今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第22章:問いを他者に向けるということ

桜が散り始めた午後。
図書館のテラスにある小さなベンチに、加代子は理子と並んで座っていた。

 

足元には、はらはらと舞い落ちた花びら。
沈黙が、風のように二人の間を通り過ぎていく。

 

「ねぇ、加代子」

理子が口を開いたとき、その声にはいつもの軽やかさがなかった。

 

「私、実は…前の仕事、うまくいかなくて辞めたんだ。
 ほんとは、長く続けるつもりだったのに、自分でもどうしてやめたのか…ちゃんとわからないの」

加代子は、その言葉を急いで受け止めようとはしなかった。


ただ、視線を落として、そっと頷いた。

 

「わたしもね。昔、自分の“辞めた理由”を人に説明するのが苦手だった。
 それを訊かれるたびに、自分の弱さを暴かれるような気がしてた。
 でも…訊かれることより、“自分でも問いを持てなかったこと”の方が苦しかった気がするの」

 

理子の目が少し動いた。

「問い…?」

「うん。“なぜあのとき、私は逃げるように辞めたのか”って問いを、ずっと避けてたの。
 でも最近になって、ようやく、“それでも生きたかったんだ”って答えに、少しだけ触れられた気がするの」

理子は黙っていた。


でも、その沈黙には、苦しさではなく、考える余白があった。

 

***

 

問いを他者に向けるというのは、案外むずかしい。

 

加代子は、以前の自分を思い出していた。

何かを話してくれた相手に、「なんでそうしたの?」と聞き返すことが怖かった。
それが無神経な問いになるのではないか、自分の正義を押しつけるようになるのではないか、と。

 

だから、“共感”の言葉ばかりを探していた。

「わかるよ、それ辛かったね」
「私もそんな経験ある」
「ひどいね、その人」

それも必要な言葉だった。


でも時に、共感は“問い”の流れをせき止めてしまうことがある。
「あなたは、どう感じたの?」という根本的な問いが、空気の奥に沈んでいってしまう。

理子の「辞めた理由」にも、安易な共感ではなく、そっと横に座るような問いを差し出したい──
加代子はそう思った。

 

言葉を発するよりも、**「耳を澄ます姿勢」**で、その沈黙を尊重したい。

 

***

 

「ねえ、理子」

「うん?」

「いつか、もし話したくなったらでいいんだけど…
 “あの時、自分の中で何が起きてたのか”って、自分で問い直してみたこと、ある?」

 

理子は少し驚いたような顔をしたが、すぐに目を伏せて、ゆっくり言った。

「……実は、ないかも。問いを持つのが、こわくて。
 “自分を責める結果になるんじゃないか”って思って、蓋してきた」

加代子は頷く。

「私も、最初はずっとそうだったよ。問いが、痛みと直結してたから。
 でも最近になって思うの。“問い”って、叱るためにあるんじゃなくて、
 “いまここに生きている自分と、もう一度出会い直すためにある”んだって」

理子はゆっくり顔を上げた。
その目に、わずかに浮かんだ涙を、風がすっと乾かしていく。

 

「…問いを持つって、やさしいことなんだね。
 ほんとは、“過去を責める”んじゃなくて、“過去と共にいようとすること”なんだ」

加代子は、静かに微笑んだ。

「そう。問いは、責めるための武器じゃなくて、
 “耳を澄ます手段”なんだと思う」

 

***

 

その日、家に帰った加代子は、ノートを開いた。

「わたしは、他者にどこまで問いを差し出せるのか?」
「問いを持つことが、関係を深めることにも、壊すことにもなるのではないか?」

 

そしてその下に、小さくこう書いた。

「でも、問いを怖がることと、問いを手放すことは、きっと違う」

他者の沈黙に、どう寄り添うか。


それは、“問い”を手にした今だからこそ生まれる、もうひとつの問いだった。

加代子は、自分の問いの地図が、少しずつ「他者と共有できる地図」になっていく感覚を、
静かに、しかし確かに、感じ始めていた。

 


次回に続きます・・・第23章:家族という沈黙に触れる

言葉の痛みは、時間が経っても消えなかった。
何か新しいことを始めるたび、
心のどこかで、母の叱責が蘇った。

 

  独り言・・・

他者に問いを差し出す

 

言葉だけを聞いても意味が分からない。

人の言葉に対して、代わりに疑問を作って渡してあげる。

そんなこと、簡単に出来るわけない。

 

人の言葉を聞くだけでも大変・・・

愚痴や文句を聞くだけでも、体力を使う

ネガティブな言葉には人を引き寄せる力がある。

感情は流されてしまうし、影響を受けてしまう。

 

だから、共感する言葉を簡単に選択して使うことになる。

 

共感することは簡単だし

相手の気持ちを否定することもない

その場しのぎはすぐ出来る

 

でも、あえて相手が持つと良いと感じられるような「問い」を渡してあげる。

相手の話しをちゃんと聞いて、寄り添って、そして渡してあげる疑問という自分と見つめ合う時間。

 

問いという形で、自分の気持を整理するチャンスがあれば

過去の記憶と向き合うことが出来るようになるのかもしれない。

 

それもこれも、自分と相手に余裕がある時にしか出来ない理想のカタチ

私達は余裕がない

余裕があって、他人に寄り添えるような人は、実際に出会える機会は少ない。

 

問い っていう選択肢を知っておくだけでも価値はあるのかもしれないね。

 

 

 

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正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第21章:過去の自分と、もう一度話す

春の雨が降っていた。
風もない、静かな雨だった。


濡れたアスファルトが、鈍く光を反射している。加代子は、傘の中でひとり、駅前の小さなバス停に立っていた。

ふいに、心の底に沈んでいた“記憶”が、雨粒のようにぽたりと落ちた。

 

──あのとき、私はなんて言われたんだっけ?

 

「なんで、いつもそうなの?ちゃんと考えてる?」
「ほんと、使えない。こっちの身にもなってよ」
「また?同じこと言わせないで」

何年も前の職場での言葉たちだった。


何度も何度も繰り返し、浴びるように聞かされた。
その一言一言が、まるで皮膚に焼き付けられるように、いまだに残っていた。

 

そのたびに、心のどこかで「私が悪いんだ」と呟いてきた。
言い返さなかった。言い返せなかった。

 

何が「おかしい」と思っていたのか、わからなかった。
「問い」を持てるほど、自分に余白がなかった。


だからずっと、傷ついたまま、問いすらも閉ざしていた。

でも今、問いの地図を持つようになってから、
ようやく──ようやく、あの頃の自分と、話す準備ができてきたような気がした。

 

***

 

その夜。机の前にノートを広げて、加代子はひとつの問いを書いた。

 

「どうして私は、あのとき沈黙してしまったのか?」

そして、その問いの下に、そっと書き足した。

「沈黙していた私は、本当は何を感じていたのか?」

 

ペンを止める。すぐに答えは出ない。
けれど、それでも加代子は、じっとその問いを見つめた。

 

やがて、静かに思い出す。

 

あの沈黙は、「逃げ」ではなく、「守り」だった。
怒鳴り声の中で、心が壊れないように、
あの時の自分は、せめて声だけでも閉ざしていたのかもしれない。

言葉を発することが、自分をさらけ出してしまうようで怖かった。
だから、あの沈黙は、叫びと同じくらい、強い抵抗だったのかもしれない。

それに気づいたとき、加代子の胸の奥がじわりと熱くなった。

 

***

 

翌日。理子と喫茶店で会った加代子は、思い切って話した。

 

「私、昔の自分を、責め続けてたんだと思う。
 何も言えなかったこと、立ち向かえなかったこと、
 でも、それって…『間違ってた』って話じゃないんだよね。
 むしろ、“あのとき沈黙するしかなかった自分”に、今ようやく、言葉をかけてあげられた気がするの」

 

理子は、静かにうなずいた。

「沈黙って、“言えなかった”ことでもあるけど、“言わなかった”って選択でもあるんだよね。
 それを責めるより、聴き直すことができるって、すごく大事なことだと思う」

「…うん。
 あの頃の私は、問いすら持てなかった。
 でも今は、問いがある。
 “なぜ黙っていたの?”って、そっと訊くことができる。
 そして、“本当はどうしたかったの?”って、少しずつ聴いてあげられる。
 それだけで、自分との距離が、変わる気がするの」

 

***

 

帰り道、加代子は雨上がりの空を見上げた。

雲の切れ間から差し込む光が、湿った街に淡く広がっていた。


過去が、いきなり輝き出すわけではない。
でも、かつて閉ざしていた記憶の扉が、少しずつ“対話”の対象になっていく。

 

問いがあることで、
沈黙は「終わった話」ではなく、「今も続く対話」に変わっていくのだ。

ノートに、もうひとつ新しい問いが加わる。

 

「あのときの私に、今の私が声をかけるなら、どんなことばを贈るだろう?」

その問いに、まだ答えはない。


でも、それでいい。
問いを持つことそのものが、変化の証なのだから。

次回に続きます・・・第22章:問いを他者に向けるということ

「…問いを持つって、やさしいことなんだね。
 ほんとは、“過去を責める”んじゃなくて、“過去と共にいようとすること”なんだ」

加代子は、静かに微笑んだ。

 

  独り言・・・

 

あの沈黙は、「逃げ」ではなく、「守り」だった。
怒鳴り声の中で、心が壊れないように、
あの時の自分は、せめて声だけでも閉ざしていたのかもしれない。

 

答えられない・・・言葉が出ない・・・

感情が入り乱れて溢れそうで・・・それなのに言葉にならない。

私にもある。

 

その時の私は弱かった。伝える勇気もなければ、反対する言葉や言い返す言葉を見つける力が無かった。

 

今更だからこそ、感じられる気持ちも、言いたかった言葉も、言っておけばよかった、言い返せば良かった。

夜も眠れなくくらいに、今更溢れる感情

 

今更なんだけど、今だからこそ思えて言える。

いや、今でも表現できない感情が溢れてる。

まだまだ私も未熟なんだ。言葉を使いこなせるほど、何も分かっていないし、自分の想いを伝えられるほど、自分を分かっていない。

私は何も変わっていない

あの頃から成長もしていない

 

もう少し、何かが必要なのかもしれない。

今はまだ分からない、いつか分かるかもしれない、何かが

 

 

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正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 


第20章:問いの地図をひらく

加代子は、ふと気づくと手帳を開いていた。

そこにはびっしりと、走り書きのようなメモや言葉の断片、疑問符のついた問いが並んでいる。

 

「わたしの感じた“違和感”は、なにに触れたときだった?」

 「他人の言葉が怖いのは、なにを失うように感じるから?」

 「“正しさ”をめぐる言葉の裏に、何が隠れているんだろう?」

 

それはまるで、道なき森の中に、自分の足跡を記していくような地図だった。
地図といっても、完成された答えがあるわけではない。


むしろ、「どこに行きたいのかすらわからない」と立ち止まった瞬間の記録だった。

けれど、これらの問いがあることで、加代子は他人の言葉に押し流されず、自分の中心に立っていられるようになった。

 

***

 

週末の図書館。理子との再会の場でもあるこの場所で、今日も加代子はふたり分の席をとっていた。

 

理子がやってくると、加代子は一冊の本を差し出した。

「ねえ、この本にね、“問いは地図になる”って書いてあったの。
 私、ずっと誰かに『答え』を聞こうとしてたけど、
 答えよりも、“どんな問いを持っているか”のほうが、その人の思考の形を映してるんだって」

 

理子はその言葉に少し驚き、ページをめくりながらつぶやいた。

「問いを持つって、でもちょっと怖いよね。
 問いが深くなると、今までの自分が崩れるような感覚になったりもするし…」

加代子は静かにうなずいた。

「うん、私も最初はそうだった。“ちゃんとした問いを持てていない自分”が、恥ずかしくてたまらなかった。
 でも、問いって、きっと“正しく持つ”ものじゃなくて、“自分の痛みや違和感から生まれるもの”なんだと思う」

理子はふっと笑いながら頷いた。

「そうか…“問う”ことは、弱さの証じゃなくて、“生きようとしてる証”でもあるんだね」

 

***

 

以前の加代子は、会話の中で「自分を証明しよう」としていた。
否定されないように、理解されるように、正しく話そうとしていた。

 

でも今の彼女は違う。

 

問いを持っていることで、「わからないままの状態」で、他者の前に立つことができるようになった。

誰かの話を聴いていても、「それってつまりこういうことでしょ?」とまとめてしまわない。
むしろ、「その言葉の奥には、どんな問いが眠っているのかな」と耳を澄ませる。

自分が問いを持っているからこそ、相手の“問い”にも敏感になれる。

 

“正解”を出し合う会話ではなく、
“問い”を携えて、共に考える時間へ──。

 

***

 

図書館の帰り道、理子がふと口にした。

「加代子って、最近ほんとに変わったよね。なんていうか…“わからないこと”を怖がらなくなったっていうか」

「うん、まだ怖いときもあるけどね。でも、問いを持ってると、自分の中に“灯り”がともってる感じがするんだよ。
 それがあるから、誰かと対話していても、迷子になりすぎないでいられるのかもしれない」

 

理子はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。

 

「私も…加代子と話すと、自分の中の“問い”に気づくことがあるんだよね。
 そういう対話って、ほんと、ありがたいなって思う」

 

加代子は小さく微笑みながら、空を見上げた。

春の空は、まだ少し冷たさを残していたが、そこには確かな光が差していた。

 

次回に続きます・・・第21章:過去の自分と、もう一度話す

「あのときの私に、今の私が声をかけるなら、どんなことばを贈るだろう?」

 

  独り言・・・・

 

答えなんて無くても良い

分からなくていい

 

だって、私達はまだ旅の途中

何も終わっていないし、決まっていない。

答えが出るのは、もっと先のコト

 

今はまだ、答えも正解もありはしない。

 

あるのは、知りたいという思いだけで良い

 

沢山、無くして迷子になって悩んで叫んで探したい

 

 

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『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

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主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第19章:沈黙と対話

夕暮れ時の喫茶店。


窓際の席に、加代子と理子が向かい合って座っていた。
温かな紅茶の湯気が、ふたりの間の空気をやわらかく揺らしている。

 

けれど、しばらくの間、言葉は交わされなかった。

沈黙が、会話の間にそっと滑り込んでいた。


以前の加代子なら、その沈黙に焦りを感じていただろう。
(何か言わなきゃ)(沈黙は気まずい)(ちゃんと相手に応えなきゃ)──そんな内なる声が騒ぎ出していたはずだった。

 

でも今は違う。

 

静けさの中で、加代子はむしろ、ふっと肩の力が抜けるような安心を感じていた。
沈黙の中に、言葉では表せない「共有」があると知ってから、それを無理に破る必要がないと思えるようになっていた。

 

理子が、ゆっくりと口を開いた。

「最近さ、言葉にできないことって、意外とたくさんあるって思うの。むしろ、言葉にできないからこそ、大事にしておきたい気持ちもあるっていうか…」

 

加代子はその言葉を急がずに受け止める。

「うん、わかる。言葉にした瞬間、どこか別のものになっちゃうこともあるしね。
 たとえば、“わかってほしい”っていう思いが強すぎると、相手の世界を聴く耳がなくなってしまう気がして…」

 

理子が、ふっと目を細めた。

「それって、前の加代子からは、あんまり聞かない考え方かも。昔のあなたは、“伝えなきゃ”“わかってもらわなきゃ”って、いつも一生懸命だった気がする」

 

加代子は静かに微笑む。

「そうだったね…。でも、“わかってもらえないかもしれない”っていう前提を持つことで、
 少しずつ、対話って深まるのかもしれないって最近思ってるの。
 無理に伝えようとしないからこそ、自然ににじむ“ことば”がある気がするの」

 

***

 

“ことば”というのは、準備されたセリフではない。
沈黙の中で揺れながら、生まれてくる命のようなもの。

それを交わすためには、
相手を急かさないこと。


相手を変えようとしないこと。
“待つ”という態度の中に、最も深い対話が眠っている。

 

***

 

喫茶店の外に出た二人は、駅までの道を歩く。

 

その途中で、理子がふと口にした。

「ねえ、なんだか最近のあなたは、“他人の言葉”に巻き込まれなくなったね。
 でもそれは、“距離を取ってる”ってことじゃなくて…なんていうのかな、“寄り添ってる距離感”っていうか…不思議なんだけど、ちゃんとそばにいる感じがするの」

 

加代子は、その言葉に少し驚きながら、静かにうなずいた。

「自分が自分を責めすぎてたころは、“他人の言葉”は全部、判断や評価に聞こえてたの。
 でも最近は、“その人の迷い”や“その人自身の沈黙”のかけらとして、言葉を受け取れる気がするんだよね。
 そうすると、自然と“距離のとり方”も変わってくるのかもしれない」

 

「距離のとり方…?」

 

「うん。たとえば、相手の言葉が棘のあるものでも、それを跳ね返すんじゃなくて、
 “あ、この人、きっと余裕がないんだな”って想像できる余白を、自分の中に持てるというか。
 その余白が、ちょうどいい距離感になる気がしてるの」

 

理子は少し黙って、それから静かに笑った。

「余白か…いい言葉だね。距離って、離れることじゃなくて、心の余白のことなのかもね」

 

***

 

ふたりの足音が、夜の歩道に静かに響く。
言葉が途切れても、ふたりは並んで歩いていた。
その沈黙すらも、どこか穏やかで、心地よかった。

 

(沈黙が怖くなくなった)

 

それは、加代子の中で確かな変化だった。

言葉だけが、他者との橋ではない。


沈黙もまた、確かに共有できる“対話”なのだ。

以前は、沈黙は断絶の象徴だった。
今は、沈黙が“共にある”ということを、そっと教えてくれる。

 

ふたりの間に流れていたのは、
ただの沈黙ではなく、“聴き合うための沈黙”だった。

 

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  独り言・・・

 

“わかってほしい”っていう思い

だからこそ、必死に伝えようとする。

何度も繰り返して伝えることで、分かってもらいたい・共感してもらいたい・同じ価値観を見つけて欲しい。

 

1人は寂しいから

常に誰かと同じ思いを共有することで安心したいと思ってしまうのは、仕方のないことだろう。

 

でも、その想いが過ぎるばかりに・・・

 

相手の気持ちや価値観を否定してしまうことに繋がることもある。

自分の考えが正しいと思うから、人を否定してしまうことあるだろうし

自分が正義だと思っている時には、周囲を傷つけることになっても気にならない

 

誰かの気持ちや願いや夢っていうモノを、自分の持つ正しさや正義に合わせて「相手に分かってもらう」って言う表現での否定をする。

 

例えば・・・

小学生がユーチューバーになりたいと言ったら、笑顔で話を聞けるだろう。

 子供が夢を見るのは正しいと思っているから

 

でも・・・

 

大学生が歌手になる!と言って、勉強も就活もしなかったら、注意して・たしなめて・助言して・叱責することもあるんじゃないだろうか?

 就職して周囲と同じ生き方が正しいと思っているから

 

そうやって、伝える側の「分かって欲しい」っていう思いと、伝える側の正しさに

聞き手の私達はいつも振り回されてしまう。

 

結局、受け取る側次第で言葉の意味は変わってしまうわけだけど、

受け取る側が余裕を持つことが出来れば、好意的解釈が出来て、適度な距離感で話が聞けるようになるんじゃないだろうか?

 

余裕があれば・・・

「私のことを考えてくれている」

「私のことを良く分かってくれているから、言ってくれている」

「きっと、自分が不安だったり迷いがあるんだろうな」

って、いい意味で聞けるだろう。

 

ただ、余裕が無い時には・・・・「否定された・認めて貰えない・私の話しは聞いてくれない」ってなってしまう。

 

心の余裕・・・余白・・・隙間・・・

何もない空白があるだけで、少し楽に人の言葉を受け取ることが出来るようになるのかもしれないね。

沈黙にも、意味を見出すことが出来るかもしれない

 

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主人公:加代子

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自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第18章:変わらぬ人々と、変わる応答

そして数日後、母からの電話。

「この前言ってた本、あんた、また難しいもの読んで…大丈夫なの?
そういうの、深入りすると戻ってこれなくなるっていうし…」

 

以前なら、
(私の関心を否定してる)
(やっぱり、私の生き方を認めてくれない)

そんなふうに感じていた。

 

でも今は違った。

加代子は電話口で、やさしい声でこう返した。

「うん、たぶん大丈夫。
むしろね、いままで見えなかったものが、少しずつ見えてきてる気がするの」

母は少し黙ってから、ぽつりとつぶやいた。

 

「…それなら、よかったわ」

その沈黙の後の言葉に、
加代子は、母なりの不器用な心配と愛情があったことを、はじめて感じた。

 


人は簡単に変わらない。
でも、自分の“受け取り方”が変わると、同じ言葉がまったく違う意味を持つようになる

過去の自分が、「責められている」としか思えなかったその場面たち。
いまなら、違う解釈ができる。
問いが、それを可能にしてくれる。

 


 

ノートの最後に、加代子はこう書いた。

「問いとは、“別の読み方を許す力”なのかもしれない」
「そして私は今、自分の物語を、別の言葉で書き換えようとしている」

 


 

朝の会議室。加代子はメモ帳を開きながら、上司の話を聞いていた。

「ここの進捗、予定より遅れてるよね。加代子さんのところ、どうなってます?」

何気ない確認。けれど、その口調には少し棘があった。

 

…かつての加代子なら、その“棘”にだけ反応していた。

胸の奥がズキリと痛み、自分の責任だと飲み込み、
「ああまた失敗した」「また迷惑をかけた」と、
頭の中で自責の声が暴れだしていた。

 

“あの頃の耳”は、「責め」を探す耳だった。

ほんの少し高い声、食い気味の発言、語尾の鋭さ。

それらが、自動的に「自分が悪い」に直結していた。

 

***

 

でも今日。

同じような場面の中で、加代子はまず、**“一呼吸”**置いた。


深く息を吸い、胸の中に言葉がぶつかるのを感じたけれど、
その衝突に巻き込まれる前に、少しだけ身を引いたような感覚。

(“言葉”は向かってくるように見えて、
 ほんとうは“自分がどう受け取るか”でかたちを変える)

そう、思った。

 

上司の言葉には確かに圧がある。けれどそれは、「私」という人間を否定しているわけではない。
“タスクの進捗”という事実を確認しようとする行為が、少し不器用に表現されているだけかもしれない。

(この人もまた、“自分の言葉”をちゃんと持てていないのかもしれない)
(もしかしたら、“問い”すら持てていないのかもしれない)

そう思うと、どこか切なくもあった。

 

加代子は穏やかに言葉を返す。

「はい、想定より少し時間がかかっています。理由と対策をまとめて、あとで共有しますね」

静かに、確かな声だった。


その返事を聞いた上司は、一瞬きょとんとした表情を見せたあと、
「うん、よろしく」と、それ以上何も言わなかった。

その一連のやりとりのあと、加代子は自分の手のひらを見つめる。

かつては冷や汗がにじんでいたこの場所に、今は穏やかな温もりが残っていた。

 

***

 

午後、給湯室で同僚の西田さんが、気軽にこう言った。

「ねえ、加代子さんってさ、ちょっと真面目すぎるとこあるよね〜。
 もっと肩の力抜けばいいのに。ていうか、昔より話しやすくなったよ、最近」

前半と後半で、矛盾してるような言葉。

かつてなら、「真面目すぎる」という言葉に釘を刺されたような気分になっただろう。
“正しくあろう”としてきた彼女には、それは「融通が利かない」とも、「面倒くさい」とも聞こえた。

 

けれど今の彼女は、
“どこに耳を澄ますか”を、自分で選べるようになっていた。

 

(この人はきっと、“私を責めたい”んじゃなくて、“会話をつなぎたい”んだ)

加代子は微笑んで、こう返した。

「そう言ってもらえると、ちょっと気が楽になります。
 でも、たぶん“真面目すぎる”のは…もう持病みたいなものかもしれないですけどね(笑)」

冗談を交えた返しに、西田さんも笑った。

 

その“ことば”の交換には、勝ち負けも優劣もなかった。

ただ、「ここに共にいる」という感覚だけが、確かに残っていた。

 

***

 

夜。ノートを開いた加代子は、ページの隅にそっとこう書いた。

「他者の言葉が、自分を傷つけるのではない。
 自分が、自分の中の“過去”を通して、それをどう受け取るか──
 そこに、選び直す余地があると気づいた。」

そして続けた。

「言葉を“待つ”ことを知ってから、
 “ことば”が届いているときだけ、心が震えるようになった。
 それは、まるで呼吸のように… 他者との間に、見えないリズムが生まれること。」

 

***

 

以前の加代子は、
言葉の一語一句に怯えていた。
それが「自分の存在価値」を決めるような気がしていた。

でも今の加代子は、
言葉を“待てる”ようになった。


その言葉の「背後」にある不器用さや、沈黙や、揺らぎも含めて
ゆっくり耳を澄ますことができる。

そしてときには、言葉を交わさないことさえ、対話だと知っている。

 

言葉を“受け取る”ことは、
“自分を守る”ことでもあり、
“相手の中にある問い”に気づくことでもある。

 

彼女は、自分の耳が変わったことに、ようやく気づいた。

 

それはつまり、
世界との付き合い方が変わったということだった。

 

 

 

次回に続きます・・・第19章:沈黙と対話

(何か言わなきゃ)(沈黙は気まずい)(ちゃんと相手に応えなきゃ)──そんな内なる声が騒ぎ出していたはずだった。

 

 

  独り言・・・

 

自分の“受け取り方”が変わると、同じ言葉がまったく違う意味を持つようになる

 

人の言葉をどうやって受け取るのか?

私達はいつもこれに尽きる。

 

誰かの意図や感情や、本当に伝えたい気持ちなんて関係ない。

『自分がどうやって感じたのか?』

 

これだけで、私達の世界は出来ている。

私達は見たいモノを見てしまうし、自分が分かることしか認識できない。

 

否定の言葉だと思えば、否定の言葉で対応に感じてしまう。

好意の言葉で行動だと思えば、好意的に受け入れることが出来る。

 

「誰が何を伝えようとしているのか?」

そんなものは実際は関係ない。

 

それでも、私達・・・少なくとも私は・・・相手の本当の言葉で気持ちを探して求めてしまう。

 

「どう思ってるの?」「何を考えてるの?」

 

でも、実際には・・・分からないからさ。

 

どうやって受け止めるのか?だけが重要なのは分かっているつもり

自分にとって都合よく受け止めてしまえば良いんだろうけれど・・・

それが出来ないから

 

『問』っていう形で間が欲しい