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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。

分かってください 【信じているよ】
Je savais que tu viendrais
因幡晃 


秋田県大館市出身
高校卒業後、鉱山技師として就職。
ある日、仕事中の鼻歌から生まれたという「わかって下さい」で
1975 年 第10 回ヤマハ・ポピュラーソングコンテストに出場し最優秀曲賞を受賞。
同曲で第6回世界歌謡祭にても入賞した。
翌年ディスコメイトレコードから「わかって下さい」で歌手デビュー。

そして、77年にこの曲のフランス語ヴァージョンJe savais que tu viendraisを出しました。
仏語詞はシンガーソングライターでもあった「チャールズ・レベル Charles Level」で、ミレイユが開校したLe Petit Conservatoire de la chanson(小さいシャンソンの学校)を出て 1000作の曲と300のサウンドトラックを作ったといわれているが、むしろ作詞家として評価され成功した人と言われる。
昨’15年に鬼籍の人となった。

因幡晃氏の作詞は殆どが女性を主人公として作られ、この作品でも別れた彼氏への断ち難い思慕を描いていますが、仏語版では男性を主人公として、夢の中にいる彼女が現実として必ず目の前に現れると信じているよ、といったシャンソンでは良くありがちな内容になっている。
「信じているよ」として、日本語詞にしてみました。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
  過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI 
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 

訳詞・歌 Sima
Pf    江口純子  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.132 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
ベサメ・ムーチョ
Besame Mucho(Embrasse-moi)
ダリダ & dalida
(トリオ・ロス・パンチョス & Trio Los Panchos)

すでにCover曲としてアップしてある作品ですが、新たに日本語の歌詞を付けましたのでピアニストの違うヴァージョンとしての紹介です。

原曲は、ブラジルの女流ピアニスト&シンガー・ソングライターでもあった、コンスエロ・ベラスケス Consuelo Velazquez の作詞・作曲による1941年、最初の作品である。
我が子への愛おしさを歌った「カチート」も彼女の作品。
ベサメ・ムーチョと言えば「トリオ・ロス・パンチョス」が周知ですが、英語の歌詞などもつけられてあらゆる歌手によって歌われ、世界中でヒットしていたこの曲をダリダが仏語のディスコ・ヴァージョンで発表したのは 1976年、彼女が43歳の時でした。
今回のアップは、このダリダの仏語を参考にして日本語歌詞をつけてみました。

ダリダは、イタリア移民の子としてエジプトの首都カイロに生まれ育ち、1954年度の「ミス・エジプト」に選ばれ、1956年から歌手活動を開始した。
歌手・女優の仕事は、基本的にはフランス語で行っていたが、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語そしてドイツ語でも行い、日本語の作品もある。
40代の頃には、フランスの支配者ミッテラン大統領の愛人となっていたこともあったようだ。後年、度重なる失恋や恋人たちの自死や、最後の医師との 不倫に悩んだ末、「許してください,人生はつらすぎる。」という遺言を残して1987年5月3日、ウイスキーあおって大量の睡眠薬飲み、自宅で自ら54歳の人生の 幕を閉じた。
国内でダイアモンドディスクを初めて取得し、 フランスで最初にディスコミュージックを流行らせた歌手です。また、歌って踊るショー形式の大規模なコンサートを行った国内初めての 女性歌手でもある。
参考
 「ブリュッセルに注ぐ雨」(雨のブリュッセル)
https://youtu.be/hSbuF7m6uds
 「それぞれのテーブル」
       https://youtu.be/exhVbpiwbyM
 「めぐり逢いたくて」(めぐり逢うために)
       https://youtu.be/gQBOFy_JoMY
「人生を歌う」(これが私の人生)
       https://youtu.be/sc8ZLRYYaRI

訳詞・歌 Sima
Pf    江口純子  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.131 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
あなたのために歌わせて & あなたのために歌いたい
 CEUX QUI N'ONT RIEN
パトリシア・カース & PATRICIA KAAS
作曲・F.bernheim/D.Barbelivien
作詞・D.Barbelivien
1993年パトリシア・カースのアルバム"je te dis vous(永遠に愛する人へ)"に収録されていて
3rdアルバムからのセカンドシングルともなっているが、このアルバムには「ホテル・ノルマンディ」「はかない愛だとしても」「ラ・リベルテ」等のヒット曲のほかに日本の国内盤には中島みゆきの「かもめの歌 Juste une chanson」がボーナストラックとして付加されている。

また、当時のツアーのステージでは、アンコール曲となっていたようだ
青春を鉄格子の向こうに葬ってしまい、何も無くなってしまっている人たちへの応援歌なのだろうか、一人の人にというわけではなく、夢も希望もなくした人たちに向けて「私はいつも、いつまでもあなたたちのために歌い続けているよ」ということのようだ。
拙訳では、そのようにはなっていませんがご容赦のほどを・・・。m(__)m

今回も、いつもお対訳でお世話になっている村田ナオミさんの下記ページを参考にさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/143147774272/ceux-qui-nont-rien

参考
 ラ・リベルテ
                 https://youtu.be/7S9idJdhffg
はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og

訳詞・歌 Sima
Pf    砂原嘉博  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.130 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
愛遥かに
DA TROPPO TEMPO
ミルヴァ(ミルバ) MILVA
作詞 ルイジ・アルベルテルリ 作曲 ジーン・コロネロによって創られミルヴァによって歌われ ’73年の23回サンレモ音楽祭で3位に入賞した曲。
原題の直訳は「遥かな時から」で、当時「ダーバン」のTV-CF曲として知られていた。
作曲のコロネロは、元歌手としても知られていて「夢見る想い」の本当の作曲者とも言われている。
数多あるミルヴァのナンバーの中でも人気の曲で、日本でも殆どのシャンソン歌手やカンツォーネ歌手が自分のレパートリィに採り入れたりしています。

1959年にRAI(イタリア国営放送)の新人コンテスト優勝し、1960年「Flamenco Rock」でデビュー。
1961年から、9年連続でサンレモ音楽祭に出場。その後も4回出場している常連。
1971年「ミルヴァ・カンタ・ブレート」発売以降、ヒットメーカーとしてよりも芸術性重視に変わっていったらしい。
オペラにも出演したり、アストル・ピアソラとの共演など精力的に活動して世界的な視野で注目され、自国よりもドイツや日本で人気が高いといわれていた。
「ミーナ」「オルネラ・ヴァノーニ」と共にカンツォーネの3大プリマドンナと称される。

訳詞・歌 Sima
Pf    にしかわまこと   in 市川 ラ・メール
訳詞 no.129  (初稿)

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chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
作詞・作曲 大塚博堂
1975年に32歳で渡辺プロにスカウトされてデビューし、
5年間に100曲以上もの作品を残し、
'81年の5月風のように去っていった博堂。
この作品は'77年に発表されたもので、
彼の作品の中でも人気の一曲。

参考
 見送った季節のあとで(by Sima)

cover by Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)

愛のサンバは永遠に
 NAO DEIXE O SAMBA MORRER
(サンバを死なせてはいけない) 

サンバの女王、アルシオーネ ALCIONEの傑作 。
作詞・作曲 エジソン・コンセイサゥン Edson Conceicao
& アルイージオ・シルバ Aloisio Silva
この曲は彼女の’75年のデビューアルバムに納められ
シングルでも大ヒットした曲。
フランスのポール・モーリアも大絶賛してこの曲を録音し、
またアルシオーネに対しても
讃辞を送り彼女のために
「栗色の小鳥」という曲を創り、プレゼントしています。

サンバの原点は、
即興的な歌と手拍子によるリズムだけと言うシンプルなものだったよう
だ。
アフリカから無理やりに連れてこられた奴隷や、元奴隷、
その子孫達から自然発生的に生
み出され、
願いも込められたものとして発展したと言われる。
従って、その根底に流れるものは深い悲しみであり、
やるせなさ、故郷への切実な思慕感
覚、
心の中に息づく焼けつくような想いが込められていて、
所謂「サウダージ」である。
ブラジルの「サウダージ」とポルトガルのそれとは、
意味として似て非なるものだとも言
われている。

サンバのリズムや踊りの激しさは、単なるバカ騒ぎではなく、
深い悲しみや苦しみをもつ
人たちがひと時でも忘れようとして、
必然的に生まれ、発展したものだったのだ。

簡易ギターやマッチ箱、皿を叩いたり引っ掻いたりと言うような音も加わり
広がりを見せ
、サンバのための曲も作られるようになり、
やがてカーニバルにと大きくなって人々の生
活に根付いてきて、
メインストリートを練るメジャーの12団体、
少し離れた通りで行進
する第2~3軍まであると言われる
マイナー団体が、装置や衣装の大仕掛けで華美や情熱
を競い合う
コンテストに発展して現在に至って居る訳である。
サンバ・カーニバルを単なる
お祭り騒ぎに終わらせない内容を保持するかのように、
サン
バ作家としても人々から尊敬され、
敬愛されるサンバの神様と言われるような人たちが先
導役となります。
このような人たちを「バンバ」と言って、サンバの達人、指導者といっただれもが認める大立者だけが選ばれ、先頭委員会を構成しているようです。
例としてあげるならば、みんな故人ですが
カルトーラを筆頭として、ネルソン・カヴァキ
ーニョ、カシャーサ、
クララ・ヌネス、ギリェルミ等々のサンビスタ達。
そして、日本で言うならば、阿波踊りの「連」でしょうか
「エスコーラ」と呼ばれる団体
の先頭に立つのである。

あるがままのサンバは、
オーケストラを入れないスタイルが
ブラジルのサンバの原点とさ
れていましたが、
このアルシオーネの頃からストリングスを加えた
アレンジでのレコーデ
ィングになって行ったらしい。
また、サンバのコーラスは基本的に斉唱であるが、
マルチーニョ・ダ・ウラが初めて混声
合唱を取り入れて
革新的に発展させたりもして、
伝統を生かしつつも新たなサンバへの挑
戦をし続け、
時代の先駆・前衛を目指しているようです。

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫
訳詞 no.128 (初稿)

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chanson de Sima (Sima World)

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雨 & 涙 【ふたりの愛は】
 UN PO'DI PIU
ミーナ MINA & パッティ・ブラヴォ PATTY PRAVO

作詞:セルジォ・バルドッティ 作曲:シェル・シャピーロの作品をミーナが1979年にカヴァーした曲で、創唱はパッ­ティー・プラーヴォPatty Pravo と言われ、’72年のアルバム”SI INCOERENZA"に収録されていて、youtubeにも同年を付した動画が見ら­れる。
"Un po'di piu'"の直訳は「もう少し」となるが、カンツォーネ歌手の中には「涙」というタイ­トルでも歌われているそうな。
また、何故か「雨」と言うタイトルで直村恵子氏が訳詞をしたものが村上進氏によって歌­われ周知されている。

拙訳では【ふたりの愛は】としました。
また、この作品は「春瑠」さんのブログを通じて知り合った「ccckaさん」の愛蔵写­真をお借りして自由に構成させていただきましたもので、第二弾となりました。
ありがとうございました。

参考
 まどろみの中でも(子供の頃)
  https://youtu.be/NNqUAKRUqOc
 ぶどうの季節
  https://youtu.be/KKYBpE63ZP4
 別離(わかれ)
  https://youtu.be/ImcRpKIDL68

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫
訳詞 no.127 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...
水に流して
Non, je ne regrette rien
エデイット・ピアフ Edith Piaf
1960年発表のシャルル・デュモンCharles Dumont作曲のシャンソンで、
原題の訳は Non, je ne regrette rien、「私は決して後悔しない」となる。。
最初は折からのアルジェリア紛争もあり、
軍隊行進曲として作られたとも言われているが、
コラ・ヴォケールの夫であり、作詞家のミシェル・ヴォケール(Michel Vaucaire)が
この曲に歌詞を作るに当たり、大変に苦悩した末に
「Non, je ne trouverai rien, non, je ne trouverai rien
(だめだ、何も浮かばない)と
デュモンに嘆いたということからタイトルが浮かんで、
内容が作られたと言われている。
出来上がったこの作品をヴォケールは、
絶対ピアフに歌ってもらうべきだと主張したが、デュモンは渋ったという。
それまでに何回もピアフに持ち込んでみたが、
全て拒否されていたので、デュモンはヴォケールの提案を受け入れる替わりに、
ピアフに曲を提案するのはこれが最後にしたいと思っていたという。

その頃のピアフは、1958年ムスタキの車に乗っていて
事故に遭い重症を負い、その後の深刻なモルヒネ中毒に
苦しんだりしていたこともあり、静養して居たのだが再起が危惧されていた。
しかし、このデュモンの作品ををピアフは大いに喜び、
寝室から出てきて何回も何回も弾かせて聴いていたという。
そして、この曲に支えられでもしたかのように見事再起して、
当時倒産に追い込まれそうになっていたオランピア劇場のため、
1960年12月29日~1961年4月6日まで、
4回目の奇跡のオランピア劇場公演をし、
この「水に流して」が歌われ、大喝采を浴びレコーディングもされ、
劇場も再起・復活した。

そして、ピアフにとって最後の大ヒット曲となるが
デュモンにとっても人生の大変換となった曲でもある。
その後、ピアフは’62年に23歳年下のテオ・サラポ Théo Sarapo
 (ヘアドレッサーから歌手、俳優へ転身) と
マレーネ・ディートリッヒの介添えで結婚する。

翌’63年パリの「オランピア劇場」での公演を、
衰弱していてようやく立てるという体調を
サラボの献身的な支えで成功させた後、
最後の曲「ベルリンの男 L'homme de Berlin」を録音したが、47歳になってまもなくの1963年10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により死去する
夫であるサラポは妻ピアフの死後、
妻の残した多額の借金を独力ですべて返済した。
だが、彼もピアフの死後7年後に自動車事故で亡くなる。

ピアフは、シャルル・アズナヴールのデビューを手助けし、
自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させたりしてバックアップした。
また、その他にも、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどピアフに才能を見出され世に出て、しかも大成功した歌手は数多に及ぶ。

今回の私の歌の方は、ブルースロックをイメージしていたのですが、
技量が伴わず中途半端になり、未消化となりました。
かなり違和感を持った方もおられると思いますが、
終わりのない究極の自己満足を追求している”Sima World”のプロセスです。
イメージを損ねているとしたら、大変に申し訳ありません。m(__)m

参考
愛の讃歌(改定版) Ver.2
     https://youtu.be/-Wvtj8bBFxY
愛の讃歌(再改定版) Ver.3
    https://youtu.be/dZCi7UuA8X0
群衆
    https://youtu.be/sACq9BEjOqA

訳詞・歌 Sima
Pf    江口純子   in 市川 ラ・メール
訳詞 no.126 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
モダンシャンソンと言われる流れを受け継ぐと言われる、セルジュ・ゲンズブール & SERGE GAINSBOURG  の代表的シャンソンの一つ。
”枯葉によせて”(訳詞改訂版) LA CHANSON DE PREVERT 

イヴ・モンタン主演の「夜の門」の挿入歌で有名な「枯葉」の詩人 プレヴェールにゲンズブールが1961年に作詞作曲して捧げたと言われる名曲。
一説では、この不滅の名曲「枯葉」対しての嫉妬心から生まれたともいわれる。

ゲンズブールを押し上げてくれたミッシェル・アルノーが創唱したほか、本人はもとよりイザベル・オーブレやコラ・ボケール等、多くの歌手がリリースしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
既にアップしていた訳詞初稿・改訂稿がコンテンツの一致と言う警告を受けましたので、再考・改編し直しての再アップ作品です。
前アップ作品をお気に入りや、共有をして頂いた方、チャンネル紹介をして頂きました方々には、「削除されました」という画面になってしまいますが、ご迷惑をおかけして大変申し訳なくお詫び申し上げます。m(__)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訳詞・歌 Sima  
Pf. 江口純子        /    in 市川 ラ・メール
訳詞  no.43 (再・改訂版)

シャンソン・訳詞のチャンネル
Chanson de sima (Sima World)
http://www.youtube.com/user/fwhy3109?ob=0&feature=results_mainured

「光る河」は長谷川きよし自身による作曲だが、作詞は当時の妻であった津島玲。

1967年18歳で「銀巴里」のオーディションに合格、日本アマチュアシャンソンコン­クールにも入選して、1969年「別れのサンバ」で鮮烈的なデビューをした。
今回の「光る河は」1970年の2枚目のアルバム「透明なひとときを」に収録された作­品。
勝手にに和シャンソンとして位置付けて私選させていただきました。

尚、この曲の背景にさせていただいた写真の数々は、何回もお世話になっている"春瑠"­さんの貴重な愛蔵作品の中から、今回も好き勝手に選ばせてもらって、構成させていただ­いたものです。
ありがとうございました。
(画面の切り替わりに、プレや揺れ等で歪みの生じている個所がありますが、アップ時の­処理が上手く機能しなかったようです。見苦しい点については申し訳ありません)

参考(私選・和シャンソン)
  歩きつづけて     https://youtu.be/M21qmIwXb5I
  時代おくれの酒場     https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
  涙をふいて     https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
  身も心も     https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
  見送った季節のあとで     https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E

cover By Sima
Pf 江口純子   in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)