今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第22章:問いを他者に向けるということ
桜が散り始めた午後。
図書館のテラスにある小さなベンチに、加代子は理子と並んで座っていた。
足元には、はらはらと舞い落ちた花びら。
沈黙が、風のように二人の間を通り過ぎていく。
「ねぇ、加代子」
理子が口を開いたとき、その声にはいつもの軽やかさがなかった。
「私、実は…前の仕事、うまくいかなくて辞めたんだ。
ほんとは、長く続けるつもりだったのに、自分でもどうしてやめたのか…ちゃんとわからないの」
加代子は、その言葉を急いで受け止めようとはしなかった。
ただ、視線を落として、そっと頷いた。
「わたしもね。昔、自分の“辞めた理由”を人に説明するのが苦手だった。
それを訊かれるたびに、自分の弱さを暴かれるような気がしてた。
でも…訊かれることより、“自分でも問いを持てなかったこと”の方が苦しかった気がするの」
理子の目が少し動いた。
「問い…?」
「うん。“なぜあのとき、私は逃げるように辞めたのか”って問いを、ずっと避けてたの。
でも最近になって、ようやく、“それでも生きたかったんだ”って答えに、少しだけ触れられた気がするの」
理子は黙っていた。
でも、その沈黙には、苦しさではなく、考える余白があった。
***
問いを他者に向けるというのは、案外むずかしい。
加代子は、以前の自分を思い出していた。
何かを話してくれた相手に、「なんでそうしたの?」と聞き返すことが怖かった。
それが無神経な問いになるのではないか、自分の正義を押しつけるようになるのではないか、と。
だから、“共感”の言葉ばかりを探していた。
「わかるよ、それ辛かったね」
「私もそんな経験ある」
「ひどいね、その人」
それも必要な言葉だった。
でも時に、共感は“問い”の流れをせき止めてしまうことがある。
「あなたは、どう感じたの?」という根本的な問いが、空気の奥に沈んでいってしまう。
理子の「辞めた理由」にも、安易な共感ではなく、そっと横に座るような問いを差し出したい──
加代子はそう思った。
言葉を発するよりも、**「耳を澄ます姿勢」**で、その沈黙を尊重したい。
***
「ねえ、理子」
「うん?」
「いつか、もし話したくなったらでいいんだけど…
“あの時、自分の中で何が起きてたのか”って、自分で問い直してみたこと、ある?」
理子は少し驚いたような顔をしたが、すぐに目を伏せて、ゆっくり言った。
「……実は、ないかも。問いを持つのが、こわくて。
“自分を責める結果になるんじゃないか”って思って、蓋してきた」
加代子は頷く。
「私も、最初はずっとそうだったよ。問いが、痛みと直結してたから。
でも最近になって思うの。“問い”って、叱るためにあるんじゃなくて、
“いまここに生きている自分と、もう一度出会い直すためにある”んだって」
理子はゆっくり顔を上げた。
その目に、わずかに浮かんだ涙を、風がすっと乾かしていく。
「…問いを持つって、やさしいことなんだね。
ほんとは、“過去を責める”んじゃなくて、“過去と共にいようとすること”なんだ」
加代子は、静かに微笑んだ。
「そう。問いは、責めるための武器じゃなくて、
“耳を澄ます手段”なんだと思う」
***
その日、家に帰った加代子は、ノートを開いた。
「わたしは、他者にどこまで問いを差し出せるのか?」
「問いを持つことが、関係を深めることにも、壊すことにもなるのではないか?」
そしてその下に、小さくこう書いた。
「でも、問いを怖がることと、問いを手放すことは、きっと違う」
他者の沈黙に、どう寄り添うか。
それは、“問い”を手にした今だからこそ生まれる、もうひとつの問いだった。
加代子は、自分の問いの地図が、少しずつ「他者と共有できる地図」になっていく感覚を、
静かに、しかし確かに、感じ始めていた。
次回に続きます・・・第23章:家族という沈黙に触れる
言葉の痛みは、時間が経っても消えなかった。
何か新しいことを始めるたび、
心のどこかで、母の叱責が蘇った。
独り言・・・
他者に問いを差し出す
言葉だけを聞いても意味が分からない。
人の言葉に対して、代わりに疑問を作って渡してあげる。
そんなこと、簡単に出来るわけない。
人の言葉を聞くだけでも大変・・・
愚痴や文句を聞くだけでも、体力を使う
ネガティブな言葉には人を引き寄せる力がある。
感情は流されてしまうし、影響を受けてしまう。
だから、共感する言葉を簡単に選択して使うことになる。
共感することは簡単だし
相手の気持ちを否定することもない
その場しのぎはすぐ出来る
でも、あえて相手が持つと良いと感じられるような「問い」を渡してあげる。
相手の話しをちゃんと聞いて、寄り添って、そして渡してあげる疑問という自分と見つめ合う時間。
問いという形で、自分の気持を整理するチャンスがあれば
過去の記憶と向き合うことが出来るようになるのかもしれない。
それもこれも、自分と相手に余裕がある時にしか出来ない理想のカタチ
私達は余裕がない
余裕があって、他人に寄り添えるような人は、実際に出会える機会は少ない。
問い っていう選択肢を知っておくだけでも価値はあるのかもしれないね。

