シングルママと不登校児のまいにち -19ページ目

「7つの習慣」

らんでるさんのブログで紹介されていた


「7つの習慣」 スティーブン・R・コヴィー キングベアー出版


という本に興味が湧いて、私も手に取ってみました。


まだ読み始めたばかりなのですが、子育てや仕事での経験を通して私が考えてきたことと非常に一致していると思いました。


ひとつは「パラダイム変換」


パラダイムとは、私達が日々起きる出来事を判断する元になるもの。概念、考え方の基準になるもののことなのですが、大きな改善を望むのであれば、自分の内にあるパラダイムの変換が必要だということです。


パラダイム変換...不登校の子供を持って、まさしく私が経験したことです。


倫太郎がいたおかげで私は「学校は行かなければいけない場所」、「学校に行かないで家にいるなんてなまけ者(または落伍者)である」、「我が子は他の学校に行っている子より劣っている」という既成概念を捨てさせられました。 捨てることに気付かなかったら、今だに私は「他の子は学校へ行っているのに、どうしてうちの子だけこうなんだろう...」と考えて鬱々とした日々を送っていたに違いありません。 あんな既成概念は捨ててしまって本当に気持ちが良かったし、むしろ新しい世界が開けてわくわくしたくらいでした。


それから「インサイドアウト」という考え方。


インサイドアウトとは、自分自身の内面を変えることから始めるということであり、自分自身の根本的なパラダイムを変えることから始めるということです。


逆にアウトサイドインとは、自分のうまくいかない状況の責任を周りの人や環境のせいにすることだそうです。


これは、仕事でも子育てでも感じていることです。 今の私の状況というのは、全て自分の内から出た選択の結果だと思うのです。 例えば職場に嫌な人がいたとして、その人を変えてやることはほぼ不可能ですが、自分が変わることは可能です。 あの、研究室の「困った君」に対して「私メッセージ」を伝えた彼女は、彼を変えてやろうとしたのではなくて、今まで何も言えなかった自分を変えたんだと思うのです。 内心は彼に変わって欲しいと思っていたかもしれないけど、「そういうことやめて!」と叫ぶかわりに、冷静に話し合おうとう態度で臨んだと言っていました。


そうやって、人は自分の人生を、自分の内からの力で変えていくことが出来ると思うのです。


それを他人のせいにしてばかりいても何も変わらないのです。 私の母などはすごく「アウトサイドイン」の考え方の人でした。 いつも自分が不幸なのは夫と、娘である私のせいにして沈み込んでいました。 全部自分の選択の結果なのに、自分を変えようとはまったく気付かない人でした。 相手が変わってくれないから自分が不幸だという考えでいる限り生涯幸せになることはないと思います。


そういう私も30代になるまでずっとそうだったのです。 いつも人生ってなんでこんなつらいことばかりなんだろう。 なんでこんな嫌なことを我慢してやらなきゃ生きられないんだろう。 と思い、でも人生ってそんなものなんだろう、「人生は重き荷を置いて山道を行くがごとし」だっけ? そうなら仕方ないと、とても消極的な生き方をしていました。


でも何か問題があった時にはいつも自分の内に目を向けて、自分の考えや行動がどうなのか、自分がどうすべきなのか考えること、そして実行することをいつも心がけるようになってからは、つらいことも失敗も、プロセスの一部と考えられるようになりました。


「7つの習慣」はまだ第一部を読んだだけなのですが、その先に書かれているであろう「7つの習慣」を生活に取り入れることで、


「他人の意見や人との比較によってではなく、自分の中から自分自身を定義できるようになり、それによって第三者がどう見ているかではなく、正しいかどうかで物事を判断し行動することが出来るようになる。」

「自分の心の奥底に確固たる中心を持つようになり、周りの世界の変化に振り回されず対応出来るようになる」


と書いてありました。


それが本当なら、私もそうなりたいです。 これからまた続きを読んでみます。


スティーブン・R. コヴィー, ジェームス スキナー, Stephen R. Covey, 川西 茂
7つの習慣―成功には原則があった!

職業観

地球探検隊の中村隊長のブログでこんな記事をみつけました。


http://ameblo.jp/expl/entry-10004728918.html


そこに出て来るタクシー運転手さんがすごいです!


久しぶりに、「仕事ってこういうことを言うんじゃないだろうか。」という感動を覚えました。


人を感動させることが出来て、自分も楽しくてしょうがない。そういうのが本当の仕事ではないかと思いました。


私は以前は、仕事というのはつらいのが当たり前だと思ってました。 月曜日の朝、「また今日から一週間仕事かぁ、(嫌だなぁ)ふう。」とため息をついて出勤したり、水曜日になると「やっと水曜日だ。」なんて思ってました。 お金のために嫌でも仕事をして食べて行くことが、大人として当たり前のことだと思っていたんです。 まわりの人を見てもそうだったし、疑ってもみなかった。


でもそんなのって本当に生きているって言えるのかと気付いたのは、ごく最近のことです。


それから、自分の「好き」探しを始めました。 


で、今だに探し中です。


私の今の仕事は、コンピュータのプログラマーで、個人事業としてやらせてもらっています。 その仕事は、それなりに自分に合っているとは思うけど、寝食を忘れる程好きかっていうとそこまでは...


以前読んだ本に、「あなたは今2億円が手元にあったら、今の仕事を続けますか? もし週に2日だけ仕事すると答えた人は、週に3日はお金のために働いているということです。」と書かれていました。 まさしく私はその通りでした。 好きでやっているんじゃなくて、お金のために、ただ食べていくために仕事をしているんだと思いました。


でも人間って、本当は寝食を忘れる程好きなことを仕事にして生きていくべきなんじゃないの?と思ったのです。


それから私はあらためて自分の「好きなこと」を職業にしようと思い立って、「好きなこと」をずっと探しています。 好きなことを探すというのは、それだけでもう楽しいです。 そしてそれが事業として成り立つかどうか考える過程も楽しいです。


中村隊長のブログに、次のような言葉が福島正伸さんの言葉として紹介されています。


「笑顔で仕事をしている大人を見ると、その仕事は子供たちの夢になる。未熟者でも夢が実現するところを見せることに意味がある。」


私も、夢を追いかけて楽しそうにキラキラした目で仕事している自分を子供たちに見せてやりたいなあと思います。 そして人生って能動的に生きればすごく楽しいし、好きだからこそつらいことも乗り切れると教えてあげたいです。

お手紙の行方

運動会直前、H先生に長ったらしいお手紙を書いて渡したのですが、それについて、その後先生から何も言って来ないんです...


運動会当日はお会いして少しお話したし、その後もメールのやりとりはあったのですが、お手紙については完全にノーコメントなのです(^^;


内容は、このブログのダイジェスト版という感じで、今まで倫太郎がどうだったか、私がどう考えてきて今どう思っているかということだったんですが。


今まで一生懸命やってくれていた先生にとってショックだったかも、とは思うけれど、だからこそはしょってしまわないでちゃんと説明したつもりでした。


今日は倫太郎の顔を見たいとおっしゃって、夜の8時におたよりと算数プリントを持って家に立ち寄ってくれたのですが、そこでも何もその話は出ませんでした。


やっぱり、コメントしようが無いって感じだったのかなぁ。 思いっきり不愉快だったとか。


まあ私としては今後学校に何をして欲しいということはないので、そのままそっとしておいてくれてもいいのですが、出来ればあれを読んでどう思ったか聞いてみたかったです。


自分の気持ちを出せるように

先日一緒に新宿御苑を散歩した友達からメールがあったのですが、笑ってしまうことにその人、早速、「ゴードン博士の人間関係を良くする本」を読んで、実際に研究室の「困った君」に対して「私メッセージ」で苦情を言ったというのです。


うぷぷ。 早速私のおすすめ本を読んでくれたことも嬉しいけど、実際に使うとは!


それでどうなったのか興味深々でメールの続きを読んでいくと、結局その「困った君」(自分の彼女を研究室に連れて来て、「今日夕食何食べる~?」とかいう会話を、みんなが研究や勉強している横で延々と何時間もするらしい)はすぐあやまってくれたのだそうです。


彼女(私の友人)は、それまでいつも自分の感情を内に篭らせてしまって、もう我慢出来ないという限界まで来てから相手に言うということをしていたので、言う時も相当きつい言い方になってしまい、結局人間関係が修復出来ないところまでこじれてしまうということがあったんだそうです。


でも、自分が何か嫌な気持ちになった時はすぐその場で反応するということをこれから心がけてみると書いてありました。


私もいろいろと覚えがあるのですが、例えば最初に就職した会社では、ものすごく仕事しない上司や先輩と同じチームで仕事をさせられて、とてもつらかったのに、その不満を胸に抱えたまま、その会社を辞めてしまいました。


後で思えば、その先輩や上司に、ちゃんと自分の気持ちを訴えるべきだったと思います。 もしそれでダメならその上の人に。 場合によっては部署を変えて欲しいくらいのこと言っても良かったのになと思います。


でも、当時は不平不満をぶちまけるなんて大人のすることじゃないと思っていたし、仕事がつらいのなんて当たり前で、そんなことを上司にああだこうだ言うなんて社会人失格のような気がしてたんですよね。


だけど、本当は、「あなたの行動で私は困ってる」というようなことは普段から当人に向かって言うべきなんじゃないかなと今は思います。


まあ、そうは言っても言い難いというのはありますけど、言わないでいると本当に、いつまでも改善しないですからね。


彼女からのメールを見て、私もなるべくすっと「私メッセージ」が出るように心がけてみようと思ったのでした。

映画の日

別に毎月1日は絶対映画を見ると決めてるわけじゃないんですが、なんか1日というと「あ、映画の日だな。」と思い出して映画館に行ってしまうのですよね。 別に映画の日じゃなくても、毎週水曜日はレディースデーで1000円で見られるんですけど。


昨日は、以前予告を見て、見てみようかなぁと思っていた「銀河ヒッチハイクガイド」が夕方からしかやってなくて、それでしかたなく(?)「ステルス」という近未来SF(SFではないのかなぁ?)を見てみました。


これは、何の期待もせずに見たせいか、けっこう「あたり!」でしたよ。 こういうスピーディな映画はやっぱり劇場で見て正解だと思いました。 期待しないで見に行ってアタリだった時ほど楽しいことってないですね♪


↓今回はネタバレなしです。


黒人のパイロット役の人が、確か『コラテラル』でタクシー運転手の役をやった俳優さんではないかと思うのですが、そのイメージがあって、どうも戦闘機のパイロットというよりタクシー運転手なような気がしてしょうがなかったです(^^; あとヒロインの女性パイロットがとってもスタイルが良くてかっこ良かったですー。


映画が始まる前に、「エンドロールの後にも映像がございますので、最後までご鑑賞ください。」と注意が出たので最後まで待って見たのですが、「うーん...わざわざエンドロールの後に持って来るほどの映像じゃなかったような...普通にラストシーンでもいいよ、それ。」って感じでした。 でもせっかくですから、この映画を見た時は、最後まで見てあげてくださいね。 


映画館を出ようとした時、「SAW2」のポスターが壁に貼ってあるのに気付きました。 「SAW」っていう映画、ご存知ですか? 私はこの映画はブログお友達が面白いって言っていたのを信じて劇場に見に行ってしまったのですが、あの...ひどい目に逢いました(T-T)。 いえ、ストーリーは確かに面白かったんです。 二転三転してね、最後には「ひえーっ」って叫びたくなるくらいびっくりしちゃうんですから。 でもあの残酷度... はぁ~、劇場で見るものではありませんでした。 というわけで「SAW2」は絶対見ないと思います。 


ところで「ステルス」って、公式には8日から公開みたいですね。 なんであの映画館では1週間早くやってたんだろう~??

子供に決定権を置くということ

私には、「親業」を読んでからずっと心に留めて実践しようと思っていることがあります。


それは「常に子供に決定権を置く」ということ。 それから、「どうすべきかは子供に考えさせる」ということ。 


これが念頭にあると、本当に日常の些細なことから、子供が学校に行くか行かないかまで、全て親がどういう態度を取るべきかはっきりくっきりしてくる気がするのです。


ただ、分かってても感情が働いてその通り実行出来ないことも日々あるわけですが(^^; しょーもなー。


しかし、これが私の指針なのだなぁと、これを頼りにこれからもやって行きたいなぁ、いや行くぞと思っています。


「どうすべきか子供に考えさせ」「子供に決定させる」というのは一面非常に難しいです。 何故かと言えば、「そんなんじゃうまく行かないだろう。」と思うことでもだまって見ていなければいけないから。 それに子供が答えを出せなくても待っていなければいけないからです。


これは、かなーり難しいですね。 特に忙しい日本の子育て事情では、「待ってやる」とか「だまって見ている」などというのは困難を極めます。 もうすぐ受験なのに子供が勉強しない。 こんな時一言も発しないでいられる親というのは100人中何人いるでしょうか。 朝学校へ行く時間なのに子供が寝ていたら、放っておけないし、放っておいたりしたら学校の先生に非難されちゃうことでしょう。


でもこれを私は実践してみたいのです。 失敗することで自ら考え、行動出来る人になって欲しいから。 子供の方からアドバイスを求めて来た時は、私は私の考えを言うけれども、決定するのはあなただよと言ってやりたいです。 これって子供を信頼していないと絶対出来ないですよね。 逆に言うと、子供に「宿題やったの?」などと声をかけるのは、子供が自分で考える力を信頼していないということで、「おまえは言ってやらないと出来ないのだから。」と言っているのと同じなのでしょう。


しかしある意味非常に楽でもあります。 親は子供の人生について「どうしよう!??」などと悩む必要がないからです。 一緒に考えてやることは出来るけれども、どうするか悩んで決めるのは子供だから。


子供を親とは完全に別の、一個の人格と考えれは、親が子供の出した決断にいちいちパニックになるのはおかしいと思うのです。 親はどんなに子供のことが心配でも、せいぜい傍らにいて見守ってやるしか出来ないのでしょう。 それを、頼まれてもいないのにアドバイスのつもりであれこれ口を出すことは、子供にとって大きなお世話なのではないでしょうか。 自分が悩んでいる時、こちらから相談してもいないのに、「ああしたらどうですか。」「それってこうでしょう。」なんて人に言われて「あなたに何が分かるのよ!?」と言いたくなることありますよね。 あのおせっかいを子供にすることないのだと思います。


そしてもし失敗して傷ついて帰って来たら、子供のことだから失敗の方が多いでしょうが、そのつらい気持ちを「つらかったね。」と言って受け止めてあげればいいのではないかと思います。


そうやって子供を全面的に信頼してあげることで、きっと子供は勇気を持って自分の道を歩いて行くことが出来るのではないでしょうか。


誰が言っていたか忘れたけれど、親は子供の伴走者であればいいと言った人がいました。


私も、子供の伴走者、それも一歩下がった後ろからついて行く人でありたいと思います。 そしていつか子供が「お母さん、ここからはもう一人で行くからいいよ。」と言って私から離れて自分の道を行ってくれたら嬉しいです。

不登校に関わる人達

世の中には、「学校には行くべきだ」という人達と「学校は行かなくてもいい」という人達がいますよね。 


不登校に関わる人達の中に。 大雑把に言うとそういうふうに二つに分かれている気がします。


でも今まで本を読んだり、人に話しを聞いたりしていて、どうもその二つのグループは相反していてお互いの意見に耳を貸していない気がするのです。


「学校に行くべきだ」という人は、不登校の原因は、たとえ学校側のシステムに問題があったり、学校側に不手際があったとしても、大元の原因は家庭にあると言い、それも親の過保護過干渉がいけない(または愛情不足だ)と言っています。 それに対して「学校は行かなくてもいい」という人達は、親の子育てに問題があるのではなく、学校にこそ問題があるのだと言うのです。


私はというと、「学校には行くべきだ」とは思わないのですが、親の過保護過干渉というのはおおいにあると思います。 何故なら自分がそうだから。 過保護過干渉というのは、何も子供が食べる魚の小骨をぜーんぶピンセットで取ってやるとか、欲しいものは何でも買ってやるとかいうことではなくて、今時の普通のお母さんが普通にしている子育てはみんな過保護過干渉だと思うのです。


例えば子供が「お母さん、暑い~」と言って来たら、今まで私は「クーラーつければ」とか「服脱げば」とか、「冷蔵庫に麦茶あるよ」などとすぐ解決策を提示してしまっていたのですが、こんな些細なことがいちいち子供が自分で考えて行動することを妨げていたのだと気付かされました。


私がやったことでは、子供がやりたがってもいないのにスイミングスクールに通わせるだとか、親はついつい「子供にこうなって欲しいなぁ」というのを(もうほとんど無意識に)子供に押し付けてしまっていると思うのです。 


私が回りを見渡した感じではもうほぼ全員といっていいほど過保護過干渉な親御さんばかりです。 運動会で一生懸命我が子の姿をビデオカメラで追っている人達なんかまず間違いなく過保護過干渉に陥ってるタイプだと思いますよ(笑)


だから「学校に行かなくてもいい」という人達が親の子育てには問題がないというのは私は違うと思います。そうやって親を肯定してあげて安心させてあげるのはいいのですが、それでは反省もしないということで、あまり建設的じゃないなと思うのです。


しかしだからといって不登校児の親は問題のある親ばかりなのかというとそれも違いますよね。


たとえば勝手に分類するなと言われそうですが、不登校児の親の中にはそもそも不登校を問題だと捉えていない人達もいますね。 このブログに読者登録してくれているれいこさん、カメ君さん、友樹さんのように。 そうですよね?(^^ こういう方達はきっとお子さんの個性を大事にされて伸び伸びとした子育てをされていると思います。 こういう方達だけ見ても、不登校は家庭の問題で...なんて決め付けた言い方はおかしいと思うわけです。


でも、「学校には行くべきだ」という意見には私は、もうそういう固定観念は捨ててもいいのではないかと思っています。 教室という箱の中に40人近い子供が押し込められて、毎日毎日長時間に渡ってみんなと同じことをしなければいけないなんて、子供だけなんでそんなことを強要されなければならないのかと思います。 そういう集団生活が、社会性を育てるのに必要だという人がいますが、ああいう集団の中で、「自分を大事にして相手のことも大事にする」という意識は生まれないと私は思います。「自分を殺して集団を維持する」訓練になるだけです。 学歴はあれば便利というだけで、幸せを保証してくれるものではないし。


だから私はどちらのグループにも、部分的には賛成するし、反対でもあるのです。


ひとつの考え方に辿り着いたら他の人の考えは聞かないということをしないで、反対の意見を言う人の言い分もじっくり聞いてみたらいいと私は思うのですが...。 それぞれが自分が見て来た範囲で決め付けた物言いをして、それを聞かされた不登校児の親はとっても迷うのです。 いったいどれが本当なのかと。 


最初から誰の意見も聞かず、本も読まず、自分の固定観念だけで親を悪く言うようなのはちょっと論外ですが...(^^;

やっと運動会

ああ~、久しぶりに味わったあのガックリ感... 


そう、すっかり油断して、夕べの倫太郎の張り切り様を真に受けていたんですよ、私は。 朝も私が起きるより早く起きちゃってさー、すごいななんて思っていたら、いざ家を出る時間になって、「うーん、やっぱり行きたくない...」だってー。 「ええ~っ」って感じ。


参りました。久しぶりに悶々としましたよ。


心の中で、それでも誘い出したくなるのを押さえて一人で家を出た時のあの気持ち。 なんとも納得行かないような...


まあ小学校に着いてしばらくしたら平常心に戻りましたけどね。 でも、前日に先生がメールで走る順番を教えてくれていて、7番目の2列目だって。 その場所が空いているのを見た時はちょっとしんみりしました。 「あー、あそこ倫太郎が走るはずだったところだー。」なんて。 


ま、倫太郎には二度とだまされないぞと思いましたね(笑)。 どんなに本人が張り切ったそぶりを見せようとも、期待してはならないのだ。


今年は姪っ子が同じ小学校に入学したので、私と、妹と、おばあちゃんとでお弁当の中身を分担制にしました。 私がおかず係で、妹がおにぎり係、おばあちゃんが果物係、妹のダンナが場所取り係です。 どう考えてもおかず係りの私が一番大変なんですけど、妹は料理が苦手だし、おばあちゃんを一番大変な役にするわけにいかないし、面倒なので私がおかず担当を引き受けました。 まあ、どっちにしろ毎年作ってるものを作るだけなんですけどね。 それでも、おかずだけで朝から2時間ばかりかかりましたよ。


ふうちゃんが今年で小学校卒業だし、倫太郎も今後もう運動会に参加することはなくなりそうなので、「おかず係りは来年はいないからね。」と言ったら妹が「ええ~っ、来年もおかず作って来てよう!」と叫んでました(笑) なんで我が子のいない運動会に2時間もかけておかず作る義理があんのよ。


それにしても、ふうちゃんが小学校最後の運動会とは... こないだ初めての運動会だった気がするのに、もう6回目なんてー。 信じられない。


来年は中学校の運動会デビューです。 中学校の運動会ってどんななのかなぁ~。 


ロックソーラン

6年生最後の運動会

明日こそ運動会

2日連続で運動会が順延となりました。 台風来てたので。でも、明日こそは大丈夫でしょう。


倫太郎は80メートル走だけ出ると言っています。 それも何か妙に張り切っています。


さっきも、「さあ今日は早く寝ようっと。明日運動会だもん。お母さん明日は何としても6時半に起こしてね!」と捨てゼリフを残してさっさと寝てしまいました。


私の感覚では、行事にだけ出るっていうのもなんか気が引けるんじゃないの??と思っちゃうんですけど、子供は違うのかなぁ~ わからん。


今日は私が以前から行きたいと思っていた、新しく出来たゲーム専門店(^^に倫太郎に付き合っていただきました。 おばさん一人で行くのは恥ずかしいもん。 倫太郎は誕生日に買うゲームの下見。 私は昔なつかしいゲームを中古で買って親子でやろうなどと考えて行ったのですが、私のお目当てのものがなく、何故か倫太郎がやりたがった「どうぶつの森e+」とかいうのを買ってしまいました。 高いゲームを買うつもりなかったのに、倫太郎の話を聞いて自分がやりたくなってしまった(^^;


それから図書館にも行きました。 倫太郎が急にアリジゴクについて質問してきたので、ちょうどいいので図書館で「アリジゴクのひみつ」という本を一緒に見ました。 アリジゴクってウスバカゲロウの幼虫だったんですねぇ! え、常識?(^^; 全然知りませんでした。 


家に帰って「どうぶつの森e+」をちょっとやってみました。 こういうほのぼの系ゲームもいいですね。


最初は殺風景な自分のおうちにカーペットを敷いただけで嬉しくなりました(笑) そのうち家のまわりにりんごの木を植えたり出来るらしい♪ しばらく我が家で流行りそうです。


運動会順延

今日は雨で運動会は明日に順延となりました。 明日も台風が来そうだけど。


うちのアパートのお隣さんは半年前くらいに引っ越して来た家族で、今年小学1年生になった男の子がいます。 お母さんとは何度か立ち話をしたことがあるのですが、普段はほとんど挨拶をかわすくらいでした。


そのお母さんに夏休み前だったか、会った時に、「ねえ、お兄ちゃん(倫太郎のこと)登校班にいないよ?」と聞かれたのです。 特に「うちの子が不登校で...」なんて話をするほどの仲でなかったので言ってなかったのですが。 決まり悪さを感じながら、「うん、うちの子学校行ってないの。」と答えたら、「えっ、なんで!?」と驚かれてしまいました。 なんとも嫌な感じ。 登校班にいないのなんて、お隣の子が入学するよりずっと前からなんだから、聞かなくとも察しているだろうに。 もうちょっと遠慮がちに聞くとか、そういうの大っぴらに聞いて欲しくないの、さっしてくれないかなーと思いました。


そのお母さんと、昨日もちょっと立ち話になりました。 そしたら、「明日の運動会、お兄ちゃんどうするの?」と聞かれたのです。 だから、その話はやめてくれと思いながら「うん、80メートル走だけ出るって言ってるけど、どうするか分からない。」と答えました。 そしたら「そうなんだ。でもお兄ちゃんって明るいのにね。 友達もいるし。」と、何か意外なことのように言われました。 この人の頭の中では「不登校=暗い子」っていう図式が出来上がってるんだと思ってカチンときました。


その後、1年生にすごく乱暴な男の子がいるという話になりました。 その子の話は、妹から聞いて私は知っていました。 妹の子(私の姪っ子)が同じ小学校の1年生でその乱暴な子とクラスが同じなのです。 なんでもクラスの男の子はみんなその子に殴られているらしく、その人の息子も違うクラスなのに廊下でいきなり殴られたそうです。 教室では自分の机の周り1メートルくらいのところに線を引いてそこから他の子が入ってこられないようにしているとか、突然プールに入りたいと言い出して校長先生が一緒にプールに入ってあげたとか。


あの評判の悪い校長先生がそんなことを?と思うとちょっと笑ってしまいますが。


でも、私が嫌だったのはその乱暴な子のことを得体いの知れない化け物のように噂話するお隣さんでした。このお母さんのように、1年生の親達がみんなしてその子のことをセンセーショナルにウワサしているところを想像したらぞっとしました。


その話を聞いて私は「ぶとうの木」という本を思い出しました。 子供のいない夫婦が親に育ててもらえない子を引き取って里親として育てていく、その奮戦を書いた体験記です。 その夫婦が最初に引き取った子は学校で乱暴を繰り返し、それこそ隣近所から化け物のように毛嫌いされるのです。 その時誰一人その子がどうしてそうなのか、背景にまで思いをめぐらす人はなく、育て方が悪いからだと言われてその夫婦は孤立し、ついに愛情を持って一生懸命育ててきた子供と引き離されてしまうのです。


それと、別の本でやはり小学校で乱暴を繰り返す子が、実は幼児の時に父親から虐待を受けていたというのもありました。


その1年生も、何らかの原因があるんじゃないかと思いました。 ただそうだとして、周りの大人はどうしたらいいのでしょうか。 そういう子がクラスにいる時、学校と親は何をしたらいいのでしょうね。