誰かと比べて、しんどくなることがある。
嫉妬したり、劣等感を抱いたり、なんで自分だけって思ったり。
でも私は、その感情を知ることで逆に見えてくるものがあると思っている。
「こだわり」は、自分で自分を測る為のもの
自分だけで自分を測って、自分のコトを知ることはきっと難しい。
だから、人を見て、他人と自分を比べて【良い悪い】を感じてしまうんだろう。
でも、その他人と関係ないモノを・・・実は誰もが持っているんじゃないかな?
ファッション・食べ物・趣味
誰かと比べたり、誰かの価値に左右されない「何か?」を感じることはあると思うんだ。
それが、その人だけが持つ『こだわり』だと私は思うよ・・・。
嫉妬や劣等感は、他人の瞳から自分を見た時に生まれる
嫉妬とか劣等感って、ただの性格の悪さじゃないと思うんだ。
あの人の方が評価されている。
あの人の方が愛されている。
あの人の方が上手くやっている。
そんなふうに見えた時、人はしんどくなる。
でも、そのしんどさって、相手がどうこうだけじゃないんだよね。
他人の目から自分を見ようとした時に、その差に自分が耐えられなくなるから苦しいんだと思う。
要するに、他人の価値観で自分を測ってしまうからだろう。
社会ではこうあるべき。
普通はこう。
一般的にはこう。
常識的にはこう。
そういう言葉って、たいてい多数派の言葉だ。
そしてその多数派の言葉は、資本や権益のある側に都合が良いように出来ていることも多い。
その中で自分を見ると、どうしても苦しくなる。
足りない。
遅れてる。
評価されてない。
支持されてない。
そうやって、自分を自分で傷つけてしまうんだろう。
自分の「こだわり」が抜けると、人は他人で自分を測り始める
他人と比較してしまうのは、ある意味では仕方ない。
仕事でも、恋愛でも、友人関係でも、人を見ないで生きるなんて無理だから。
でも、その比較が必要以上に苦しくなる時って、たぶん自分の為の価値基準が抜けている時なんだと思う。
自分は何が好きなのか。
何が嫌なのか。
何を大切にしたいのか。
何に満足できるのか。
どこに納得したいのか。
そこが抜けると、人は他人と自分を比べるしかなくなる。
社会と自分を比べる。
資本の価値と自分を比べる。
世間の普通と自分を比べる。
多数派の支持と自分を比べる。
そりゃ、しんどくなるに決まっている。
だから私は思うんだ。
嫉妬や劣等感とは違う目線を持つキッカケって、自分だけの「こだわり」なんじゃないか?って・・・
「こだわり」は、自分で自分を測る為のもの
こだわりっていうと、面倒くさいとか、ワガママとか、自己満足とか、そういう見られ方もする。
でも私は、その自己満足がすごく大事だと思っている。
だって、嫉妬や劣等感って、他人に認められたいとか、他人の中で勝ちたいとか、他人の価値観に引っ張られて生まれるものだろう。
でも、こだわりは違う。
こだわりは、自分がこれがいいと思うから選ぶ。
他人がどう思うかじゃない。
流行っているかでもない。
人気があるかでもない。
売れているかでもない。
自分に合うか。
自分が気に入るか。
自分が納得するか。
それだけだ。
極端に言えば、自分以外で測りたいのか?自分で測りたいのか?、その違いなだけなんだと思う。
靴の話しで言えば、私は「紐無し」にこだわる
例えば、私は靴に少しこだわりがある。
日本で一強と言ったら、やっぱりナイキなんだろう。
でも私は、そこにあまり魅力を感じない。
もちろん人気があるのも分かるし、多数派が選ぶ理由も分かる。
でも、自分にとって欲しいかどうかは別の話しなんだよね。
私のこだわりは、紐無しだ。
紐が嫌いなんだ。
汚れる。
伸びる。
ほどける。
脱ぎ履きしにくい。
それが嫌だって思っている。
だから、多くの人が紐有りのスニーカーを履いていても、そこに対して何も感じない。
羨ましいとも思わないし、人気だから欲しいとも思わない。
むしろ、トレンドでも、多数派でも、そこに自分の魅力はない。
前はガビックを気に入って履いていた。
でも、ガビックがスニーカーを作らなくなった。
あれは悲しかったね。
その後はスケッチャーズを履いていたけど、ちょっとスポーツ感が強くて好みとは違った。
そこで出会ったのが、ロイヤルエラスティクス。
これが良い。最高だねって思えた。
コスパは良くない。
選択肢も少ない。
マイノリティ向けだから、出会いにくい。
ハードモードなのは間違いない。
でも、それでも、自分のこだわりで見つけたものには満足がある。
これって、他人に勝ったとか、流行に乗れたとか、そういう満足じゃない。
自分が自分に納得できた満足なんだと思う。
こだわりは正義じゃないし、コスパも悪い😭
ただ、ここはちゃんと言いたいんだけど、こだわりが正しいわけじゃない。
こだわりは時に人を振り回す。
理解されないこともある。
面倒だと思われることもある。
そして、だいたいコスパは悪い。
需要と供給だから、高くもなる。
選べる数も減る。
だから、損得で見極めることが必要な場面もあると思う。
いつでもどこでも、こだわりを貫けるわけじゃない。
現実には、選べないことの方が多い。
妥協しなきゃいけない時だって山ほどある。
それは分かっている。
理想だけじゃ生きられないのも知っている。
でも、だからと言って、こだわりや美学を全部捨てる必要はないとも思うんだ。
選べる時に「こだわり」を選ぶと、満足が残る🤭
人生って、選べないことの方が多い・・・
仕事でも、人間関係でも、お金のことでも、どうにもならないことはたくさんある。
でも、たまに選べる瞬間がある。
決められる時がある。
選択権が自分に残っている時がある。
その時に、「こだわり」を選べたなら、きっと満足は残ると思う。
得か損かだけじゃない。
効率がいいか悪いかだけでもない。
他人に褒められるかどうかでもない。
自分で選んだ。
自分の為に選んだ。
そこに、自分の納得がある。
私はそれって、すごく大事なことだと思う。
ファッションでもいい。
生き方でもいい。
他人にかける言葉でもいい。
一人の時間の過ごし方でもいい。
誰かに見せるためじゃなくていい。
比較するためじゃなくていい。
それが、自分の為の「こだわり」で、そこにあるのが「美学」なんだろう。
嫉妬や劣等感から離れる為に、自分の尺度を持っていたい
嫉妬や劣等感を完全に消すことなんて、たぶん無理だと思う・・・
人は他人を見るし、差を感じるし、社会の中で生きている以上、比較からは逃げられない。
でも、そのたびに他人の価値観だけで自分を削らなくてもいいとは思う。
他人にどう見られるか。
世間がどう思うか。
普通かどうか。
支持されるかどうか。
そういう外側の物差しだけで生きていたら、自分の人生なのに、自分の為の価値がどこにもなくなってしまう。
だから私は、こだわりを持っていて良いと思う。
美学を持っていて良いと思う。
それは他人に勝つためじゃない。
正しさを証明するためでもない。
ただ、自分を自分で測る為だ。
自分の満足を、自分で見つける為だ。
嫉妬や劣等感を知ったからこそ、他人の価値観で生きる苦しさも分かる。

だからこそ私は、自分だけの「こだわり」や「美学」を持っていたい。
だって、それは誰かに見せるためのものじゃない。
誰かと比べるためのものでもない。
ただ、自分が自分に納得して生きる為のものなんだから。


























