遊び友達
1年生の時に友達になったT君とはその後同じクラスにならなかったにもかかわらず年中一緒に遊んでいました。 どちらかというとT君から電話がかかって来ることが多く、土日や夏休みなどは朝から電話がかかってきて主にうちの子がT君の家に遊びに行っていました。 T君のご両親と私はほとんど面識がなく、運動会などで挨拶をしたり(挨拶をしてもあまり向こうからは話して来ない感じ)、たまにお電話でちょっとお話しする程度だったので私は最初の頃けっこうT君と遊ばせるのは不安でもありました。 おこずかいのあげ方や、ゲームなどの与え方などを見ているとほとんどルールが存在していないようだったし(好きなだけ与えている)、両親は仕事で夜は7時くらいまで家にいない(らしい)ということや、朝から友達の家に何度も電話してくるT君を見ていると、どう~なってんのかな?と思ったりしました。 それでもまあ、T君を見ているとうちの子なんかよりよっぽどしっかりしているし、大人の言うことは素直に聞くし、ちゃんと挨拶も出来るしいい子なのです。
時々息子はT君の家から帰って来るなり「もー、あいつやだ!」とふてくされてたりしましたが、翌日はちゃっかりまた一緒に遊んでいて、なんだかんだいっても一番気が合うのかもね。なんて思ってました。
3年生の夏休み、夏祭りの日に息子はT君の家に泊めてもらいました。T君のお父さんから事前に電話があって泊めてもいいかというのです。私は夏休みでもあるし、お友達の家に泊まるのもいい経験だと思って喜んでお願いしました。 ところがその後2学期になると今度は夜T君のおうちで夕食をご馳走になったり、T君にまた泊まるように誘われることが多くなったのです。食事の時はT君のお母さんが誘ってくださってるみたいだし、泊まる時もT君のお父さんが「うちは一人っ子で寂しがりやだから」泊まってくれと言うし、断るにも断れずに何度かお言葉に甘えてしまいました。 夕食をご馳走になる日は夜クルマで家の前まで送って来てくれて、お母さんが玄関先で「遅くまですみませんでした。」と挨拶して行かれるのです。
しかしいくらなんでもしょっちゅうご馳走になったり泊まったりするのはどうか...?だいぶ迷いました。そしてある日またT君のお母さんから「今夜泊めてもいいでしょうか?」と電話があった時、「一応うちではお友達の家に泊まるのは夏休みとか冬休みの時だけにしようねって言ってあるんですよ。」と言ったのです。 するとT君のお母さんは、「じゃあ冬休みに温泉に行く予定なんですけど、その時は連れて行ってもいいです?」というのです。あはは。そう来たか。そういう特別行事の日だったらいいと思うので「ご迷惑でなければ...」とお願いしました。
まったく、温泉旅行まで連れて行ってもらうとは!
そこでお礼というのではないけれど、我が家でもT君をスキーに連れて行くことにしました。 T君に話したら「行きたい!」とのこと。T君のおかあさんからも快諾の返事を得て私の知り合いのスキーツアーに便乗してみんなで菅平高原に行って来ました。3月のことでした。
この時スキーツアーに行って楽しそうにしている息子と、息子が何か面白いことを言うたびにゲラゲラ笑って盛り上がっているT君を見ていたら、なんだか私は考えが変わりました。 今時こんなふうに兄弟みたいに友達の家に泊まったり泊まられたりする関係って貴重じゃないの。 幸いT君の家ではうちの子が泊まるのを喜んでくれているみたいだし、いいじゃないと。
そんなわけで不登校している間もT君とはDEEPなお付き合いが進行していました。 今になってみると、T君という遊び友達がいたことは私にとっても精神安定剤になっていたのではないかと思うのです。 だって誰とも遊ばず一日家にいる子供を見るのと、学校へは行かなくても友達と外へ出て遊ぶ子供を見るのとではだいぶ不安度が違うだろうと思うのです。(クラスメートと会うのは恐れていて、いつもT君の家に行く時は学校を避けるように遠回りしていましたが)
まあこのままずっと学校に行かなければいずれT君とも感覚がずれていって付き合いがなくなるとも考えられますが、仲良く出来るうちはなるべく一緒にいさせてやろうと思う母なのでした。
スクールカウンセラーの先生と会う
息子の別室登校に付き合い出してしばらくした頃、月に1回小学校に顔を出すスクールカウンセラーの先生とお話しする機会がありました。 正確に言うと話をする機会を持たされたというか...(^^;
カウンセラーの先生は若い女性の先生でした。 私は(けっこう既に達観しちゃってたので)特に誰かに相談したくてたまらないというわけでもなかったのですが、せっかくなのでいろいろ今までの息子の様子などをお話しました。
先生は私の話しを聞いて「別室登校を嫌がらないのなら集団が嫌であることは間違いないですね。」「これまではなんとかだましだまし登校して来たけれど、もうここで電池が切れたという感じではないでしょうか。」というようなことをおっしゃいました。 また市の方で集団になじめない子を受け入れる施設があるのでそういう場所に相談に行ってみるのもいいかもしれないと言われました。
その施設とは相談センターというのですが、実は私は息子が2年生の時そこに電話したことがあったのです。 その頃はけっこう切羽詰って電話したのですが、「何日くらい学校を休んでいるんですか?」と聞かれ、「まだそんなに連続して休んでいるわけではないのですが。」と言ったら、「心配ないですよ。たいしたことないと思いますよ。担任の先生にまず相談されてはどうですか?」と言われて終わってしまったのでした。その施設に限って言えば、完全に不登校になるまでは問題無しってことだったのかなと思います。
ともかくまあそういう受け入れ施設があるということだけでも知っていれば知らないよりは安心ですしねというような話をしてカウンセラーの先生との話は終わりました。
それが2月の頭だったのですが、カウンセラーの先生が言うには「もうすぐ4月ですから、学校側もMさんがなるべく登校しやすいようなクラス編成を考えてくださってると思いますよ。」とのことでした。 へええー、学校ってそんなことまでしてくれるのかとちょっとびっくりしました。 ほんとかなー?でもそうしてくれたら嬉しいなと思いました。
別室登校
私は基本的に毎日自宅から徒歩35分ほどの所にある仕事場に通っていました。 なので日中は家にいないのですが、登校しない息子一人を家に置いておくのはどうも不健康な気がして、午前中は自分の仕事場に一緒に連れて行くことにしました。 家で一人でいさせたらいわゆる引きこもりになりそうだったので少しでも外に出そうと考えたのです。 幸い私は仕事といってもアパートの一室で一人でパソコン仕事をしているだけなので子供を仕事場に連れて行くのは問題無しです。 朝私が 「学校に行かないなら『おかあさん学校(私の職場のこと)』に行くよ。」と言うと息子は初めて私の仕事場に行けるとあって大喜びでついて来ました。
そうやって午前中は私の仕事場で学校の宿題(先生が毎晩持って来ていた)の漢字練習や、算数プリントをしたり、それが終わるとゲームをして過ごしました。 さすがに午後も仕事場に縛り付けておくのはかわいそうだったのでお昼頃になると一緒に家に帰りました。 いかな優秀な(?)私でも午前中だけで仕事を終わらせるのは至難の業でしたが、たまたま仕事量が少ない時期だったのでなんとかかんとかそういう生活を続けることが出来ました。 それに毎朝一人で歩いていた道のりを息子と歩くのはとても楽しいものでした。 道端に霜柱が立っているのをみつけて二人で踏みしめてみたり、どっちが横断歩道を先に渡り切るか競争したり。 私より先をひょこひょこ早い足取りで歩いて行く息子を後ろから眺めていると「かわいいなぁー」としみじみ思ったりしました。
そんなある日担任の先生から提案があり、午後から学校に行ってみようということになりました。 学校に行くと言ってもみんなと授業を受けるのではなく、まずは学校に行くだけ行ってみるという感じです。 息子はみんなと会うのは嫌がるので、みんながちょうど教室に入っていなくなる午後2時に行くということになりました。 息子は別に学校へ行くだけならそんなに嫌でもないらしく、拒絶することもなく私について学校に行きました。 学校に着くと先生が外で待っていてくれて、その日は職員室の隣の会議室で先生から与えられた課題をやって帰りました。
その後しばらく、午前中は「おかあさん学校」へ行き、午後2時に私と一緒に学校へ行くという生活が続きました。 学校ではいつも会議室で課題をやるのですが、その間先生は普段通りクラスの授業に行ってしまうため、課題が終わってしまうと先生が戻って来るまでヒマでした。 だいたい先生は1時間半から2時間くらい戻って来ないのです。 課題などは15分もあれば終わってしまうので1時間以上時間を持て余しました。 私は何かとヒマつぶしする道具を持って来ているのですが息子はヒマを持てあましてしまい、しかも会議室は日が当たらずとても寒いのでよく二人で会議室の机の周りをぐるぐるまわって鬼ごっこをしたりしました(内緒)。 全く文句を言える筋合いではないのですが、この待ち時間はけっこう苦痛でした。 先生が戻って来ると、そこで課題が出来ているかどうかのチェックなどをしてその日は終わりです。
先生は、「こうして学校に来るだけでも出席扱いになるんですよ。」とおっしゃいました。 それを聞いた私は「へー、そうなんだ。 じゃあうちの息子は不登校じゃないんじゃん。」などと思ってちょっと喜んでいました(笑)。
不登校始まる
話が逸れちゃったので元に戻しまして...
小学校3年生になった息子は相変わらず時々行き渋りをするものの、まあまあ普通に登校していました。 ささいなことでキレて暴れる頻度も徐々に減って、また怒り出しても以前のように私が耐えられなくなるまで何十分も暴れ続けるようなことは無くなりました。
だんだん内面が成長している息子を見て、もしかしてこのままなんとか登校を続けていればそのうちには自分で自分を律することが出来るような年齢に達して、学校に行く方が得だと考えてくれるのではないかなー、
自分の意志で学校へ行くことを選んでくれるんではないかなーなどと淡い期待を寄せていたのでした。
ところがまあ半分はその逆も予想していたのですが、半分案の定というか、2学期の終わりになって急に行き渋りをする日が多くなり、やばいなーと思っていたら3学期には始業式に行ったあとぱったり学校へ行かなくなってしまいました。 朝は押し入れの中に閉じこもって、私が「学校に行っておいでよ。」と言うと目に涙をためて「学校は怖い...」と言いました。 その顔はがちがちにこわばっていました。
3日程連続してお休みをしたら担任の先生から電話があり、夜家に家庭訪問してくださることになりました。 担任の先生はベテランの女性の先生で、元々は中学校の体育の先生だったというだけあってスタイルも良く、さばさばした性格のかっこいい先生という感じです。 その日から2週間ほど、ほとんど毎日先生が家に来て30分から40分ほど勉強を見てくださいました。 先生も家に帰れば主婦の仕事があるだろうに、本当にありがたいと思う反面、私は先生とは若干意識のずれを感じていました。
我が家には勉強部屋というものが無いので先生が来る日は居間を先生と息子のために開放して、私と娘は台所で夕食の支度をするなどしていました。 ある日いつものように台所にいると、先生から「お母さんちょっと来てください。」と声がかかりました。 な、なんだろうと思って居間に入ると先生と息子が向かい合ってすわっており、どうも先生から息子にお説教というか、「学校に来なさい」という話をされている最中なようでした。 私は一緒にすわらされて先生に「お母さん、お母さんの気持ちをMさんに話してあげてください。」と言われました。
「え、私の気持ち...?」私はたじろぎました。 いや、その時正直言って私は自分がどうしたいと思っているのか本当に分かっていなかったのです。 というよりどう考えるべきか毎日迷っていたのでした。 半分の気持ちは、「そんなに学校が嫌なら、もう別の道を考えた方がいいんではないか。」でした。 なにしろ保育園の頃から集団を嫌がっていたのを半分無理やり学校に行かせていたのですから、そろそろ別のこと、フリースクールとか...そんなものも頭に浮かんでいました。 そして半分は、そうは言ってもやっぱり普通に学校に行かせる方が結局は本人も楽だろう(学校に行かないことを選ぶのは周囲と戦うことになりますから)、行けるものなら学校に行かせてやりたい(またその方が自分も周囲と戦わなくて済むので楽である)という気持ちでした。
なので正直なところ「分からない」が本音だったのですが、その場の雰囲気ではどう考えたって先生は私に「学校に行って欲しい。」ということを言わせたいに決まっています。 私が躊躇していたら再度先生に、「どうぞ、お母さんの正直な気持ちをおっしゃってください。」と促されました。 ウソをつくのも嫌だし、困った私はふといつか分からないけどいつかこうなって欲しいなと思う子供の像が浮かんで「お母さんは、Mに、元気に学校へ行って欲しい。」と言いました。 本来は「元気に学校に行けるような子になって欲しい」であってその学校というのは小学校を指しているわけでもないんですが、まあとにかくその場は先生に配慮して省略しました。
そうしたら先生はよっしゃーとばかり、「Mさん、お母さんはこう言っていますが、あなたはお母さんの気持ちに対してどうしますか?」と質問しました。 息子はだまっていました。 「お母さんの気持ちを無視するんですか?」 と先生がさらに質問すると、息子はしばらくだまってから、「無視する...」ともごもご答えました。 私は先生には申し訳ないと思いつつ、可笑しさがこみあげてしまいました。 その後も先生は「いつまでお休みするんですか?」「いつまでか期限を決めてください。」などと息子に学校に来るよう強制するような言葉を続けました。
息子はそういう時、「じゃあ金曜日にする」などとその場限りの約束を出来るような子ではありませんでした。 本心から学校なんて一生行くもんかと思っているのに、適当なウソをつくことなど出来ないのです。 答えを強要する先生に対して、息子の表情は怒りに変わって行き、すごい形相で先生をにらみつけました。 しばらくしにらみ合いが続きましたが、このままでは話が終わらないと思ったのか、先生の「じゃあ金曜日まで休むことにしましょうか。」という言葉に息子はしかたなしにだまってうなずきました。
これは約束というより、脅迫ですね(^^;
先生は帰り際に、「長い目で見守って行きましょう。」とおっしゃいました。 「長い目で」とはどんなに難しいことか...
しかしこういうことがあっても私は先生に対して自分の気持ちを話すことが出来ませんでした。 学校に来させようとして頑張ってくれる先生に、「いやー、私、半分はもう学校はいいかなーと思ってるんです。」なんて言えるでしょうか。 それに私自身もまだ答えがみつからず、学校とつながっていた方が安心だったわけです。 なので先生の意識と自分の意識がずれていると分かっていながら本心は言えずにいたのでした。
私の両親
私の両親は仲が悪く、よく子供の前でけんかしました。
今思えばただのバカじゃないかと思うのですが、我が家は私が9才の時に建てた家のローン3000万円を10年で返済するために父の収入はほとんどローン返済のために使われ、日常使うお金はすべて母が家で赤ちゃんをあずかる仕事をして稼いでいました。 しかも家を建てた直後に父が会社を辞めてしまったために家計は火の車でいつもいつも母は「お金がない」「今日食べるお米がない」と嘆いていました。 また自称身体の弱い母はしょっちゅうもうこの世の終わりであるかのように「疲れた...」と言って背中をまるめてつらそうな顔をしたり、 「ガンかもしれない」などと言って私を不安にさせました。 今だに大病など一つもしていないのですが。
家計が大変だったので高校に入った私は早朝新聞配達のアルバイトをして自分で必要なものは全部自分で買いました。 高校の制服も自分で買いましたが、冬のコートは買えなかったので冬は学校中で私一人だけコートを着ないで登校しました。
そんなふうに自分なりに母に協力しているつもりでも、母にとって諸悪の根源は父と私でした。 身勝手な夫とぼけっとした娘のことをよく(私がいる前で)親戚の人に愚痴っていました。 また私は私で、年中母から父の悪口を聞かされていたので悪いのは父であると思い込み、父を呪っていました。 中学高校の頃は父と一緒の部屋に二人でいるのはものすごく嫌でした。 夜私が居間で試験勉強をしているとわざわざそれに付き合うかのように父が居間でテレビをつけて見るのです。 私は「テレビを消して」と言えませんでした。
でも本当に悪いのは父だったのか...
家を出たくてたまらなかった私は高校を卒業してすぐ祖母の家に下宿させてもらうことにしました。 家を出てしばらくするとやっと私は両親のことを客観的に見ることが出来るようになりました。 母は、子供に毎日のように父の悪口を言うくらいなら、別れるべきだったと思いました。 それをしなかったのは行動力が無かったからだし、一人で子供を育てるのに比べたら父と嫌でも一緒にいた方が楽だと判断したからなのです。 そう判断したのなら、子供に迷惑をかけるべきじゃなかったと思います。 父は本当に身勝手で変わった人ですが、自分が不幸なのを全部他人のせいにしていた母も悪いと思います。 喧嘩両成敗じゃないかと思った時、なんだか父と母のケンカと、それに巻き込まれた自分がばかばかしくなりました。
数年前、やっと両親は離婚届にお互いに印を押しましたが、まだ一緒に暮らしています。 父は相変わらず家にお金を入れないようで今だに母から愚痴を聞かされます。 母は結局父を頼らないと生きていけない人でした。 そして今も自分で自由になるお金など1円もありません。 年金もありません。 今後はまだ結婚していない私の弟に面倒を見てもらうつもりでいるようです。
子供に問題がある場合はまず親をカウンセリングすると何かの本に書いてあったけど、本当にそうだなぁと思います。 私自身が本当はこうやって親に言えない(言っても分かってもらえないだろう)親に対するわだかまりを抱えて生きているのです。 大人になって世の中が見えるようになったら、自分の置かれた環境なんてそんなにひどいものじゃなかった、世の中には本当に地獄のような家庭環境に育った人もいると知ったけれど、それでもやっぱり私がどこか自分の存在に拠り所を感じられないのは育った環境にあるんだろうなと思います。
健全な家庭に育った人というのは付き合ってみると分かります。 なにか自分というゆるぎない核のようなものがあって、つらいことがあってもそこだけは崩れない、強いしっかりした心を持っている気がします。 自分を好きだから、他人にも優しいし、余裕を感じるというか。
私はもう既に片親になってしまっているので子供達に健全な家庭を与えてあげられてません。 だけど生きていく力だけは与えてあげたい。 何があっても最終的には自分のことが好きでいられるよう、明るい一人親家庭を築いていきたいです。
母と私
子供関連の本を読んだりすると必ず私には湧き上がって来る感情がありました。 それは自分の母親に対する 「私はこんなふうには育ててもらえなかった。」「母は私のことを一度だって誉めてくれたことなんかなかった。」「自分は親にけなされて育った。」... という思いでした。
私は子供の頃とてもおとなしくて静かな子でした。 友達どうしでは普通に遊ぶけど、よその人の前に出ると何も口のきけない子で、 今でもよく母の知り合いには「さくらちゃんはいつもいるのかいないのか分からないくらい静かだったわよねぇ」と言われます。 兄弟げんかもほとんどした記憶がないし、 というかケンカするくらいなら欲しい物も最初から妹に譲ってしまうような子でした。 いつも母に怒られないかと母の顔色をうかがって、おもちゃなどをしつこくねだるようなことは絶対しませんでした。
そんな私はまるっきり手のかからない子だったと思います。 ところが母にとってそういう私は子供らしくない嫌な子と映っていたようです。
小学校1年生くらいのある日、私は学校で書いた絵を先生に褒められてとっても嬉しくて、家に帰ってすぐ母にその絵を見せました。ところが母はその絵を見て「これなあに?え、これ木のつもりなの? あははは。」とばかにしたように笑ったのです。 その時私は「お母さんにも褒めてもらえる」という気持ちでいっぱいだったと思います。 なので絵を見て笑われたことがすごくショックでした。 悲しくて、下を向いていたら涙がこぼれて来ました。 するとそんな私を見た母はいらいらした調子で、「何よ、誉めてもらえなかったからって泣くなんて、気の強い子だよ。」と怒り出しました。 その時私はなんで気の強い子なんて言われるのか分からなくてずっと下を向いていました。
母は子供を褒めたりすればつけあがる(傲慢な子になる)と思っている人でした。 だから何かをして褒められるということは絶対なかったし、むしろ私が何かを上手に出来たと思っているような時は何かしら悪い部分をみつけて指摘をしました。
また私は運動が不得意でかけっこはいつもビリだったのですが、運動会でビリを取ると家に帰って両親そろって私の走り方をカメみたいだとか言って笑いました。 私も一緒になって笑いましたが本当は内心とても傷付きました。 大勢が見守る中でビリになるのが恥ずかしくて運動会は大嫌いでした。 もしあの頃の私に会えるのなら、「一生懸命走ればビリでも恥ずかしくないよ」と言ってあげたい。 誰かそんなふうに言ってくれていたらきっと運動会が楽しくなったのに。
私は自分の気持ちを親に訴えるということが出来ませんでした。 なので自分では理由があってやっていることでも頭ごなしに決め付けられて「悪い子」にされてしまうこともよくありました。
母はよく「あなたは絶対にあやまろうとしない子だった」と言います。 私に言わせれば、あやまるような悪いことをした覚えがないのです。
私は家では「ぼけ」とか「うすのろ」とか「気がきかない」などと言われて褒める所など一つもない子のように扱われました。 母の気持ちとしては「うすのろ」とばかにすれば「なにくそ」と這い上がって来るだろうと期待したのでしょうが、結果は逆でした。 けなされれば子供は自分はそういう人間だと思ってしまうのだと思います。 そして良くなるどころか自暴自棄になってしまうのです。
家では自分にはいる価値がないと思っていた私は逆に学校では頑張りました。 もしかしたら私は先生に褒めてほしくて必死だったのかもしれません。 学校自体は好きじゃありませんでした。 でも頑張れば先生が自分を認めてくれたから、だから一生懸命いい子になろうと努力しました。
母は今でも私の子供達を悪く言うことがよくあります。 私に対しては「あの子は頭がおかしいんじゃないかね」とか、「あの子はダメだ」「あの子は伸びないよ」などと言い、本人に対しては出来ないことについて「ほらMはこんなことも出来ないんだから」とけなします。 そのたび私はとても嫌な気持ちになるのです。
母は「褒められたいために何かを頑張るのはおかしい」と言います。 でも、そうでしょうか? 人って誰でも誰かに褒めてほしいんじゃないでしょうか。 高倉健さんだってお母さんに褒められたくてずっと頑張って来たって書いていたじゃないですか。 私は今でも誰かに褒めて欲しくて頑張っています。 一生懸命やった時、誰かが軽い気持ちで褒めてくれた一言がとても嬉しくて、あとあとまでそれが頑張る力になったりします。
だから私は子供のことを見る時は長所ばっかり見てやって褒めてあげればいいと思うのです。 実際には短所が目につきやすいものですが、長所と短所って表裏一体だったりするでしょう。 長所に気付かせてやれば子供自身もそこを伸ばそうと自然に伸びて行くのではないかと思っているのです。
不安はつづく
そんな私の迷いや悩みとは裏腹に、長男がキレて暴れる頻度はだんだんと減って行きました。 なんとなく、ああこの子も内面では徐々に成長しているんだなということを感じることが出来ました。 とはいっても学校への行き渋りが無くなったわけではないし、朝はやっぱり毎日のように内心ドキドキでした。 ともかく朝だけは何としても機嫌が悪くならないよう無意識に気を使いました。 なので子供が学校へ行ったあとは「はぁ~、今日もなんとか行ってくれた...」と脱力してました。
土日はそういう心配がなくて朝はゆっくり寝ていられるのでハッピーでした(笑)
その頃私はPTAの役員をやっていました。 役員のお母さん達は「土曜日学校が無いなんて困るわよね。 学校も無責任だわよ。」 などと学校の週休2日には批判的なようでしたが、 私は土曜日が休みになったのは嬉しくてしょうがありませんでした。 今またゆとり教育の見直しで土曜日に授業をやる動きがあるらしいですが、ぜひとも土曜日に授業再開するのはやめて欲しいです(笑)
長男の内面が多少成長してきたといっても、私の心の中ではこの子は将来どうなるんだろう? という心配でいっぱいでした。 「ささいなことでキレる」「学校へ行き渋る」 こういうことが、将来家にひきこもって親に暴力をふるうような子になるんじゃないかとか、思春期に精神的におかしくなってよその子に危害を加えるような子になるんじゃないかとか、そんな不安を増幅させました。 また世の中ではそういう事件ばかり起きていました。
そういう不安もあって、私はどうしたらこの子が自信を持ってのびのび生きていけるのか、そのために自分は何をしてどう接したらいいのかいつも考えていました。
この頃「輝ける子」(明橋 大二)、「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ローノルト)などの本を読みました。 どうも本屋に行くと子供に関する本には目が行くのです。 そしてちょっと立ち読みしてみて良さそうな時は買って帰りました。 どの本も共通して言っていることもあれば、 違うことを言っている時もあります。 またいいと思う本でも全部が全部自分の考えや状況にしっくり来るわけではないので、 自分が「ああ、そうだな。」とか「なるほどね!」とか共感した部分だけを心に留めて、なるべく実践しようとしました。
しかし、こういった本に書かれてあることが理解出来ていても、じゃあ具体的にこういう場面ではどうしたらいいの? みたいなものは自分で考えるしかないんですよね。 例えば子供が朝「学校に行きたくない」と言った時、どんな言葉かけをしたら良いのか、またはだまって様子を見るのか、ひっぱたいて強制的に家の外に出すのかとか。 ドロシーローノルトの本には「大丈夫よ。あなたなら行けるよ。」と声をかけて行かせるべきと書いてあるけれど、そんな一言で行くくらいなら不登校なんて無いんですけど...と言いたくなってしまう。 その都度その都度、「どうしよう?」と一瞬考えて、あとで「あんなんじゃダメだろー」と反省すること度々でした。
でもこうやってあーだこーだ悩むのは、何にも考えずに頭ごなしに子供を従わせようとするよりきっといいはず。 悩んで模索していたらちょっとずつ前進するはずと思うことが私の希望でした...
迷いの日々
この頃は私はいつも育児に迷っていました。 今も自信があるわけじゃないけど...
「今日こんな態度を取ってしまった。 もっとこうしなければいけなかったんじゃないか...」など。 後悔の毎日。
ささいなことで癇癪を起こす長男に対して、自分の方が我慢ならなくなってひどい言葉をぶつけてしまうこともありました。 一度怒り出すとこっちがいくら会話で解決しようとしても頭から拒絶して乱暴してくるので耐えられなくなるんです。
2年生の終わり頃だったか、私がいい加減頭に来て「そんな子はいらないから出て行きなさい!」と玄関の外に長男を放り出したことがあります。 そうしたらしばらく玄関のドアにおもいきり蹴りを入れながら「ちきしょー!」「開けろー!」「ばかやろー!」と怒鳴っていたのですが、そのうち玄関の外に置いてあった傘でドアをバンバン叩き出したのです。 すごい騒ぎでしたが怒りを静めて話しが出来る状態になるまで家に入れてやるもんかと思っていた私はじっと我慢して家の中にすわっていました。 しばらくしてやっと静かになったので別の場所にでも行ったかなと思って玄関に行ってみるとドアにはめてあるガラスに大きくひびが入っていました。 そっと玄関を開けるとまだ怒り冷めやらぬ長男がすごい形相で私をにらみながらそこにすわっていました。 また玄関のドアを閉めて待つこと10分程。 もう一度ドアを開けてみると、不思議なほど落ち着いた様子になった長男が立っていました。 よく覚えていませんが、「おかあさんが何故怒ったか分かる?」というような会話をちょっとしてから家に入れてやったと思います。
いつもそうなのですが、ものすごく怒り狂っていたかと思うと数十分間私と戦ったあとに急激に怒りの波が去るらしく、一旦波が去ると急に素直になってその後は「今までのはいったい何だったんですか?」と言いたくなるほどニコニコ機嫌が良くなるということがよくありました。
ちなみにその時壊された玄関のドアの修理代は2万円でした。 出世払いしてもらうつもりです(笑)
一旦怒りだすとこういう状態になってしまうため、私は長男がいつ癇癪を起こすかとびくびくするようになりました。 特に朝は機嫌を損ねて「学校に行かない!」と言い出されないよう気を使いました。 なんとか学校に行って欲しい気持ちと、怒りだして暴れられたくない気持ちとが一緒になっていました。
その一方で、私はなるべく長男の身の回りの世話(学校へ行く支度だとか)を焼かないようにこころがけていました。 例えば長男は暑さ寒さをあまり感じないのか、もう肌寒い秋でもTシャツ一枚で出かけたり、真冬もトレーナー一枚で出かけるのですがいちいち上着を着なさいとかなんとか口を出すのを我慢しました。 宿題や、学校に持って行く工作の道具などもこちらから「出来てる?」などと声をかけることもしませんでした。
ところがこれが朝になるとそうも言っていられなくなるのです。 朝になると「折り紙がない」などと騒ぎ出す長男に対してどうしても機嫌良く学校へ行ってもらいたい私はあれこれと準備を手伝ってあげたりしてしまうのでした。 月曜日に上履きを持たないで出そうになれば、すぐ「上履きを忘れて学校で嫌な思いをするだろう→学校へ行きたがらなくなるのでは」という心配が先に立って「上履き忘れてるよ」といそいそと上履きを用意して持たせたりしました。
なにやってんだろう?
何か、心で思っていることと、その場その場で取る態度とが一貫性が無くなって、自分が子供に対してどういう態度を取ればいいのかさっぱり分けが分からなくなっていました...
2年生になって
2年生になるとT君とはクラスが別になりましたが、相変わらずT君からしょっちゅう電話がかかってきて一緒に遊んでいました。 長男はT君とは遊びたい時もあるけど、他の子と遊びたい時もあるというふうだったのですが、長男が別の子の家で遊んでいると、T君から「Mくん(うちの長男)いる?」と別の子の家にまで電話がかかってくるという好かれようでした(^^; ちなみにその話しは別の子のお母さんから聞きました。 また他の子の家でも同様にうちの子が遊びに来ているとT君から電話があるというのです。 そこまでされて、当の長男は多少迷惑? でも自分からT君に電話して遊ぶこともありましたから、1年生の時のように脅されて嫌々というのはなくなったようでした。
2年生になるとまた新しい友達が出来て、長男はその子が一番の友達だと言うようになりました。 その男の子は病弱なのか、学校に行き渋りをしているのか、よく欠席をしているようでした。 その頃担任の先生から「今クラスに学校になじめない子がいるんですが、M君がよくその子のめんどうを見てくれるんで助かっているんですよ。」なんて話しを聞かされたのですが、その子がその新しい友達だったのです。 長男はその子、R君の家にもしょっちゅう遊びに行きました。 R君のお母さんには懇談会でお会いして、「いつもうちの子がおじゃまして...」と挨拶してから、近所でお会いするとちょっと立ち話をする仲になりました。
うちの長男も、学校にはちゃんと行っていましたが時々行き渋りをすることがありました。 そういう時はもう私は以前のように何が何でも行きなさいという態度は取りませんでした。 1日休むと気が済むのか翌日からはまた「行ってきま~す。」と普通に出て行きました。
些細なことでキレて暴れることも、徐々に頻度は減って来ていました。 しかし相変わらず怒り出すと手がつけられず、最初のうちは我慢してなんとか冷静に対処しようと努力してもしまいには私の方が逆ギレしてしまったこともありました。
この頃読んだ本は「親が変われば子供も変わる」(長田百合子)です。
なんとなく本屋さんで目について手に取ってしまいました。 長田さんについて批判的なことを言う人が沢山いるようでその理由はよく知りませんが、私はこの本で「親が変われば」という視点を与えられたことがとても良かったと思います。 子供に問題があると思っているうちは何も解決しない、親がどうであるかに目を向けることが大事だということです。 私は自分の仕事のことや何かで、人を変えるのは非常に困難だけれど自分を変えるのはそれよりずっとたやすいというのを身を持って体験していたので、 「親が変われば」という視点にはとっても納得させられました。 自分が変わることで子供が元気になるなら、どんな努力でも出来そうな気がしました。
気になる友達
1年生の頃よくうちに遊びに来た男の子でもう一人気になる子がいました。 その子は休みの日になると朝7時ころから玄関のチャイムを鳴らして来るのです。 うちはまだ寝てる時間なんですが...
朝の7時から外に遊びに出す家とはどんな家なのか、とても謎でした。 別のお母さんからも 「うちにも朝7時くらいから遊びに来るのよ。 まだ朝ご飯食べてないからもう少ししたらまた来てねと言うと玄関の前で待ってるの。」 という話しを聞きました。
我が家でも、お昼まで遊んだあと「お昼だから一旦おうちに帰ったら?」と促しても帰ったと見せかけて外で待っていたり、「家に帰ってもお姉ちゃんしかいないし、食べるもの無いよ。」と言うのです。 しかたないので家でお昼を食べさせたりしてたのですが、ある日私も子供を放ったらかすにも程があるだろーと腹が立って、その子に「ママにお電話するから、電話番号教えてくれる?」と電話番号を聞いたのです。 そうしたら電話してもママはいないからって。
ふぅーっ。
その時は腹が立ってたので夜になったら電話するぞと思っていたのですが、夜になったら怒りもおさまっちゃって、結局その日は電話しませんでした。
その子は空手教室に通っているみたいだったし、身なりも普通で、育児放棄されてるふうでもありませんでしたが、朝から友達の家に来て帰ろうとしないのがとても心配でした。
その後しばらくしてまたお昼に「家に誰もいないから帰らない」と言うので本当にいなければ家で食事させなくてはとその子の自宅に電話したところ、なんとママが出て恐縮した声で「すみません、帰るように言ってあるんですが。」と言うのです。 至って普通のお母さんという応対だったので安心しました。 その子に「ママが帰っておいでって言ってるよ。」と言ったらすっ飛んで帰りました。 私の心配は取り越し苦労だったんでしょうか。 もしその子の家庭がとても冷たい家庭で、本当に帰りたくなかったんだとしたら? その疑念が今でも無いわけではないのですが、2年ほどしてその子は引越しをしたらしく、もう遊びには来なくなりました。