仕事ができる人って、当日うまくやる人だと思っていた。
要領が良くて、頭の回転が速くて、その場で何とか出来る人。
でも、本当に人を惹き付けるのは、見えないところで小さいことを積み重ねている人なのかもしれない。

 

人を惹き付ける人は、才能よりも「積み重ねる姿」を持っている

「準備に200%のエネルギーを注ぐから、本番で120%の力を発揮できる」

という言葉は、メジャーリーグでも活躍したイチロー選手(鈴木一朗)の姿勢を象徴する有名な考え方らしい…。

  イチロー選手の言葉が刺さった理由

イチロー選手の言葉に、
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
というものがあるそうだ。

 

この言葉を聞いた時、すぐに職場のある人の姿が浮かんだ。

その人は、当日だけ頑張る人じゃない。
本番で何とかする人でもない・・・


その前の準備、段取り、事前の確認、その姿勢が本当にすごい。

 

当日には、必ずミスもある。
予想外のこともある。
想定外なんて、むしろ当たり前だと思う。

だからこそ、その人は「そうならない為にどうするか?」を先に考えている。


そこまで踏まえて、当日に臨めるように計画を立てて、話をして、周囲を動かしていく。
それを見ていて、ああ、これが社会人の姿なんだろうなと思った。

 

  仕事ができる人は、当日ではなく前日までに見える

次の仕事の準備をしている時、その人のすごさがよく分かった。

 

他チームとの連携の話し合いをして、同じチームの中でも話をまとめていく。
何をやるか、何が必要かを明確にするのはもちろんだけれど、それだけじゃない。

 

当日のトレース表には、作業内容だけではなく、仕事の流れや順序まで落とし込まれていた。

 

どの順番なら他チームと連携しやすいのか。
自チームはどの流れで動けば詰まらないのか。
相手の流れに合わせる為には、どこを調整するべきか。
それをきちんと考えて、交渉して、準備を整えてくれていた。

 

効率も大事。
でも、確実さを捨てない。


時間配分も見て、時間内に終わらせる為の用意もする。
必要なら人員編成の見直しを上に上申して、ちゃんと結果も持ってくる。

 

そこまで出来る人を前にすると、もう「流石です」だけでは足りない。
出てくるのは、尊敬だけじゃなくて、ありがとうという気持ちだった。

 

安心してついて行けます。
そう思えること自体が、その人の魅力なんだと思う。

  才能という言葉で片づけたくない

もちろん、こういう人を見ると「才能なんだろうな」と思いたくもなる。


先を読む力、段取りを組む力、周囲を見ながら調整する力。
簡単に出来ることじゃないからこそ、そう言いたくなる。

 

でも、才能って言葉は時々、便利すぎる。
「あの人だから出来る」と言ってしまえば、自分は努力しなくて済む。


見習えない理由にもなるし、逃げ道にもなる。

たぶん本当にすごいのは、才能そのものじゃなくて、
面倒なことを面倒なまま放置しない姿勢なんだと思う。

 

誰だって、自分への言い訳を作りたい。
逃げ道を残しておきたい。
出来ない理由を並べたくなる。
それでも、その人はそれを知ったうえで選ばない。

 

その強さは、誰もが簡単に持てるものじゃない。
だからこそ、人は惹き付けられるんだろう👏

  積み重ねてきた事実は、自分を裏切らない

イチロー選手は大谷翔平選手にも、
「自分の才能とかやってきたことをもっと信じたほうが良い」
とアドバイスしたそうだ。

 

この言葉も、すごく深いと思う。

 

才能は目に見えない。
でも、やってきたことは消えない。
生きてきたことも、積み重ねてきた時間も、全部事実として残っている。

 

どんな人生だったとしてもそうだと思う。
押しつぶされた日も、流された日も、抗えなかった日もあったかもしれない。
波に乗れなかった日だってあるだろう。

それでも今があるということは、今までを超えてきたということだ。
立派じゃなくてもいい。
華やかじゃなくてもいい。
ちゃんと今日まで来たという事実は、それだけで簡単に否定してはいけないものなんだと思う。

  人を引っ張るのは、派手さではなく積み重ね

人を惹き付けて、人を引っ張っていく魅力。
それは、急に現れた派手さじゃないんだろう。

過去という事実を積み重ねて、
その積み重ねを雑に扱わず、
意味のある今を過ごしている。
その姿が、周りに伝わるから、人はついていきたくなるのだと思う。

 

「なんとかなる」という精神も大切。
本番で力を出すことも大切。

でも、その言葉に重みが出るのは、その前に準備や小さい積み重ねがあるからなんだろう。

 

どんなに小さなことでもいい。
それを手放さない。
雑にしない。
見えないところで積み上げる。


それが結局、人を惹き付ける強さになるのだと思った。

 

私も完璧には出来ない。
面倒だと思う日もあるし、雑になりそうな日もある。
それでも、そういう姿を見たからこそ、今日を雑にしない人でいたいと思えた。

 

仕事の話なのに、少し生き方の話みたいだね。
でも、きっとこういうことの積み重ねが、その人らしさになっていくんだと思う。

 シンプルフレーズ

人を動かすのは才能じゃない。
小さいことを、今日も捨てなかった姿だ。

占いはよく分からないんだけど。

北海道来ました。

もう、波乱の連続


これは、厄年ってことですか?

また珍道中の報告ブログ書きます〜

お楽しみに🤭 

5月おとめ座の総合運

整える時間

心や生活を整えることで、
落ち着いた流れを感じられる時期。
無理に動くよりも、自分のペースを大切にすることで
安心感が増していきます。

提供元:Ameba占い館SATORI

「働きたくない」って言葉、よく聞く。
周りもそうだし、自分もそう思うことがある。
でもそれって、本当に“怠けたいだけ”なんだろうか?

仕事が嫌いな理由なんて、そんな大層なものじゃない・・・ただ朝起きたくないだけの話

「どうして仕事が嫌いなの?」
そんなこと聞かれると、ちょっと考えてしまう。
でも、答えはたぶん、すごく単純だ・・・私の場合はね・・・

  ■なぜ、仕事はこんなに嫌なのか?

仕事って、そもそも何なんだろう?

 

今の時代の仕事って、
基本的には“他人から与えられるもの”だ。

 

・上司からの指示
・会社からの役割
・顧客からの要求

それを達成することで、対価としてお金をもらう。

 

つまり、他人の期待を満たすことで、生きるための資源を得る行為。

 

これが、今の「仕事」だと思う。

  ■昔の仕事と、今の仕事の違い

でも、昔・・・というか、原始的な時代は少し違ったはずだ。

畑を耕す。
狩りをする。
水を汲む。
家族を育てる。

これも全部、仕事だ。

でもその時の対価はシンプルだった。

・食べるもの
・住む場所
・生き延びること

 

つまり・・・生きるために、そのまま必要なものを得ていた。

 

今はどうか。

生きるために必要なのは、食べ物じゃない。

 

お金だ。

そして、そのお金を手に入れる手段が「仕事」になった。

 

  ■“誰に従っているのか?”という違い

 

ここで大きな違いが出てくる。

昔は、

・自然
・環境
・見えない何か

に従っていた。

でも今は違う。

 

相手は「他人」だ。

 

他人は、目に見える。

比較もできる。
優劣もつく。
損得もある。

だから、

・あいつより下に見られたくない
・理不尽だと感じる
・押し付けられている気がする

そんな感情が生まれる。

 

  ■強制されていると感じる理由

 

本来、生きるための行為は変わっていない。

でも、

「誰に従っているか」

が変わったことで、

 

強制されている感覚が生まれた。

 

自然に従う時、人はあまり怒らない。

でも、人に従うとき、人は感情を持つ。

・反抗心
・敵対心
・不満

これが、「働きたくない」に繋がっている気がする。

 

  ■楽園でも、人は動かなくなる

 

少し極端な話をすると、

必要なものが全部揃っていて、
何もしなくても生きられる状態だと、人は動かなくなる。

 

いわゆる“楽園実験”みたいな状態。

手が届く場所に全てがあると、
行為そのものが失われていく。

 

それを逆から見ると、

・手に入れる必要がある
・行動しないと得られない

からこそ、人は動く。

 

  ■仕事が好きな人と、嫌な人の違い

じゃあ、なぜ仕事が好きな人もいるのか?

そこには一つの違いがあると思う・・・

 

仕事が好きな人は、

・達成感
・成長
・役割
・人との繋がり

こういうお金以外の価値を見つけている。

だから、

生きる=お金
にならない。

 

一方で、仕事が嫌な人は、

生きる=お金=仕事

この構造になる。

 

だから、

・仕事も嫌
・お金のために働くのも嫌
・結果的に、生きるのもしんどい

そんな状態になってしまう。

 

  ■どちらが正しいのかじゃない

ここで大事なのは、

どっちが正しいかじゃないと思う。

 

仕事に価値を見出せる人は、それでいい。
見出せない人も、それでいい。

 

ただ、「なんで自分は嫌なのか?」

それをちゃんと理解しておくことが大事なんだと思う。

 ■シンプルフレーズ

仕事が嫌なんじゃない。
“他人に生かされている感覚”が、しんどいだけだ。

 

私がどうして仕事が嫌いかって?

朝起きたくないからだよ!決まった時間から時間まで拘束されるとか辛いんだよ。

なら、フレックスにしたら?

私、なまけものだからフレックスだと働かないんだよ(笑)

じゃあどうしたらいいの?

逃げ場所なんかないんだよ。どこにも行けないし、行くことも出来ないし、そんな度胸・・・は、あるか。

スキルも能力も無いんだよ。だから、選べないんだ。

 

人に使われるのが嫌だとしても、使う人を選びたいとか・・・ホント夢見すぎ。

そんなに人生ガチャは甘くない。

 

だからさ、せめて・・・イヤイヤでも働くときは笑っていられるように、夢を見てるんだ。

妄想と幻想の世界で生きる。そして、現実をこなしてる。

だって、逃げ場所なんか他にないからさ・・・。

ワークライフバランスとか、インテグレーションとか。
正直、横文字が増えただけで、何が変わったのか分かりにくい。
でもその中身を見ていくと、実は「生き方そのもの」の話だった。

 

『時間を誰に差し出すのか』という話

私は毎朝「日経ポッドキャスト」を聞いている。

その中で語られた【ワークライフインテグレーション】という言葉。

初耳だったの・・・調べたよ。衝撃の事実って言うほどでもないんだけど・・・

 

仕事を私生活のバランスを考える時代から、

仕事を自分の人生の一部として捉えるっていう話になっていた。

 

え?大丈夫?

仕事に疲弊している私達に、これ以上酷使されることを望んでいるの?

もうね・・・十分頑張っていると思うんだ。

 

仕事も人間関係も私生活もなんなら・・・他人の事情にもさ・・・

もっと、仕事を趣味のように捉えろ!みたいに言われても・・・辛いよ。

だって、毎朝起きる度に想うんだ・・・「かえりたい」って。布団の中でだよ。

  ■ワークとライフを分けるという発想

ワークライフバランスは、シンプルな考え方だと思う。

 

仕事と生活を分けて、うまく調整しようというもの。

・仕事は仕事
・プライベートはプライベート

だからこそ、
「働きすぎないようにしよう」
「ちゃんと休もう」
という話になる。

でも、ここには前提がある。

 

仕事は負担で、生活は回復。

だから分ける必要がある。

 

  ■じゃあインテグレーションって何?

ワークライフインテグレーションは、逆の発想だ。

 

仕事と生活を分けない。
むしろ、混ぜてしまう。

・好きな仕事なら生活の一部になる
・途中で休んでもいい
・働きながら生きる

一見すると、自由で理想的に見える。

でも、ここで少し立ち止まりたくなる。

  ■なぜ“統合”なんて言い出したのか?

わざわざ新しい言葉を作るってことは、
今までのやり方に不都合があったということだと思う。

 

ワークライフバランスでは、

・やりがいが生まれにくい
・仕事に意味を見出しにくい
・人が定着しない

そんな問題が出てきた。

 

だから、こう言い換えた。

「仕事も人生だよね?」
「やりがいも大事だよね?」

確かに間違ってはいない。

でも、ここで私は・・・少し引っかかる。

  ■“自由に見せかけた選択”という違和感

本来はシンプルなはずなんだ。

 

お金が欲しいなら働けばいい。
出世したいなら頑張ればいい。
それを望まないなら、やらなければいい。

 

でも現実は違う。

会社や組織は、
みんなを同じように扱おうとする。

 

個々の裁量に任せる気がないから、
「バランス」だの「インテグレーション」だのと、枠組みを作る。

 

そしてこうなる。

・働くのも自己責任
・疲れるのも自己責任
・辞めるのも自己責任

強制していないようで、
逃げ道も見えなくなる。

 

私的な意見で申し訳ないが・・・強制しないからこそ、たちが悪い。

そう感じてしまうのは、きっと自然なことだと思う。

  ■レールの上の成功と、私の違和感

職場に、いわゆるエリートの新卒がいる。

 

一流企業に入って、
昇給も昇進も、ある程度約束されているようなレール。

 

彼は言った。

「やりたいことはいつでもできますから」

たしかに、それも一つの正解だと思う。

 

でも、私はどうしても思ってしまう・・・

 

その“いつか”のために、
今しかない時間を全部使ってしまっていいのか?

若さっていう才能。今しか出来ない事柄。必ずあると思うんだ・・・

確かに、学生時代に大いに遊んだことだろう。

インドアからアウトドアまで、思いつく限りをしたんだと思う。

でもさ、私からしたら・・・ヒッチハイクして旅をしてみたり、ワーホリで海外に行ってみたり、推し活に命を懸けてみたりってさ・・・出来るようで出来ない事ってあると思うんだ。

それを投げ捨てても良いんだろうか?って思ってしまうの・・・きっと私が敗者の言い訳をしているだけなのかな?

 

若さって、戻らない。

時間って、取り返せない。

それを体臭が言う成功のレールと交換して、本当に等価なんだろうか?って・・・

 

私が間違っているのは、否定できない。

だって、誰もが一流企業に新卒で入社したら成功で最高だろうからさ・・・

  ■時間という資本の等価交換

結局のところ、これは“交換”の話だと思う。

 

自分の時間を差し出して、
給料や安定やキャリアを手に入れる。

 

その対価を、

「納得できる」と思えるなら、それでいい。
「足りない」と思うなら、それは引き受けきれていない。

 

自分が差し出した『時間』っていう資本に対して、手に入れられる対価。

 

誰が決めるのか?

会社でも、世間でもなく、
最後に決めるのは自分しかいない。

  ■仕事が“その人の価値”になる怖さ

正直・・・一番怖いのは・・・いつの間にか


仕事がその人の価値として扱われていること。

どこで働いているか。
何をしているか。
どれくらい稼いでいるか。

それが、その人そのものの評価になる。

だから、

・ライフを大切にする言葉が必要になる
・でも結局、仕事中心からは抜けられない

そんな矛盾が生まれる。

フリーランスでも自由とは限らない現実

じゃあ組織を離れればいいのか?

フリーランスなら自由なのか。

正直、それも簡単な話じゃない。

 

自分でやるということは、
すべてを自分で引き受けるということ。

 

ライフを守れるかどうかは、
結局また“自分次第”になる。

  ■それでも、私はこう思う

レールに乗るかどうかじゃない。

大事なのは、

「この時間を差し出してもいい」と思えるかどうか。

その対価に、納得できるかどうか。

それだけだと思う。

 

 シンプルフレーズ

自分の時間を、誰に差し出すのか?
それを決めるのは、いつだって自分でいい。

嬉しいことがあると、なぜか不安になることがある。
悪いことが続くと、次はきっと良いことがあるはずだと祈りたくなる。
でも本当は、良いことと悪いことは、いつも綺麗に繋がっているわけじゃない。

嬉しい時は笑う!悲しい時は泣く!それで良い

 

  良いことのあとに、悪いことが来る気がしてしまう

欲しかったものが見つかった。
念願だった大好きなバンドのライブチケットが当たった。
旅行の予定もある。
もう、楽しみなことが目白押しだ。

なのに、その喜びの真ん中で、ふと思ってしまう・・・


「このあと、何か悪いことが起こるんじゃないか?」と・・・

 

逆に、仕事が辛い。
税金の通知が来る。
仕事でミスをした。
そんな苦しいことが続くと、今度は「次はきっと良いことがあるはずだ」と思いたくなる。

 

人は、良いことと悪いことを、まるで帳尻合わせのように考えてしまう。
幸せが来たから不幸が来る。
不幸が続いたから、次は幸せが来る。

でも、それは本当に繋がっているのだろうか?

 

たぶん、違う。

 

ライブチケットが当たったことと、仕事のミスは関係ない。
旅行の予定と、税金の通知も関係ない。


良いことが起きたから悪いことが来るわけでも、悪いことがあったから良いことが補填されるわけでもない。

世界はそんなに親切でもなければ、そんなに律儀でもない。

 

  人は、不条理に耐えられないから因果を作る

それでも人が、良いことと悪いことを結びつけたくなるのはなぜだろう・・・

 

それはきっと、世界が不条理すぎるからだと思う。
意味もなく嬉しいことが来る。
意味もなく苦しいことも来る。
何の前触れもなく、良い日と悪い日が入り混じる。

 

そんな無秩序を、そのまま受け止めるのは苦しい。
だから人は、そこに理由を作りたくなる。
因果を見つけたくなる。
「これだけ辛かったから、次はきっと良いことがある」
「こんなに良いことがあったのだから、次は何か失うかもしれない」
そうやって、世界にルールがあるように思いたくなる。

 

けれど、たぶんその因果は、世界の仕組みではなく、心の防衛なんだろう。

納得したい。
安心したい。
せめて説明できる形にしたい。

その気持ちは、とてもよく分かる。
でも、そこに囚われすぎると、今ここにある感情をちゃんと味わえなくなる。

 

嬉しいのに、不安が混ざる。
悲しいのに、無理やり希望を探してしまう。
苦しいのに、「これには意味があるはずだ」と自分を納得させようとする。

それでは、今の自分の感情が置き去りになる。

  悪いことは、とことん落ち込んでいい

悪いことがあったなら、まずはちゃんと苦しめばいい。

大いに泣いて、愚痴って、苦しんで、トコトン落ち込んでいい。


無理に前向きにならなくていい。
すぐに教訓にしなくていい。
「これも経験」なんて、最初から綺麗にまとめなくていい。

 

痛いものは痛い。
苦しいものは苦しい。
悔しいものは悔しい。

そこを飛ばして、分かったふりをすると、感情は終わらない。
終わらないまま、心のどこかに残り続ける。

 

そして次に似たことが起きた時、また同じ場所が疼く。

だからこそ、まずはちゃんと落ち込むことが大切なんだと思う。

 

その上で、何が痛かったのか。
何を見落としていたのか。
何を繰り返したくないのか。

そこに気づけた時、苦しみはただの傷ではなくなる。


次の為に背負うものになる。
傷が経験に変わる。
後悔が気づきに変わる。

苦しんだことを無駄にしないというのは、最初から綺麗に受け入れることじゃない。


ちゃんと苦しみ切ったあとで、自分なりの意味を見つけることなんだと思う。

  良いことは、遠慮せず心から喜べばいい

そして、良いことがあったなら、こちらも遠慮しなくていい。

大いに喜んで、笑って、周囲に話して、自慢していい。
嬉しいなら、嬉しいと言えばいい。
楽しいなら、楽しいと笑えばいい。

「このあと悪いことが来るかもしれない」
「こんなに喜んだらバチが当たりそう」
そんなことを考えて、喜びを小さくしなくていい。

 

嬉しいことがあった時に、ちゃんと嬉しがれる。
それは、当たり前のようでいて、案外難しい。

 

不安が先に来る人もいる。
過去の失敗がよぎる人もいる。
良いことの最中なのに、失う怖さを先回りしてしまう人もいる。

でも、本当はその瞬間くらい、素直でいい。

ライブチケットが当たったなら、思いきり喜べばいい。
旅行の予定があるなら、今からワクワクすればいい。
笑って、話して、「楽しみだ」と口に出せばいい。

 

それだけで、生きていることを笑える。
それだけで、毎日は少し素敵になる。

不条理な世界だからこそ、喜べる時に喜ぶことは、とても大切な力だと思う。

  感情をその都度終わらせることが、自分の人生を生きること

 

善悪なんて、簡単には分からない。
何が正しくて、何が間違っているのかも、状況次第で変わってしまう。

でも少なくとも、良いことと悪いことは、常に繋がっている必要なんかない。
無理に意味を作らなくていい。
無理に因果にしなくていい。

良いことは良いこと。
悪いことは悪いこと。


それぞれをその都度受け止めて、その都度終わらせていく。

 

泣く時は泣く。
苦しい時は苦しいと言う。
嬉しい時は笑う。
楽しい時は胸を張って楽しむ。

そうやって今の感情を大切にして生きていくことが、自分の人生を生きるということなんだと思う。

過去に引っ張られすぎない為にも、未来を勝手に怖がりすぎない為にも、今の感情をちゃんと生き切る。
それが、自分を置き去りにしない生き方なんじゃないだろうか。

 シンプルフレーズ

人はきっと、不条理に耐えられない。
だから、良いことと悪いことを繋げて考えたくなる。


でも、本当はそこに必然なんてないのかもしれない。

だからこそ、嬉しいことがあったら心から喜べばいい。
悪いことがあったら、ちゃんと落ち込めばいい。

感情を誤魔化さず、その都度ちゃんと終わらせていく。


それが、過去に縛られずに生きること。
それが、自分の人生を自分で生きるということ。

良いことは、遠慮せず喜んでいい。
悪いことは、無理に美談にしなくていい。
その時その時の自分をちゃんと引き受けて生きていくことが、きっと一番、自分に正直な生き方なんだと思う。

 

嬉しい時は、ちゃんと笑っていい。
苦しい時は、ちゃんと泣いていい。
それが、自分の人生を生きるということだ。