あのときの私は、まだ夢を見ていた。

「この企画、絶対に面白いと思うんです!」
朝まで資料を作って、震える手で上司に提出した。
目の前でページがめくられていくたび、心臓の音が自分にだけ大きく響いていた。

沈黙。
やがて上司が言った。

「……うん。でも、まあ、こういうのはさ。現実的に無理だよね。」

そして、笑った。
一緒にいた同僚も笑った。
あの瞬間、自分が「浮いている存在」だと痛感した。

会議室を出て、ひとりトイレに駆け込んで、声を押し殺して泣いた。
理想を信じたことが、こんなに痛いなんて知らなかった。

 

立派な大人は、理想を葬るプロ

 

  大人って、そんなに偉いんですか?

 

「大人なんだから、ちゃんとしなさい」
「それは甘いよ。現実を見ようよ」

そんなセリフ、何度聞いたか分かりません。
どうやら“大人”という生き物は、理想を持たないことに長けているらしい

なんでもすぐ「仕方ない」で片付けて、
感情を飲み込んで笑ってみせて、
本音より「立場」や「世間体」を優先できる。

なるほど、たしかに立派だ。
……でもそれって、本当に“かっこいい大人”なんだろうか?

 

  理想は“捨てるもの”じゃなく、“しまい込むもの”?

 

私も昔は信じてました。

「努力は報われる」
「誠実な人が評価される」
「好きなことで生きていける」

でも、社会はそんなに甘くなかった。
努力は空回りし、正直者は損をし、理不尽が当たり前にのさばってる。

あるとき、職場で理想を語ったら笑われました。
“現実見てない人”みたいな目で見られて、
「あぁ、これが“大人の世界”か」と学びました。

 

それから私は、理想をしまい込むようになりました
語るとバカにされるし、持っていても傷つくだけだと思って。

 

  でも私は、あきらめられなかった

 

だけど──
捨てきれなかったんです。

どうしても「こう在りたい」という気持ちが消えなくて、
心のどこかでずっと、くすぶり続けていました。

周りはみんな、うまく折り合いをつけてる。


私はそれができない。
不器用で、面倒くさくて、青臭くて。

そんな自分が嫌いだった時期もあるけど、
でも最近、こう思えるようになりました。

「夢を見ることをやめない私、ちょっとだけ、好きかもしれない」

  諦めることが“大人”なら、私は夢見るアマチュアでいい

 

たぶん、“立派な大人”にはなれない。
割り切ることも、飲み込むことも、うまくできない。

だけど。
それでも自分の理想を手放さなかった自分を、
私は今日、ちゃんと認めてあげたいと思いました。

 

選んできたことに後悔がないわけじゃないけど、
ごまかさずに“選び続けてきた”自分がいる。

そしてこれからも、
不器用でも、夢見がちでも、
自分の理想にまっすぐでいたい。


🌱今日のシンプルフレーズ

立派じゃなくても、ちゃんと“私”でいたい。
理想を捨てない選択を、誇りにしたい。

 

夢を見ることを笑われてもいい。
 

私にとっての“かっこいい大人”は、
現実に打たれても、心の中の灯を消さない人だから。

そして私は、その灯を持ち続けるアマチュアでいたい。