息子、大喜びでころげまわる。


おもしろい子です。 


時々、素っ裸で妙ちきりんなダンスを見せてくれることもあり、娘と私は大笑いです。


なんかこの頃、こののんびりさ加減がいい感じです。 世間から見たら問題児ですが、今はこの子を信じられる。 将来はどうしたいかとか、いつか自分で考えて自分の道を自分で選んでくれるんじゃないかと思えるのです。 


これから私の課題はむしろ娘に移っています。 今までどうしてもどうしても、息子にばかり目を取られてしまっていたから。 いつもごめんねと思いながら娘のことはほったらかし。 本来ものすごい甘えん坊なのは娘の方で、私の目がいつも弟に向いていること、大きなわだかまりになっているだろうなと思います。 自分だって学校に行きたくない時もあるのに、どうして弟だけ許されるのかとか思っているだろうし。


娘というのはこれまた弟とは全くタイプの違う子で、それはそれでいろいろ問題もあったのです。 ただその場で叱り飛ばすだけで終わってしまったり、ちゃんと向き合わずに今まで来てしまいました。 普通11才というと基礎的な子育ては終わってる年齢ですけど、我が家はこれから、今やっとスタートラインに立ったような感じです。 


これからやっと、ゆったりした気持ちで二人の子と向き合えるのかなぁと思っています。

ホームスクーリング

なんかまた面白いものを発見しました。


ホームスクーリングとネットワーク

http://www.eonet.ne.jp/~hsn-hime/kugai.html

ホームスクール支援協会

http://www.homeschool.ne.jp/index.html


世の中にはいろんな考え方の人がいるんですね。

以前どこかで、アメリカでは親が教員免許を持っていると、学校に行かずに家で勉強しても学校に行ったのと同等と認められるというのを聞いたことがあって、いいなぁ、それなら一家で渡米しちゃって私が教員免許を取るかー(いったい何年かかるんですか) なんて冗談ですが思ったことがあるんです。


でも別にアメリカじゃなくても、親が教員じゃなくても、ホームスクーリングというのを実践している人達がいるんですね。 しかも、子供の不登校がきっかけで、というなら理解出来るんですが、最初から学校に行くことを考えに入れていない人がいるから驚きます。 私の理解の範囲を超えているというか、レベルが違うというか...


でももし近くにホームスクーリングを実践している方がいるなら、お話を伺ってみたいなと思いました。


ホームスクーリングには、学校のようにカリキュラムを組む方法と、子供の興味に沿って進める方法があるそうです。 ホームスクーリングというとちょっと私にはハードルが高く感じてしまいますが、どうせ学校に行っていないなら、何か子供が興味を持っていることについてサポートしてあげてみようかな。

今日は授業参観(休日参観)

だったのですが、行きませんでした。

娘は「来ないで!」というし、息子のは、当人がいないのに参観するのもなんか間抜けだし(笑)


本当はクラスの様子とか、先生がどんな授業するのかとか見たかったんですけどね。 あ、4月にも授業参観がありましたが、その時はやっぱり娘のだけ見に行きました。 娘の担任の先生は、「正統派小学校の先生」という感じの女性の先生で、きびきび溌剌とした中堅どころの先生でした。 5年生のときから、参観後の懇談会は3クラス合同形式になっていて、この合同形式というのは気は楽ですけど担任の先生の人となりが分かりにくいですね。 少人数で懇談会をすれば先生との距離も近くなって、どんなポリシーを持った先生なのかが分かるし、クラスにどんなお母さんお父さん達がいるのかとかも分かりますよね。


娘のように何ら問題もなく(内面ではいろいろあるとは思いますが)ふつーに学校に通っていると、担任の先生と接する機会がほとんど年に数回しかないので懇談会はクラスごとがいいかなーと思ったりして...


最近休日参観は親子で工作したりするのが流行ってるのかな? 娘はペットボトルを使った魚釣り浮沈子というのを作って来ました。 友達のお父さんに手伝ってもらったとか。 工作するんだったら行けば良かったよー。 (工作大好き)