今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第18章:変わらぬ人々と、変わる応答
そして数日後、母からの電話。
「この前言ってた本、あんた、また難しいもの読んで…大丈夫なの?
そういうの、深入りすると戻ってこれなくなるっていうし…」
以前なら、
(私の関心を否定してる)
(やっぱり、私の生き方を認めてくれない)
そんなふうに感じていた。
でも今は違った。
加代子は電話口で、やさしい声でこう返した。
「うん、たぶん大丈夫。
むしろね、いままで見えなかったものが、少しずつ見えてきてる気がするの」
母は少し黙ってから、ぽつりとつぶやいた。
「…それなら、よかったわ」
その沈黙の後の言葉に、
加代子は、母なりの不器用な心配と愛情があったことを、はじめて感じた。
人は簡単に変わらない。
でも、自分の“受け取り方”が変わると、同じ言葉がまったく違う意味を持つようになる。
過去の自分が、「責められている」としか思えなかったその場面たち。
いまなら、違う解釈ができる。
問いが、それを可能にしてくれる。
ノートの最後に、加代子はこう書いた。
「問いとは、“別の読み方を許す力”なのかもしれない」
「そして私は今、自分の物語を、別の言葉で書き換えようとしている」
朝の会議室。加代子はメモ帳を開きながら、上司の話を聞いていた。
「ここの進捗、予定より遅れてるよね。加代子さんのところ、どうなってます?」
何気ない確認。けれど、その口調には少し棘があった。
…かつての加代子なら、その“棘”にだけ反応していた。
胸の奥がズキリと痛み、自分の責任だと飲み込み、
「ああまた失敗した」「また迷惑をかけた」と、
頭の中で自責の声が暴れだしていた。
“あの頃の耳”は、「責め」を探す耳だった。
ほんの少し高い声、食い気味の発言、語尾の鋭さ。
それらが、自動的に「自分が悪い」に直結していた。
***
でも今日。
同じような場面の中で、加代子はまず、**“一呼吸”**置いた。
深く息を吸い、胸の中に言葉がぶつかるのを感じたけれど、
その衝突に巻き込まれる前に、少しだけ身を引いたような感覚。
(“言葉”は向かってくるように見えて、
ほんとうは“自分がどう受け取るか”でかたちを変える)
そう、思った。
上司の言葉には確かに圧がある。けれどそれは、「私」という人間を否定しているわけではない。
“タスクの進捗”という事実を確認しようとする行為が、少し不器用に表現されているだけかもしれない。
(この人もまた、“自分の言葉”をちゃんと持てていないのかもしれない)
(もしかしたら、“問い”すら持てていないのかもしれない)
そう思うと、どこか切なくもあった。
加代子は穏やかに言葉を返す。
「はい、想定より少し時間がかかっています。理由と対策をまとめて、あとで共有しますね」
静かに、確かな声だった。
その返事を聞いた上司は、一瞬きょとんとした表情を見せたあと、
「うん、よろしく」と、それ以上何も言わなかった。
その一連のやりとりのあと、加代子は自分の手のひらを見つめる。
かつては冷や汗がにじんでいたこの場所に、今は穏やかな温もりが残っていた。
***
午後、給湯室で同僚の西田さんが、気軽にこう言った。
「ねえ、加代子さんってさ、ちょっと真面目すぎるとこあるよね〜。
もっと肩の力抜けばいいのに。ていうか、昔より話しやすくなったよ、最近」
前半と後半で、矛盾してるような言葉。
かつてなら、「真面目すぎる」という言葉に釘を刺されたような気分になっただろう。
“正しくあろう”としてきた彼女には、それは「融通が利かない」とも、「面倒くさい」とも聞こえた。
けれど今の彼女は、
“どこに耳を澄ますか”を、自分で選べるようになっていた。
(この人はきっと、“私を責めたい”んじゃなくて、“会話をつなぎたい”んだ)
加代子は微笑んで、こう返した。
「そう言ってもらえると、ちょっと気が楽になります。
でも、たぶん“真面目すぎる”のは…もう持病みたいなものかもしれないですけどね(笑)」
冗談を交えた返しに、西田さんも笑った。
その“ことば”の交換には、勝ち負けも優劣もなかった。
ただ、「ここに共にいる」という感覚だけが、確かに残っていた。
***
夜。ノートを開いた加代子は、ページの隅にそっとこう書いた。
「他者の言葉が、自分を傷つけるのではない。
自分が、自分の中の“過去”を通して、それをどう受け取るか──
そこに、選び直す余地があると気づいた。」
そして続けた。
「言葉を“待つ”ことを知ってから、
“ことば”が届いているときだけ、心が震えるようになった。
それは、まるで呼吸のように… 他者との間に、見えないリズムが生まれること。」
***
以前の加代子は、
言葉の一語一句に怯えていた。
それが「自分の存在価値」を決めるような気がしていた。
でも今の加代子は、
言葉を“待てる”ようになった。
その言葉の「背後」にある不器用さや、沈黙や、揺らぎも含めて
ゆっくり耳を澄ますことができる。
そしてときには、言葉を交わさないことさえ、対話だと知っている。
言葉を“受け取る”ことは、
“自分を守る”ことでもあり、
“相手の中にある問い”に気づくことでもある。
彼女は、自分の耳が変わったことに、ようやく気づいた。
それはつまり、
世界との付き合い方が変わったということだった。
次回に続きます・・・第19章:沈黙と対話
(何か言わなきゃ)(沈黙は気まずい)(ちゃんと相手に応えなきゃ)──そんな内なる声が騒ぎ出していたはずだった。
独り言・・・
自分の“受け取り方”が変わると、同じ言葉がまったく違う意味を持つようになる。
人の言葉をどうやって受け取るのか?
私達はいつもこれに尽きる。
誰かの意図や感情や、本当に伝えたい気持ちなんて関係ない。
『自分がどうやって感じたのか?』
これだけで、私達の世界は出来ている。
私達は見たいモノを見てしまうし、自分が分かることしか認識できない。
否定の言葉だと思えば、否定の言葉で対応に感じてしまう。
好意の言葉で行動だと思えば、好意的に受け入れることが出来る。
「誰が何を伝えようとしているのか?」
そんなものは実際は関係ない。
それでも、私達・・・少なくとも私は・・・相手の本当の言葉で気持ちを探して求めてしまう。
「どう思ってるの?」「何を考えてるの?」
でも、実際には・・・分からないからさ。
どうやって受け止めるのか?だけが重要なのは分かっているつもり
自分にとって都合よく受け止めてしまえば良いんだろうけれど・・・
それが出来ないから
『問』っていう形で間が欲しい

