生きがいは、外部ではなく自分のこころの中にあろう。
ぼくにとっては、例えば「熱中や集中できるものやこと」から。
それぞれ一人ひとりが自身で見出すものだろう。
20P 生きがいは生きる理由ではない
生きがいを説明する際によく引用されるのが、有名なベン図(オイラーの図)のモデルである。好きなこと、得意なこと、社会の役に立つこと、収入を得られることの交差点に生きがいがあるという図だ。しかし、これは西洋人が合理主義に基づく枠組みであり、本来の生きがいとは異なる。
生きがいは、外部の条件の組み合わせで生じるのではない。自分の中から自然に湧き上がる実感である。例えば、庭の花を眺めることに生きがいを感じる人もいれば、家族の時間に生き甲斐を見いだす人もいる。一人に一つだけとは限らない。その多様性こそが本質であり、単一モデルに説明できるものではない。
私の生きがいは、コーヒーの時間と、走っている時に蝶が舞うのを見ることである。それはほんの短いひとときだが、私にとってその時間が果たしてくれる役割は大きい。
つまり、生きがいという概念の重要な点は、人生の慈しみ方は、外部から与えられるものではなく、自分自身の中に見出されるというところにある。それは感じようによって感じられるものではない。
<目次>
はじめに
序章 生きがいとは何か
第1章 偶然と必然(自由意志はあるのか、偶然とは何か)
第2章 意識と無意識(無意識の耕し方、行動が感情をつくる)
第3章 自分と他人(人とつながる脳の働き、スマホ依存の脳科学)
第4章 人工知能と生命(人工知能と言語のパラドクス、究極の質問と理解できない答え)
第5章 境界はあるのか(「私」が「私」である謎、人生と記憶)
おわりに
茂木健一郎さん
東京大学大学院客員教授及び特任教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現在に至る。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究、併せて近年は「人とAIのアラインメント」についての研究に注力中









