来年は午歳。
馬と言えば日本では流鏑馬ー小笠原流である。
なんでも鞍造りから始まった流儀であるという。
鞍が武士が弓をもって安定するには、大事なのである。
弓を大きく満月に張り、実際は馬の背で一瞬の間を掴んで放つ。
那須与一は有名。
その弓が、茶道では大事である。
戦ではない。
中国から伝わった柄杓が使えなくなった鎌倉時代に、弓を造る弓師に柄杓を作るのを依頼した。
それゆえ現在まで、真行草の柄杓の扱いには弓の作法が取り入れられている、
武士と言えば、花は椿。
今頃は茶花には白玉椿の蕾である。
私は、昔の武人のように白い侘助がいい。
落ちない。
竹取の翁とは、私が茶杓に付けた銘。
生徒さんが、初釜で三つ重ねをすることになった。
人生最大の危機、生徒さんはそれを乗り越えるために挑戦させてほしいという。
私は生徒さんの苦しみを乗り越えるパワーに賭けた。
お父さんも重体でベッドに寝たきりであったが、娘が可愛くて可愛くて、ベッドの上で茶杓を作る、驚いた。
娘の初釜に頑張った。
彼女も父の枕元で作る。
そして、東京で私も30年寝かしていた胡麻だけで茶杓を作っていた、
正月が開け、三本の手作りの茶杓が揃う。
まさに、竹取のドラマである。
御嬢さんたちは、迎えが来ると月に帰る様に天空に昇って行ってしまう。
淋しい!
造られた竹の作品は、まるで形見。
私の竹取の翁の茶杓は、いまだ使われない。
竹取物語で思い出した。
今週は混むので諦め、正月には見たい。
この茶杓は、初めて蝋燭で曲げた。
鍋で三日お湯で煮込んでからである。
節から前後のバランスが一番難しい。
重さを合わせようと削っていくと細くなりすぎる。
このところは言葉より自分である。
利休さんは、使う棗や茶入れに合わせて使いよいように作ったという。
それには、竹。
今でもである。
それゆえ、竹の茶杓は文化財であり、生きた茶道具なのである。
欲を言うなら、茶道を目指す方は茶杓を作れないと茶人として認められない時代があった。