今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第20章:問いの地図をひらく
加代子は、ふと気づくと手帳を開いていた。
そこにはびっしりと、走り書きのようなメモや言葉の断片、疑問符のついた問いが並んでいる。
「わたしの感じた“違和感”は、なにに触れたときだった?」
「他人の言葉が怖いのは、なにを失うように感じるから?」
「“正しさ”をめぐる言葉の裏に、何が隠れているんだろう?」
それはまるで、道なき森の中に、自分の足跡を記していくような地図だった。
地図といっても、完成された答えがあるわけではない。
むしろ、「どこに行きたいのかすらわからない」と立ち止まった瞬間の記録だった。
けれど、これらの問いがあることで、加代子は他人の言葉に押し流されず、自分の中心に立っていられるようになった。
***
週末の図書館。理子との再会の場でもあるこの場所で、今日も加代子はふたり分の席をとっていた。
理子がやってくると、加代子は一冊の本を差し出した。
「ねえ、この本にね、“問いは地図になる”って書いてあったの。
私、ずっと誰かに『答え』を聞こうとしてたけど、
答えよりも、“どんな問いを持っているか”のほうが、その人の思考の形を映してるんだって」
理子はその言葉に少し驚き、ページをめくりながらつぶやいた。
「問いを持つって、でもちょっと怖いよね。
問いが深くなると、今までの自分が崩れるような感覚になったりもするし…」
加代子は静かにうなずいた。
「うん、私も最初はそうだった。“ちゃんとした問いを持てていない自分”が、恥ずかしくてたまらなかった。
でも、問いって、きっと“正しく持つ”ものじゃなくて、“自分の痛みや違和感から生まれるもの”なんだと思う」
理子はふっと笑いながら頷いた。
「そうか…“問う”ことは、弱さの証じゃなくて、“生きようとしてる証”でもあるんだね」
***
以前の加代子は、会話の中で「自分を証明しよう」としていた。
否定されないように、理解されるように、正しく話そうとしていた。
でも今の彼女は違う。
問いを持っていることで、「わからないままの状態」で、他者の前に立つことができるようになった。
誰かの話を聴いていても、「それってつまりこういうことでしょ?」とまとめてしまわない。
むしろ、「その言葉の奥には、どんな問いが眠っているのかな」と耳を澄ませる。
自分が問いを持っているからこそ、相手の“問い”にも敏感になれる。
“正解”を出し合う会話ではなく、
“問い”を携えて、共に考える時間へ──。
***
図書館の帰り道、理子がふと口にした。
「加代子って、最近ほんとに変わったよね。なんていうか…“わからないこと”を怖がらなくなったっていうか」
「うん、まだ怖いときもあるけどね。でも、問いを持ってると、自分の中に“灯り”がともってる感じがするんだよ。
それがあるから、誰かと対話していても、迷子になりすぎないでいられるのかもしれない」
理子はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「私も…加代子と話すと、自分の中の“問い”に気づくことがあるんだよね。
そういう対話って、ほんと、ありがたいなって思う」
加代子は小さく微笑みながら、空を見上げた。
春の空は、まだ少し冷たさを残していたが、そこには確かな光が差していた。
次回に続きます・・・第21章:過去の自分と、もう一度話す
「あのときの私に、今の私が声をかけるなら、どんなことばを贈るだろう?」
独り言・・・・
答えなんて無くても良い
分からなくていい
だって、私達はまだ旅の途中
何も終わっていないし、決まっていない。
答えが出るのは、もっと先のコト
今はまだ、答えも正解もありはしない。
あるのは、知りたいという思いだけで良い
沢山、無くして迷子になって悩んで叫んで探したい

