外壁塗装工事始まる
今日家に帰ってみたら、アパートの建物全体に足場が組み上げられていてびっくり。
そ、そうでした。 今週からアパートの外壁塗装工事が始まるって事前にお知らせされていたのをすっかり忘れていたのです。
なんでも、これから1ヶ月かかるそうで、その間外に洗濯物を干しちゃいけないんだって。 それどころか窓も開けちゃいけないらしい。
ひえーっです。 1ヶ月ずっと部屋干し~? 梅雨時以上にきついです。
こんな時乾燥機があればなぁ。 と思っておもむろに乾燥機付き洗濯機のカタログを見たりしてしまう私。
ナショナルの新製品で、熱風で乾燥させるのではなく乾燥した空気を送り込んで乾燥させるという乾燥機付き洗濯機があって、「お、これはいいじゃん。」と思ったのですが、なんと値段が19万円。
あのぉ~、洗濯機の値段ですか、それ?
しかし気温も低いし、室内じゃ厚手のものは乾かないだろうなぁ。 だいたい吊るす場所もないしさ。 困ってます。
そういえばうちの大家さんはこのアパートをバージョンアップさせようと思っているらしくて、こないだは普通のドアホンをモニター付きドアホンに換えてくれたんです。
モニター付きドアホンって、使ってみると必需品ですね。
お客さんが知ってる人だった場合はいちいちドアホンで「は~い」「○○です。」なんて会話しなくても直接出られるし、明らかにセールスっぽい人だったらドアホンに出る必要もないですしね。 子供たちも私が留守の時誰か来たら応対するしないの判断が簡単です。
ついでに光ファイバーでも引いてくれると嬉しいなぁ。ははは。
ふうちゃんの教育相談
水曜日はふうちゃんの教育相談で学校に行ってきました。
例年通りあまり話すこともなく...
ふうちゃんは(勉強はいまいちだけど)宿題などもちゃんとやって来るし、友達も沢山いて楽しそうにしているとのことでした。
しかし教室の外に展示してあったふうちゃんの作文を見て私は頭をかかえました。
「君、TPOってものがあるのを知ってるかい?」と言いたくなる文章でありました(^^; なんか、作文だっていうのに時々友達に使うような言葉が出てきたり、文字にマンガっぽい飾りがついてたりするのです。
あの...友達にメール書いてるんじゃないですから...
おかまいなしっていうか、なんていうか... はぁ~あ~
家に帰ったら「ねえお母さん、『野ブタ(TVドラマ)』見たい。いいでしょー!?」だって。 「こないだテレビ番組のことは話し合ったばかりじゃない。 ドラマを見るのはいいんだけどさ、週に19時間もテレビ見るのお母さん本当に嫌なんだけど。」と言ったら、「いいじゃない、チャレンジちゃんとやってるんだしさ。」ときたもんだ。
いやもう、本当に私は理解しかねるのですよ。 そうやってこれでもかという程しつこく要求してくる子が理解出来ない。 これを繰り返しているうちに最終的には私の逆鱗にふれるわけなんですね。 そこまで行く前にまた話し合わないといけないのかなぁ。 前回の話し合いが不完全だったのかなぁ。 また新たに見たい番組が出てきたときにどうするかまで考えてなかったから。
「野ブタ。をプロデュース」が見たければ自分で新案を出すように言ってみるかな~。 もう明日だけど。
倫太郎、自然教室から帰る
昨日、倫太郎は自然教室で一泊して帰ってきました。
よっぽど疲れたんでしょう。 夕方から午後9時くらいまで昼寝して、夕食を食べてまた朝まで寝てました。
夕方、担任の先生から電話があって、バレーボールは最初はやらないと言ってたけど、結局普通に参加してて、倫太郎のチームが優勝したこと。 施設の館内では友達と走り回っていたこと。 夜などは心配したけど問題なく過ごせたことなどの報告をしてくれました。
先生は「よく来れたなぁと感心してます。ボクもとても嬉しいです。」ととても喜んでました。
けど、夕べから今朝の倫太郎を見てると、やっぱりちょっと精神的に疲れたのかなという気がします。
なんとなく、軽く私にからむような言葉づかいをしたり、ふざけて私にくっついて来たりするのです。 これ、普段から倫太郎がすることなのですが、そういうことをする時っていうのは、きっと何か心に埋めたい隙間を感じている時だと思うんです。 乱暴な言葉づかいをする時は、友達にそういうことを言われたのかもしれないし、くっついて来る時は疲れて受け止めて欲しいのだろうと今までも思ってきました。
「よく頑張ったね。」と言いたいところだけど、私がそれを言うのは何か学校に行くことを奨励してるみたいなので言いませんでした。 ただ、先生が「ボクが褒めてたと伝えてください。」と言っていたので、「先生がね、よく来れたね。すごいって褒めてたよ。」とだけ伝えました。
疲れたら帰ってくればいいんだよ。 気が済むまでゆっくりしたら。
今日、昼間はまたいつも通り家でのんびりして、夕方になったら普段通り友達の家に出掛けて行く倫太郎なのでした。
倫太郎、自然教室へ
今朝、倫太郎は予定通り、迎えに来てくれたT君と一緒に大きなリュックをしょって学校へ行ってしまいました。
今夜は市内の山の中にある宿泊施設に泊まります。
大丈夫なんでしょうか...(^^;
いや、心配になりそうになるたび、「こうやって私が心配性だからダメなんだ。あの子はちゃんと楽しくやっていけてるに違いない。あの子は私が考えているより力のある子だ。」と、倫太郎が「がはは」と笑ってるシーンを想像してイメトレ?(^^;をしています。
肉の日
どこぞのCMで、「29日は肉(29)の日」などと言っていたので我が家は29日は肉料理をすることになっています。 焼肉とか。 こないだは、そういえば子供が生まれてから「フィレステーキ」なんてものを作ったことなかったなぁ、たまにはそういうのを食べさせるのも良いかなんて思って(国産ではないけど)フィレ肉を買って来て焼いたりしました。 これも食育...?(^^;
肉の日などと言い出したのは子供達なんですが、最近では私が肉料理のリクエストを回避する口実になってたりします。
そこで夕べの会話
ふうちゃん&倫太郎「明日焼肉が食べたい。焼肉にして。」
わたし「ええ~、焼肉は肉の日にしようよ~」
ふうちゃん「あ、やっぱりすき焼きにして。」
わたし「ええ~、すき焼き~、それは肉の日にしようよ~」
ふうちゃん「やだ~、すき焼き食べたい。」
わたし「あ、じゃあさー、牛肉じゃなくて豚肉で作ってあげる。すき焼き。
牛肉は豚肉より安いから。」
ふうちゃん&倫太郎「ふ~ん」
ふうちゃん「じゃあ、お肉が沢山買えないなら、しらたきを倍にしてくれる?」
なんてつましい会話なんだ!(笑) 私は内心笑えてしょうがありませんでした。
かくして夕べは、「豚肉のすき焼き・しらたき倍増バージョン」となったのです。
けっこうおいしかったです(^^;
教育相談
今日は倫太郎の教育相談がありました。
教育相談というのは、年に一度、親が学校に行って担任の先生と10分程度個別に面談するのです。
毎年、たいしたこと話すわけじゃないんですけどね。
今回も、倫太郎の先生と特に話すこともないし、というか、10分程度で話せる内容のことを話しに行っても(倫太郎の場合は)あんまり意味ないし、パスしてもらおうと思っていたのです。 で、先生にもそう言ったところ、先生が、「倫太郎さんを連れて来ていただければ、倫太郎さんと直接お話したい」とおっしゃるので、「そか、それなら何か意味あるかも」と思い、倫太郎を誘って一緒に行ったのでした。
実は来週「自然教室」という宿泊行事がありまして、倫太郎は以前からT君に、朝迎えに来るから一緒に行こうと誘われてて、倫太郎もなんかそれに引っ張られるような感じでその気になってるらしかったのです(あくまでも今はだけど)。 「自然教室行くから、買うものとか用意して。」なんて言ってるし。
で、今日はその話中心でした。 それと、最近の友達づきあいとか。 何して遊んでるのかとか、相談センターの人とはいつも何して遊んでるの?とか、そんな話をして、結局、うちの次の順番の人はキャンセルしたらしくて、なんかけっこう長い時間話してしまいました。
どうでもいいけど、倫太郎、相談センターから来てくれているSさんの話になると、なんかやけに照れ笑いをするんですよー(笑) おっかしいの。 Sさんって、女性で、はきはきしたお姉さんって感じなんですけどね。 何照れてんの(*^-^*) 先生も、「なんかSさんと仲良しみたいやん。いいなぁ。」なんて言っちゃって。
そういえば以前も私が、「Sさんが来てくれるのって嬉しい?」って聞いたら「いやぁ、ははは~」なんてやけに照れてたっけ。 まったくその部分だけは分かりやすいよ。ふふふ。 将来好きな女の子とか出来て、私が「Aちゃんのこと好きなの?」なんて聞いたら思いっきり顔に出しちゃいそうなタイプです。
自然教室は、運動会の時のこともあるから今行きたいと思っていても、当日はどうかなぁという気がします。
自分の意志と無関係に行くことになってしまわないよう、T君が迎えに来てくれても、嫌だと思ったら嫌だと自分ではっきり言うんだよ。と言ってあります。
私の出る幕では...
土曜日、倫太郎と実家に用事があって行ったら妹が子供を連れて来ていました。 私と倫太郎は実家のパソコンで調べ物をしたていたのですが、しばらくして妹の子(小学1年生女の子)が、「ねえ、なんで倫太郎は学校来ないのー?」と倫太郎に聞き始めました。 倫太郎が答えないでいると、「どうしてー?」「答えてよー」と重ねて聞くのです。
ま、正直、「この小生意気なガキ、だまれ。」と思いましたが(^^; 私は何も言いませんでした。
そしたら今度はおばあちゃんが「こないだ倫太郎が学校で遊んでるの見たのにねぇ。」と、学校の校庭で遊べるのに学校に行けないとはどういうことかねぇみたいなことを言うのでした。
その時は、実は「倫太郎も学校に行けなくてつらいんだ。だからそういうこと聞くのやめてあげてくれる?」などとおばあちゃんや姪っ子に言いそうになったけれど、すんでのところで思いとどまりました。
私が口を出す場面じゃないですよね。
あとでよくよく考えてみても、やっぱり何も言わなくて良かったと思います。 あんな場面で私が倫太郎をかばったりしたら、倫太郎のプライドは傷ついたことでしょう。 そうではなく、もし「お母さんは何でボクが嫌な思いをしている時に何も言ってくれないの。助けてよ。」なんて思うようだったら「お母さんはいつも自分を助けてくれる」と勘違いしてるわけで、それはそれで問題だし。
子供をかばうというのは、実は子供にとって失礼な話ですよね。 「あなたにはその問題を解決する能力がないから私が出て行って守ってあげるわね。」と言っているのと一緒ですもんね。
たまに同級生からも「どうして学校に来ないの?」って聞かれてるみたいだし、そういうふうに外部から理解されずに嫌なことを言われることはこれからもあるわけで、そういう場面でどんなふうに対処するのかは倫太郎が考えて決めること。 私がしゃしゃり出る場面ではないのでしょう。
同じような理由で、どうも私は相談センターで私と相談員さんとで倫太郎の不登校について話をするのに違和感を覚えるのです。
今日は相談センターでの月例面談に行って来たんですが、「ん~、それは倫太郎が決めることであって私が決めることじゃないし...」「本人次第だし...」という内容のことが多く、「私を通さなくても、倫太郎と直接話し合ってくれないかな。」なんて思ってしまいます。 まあ、「私から見た、倫太郎のこの1ヶ月を報告する面談」というふうに捉えればいいのかな。
いや、普通は親子ともども悩んじゃってるだろうから、親の面談というのも意味があるんですよね、きっと。
私は、どっちかというともう答えが出てしまっていて、「相談」という感じではないので、「今週倫太郎がこんなこと言ってました。ははは。」みたいな。 なんかとっても、世間話ふうに面談が進んで行きます。
今日は私が、理想を言えば、学校の中に「いつ来てもいつ帰ってもいいよ。」みたいな教室があって、そこで勉強したり、友達が出来たりするような場所があればいいかなぁという話をしたら、学校にも働きかけてはみるけど、相談センターの中にもちょっとそれに似たような場所があるという話をされて、今度見学させてもらうことになりました。
週に1日だか2日だか、午後1時から3時まで、不登校の小学生が来て自由に過ごして行くんだそうです。なんか5年生と6年生が数人来ているそうなので、もし気が合えば年上のお友達が出来て楽しいんじゃないか?なんて思いました。 家庭訪問に来てくれる相談員さんもそうなんですけど、いろいろな人と触れ合うのはいいことだと思うんです。
それに、同じように学校が苦手な子となら分かり合えていいんではないか、なんて短絡的に思っちゃうんですけど、どうなんでしょうね。
「7つの習慣」まとめ
最近この本の話題ばかりですみません~(^^; でもこれ、これからの私の生き方に深い影響を与えていくだろうと思うのです。 あらためて、ありがとうママさん、らんでるさん、ありがとう!
先週新宿で会った友人から、早速「7つの習慣」を読んでいるとメールが来ました。 まずは「この本を紹介してくれて本当にありがとう!」って書いてあり、なんかものすごく感銘を受けた様子が書かれていました。読むたびに自分の痛いところをつかれて、泣きたいほどだとか、お金を出してもアメリカに行ってコヴィー氏のセミナーに参加したい!とまで言っています。 ま、彼女はゆくゆくはアメリカで研究職に就きたいと言っているくらいなので、本当にそれくらいするかもしれません。
私もやっと今読み終わったところです。(読んでる途中で人に紹介している私) だいぶゆっくり読みました。読むたびに自分の問題にあてはめてじっくり反芻しながら... そして大事だと思ったところに付箋を貼りました。 だから本が付箋だらけ(^^;
復習の意味で、以下に付箋を貼ったところを抜粋してみました。 (あくまで自分が忘れないようにと思った箇所なので、本の一番大事な部分とかは抜けてたりします...ぜひ実際に本を読んで欲しいです)
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「インサイド・アウトとは、自分自身の内面(インサイド)を変えることから始めるということであり、自分自身の根本的なパラダイム、人格、動機などを変えることから始めるということである。」
「誰も説得によって人を変えることはできない。すべての人は堅くガードされた心の変化の扉を持っており、その扉は中からしか開けられない。説得や感情に訴えることによって他人の扉を外から開くことはできない」
「自分の価値観に基づき行動することは、主体的な人の最も基本的な性質といえる。反応的な人はその時折の感情、状況、条件づけ、環境などに左右されるが、主体的な人は深く考え、選択し、内面化した価値観に基づいて自らを支配するのだ。」
「第二の習慣は、すべての行動を測るための尺度として、人生の最後の姿を描き、それを念頭において今日という一日を始めることである。そうすれば、自分にとって何が本当に大切なのかをベースに、今日の行動、明日の行動、来週の行動、来月の行動を計画することが出来る。」
「私達は自分自身の脚本を書くことができる。」
「子育て中の親たちも、コントロールや能率、ルールばかりを考えて、家族の方向性や目的意識の共有化、あるいは家庭の文化や雰囲気づくりが二の次になっていまいがちである。」
「多くの人々は、自分自身の価値観や人生の目的を明確にすることなく、能率的な自己管理や目標達成ばかり気にして生活するのである。」
「目的を持って始めるということは、明確な価値観に基づいて行動することである。そうすれば、様々な出来事や試練に出会ったとき、その価値観に基づき反応を選択することができるようになる。その時折の感情や状況に反応する必要はなくなり、真の意味で主体的な人になることができる。」
「家族全員の声を聴いて、ミッションステートメントの第一稿を書き、それについての意見を集めて、修正を加え、それぞれの言葉を活かすことで、家族は深い内面的な事柄について対話をし、コミュニケーションするようになる。最も良いミッションステートメントは、相互に尊敬し合う精神で話し合い、異なった意見を表現し、誰もひとりではできないほどに素晴らしいものをつくろうとする努力の結晶である。」
「もし、親子関係において、子供の抱えている問題を単なる邪魔や重荷だと考えず、子供との関係を築く良い機会だと解釈すれば、親子関係は一変するだろう。」
「子供にとって、親が自分のことや自分の抱えている問題を本当に大切に思ってくれていると実感できるとき、そこには強い愛と信頼の絆ができあがることになるだろう。」
「Lose-Winを考える人は、自分の気持ちを押し隠しているだけである。表現されない気持ちが死んでなくなることはなく、それは生き埋めにされて、後々になってもっと醜い形で出てくるのだ。」
「多くの経営者、マネジャー、あるいは親たちは、思いやりのないWin-Loseから優柔不断で生ぬるいLose-Winの間を、まるで振り子のように行ったり来たりしている。彼らは、躾のなさに耐えられなくなるとWin-Loseになり、良心の呵責に耐えられなくなると今度はLose-Winに戻る。」
「ほとんどの人は欠乏マインドという脚本づけを受けている。欠乏マインドとは、人生を一個のパイと見て、他の人が大きな一切れを取ると、自分の取り分が減ると考える。欠乏マインドを持つ人は他人の成功は自分の失敗を意味すると考えてしまう。勝つことは相手を負かすことだと考えてしまう。一方、豊かさマインドは、深い内的価値観や安定、自尊心から生まれるものであり、すべての人を十分に、あるいはそれ以上に満足させることが可能であるというパラダイムだ。」
「たいていの場合、人は外からの助言など必要ない。相手は本当に心の中を打ち明けることができさえすれば、自分の問題を自分なりに整理し、その過程で解決策も明確になってくる。」
「いつでも相手を理解するように努めることは出来る。それはあなたがコントロールできることであり、相手を真の意味で深く理解するようになる。本当に相手の話を聞くと、相手に影響される。しかし、人に影響される余裕を持つことこそ、他人に影響を及ぼす鍵である。」
「相乗効果を発揮するためには、双方が満足できる解決策を見つけるまで、話し合いを続けることだ。」
「安定性や自尊心に欠けている人は、パラダイム転換を起こす勇気や内的な力がないため、現実をすべて自分のパラダイムに当てはめようとする。そして、そういう人は、相手を自分と同じ考え方に仕向けようという強い欲求を持っている。」
「テクニックのレベルにおいては、Win-WInを口にするが、実際は相手の話や意見を聞きたいわけではなく、相手を操りたいだけなのだ。相乗効果は、そういう環境で発揮されることはない。」
「相乗効果の本質は、相違点、つまり知的、情緒的、心理的な相違点を尊ぶことである。」
「真の教育とは、人生のプログラムそのものを、より大きな疑問、目的、様々なパラダイムに照らし合わせる能力である。そのような教育を身につけずに単なる訓練だけ受けていれば、視野は非常に狭くなり、その結果、訓練の根拠となっている仮定や前提を見つめることは決してないだろう。」
「今までの人生を振り返ってみてほしい。自信をなくしたときにも、あなたを信じてくれた人がいたはずだ。その人はあなたに良い脚本を与えてくれた。それがあなたの人生にどれだけ大きな影響を及ぼしただろうか。あなた自身がほかの人に対しても、そうした積極的な脚本を与える人になれるとしたら、どうだろうか。他の人が低迷への道に陥ろうとしているとき、あなたは、その人の可能性を信じ、より高い道を示すことが出来る。そして、その人の話に耳を傾けて感情移入をし、その人の本来の責任を否定することなく、主体性を発揮するように勇気づけることができるのだ。」
「相手にレッテルを貼ることをやめて、会うたびにその人を新たな観点から見て、そしてその人の新たな可能性を発見しようとする。その人が自立し、満足感あふれる豊かで創造的な人間関係をつくれる人にあれるよう助けることができる。」
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「欠乏マインド」なんて、本当に私そのものだと思いました。 私は、全く自分のライバルでない人の成功は一緒に喜べても、ライバル(と勝手に私が思っているが相手もそうとは限らない)の成功にはジェラシーを感じたりしたのでした... 相手が勝てば自分が負けたような気になって。 いつも私達は、人と比べてどうこうというふうに順序づけられて、そういう発想でしか物を見られなくなっているのかもしれません。 自分の最後のシーンを思い浮かべた時に思い描いた自分にとっての真の成功は、他と比べても意味のないものなのに...
自分にとって本当に大事なものは何なのか、いつも心において生きていきたいと思うのでした。
「7つの習慣」 相乗効果
いつも思うのですが...
なんでふうちゃんと私ではこんなに違うのかと。 テレビの趣味も違うし、服の趣味も違うし、ふうちゃんはブランドが好きで私は安くて質が良くてデザインもいいのを探す人だし、得意なこと不得意なことも違う。性格も違うし、興味を持つ対象も違うから共通の趣味みたいなものもない。
普通、小学生くらいだと親の価値観にまだ色濃く影響を受けているのもじゃないのか?とか思う。 私だって子供の頃は母の考え方にすごく強く影響されてたし。
テレビで、親子で同じ趣味に興じている人達がうらやましいとか思ったりして。
だけどよくよく考えたら私とふうちゃんは親子だけど別の価値観を持っていて当たり前じゃないだろうか?
育った時代も違う。家庭環境も違う。一緒にいる友達も違う。遺伝情報も違う。
だいたい、それを言ったら似ているはずの私と妹だって趣味や価値観が違うんだもん。 親子だから同じ物の見方考え方をしなきゃいけないわけじゃない。
それなのに私は、我が子の自分と違う部分を受け入れにくいと感じてた...
なんで違うということを受け入れられないんだろう。
昨日読んだコヴィー氏の言葉によれば、違う考えを持った者どうしこそ、相乗効果を生むことが出来るという。 考え方の違う相手を尊重すること→相手を理解し、共感しようと努力すること→そこから信頼関係を築くこと。 これが出来た時に、お互いの考えから思いもしなかった相乗効果が得られるのだそうだ。
私とふうちゃんの関係も、相乗効果を生むことが出来るのだろうか。 もしそうなら、受け入れられないなんて意固地に思っているのはやめて、子供を、私とは違う人として尊重しなければ。
しかし、考え方の違う相手のことを理解して共感しようと努力するというのは、考えている程簡単ではないと思う。 だって「自分の方が正しい」「自分がスタンダードだ」という思いを一度捨てないと出来ないから。
それでも、私は自分のパラダイムを捨てるのは得意だから、出来るかもしれない。 テーブルの向こうとこっちで話をするのではなくて、子供達と同じ位置から問題をみつめられるように、深い部分で共感する努力をしてみようと思う。
修学旅行
今週ふうちゃんは修学旅行で日光に行ってきました。
小学校の修学旅行って私も日光だったのですが、ほとんど記憶が無いです...(^^;
夜、担任の先生も交えて部屋で枕投げをした。ということしか覚えてない! 担任の先生というのが日体大の少林寺拳法部主将だったというすごい人だったのですが、子供には優しくて、その先生がなんかもう「修学旅行に枕投げはつきものだろ!」みたいな調子で率先して枕投げを始めたというのをよく覚えているのです。 そのあと部屋でギターも弾いてくれたような気がします。 でもあの頃はみんないい子で、消灯時間にはちゃんと寝たんじゃないかなぁ。
娘なんか、夜中の2時までみんなでしゃべって起きてたそうです... 消灯時間なんかおかまいなし?
時代が違うって感じでしょうか(^^;
でもとても楽しかったらしく、良かったです。
みなさんは、小学生の時の修学旅行って覚えてますか?