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仮教室での初釜。
私は、除夜釜まで表舞台、そのあとは裏舞台で今年は身体を休めました。
仮教室から新しい教室での初釜と今年は大変動、大地震もあり今年の初釜は地味に小さく、初立式にするなど茶室披きも兼ねたものでしたが、結び柳も蓬莱山飾りも省略しました。
ちょっと、淋しくもありました。
来年の企画は、いつも以上に初釜は華やかにしようと決めました。
もう一度茶室披きで用意したお道具も初めて使おうと思います。
初炭も濃茶の方も決まりました。
お薄は、久しぶりに私が表舞台に出ようと思ってます。
4人の茶名を取る方のお祝い、その中で結婚した方に正客といち早く企画は固まっていきます。
壺荘付花月も台子のままで挑戦!
ちょっと、早すぎでしょう !
今日は、来年の初釜の企画が出来た。
先ず、一番難航する炭手前を自分からやらしてくださいと気持ちよく申し出てくれた生徒さん。
ありがたかった!
春から夏にお仕事が忙しい方なので、さっそく今日から初釜のお炭のお稽古。
一番大切な炭を入れるのが、手が器用なのか上手に決まったので嬉しかった。
流石、今年は茶名を取れる実力だなと二重にホッとした。
炭はみんな綺麗につながっている、火はないがこれなら上手く燃えてくれる。
炭手前も、台子のやり方でいきなりお稽古。
全然動じない。
やはり、茶会と言われてもコツコツ長年お稽古を積み重ねてきた方は手についている。
炭だけでなく、濃茶の方も決まった。
来年は真台子の伝授の方である。
私の頭の中でも、素早く初釜の道具が決まる。
まだ早いとも思うが、毎年こうである。
茶会の準備は一年前から始まる。
今年は春と秋の引継ぎ茶会はもうすでに準備段階を終えている。
具体的なお道具の準備に入った。
茶会は稽古の積み重ね、いろいろな茶会を経験するたびに実力がついてくる。
このところ、温かくなってきたので子狸くんが冬眠から覚めるのではと気になってしょうがない。
去年は冬眠から覚めた子狸くんにすぐに逢い、餌をあげだした。
もう、今年で狸くんとも丸二年の付き合い。
冬眠から去年はすぐ会えたからよいが、さて今年はどうだろう?
いつ冬眠から覚めるかは、分からないという。
お腹を空かせているのは分かる。
私が餌を上げないと、ごみを漁るので困る。
家内は冬眠から覚めなくてはいけないのは私だという。
真夏の写真。
バス停のベンチとこの写真はここ数日のもの。
いや、もう太り過ぎ。
今日は家内にウエストを測られた。
何と一メートルを軽く突破。
冬眠から覚め、これから痩せるというパターンはここ何年ものこと。
痩せたり、太ったりで衣服は大変!!!
小狸は痩せて出てくるだろうと、大好きなメロンパンをもって毎日バス停で唄う。
教室が終わると、妻も私もクタクタで気が合った。
何か美味しいものを食べて帰ろう
教室の前にあるアジア料理を忘れていた。
手作りの本場のナンとカレー
店は真夜中でガラガラだったが、サービスは最高(@_@)
ジュースに、アジアコーヒーのサービス。
そしてお値段の安さは神楽坂で一番
家内はほっぺが落ちそうだった、味がもちろん最高なのであるが、辛さも一番
厨房もフロアーも、皆さんアジアの本場の方。
注文がきて焼くナンの美味しさ、たまりません!
お客様は、クリスチャンの仲間で50年の付き合い。
お茶も石州流ということは昔から知っている。
今は、学校の教頭先生。
今日は、学校で茶道の授業をすることになったので相談にいらした。
私が皆さんにお茶を入れた後、石州流の友達が後半お点前をして、私にもお茶を入れてくれた。
前半は裏千家で、そのお道具のままで石州流のお薄を披露してくれた。
50年でその友人のお茶を見たのも、呑んだのも初めてだった。
楽しい研究会になる。
本来は、女子中学生の茶道の授業をどう進め、どのようなお道具を使うかということの研究が今日の目的であった。
だが、流石竹馬の友、流儀は違ってもクリスチャン同志、話はどんどん決まっていき、秋までの授業予定まで終わってしまう。
それで、裏千家と石州流で一つのお点前になったわけである。
私は初体験!
茶巾の畳み方、帛紗の扱いなんでも新鮮で楽しかった。
お茶も美味しくいただいた。
そうこれなんだと、皆さんで納得した。
やり方の細かなところを教えるより、みんなで楽しくお茶を立てること呑むことを体験させてあげよう、それが肝心と頷き合った。
クリスチャン同志、阿吽の呼吸であった。
これで、子供たちの授業も和気藹々と上手くいくだろう。
40人ちかい中学生を6班に分けて、丸くなってみんなでお茶を楽しそうに立てる姿が目に浮かんだ。
飯田橋の五差路に、叔父のお菓子屋さんが、子供のころにあった。
朝は夜明け前から、夫婦で菓子作り寝る暇もないほど働いていた。
それほど、よく売れた!
場所が良いのである。
今はカフェとケーキやお菓子も売っている。
叔父さんは、この場所で大当たり、工場を朝霞に作りデパートに卸すまでになる。
ビルは三軒、別荘は中軽井沢と伊豆に、夏冬使い分ける贅沢。
兎に角、夫婦で一生懸命働いて頑張ったのだからよいのだと思う。
少しぐらいの贅沢をしなければ働いたかいがない。
でも、なかなか働いても成功するというのは難しい。
私は、魔の五差路というが叔父にとっては幸運の五差路。
私は叔父の菓子屋に子供のころからよく行っては、たくさん菓子をもらう。
いまでも、どうしてもカフェに入ってしまう。
入りやすい。
カフェも繁盛している。
だが、煙草は螺旋階段を上った二階でなければ吸えない。
身体の揺れが去年酷く、この螺旋階段が登れなかったし、下りれない。
メニエールの酷い揺れが治まったので、今日は螺旋階段を上ってみた。
全然、怖くない。
手に持っているコーヒーも大丈夫!
いったい、どうしたのだろうとニッコリ螺旋階段を振り返り思う。
まあ、何が何でも治ったのだから、理屈はどうでもよい。
何にもしないで、メニエールが治る。
私も人生後半でラッキーボーイであった。