「見て。あれが未来の君たちの姿だよ」

 

そんな言葉、誰も言わない。
でも、言うべきなのかもしれない。

子どもに夢を見せるなら、大人がもっと目を覚ませ

 

社会科見学でやって来た子どもたちを、自動車工場の片隅から見ながら、ふと思った。

無邪気に目を輝かせて、大きな機械を見ている。回るベルトコンベア、鳴り響くエンジン音、説明にうなずく先生たち。

そこに間違いはない。だけど、どこかが空っぽなんだ。

 

“そこで生きている人間の現実”は語られない。

 

それは、大人たちが“見せたくない現実”なのか、
それとも、もはや“見えていない現実”なのか。

 

  見せられる現実と、見せない現実

 

子どもたちに見せるのは、整った設備と機械の凄さだ。
でも、その裏で働く人たちの顔を、どれだけ見せているだろう。

無表情で黙々と部品を取り付ける手。黙って流される日々の中で、感情をしまい込んだ目。

本当は、そこにも“現実”がある。けれど、そこはカリキュラムに含まれていない。

 

「働くって、こういうことなんだよ」っていう説明には、
「そのとき、何を思うか」という問いが置いてけぼりになっている。

 

自分達に都合の良い現実。人が見て綺麗で不満の無い現実。

 

その陰に隠れている、声にならない叫びと苦悩と汗と涙・・・

見たいモノを見るのが人なんだろうけれど、

自分の見たい現実と、見せたい現実だけを伝えるのが、今の大人の姿なのかもしれない。

 

綺麗な現実だけを並べて・・・何が分かって、何を伝えようって言うんだろうか?

  レールに乗る安心と、問いかけの欠如

 

大人たちは、子どもに“安心できる道”を見せたがる。

レールに乗っていれば、間違わない。迷わない。考えずに済む。

 

でも、それは「正解しか存在しない世界」への誘導ではないか?

 

運動会でみんなと違う方向に走った子、空を赤く塗った子、授業中に窓の外を見ていた子。

 

その子たちが見ていた“別の現実”を、大人はちゃんと見ようとしたのか?

「現実って、そんなに一つだけ?」と問う勇気を、大人自身が忘れてしまっていないか?

 

 

現実なんて、本当は何通りもある。
 

でも、大人が「こっちが正しい」と言ってしまえば、
子どもは“それ以外の現実”を探す力を失ってしまう。

 

大人の都合で削られていく視点が、
どれほど豊かな可能性を含んでいたか――


それに気づいたときにはもう、ずいぶん時間が経っている。

 

私達の現実は、一つしかないのか?それとも、一つしか許されていないのか?

想いを行動にした時、認めて許してくれる環境なんて、実際には手に入らない。

いつも誰かが用意した枠の中にしか、【現実】なんてものは存在しない。

 

私達は子供の時に、自分だけの何かを探すことを見失ってしまっている。

 

  正解の美しさと、その裏にある不自由

 

数学は美しい。
一つの答えに辿り着くまでの道のり。論理的に積み重ね、見事に導き出された解。あの快感と確信。

 

人は正解に惹かれる。

それは救いでもある。


だからこそ、大人は子どもに“間違わない道”を与えたくなる。

でも、それって本当に子どものため?

もしかして、それは「大人自身が安心したいから」じゃないのか?

子どもが自分とは違う選択をしたとき、不安になるのは誰か。
「その道は危ないよ」と先回りするのは、誰の都合か。

 

子どもたちが求めているのは、
自分が知らない世界を自由に見て、感じて、いいんだよっていう“安心”なんじゃないかな?

 

誰かの意見や顔色を伺って、大人の評価を気にして、指摘に恐怖するなんて必要ない。

自由に感じさせて、何を見て、知って、そして、見たいと思って、感じたい・考えたいっていう自由な感性を持たせてあげること。


それが、「大人」という存在の役目なんじゃないだろうか。

少なくとも私はそう思ってるし、
そのために、あなたにも自由に感じてほしい。
自分の感じた思いを、大切にしてほしい。
だから私は、今、こうして言葉を届けている。

  問いを持たせること、それが夢への道

 

教え方にも、見せ方にも、もっと「問い」を入れよう。

ありふれた感想や、よくある共感も大切だ。
でも、その前に“個性的な感想”や“その子だけの見解”があってもいい。

たとえば、騙し絵のように見る角度で変わるもの。
太陽の塔の裏側のように、見えないものの中に意味を宿すもの。

 

そんな「見方によって価値が変わる」経験を、子どもたちに渡してみたくはないか?

 

問いは、想像力の入り口だ。
問いは、違和感に名前をつける手段だ。

正解じゃなくていい。
「なぜ?」と考える力こそが、
自分の人生を選ぶ力になる。

 

  シンプルフレーズの価値観として:選択の自由

 

この世界に、たった一つの正解なんてない。
だからこそ、選び方には価値がある。

正解よりも、自分の現実を、自分の問いで選び取ること。

選ぶということは、自由を使うこと。

そして自由とは、責任じゃなく、“希望”を持ち続ける力のこと。

 

誰かの理想をなぞるのではなく、
誰かの指示通りに動くのではなく、
“自分の違和感”に正直でいること。

それが、選び方を鍛えていくということなのかもしれない。

 

  最後に

 

子どもに夢を見せたい。私もそう思う。
でもそのためには、大人がまず目を覚まさなければいけない。

 

「こうすればいい」「こうなれば正しい」と言う前に、
「あなたはどう思う?」「なぜ、そう見えたの?」と問いかけてみる。

 

答えはひとつじゃない。
だからこそ、問いのある言葉には希望がある。

正解のない日々を、問いながら歩くこと。
その姿を見せることが、大人にできる最大の“夢の見せ方”かもしれない。

そしてその問いは、相手のためだけじゃなく、
自分自身が“自分を信じて問い続けている証”にもなる。

 

子どもたちの目が輝く世界のために。問いを手渡すという、ささやかで確かな優しさを忘れずにいたい。

✨シンプルフレーズ

夢は与えるものじゃない。問いを通して、拾いに行かせるものだ。

 

〜出来事はただの背景。変化を起こすのは“私がどう選ぶか”〜

 

人生が変わる時って、どんな時だと思いますか?

就職した時?
結婚した時?
子どもが生まれた時?
離婚?破産?病気?失業?

たしかに、人生の風景が大きく変わる出来事かもしれない。


でも――
“人生が変わった”と本当に感じるのは、選択した時だけ”じゃないでしょうか。

  ■ 出来事では、人生は変わらない

 

たとえば、引っ越し。
荷物をまとめ、新しい土地で新しい部屋に住む。
それはたしかに「変化」だけれど、
「また前と同じ暮らし方に戻っていく」ことって、ありませんか?

 

家具の位置は違っても、
朝の気怠さ、夜のスマホ依存、週末の怠惰――
結局、“自分の中の何か”が変わらなければ、人生は元通りになっていく。

 

  ■ 「どう生きたいか」を選ばなければ、風景だけがすり替わる

 

人生が変わる瞬間って、
外から与えられるんじゃなくて、
「変えたい」と思い、自分で選び取った時にだけ訪れる

 

結婚した時に
「この人と人生を共にする」と“選んだ”人は、人生が変わる。
離婚した時に
「もう一度自分をやり直す」と“選んだ”人は、新しい人生を始められる。

でもただ流されるまま、
「結婚する流れだったから」
「なんとなく別れることになったから」
では、人生は変わらない。

 

選んでないものは、自分のものにならない。
どんなに大きな出来事も、選ばなければただの“背景”になる。

 

  ■ 小さな選択が、大きな転機をつくる

 

人生を変える選択って、大きな決断ばかりじゃない。

・朝、ギリギリまで寝るか、10分早く起きて白湯を飲むか
・愚痴を言うか、書き出して整理するか
・SNSを見るか、本を読むか
・「まあいいか」と流すか、「このままじゃ嫌だ」と向き合うか

それぞれはたった1日の些細な分岐点。
だけど、その積み重ねが、人生の地図を少しずつ塗り替えていく。

 


変わろうとすること自体が、選択だ。
選ばなければ、何も始まらない。

 

  ■ 「変えたい」と思った瞬間が、転機になる

 

人生を変えるために、
仕事を変えたり、付き合う人を変えたり、住む場所を変えたり、
行動を変える人がいる。

その原動力って、結局は「想い」なんです。

「こうなりたい」
「こうありたい」
その想いがあってこそ、選択が生まれ、行動が続く。

 

たとえば――

語学を学ぶのも、海外で暮らす未来を選びたいから。
筋トレするのも、自信を持てる自分を選びたいから。
新しい場所に飛び込むのも、孤独を抜け出したい自分を選びたいから。

外からのきっかけじゃない。
**「私が、こう生きたいから」**という選択が、未来を変えていく。

 

  ■ 運命・スピリチュアル・厄年…誰かが決めた“流れ”に任せない

 

「今年は厄年だから…」
「今は運気が悪いから…」
「星の位置がよくないって言われたから…」

たしかに、そういう“流れ”に身を預けるのも、ひとつの在り方。
でも、そこで立ち止まってしまっていいの?

“流れ”を待つだけの人生は、
「自分ではない誰かが舵を握っている」人生になってしまう。


流れに任せているようで、
本当は「選ばないこと」を選択しているのかもしれない。

 

  ■ 私は、選びたい。

たとえ失敗しても、うまくいかなくても、自分の選択で生きたい。

過去の私は、「変われない理由」をよく探していました。

だって、怖いから。
変わるのって、痛いし、不安だし、孤独だし。
失敗したら、笑われたら、やっぱり無理だったって思うのが嫌だった。

だからこそ、他人の言葉を探してた。
「変わるための方法」を、誰かに決めてほしかった。

 

でも気づいたんです。

変わった人は、他人の言葉なんか探してない。
 

もう行動している。
探す時間すら惜しいほど、走り出している。

 

私は、まだそこまでいけてないけど、
それでも、自分の中から湧いてくる言葉を信じて、
「今できること」を選び取ろうとしている。

それが、私にとっての“転機”なんだと思う。

 

  ■ シンプルフレーズ

 

人生が変わるのは、「選択」した時だけ。
変えたいと思ったその想いが、すでにあなたの未来を動かしている。


ん?って思える瞬間に私の気持ちは立ち止まる・・・

【まだ、自分をあきらめていない証拠】

 

――私が、私と一緒に生きるという選択

寝る前の本のひと時、ふと考えることがある。


何を着よう、何を言おう、どこまで笑おう――そんな“誰かの目”に合わせた思考の中に、
小さな違和感が、沈殿物のように残っているのに気づくことがある。

「これって、私の望んだ日常だったっけ?」

何かが、ちょっとだけズレている。


大きな痛みじゃない。誰かに言っても「気のせいじゃない?」って言われるような、ささいなズレ。

でも、たぶん、それが大事なんだと思う。
それが、まだ自分をあきらめていない証拠なのかもしれない。

 

  ■不満は、魂の“反応”かもしれない

 

「このままでいいのかな」
「こんな自分でいいのかな」
「どうして、満たされないんだろう」

そんな風に思うときって、どこかネガティブに感じてしまうけど、
それって、もうどうでもよくなった人には湧いてこない感情だったりする。

本当に諦めた人は、不満さえ感じない。
興味も、欲も、怒りも、なくなるから。

 

だから、不満ってもしかしたら、“まだ自分に期待している”というサインかもしれない。
例えるなら、眠っていたはずの種が、土の中でじわっと動き出している感じ。
芽が出るのはまだ先だけど、もうそこには生命がある。

 

  ■人の言葉に揺れるのは、傷つきたくない自分が生きているから

 

誰かのひと言に過剰に反応してしまうことがある。
なんでもないようなアドバイスが、急に胸に刺さったり。
気にしてないふりをして、帰り道でリピート再生してしまったり。

それって、「人の評価に振り回されてるな…」って落ち込んだりもするけど、
実はその裏には、“自分を守ろうとする健気さ”が隠れてるような気がする。

 

私たちは、自分を大切にしたいから、傷つくことを避けようとする。
自分の輪郭を見失いたくないから、人の言葉を測りに使う。
それって、そんなに悪いことなんだろうか。

 

でも、問題は――
“聞こえた言葉”だけを信じて、“自分の声”を無視してしまうとき

それは、もう“自分の舵”を手放してしまった状態。
自分という船に乗っているはずなのに、どこへ向かってるのかわからなくなる。

 

  ■考えること、それが“置いていかない”ってこと

 

「私はどうしたい?」
「本当は何が嫌だったんだろう?」

そんな問いを自分に向けるのは、めんどくさいし、怖い。
でも、それをするってことは、まだ“自分と一緒に生きよう”としている証拠なんだと思う。

たとえば、台所の隅に置きっぱなしの観葉植物に、ふと気づいて水をあげるみたいに。
葉っぱはしおれていても、根っこさえ生きていれば、また立ち上がれる。

 

「考える」ということは、水やりみたいな行為なんだと思う。
それは“自分と関わろうとする意志”であり、自分を見捨てていないという事実

 

  ■自分軸がなくても、迷っていても、それでいい

 

こじらせていたっていい。
人の顔色をうかがってしまう日があったっていい。
自分らしさを見失う日があっても、それを「ダメ」と決めつける必要なんてない。

だって、迷っているということは、まだ立ち止まっているということ。
立ち止まって、自分の足元を見ようとしているということ。

 

つまり、まだ自分をあきらめていないということなんだと思う。

 

  ✦最後に✦

 

自分を大切にするって、
もっとすごく具体的で、地味で、地道な行為なのかもしれない。

「ちゃんと考える」
「気にしてあげる」
「違和感に気づく」
その一つひとつが、“私は私の味方です”という静かなメッセージなのかもしれない。

だから、今日も迷っていい。こじらせてていい。
そのままの自分と、一緒に生きる方法を、まだ探している私たちは――

きっと、ちゃんと生きようとしている。

 

✦シンプルフレーズの一言✦

「私は、私を置いていかない」


[いつでもシンプル!笑顔のシンプル!]

https://line.me/S/sticker/30918038/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail

 

~それ、全部ちょっと私かもしれない~

  ■共感したい人:「あなたのため」と言いながら、ほんとは自分のため

 

エピソード
後輩が失恋したと聞いて、「私もさ、似た経験あるんだ」と話し始めるEさん。気づけば自分の話が止まらず、後輩の「話を聞いてほしい顔」が遠ざかっていく。

迷う瞬間
「これって、私の話、うざいかな…」とチラッと脳裏をよぎるけど、止まらない。

 

解説
“共感したい”という欲は、実は「自分も誰かにわかってほしい」裏返し。相手の感情に乗じて、こっそり自分の存在確認をしている。

 

客観的な感想
“共感”は相手のため。でも“共感しようとする”こと自体が、もう孤独のサイン。誰だって、自分語りでつながりたい日がある。

名言

「人の話を聞いているふりをして、自分の話のタイミングを待っていることがある。それが人間。」 — アルベール・カミュ

 

  ■共感されたい人:「わかって」が言えない、だから拗ねる

 

エピソード
SNSに「今日は疲れた…」と投稿したFさん。いいねは多いけどコメントがつかず、画面を見つめて「誰か、心配してよ」とぼやく。

迷う瞬間
“自分から助けを求めるのは負け”と感じてしまい、かすかな期待だけを残す。

 

解説
「わかってくれない」が口癖の人は、「わかってほしい」気持ちをうまく言語化できない。感情はあるけど、表現がすれ違う。

 

客観的な感想
“寂しさ”を誤解されると、人はますます静かになる。自分から一歩、言葉を出せるかどうかが、心の扉をノックする鍵になるのかも。

名言

「沈黙は、理解されない者の叫びである。」 — 山本周五郎

 

  ■自分の気持ちを伝えたいけど出来ない人:「言えない」と「伝えたい」の狭間で沈む

 

エピソード
「最近どう?」と聞かれ、「うん、まあまあ」と笑ったGさん。実は眠れない日が続いている。でも言ったところで、迷惑かけたくない。

迷う瞬間
話しかけられた一瞬、心が開きかける。でも「言ったら面倒かも」が頭をよぎる。

 

解説
本音が出せないのではなく、本音の出し方がわからない。自分の気持ちに“翻訳機”がついていないタイプ。

 

客観的な感想
気持ちを伝えるのは、強さじゃなくて練習。言葉にするたび、少しずつ「私の気持ち」は形になっていく。

名言

「心は言葉を求め、言葉は心を求めている。」 — ミヒャエル・エンデ

 

  ■心にもないことを言ってしまう人:笑顔の裏に本音を隠すプロ

 

エピソード
「ありがとう、助かったよ」と笑って言ったHさん。でも本当は、「なんで私だけ…」と怒りがこみ上げていた。

迷う瞬間
口が勝手に“無難な言葉”を言っている自覚はある。でも、それを止める勇気がない。

 

解説
表情と言葉が一致しないのは、“衝突回避”のクセ。場を荒らさないことに神経をすり減らしている。

 

客観的な感想
本音を出すのは怖い。だけど、嘘の言葉は自分を少しずつ擦り減らす。演技しすぎると、自分が何者かわからなくなる。

名言

「言葉は刃にもなり、鎧にもなる。」 — 誰かの心の声より

  ■天邪鬼な人:素直になれない、ただそれだけ

 

エピソード
褒められると「いやいや全然」と全否定。でも、内心は嬉しくてニヤけが止まらないIさん。

迷う瞬間
「ありがとう」って言いたい。でも、その一言が恥ずかしいし、照れくさい。

 

解説
愛されたいのに、試すようなことをしてしまう。素直=弱さと思ってしまう防衛型こじらせ。

 

客観的な感想
ひねくれてるようで、実はすごくピュア。信じたいけど、裏切られたくない気持ちの表れ。

名言

「素直な言葉ほど、不器用な人にとっては勇気がいる。」 — シンプルフレーズ辞典より

 

  ■自分は良いけど、人はダメって言う人:基準は“自分中心地球説”

 

エピソード
Jさんは自分の遅刻には「仕方ないじゃん」と言うのに、他人の遅刻には「社会人としてどうなの?」とピシャリ。なぜか自分の事情だけは“特別扱い”。

迷う瞬間
「私が言ってること、矛盾してる?」と一瞬思う。でも“自分は正しい”が勝ってしまう。

 

解説
他人の失敗には厳しく、自分には甘くなるのは、“自分を守りたい”心理の表れ。自己否定に耐えきれない心が、「自分を責めるくらいなら他人を責める」選択をしてしまう。

 

客観的な感想
正しさを盾にしてる人ほど、内側でたくさんの“不安”を抱えている。優しさが足りないのではなく、余裕がないだけなのかもしれない。

名言

「人を裁くことは簡単だ。でも、許すことのほうがずっと人間らしい。」 — アンネ・フランク

 

  ■やる前から出来ないって諦めて、それを他人にも押し付ける人:経験より、予測が先にくる

 

エピソード
「そんなの無理に決まってるじゃん」と言って、挑戦する友人を止めたKさん。実は過去に同じことをやって、うまくいかなかった苦い経験がある。

迷う瞬間
本当は「うまくいくといいね」と言いたい。でも、「自分だけ失敗してたら惨めだ」と思ってしまう。

 

解説
“諦め癖”は、自分の失敗体験を未来に投影する防衛反応。他人の夢を否定することで、自分の傷を正当化しようとする。

 

客観的な感想
「できない」は本音。でも、「やらない」理由に“他人”を巻き込むと、それはもう自己保身の物語。他人の可能性まで潰さないでいたい。

名言

「自分が諦めたからって、他人の挑戦まで奪わなくていい。」 — シンプルフレーズ辞典より

 

  ■表裏のある人:本音と建前の演技に疲れる日

 

エピソード
Lさんは、上司には満面の笑みで「いつもありがとうございます!」とペコペコ。でも昼休みには「アイツ、マジ無理」と友人に毒を吐く。

迷う瞬間
「こんな自分、嫌われないかな…」と不安になる。でも、無難にやり過ごす方が楽。

 

解説
社会の“空気”に合わせて表情を変えるのが日常。自分の本音を押し殺し続けて、誰が本当の自分か分からなくなっていく。

 

客観的な感想
大人になるって、ある意味“仮面を使い分けること”。でも、本音の居場所がどこにもないと、人は壊れてしまう。

名言

「仮面は身を守る道具。でも、外せなくなったら、それは呪いになる。」 — シンプルフレーズ辞典より

 

  ■内弁慶な人:安心安全エリア限定のスーパースター

 

エピソード
家では芸人のように喋るのに、外では「あいさつも出来ないの?」と言われるMさん。外の世界では、なぜか言葉が出てこない。

迷う瞬間
「いつもの自分を見せたい」と思う。でも、“変に思われたらどうしよう”がブレーキをかける。

 

解説
内弁慶は、“安心できる場所でしか自己開示できない”タイプ。繊細さと想像力が豊かな反面、他人の視線に対して極端に敏感。

 

客観的な感想
出せないんじゃなくて、出す場所を選んでるだけ。だから、「静かな人」=「つまらない人」ではない。むしろ、奥が深いのだ。

名言

「静かな人ほど、心の中で一番うるさい物語を抱えている。」 — ロアルド・ダール

 

  ■人前でかっこを付けたい人:崩れた自分は見せたくない

 

エピソード
Nさんは、どんなに疲れててもSNSでは「充実してます!」と笑顔の写真ばかり投稿。でも実際は、夜中にコンビニ飯でため息。

迷う瞬間
「本当の私を見せてもいいのかな…?」とスマホを前にして、何度も消しては書き直す。

 

解説
“見られ方”を気にするのは、自信がない証拠でもある。かっこつけることで、自分の存在価値を守っている。

 

客観的な感想
誰だって、いい顔を見せたい。でも、かっこつけすぎると、本当の自分の居場所がなくなる。「素の私」も、ちゃんと愛されていい。

名言

「見せかけの私ばかり磨いて、本当の私がどこかへ行ってしまわないように。」 — シンプルフレーズ辞典より

  ✦最後に✦

 

こうやって見ていくと、こじらせって実は「防御本能」なんですよね。
自分を守るために、ちょっと変な方向にねじれちゃった優しさや不安。

でも、それもぜんぶ「人間らしさ」だと思います。
不器用な自分に気づいたときこそ、本当の意味で「自分を好きになる」スタートかもしれません。

 

分かってる。

分かってるのよ?

自分のコトだもん。

 

だからって、認めて受け入れられるか?って言われたら、別問題だと思いませんか?

少なくとも私は、自分では分かってる。

でも、誰かに指摘されたら否定したくなる。

 

そこがダメだって言われたらそれまでなんですが・・・

 

だから、迷って、悩んで、立ち止まって・・・

自己啓発やマインドフルネスやスピの世界に入ってしまうんです。

結局、全部合わないからって・・・自分を認めていないからって・・・話を聞けないしハマれない。

そんな私に合っていたのが、哲学なんだろうね。

答えが無いからこそ見つかる世界があるって、今の私はとっても楽しい世界を見つけた気がしてる!


あのときの私は、まだ夢を見ていた。

「この企画、絶対に面白いと思うんです!」
朝まで資料を作って、震える手で上司に提出した。
目の前でページがめくられていくたび、心臓の音が自分にだけ大きく響いていた。

沈黙。
やがて上司が言った。

「……うん。でも、まあ、こういうのはさ。現実的に無理だよね。」

そして、笑った。
一緒にいた同僚も笑った。
あの瞬間、自分が「浮いている存在」だと痛感した。

会議室を出て、ひとりトイレに駆け込んで、声を押し殺して泣いた。
理想を信じたことが、こんなに痛いなんて知らなかった。

 

立派な大人は、理想を葬るプロ

 

  大人って、そんなに偉いんですか?

 

「大人なんだから、ちゃんとしなさい」
「それは甘いよ。現実を見ようよ」

そんなセリフ、何度聞いたか分かりません。
どうやら“大人”という生き物は、理想を持たないことに長けているらしい

なんでもすぐ「仕方ない」で片付けて、
感情を飲み込んで笑ってみせて、
本音より「立場」や「世間体」を優先できる。

なるほど、たしかに立派だ。
……でもそれって、本当に“かっこいい大人”なんだろうか?

 

  理想は“捨てるもの”じゃなく、“しまい込むもの”?

 

私も昔は信じてました。

「努力は報われる」
「誠実な人が評価される」
「好きなことで生きていける」

でも、社会はそんなに甘くなかった。
努力は空回りし、正直者は損をし、理不尽が当たり前にのさばってる。

あるとき、職場で理想を語ったら笑われました。
“現実見てない人”みたいな目で見られて、
「あぁ、これが“大人の世界”か」と学びました。

 

それから私は、理想をしまい込むようになりました
語るとバカにされるし、持っていても傷つくだけだと思って。

 

  でも私は、あきらめられなかった

 

だけど──
捨てきれなかったんです。

どうしても「こう在りたい」という気持ちが消えなくて、
心のどこかでずっと、くすぶり続けていました。

周りはみんな、うまく折り合いをつけてる。


私はそれができない。
不器用で、面倒くさくて、青臭くて。

そんな自分が嫌いだった時期もあるけど、
でも最近、こう思えるようになりました。

「夢を見ることをやめない私、ちょっとだけ、好きかもしれない」

  諦めることが“大人”なら、私は夢見るアマチュアでいい

 

たぶん、“立派な大人”にはなれない。
割り切ることも、飲み込むことも、うまくできない。

だけど。
それでも自分の理想を手放さなかった自分を、
私は今日、ちゃんと認めてあげたいと思いました。

 

選んできたことに後悔がないわけじゃないけど、
ごまかさずに“選び続けてきた”自分がいる。

そしてこれからも、
不器用でも、夢見がちでも、
自分の理想にまっすぐでいたい。


🌱今日のシンプルフレーズ

立派じゃなくても、ちゃんと“私”でいたい。
理想を捨てない選択を、誇りにしたい。

 

夢を見ることを笑われてもいい。
 

私にとっての“かっこいい大人”は、
現実に打たれても、心の中の灯を消さない人だから。

そして私は、その灯を持ち続けるアマチュアでいたい。