simachyanのブログ -14ページ目

simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。

Cover 昔きいたシャンソン 
作詞・作曲 さとう宗幸 / by Sima
1977年(昭和52年)NHK-FM仙台で「FMリクエストアワー」という番組のDJになり、リスナーが投稿した詩に曲をつけて歌にする企画を展開していた。
そんな中、星間船一が投稿した詩をさとう(当時28歳)が一部変えて曲を付け、「青葉城恋唄」が誕生
1978年5月5日キングレコードからデビューシングル発売されメジャー・デビュー。

そのB面にプレスされていたのが自身の作詞作曲になる「昔聞いたシャンソン」

6月12日、宮城県沖地震が発生し、注目を浴びる中「青葉城恋唄」は大ヒットとなり、11月30日第11回日本作詩大賞を受賞した他、
12月3日、第11回日本有線大賞において、最優秀新人賞を受賞。
12月19日、第7回FNS歌謡祭において、最優秀新人賞を受賞。
12月31日、第20回日本レコード大賞において、新人賞を受賞。
この年、このシングル盤は売上100万枚を突破したという。

和シャンソンとしては、この曲を外すわけにはいくまいと思い採り上げてみました。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
  過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI 
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
    仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
    https://youtu.be/Y120MMPYx0U

Cover by Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
トワ Toi 
アラン・バリエール Alain Barrière

1966年アラン自身による作詞・作曲で発表された。
アラン・バリエールAlain Barrièreは、シンガー・ソングライターとして、
タイヤメーカーに技術員として勤めるかたわら、
自作の詩をパリのキャバレーで歌っていましたが、
1961年のシャンソン・コンクールでCathyを歌って決勝に残り、
注目されるようになりました。
1963年に、「美し過ぎた君(風が連れ去った恋)Elle etait si jolie」で
フランス代表としてユーロヴィジョンに出場し、5位入賞。
レコード化もされて人気を博し、オランピア劇場でポール・アンカの前歌として出演。
この時の歌も評判となりヒットして、以降スター街道を突っ走ることとなる。

歌の方は、相変わらず言葉が聴きづらいようで申し訳ありません。
レコーダーが簡易型のため、音の大きいほうに合わせて録音されるので、
声が上手く入らないことが難点です。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.134 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
ESCRAVO DA ALEGRIA 
ヴィニシウス Vinícius & マリア・クレウーザ MARIA CREUSA
ブラジルの詩人、作家、作詞家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、
ジャーナリストという多才なヴィニシウス・ヂ・モライス
 Vinícius da Moraesの詞にギタリストのトッキーニョToquinhoが曲にした逸品。
ヴィニシウスは、オ・ポエティーニャ(O Poetinha, 「小さな詩人」の意)の
ペンネームでも知られるが、外交官でもあったことからパリやLAに赴任、戯曲や映画評も手掛け、異色な才人として早くから広く名声を獲得し、
1950年代後期にはブラジルの国連大使も務めた。
彼が1956年に世に問うた戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」は、
マルセル・カミュ監督のフランス・ブラジル・イタリア合作映画
「黒いオルフェ」となり、1959年公開され同年の
第12回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞。
アカデミー賞では外国語映画賞を受賞したことで知られる。。
このときにはまだ無名であったアントニオ・カルロス・ジョビンを
ギタリストとして紹介。
サゥンドトラック制作に参加していて、
共にボサノヴァというポピュラーミュージックのスタイルを生み出すことにつながった。
ジョビンが作曲し・モライスが作詞したナンバー「イパネマの娘」や
「おいしい水」等は仏でも多くの歌手に採り上げられている。
また、「想いあふれて」のジョアン・ジルベルトとやスタン・ゲッツの
共演作品などにもよって世界的に知られるようになり、ヒット曲を多数送り出した。
洗練され、崇高なボサノヴァの歌詞のあり方の指針を示し、
以後のブラジルのポピュラー音楽に多大な影響を与えたとされている。
ジョビンとのコンビは1962年の「イパネマの娘」まで続いたが、
1960年代以降は、ギタリストとして有名なバーデン・パウエル (Baden Powell)や
トッキーニョ (Toquinho)ら多くのミュージシャンたちと共作し、
ボサノヴァに留まらず、それ以前のジョビンとの作品とは趣を変えた、
アフロ・サンバといった土着的な感覚に重きを置いた作品を生み出し、
自らも歌手として活動するようになる。
外交官として赴任した先のフランス・パリでは、フランシス・レイやピエール・バルーなどに
ボサノヴァを教え、それによって「フレンチ・ボッサ」(フランス人によるボサノヴァ)を
誕生させた原動力となった。
1964年にブラジルのクーデターで軍事政権が発足してからは、
左翼的なポリシーの持ち主故に外交官としての重職から排除され、
1969年には「アルコール依存症」を表向きの理由に
ブラジル外務省からも解雇され、
以後は晩年まで音楽分野での活動を続けた。
1980年7月9日没

私の歌はリズム感が悪くノリが良くなくてお粗末ですが、
これ以上の出来が望める自信もないので、
聞き苦しくて申し訳ありませんが訳詞の方を知っていただくことを主眼にしてアップしました。
発音も悪くて言葉が聞き取れないかもしれませんのでスーパーを入れました。

訳詞・歌 Sima
Pf.(イントロ編曲)    砂原嘉博  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.133 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
分かってください 【信じているよ】
Je savais que tu viendrais
因幡晃 


秋田県大館市出身
高校卒業後、鉱山技師として就職。
ある日、仕事中の鼻歌から生まれたという「わかって下さい」で
1975 年 第10 回ヤマハ・ポピュラーソングコンテストに出場し最優秀曲賞を受賞。
同曲で第6回世界歌謡祭にても入賞した。
翌年ディスコメイトレコードから「わかって下さい」で歌手デビュー。

そして、77年にこの曲のフランス語ヴァージョンJe savais que tu viendraisを出しました。
仏語詞はシンガーソングライターでもあった「チャールズ・レベル Charles Level」で、ミレイユが開校したLe Petit Conservatoire de la chanson(小さいシャンソンの学校)を出て 1000作の曲と300のサウンドトラックを作ったといわれているが、むしろ作詞家として評価され成功した人と言われる。
昨’15年に鬼籍の人となった。

因幡晃氏の作詞は殆どが女性を主人公として作られ、この作品でも別れた彼氏への断ち難い思慕を描いていますが、仏語版では男性を主人公として、夢の中にいる彼女が現実として必ず目の前に現れると信じているよ、といったシャンソンでは良くありがちな内容になっている。
「信じているよ」として、日本語詞にしてみました。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
  過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI 
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 

訳詞・歌 Sima
Pf    江口純子  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.132 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
ベサメ・ムーチョ
Besame Mucho(Embrasse-moi)
ダリダ & dalida
(トリオ・ロス・パンチョス & Trio Los Panchos)

すでにCover曲としてアップしてある作品ですが、新たに日本語の歌詞を付けましたのでピアニストの違うヴァージョンとしての紹介です。

原曲は、ブラジルの女流ピアニスト&シンガー・ソングライターでもあった、コンスエロ・ベラスケス Consuelo Velazquez の作詞・作曲による1941年、最初の作品である。
我が子への愛おしさを歌った「カチート」も彼女の作品。
ベサメ・ムーチョと言えば「トリオ・ロス・パンチョス」が周知ですが、英語の歌詞などもつけられてあらゆる歌手によって歌われ、世界中でヒットしていたこの曲をダリダが仏語のディスコ・ヴァージョンで発表したのは 1976年、彼女が43歳の時でした。
今回のアップは、このダリダの仏語を参考にして日本語歌詞をつけてみました。

ダリダは、イタリア移民の子としてエジプトの首都カイロに生まれ育ち、1954年度の「ミス・エジプト」に選ばれ、1956年から歌手活動を開始した。
歌手・女優の仕事は、基本的にはフランス語で行っていたが、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語そしてドイツ語でも行い、日本語の作品もある。
40代の頃には、フランスの支配者ミッテラン大統領の愛人となっていたこともあったようだ。後年、度重なる失恋や恋人たちの自死や、最後の医師との 不倫に悩んだ末、「許してください,人生はつらすぎる。」という遺言を残して1987年5月3日、ウイスキーあおって大量の睡眠薬飲み、自宅で自ら54歳の人生の 幕を閉じた。
国内でダイアモンドディスクを初めて取得し、 フランスで最初にディスコミュージックを流行らせた歌手です。また、歌って踊るショー形式の大規模なコンサートを行った国内初めての 女性歌手でもある。
参考
 「ブリュッセルに注ぐ雨」(雨のブリュッセル)
https://youtu.be/hSbuF7m6uds
 「それぞれのテーブル」
       https://youtu.be/exhVbpiwbyM
 「めぐり逢いたくて」(めぐり逢うために)
       https://youtu.be/gQBOFy_JoMY
「人生を歌う」(これが私の人生)
       https://youtu.be/sc8ZLRYYaRI

訳詞・歌 Sima
Pf    江口純子  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.131 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
あなたのために歌わせて & あなたのために歌いたい
 CEUX QUI N'ONT RIEN
パトリシア・カース & PATRICIA KAAS
作曲・F.bernheim/D.Barbelivien
作詞・D.Barbelivien
1993年パトリシア・カースのアルバム"je te dis vous(永遠に愛する人へ)"に収録されていて
3rdアルバムからのセカンドシングルともなっているが、このアルバムには「ホテル・ノルマンディ」「はかない愛だとしても」「ラ・リベルテ」等のヒット曲のほかに日本の国内盤には中島みゆきの「かもめの歌 Juste une chanson」がボーナストラックとして付加されている。

また、当時のツアーのステージでは、アンコール曲となっていたようだ
青春を鉄格子の向こうに葬ってしまい、何も無くなってしまっている人たちへの応援歌なのだろうか、一人の人にというわけではなく、夢も希望もなくした人たちに向けて「私はいつも、いつまでもあなたたちのために歌い続けているよ」ということのようだ。
拙訳では、そのようにはなっていませんがご容赦のほどを・・・。m(__)m

今回も、いつもお対訳でお世話になっている村田ナオミさんの下記ページを参考にさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/143147774272/ceux-qui-nont-rien

参考
 ラ・リベルテ
                 https://youtu.be/7S9idJdhffg
はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og

訳詞・歌 Sima
Pf    砂原嘉博  in 市川 ラ・メール
訳詞 no.130 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
愛遥かに
DA TROPPO TEMPO
ミルヴァ(ミルバ) MILVA
作詞 ルイジ・アルベルテルリ 作曲 ジーン・コロネロによって創られミルヴァによって歌われ ’73年の23回サンレモ音楽祭で3位に入賞した曲。
原題の直訳は「遥かな時から」で、当時「ダーバン」のTV-CF曲として知られていた。
作曲のコロネロは、元歌手としても知られていて「夢見る想い」の本当の作曲者とも言われている。
数多あるミルヴァのナンバーの中でも人気の曲で、日本でも殆どのシャンソン歌手やカンツォーネ歌手が自分のレパートリィに採り入れたりしています。

1959年にRAI(イタリア国営放送)の新人コンテスト優勝し、1960年「Flamenco Rock」でデビュー。
1961年から、9年連続でサンレモ音楽祭に出場。その後も4回出場している常連。
1971年「ミルヴァ・カンタ・ブレート」発売以降、ヒットメーカーとしてよりも芸術性重視に変わっていったらしい。
オペラにも出演したり、アストル・ピアソラとの共演など精力的に活動して世界的な視野で注目され、自国よりもドイツや日本で人気が高いといわれていた。
「ミーナ」「オルネラ・ヴァノーニ」と共にカンツォーネの3大プリマドンナと称される。

訳詞・歌 Sima
Pf    にしかわまこと   in 市川 ラ・メール
訳詞 no.129  (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
作詞・作曲 大塚博堂
1975年に32歳で渡辺プロにスカウトされてデビューし、
5年間に100曲以上もの作品を残し、
'81年の5月風のように去っていった博堂。
この作品は'77年に発表されたもので、
彼の作品の中でも人気の一曲。

参考
 見送った季節のあとで(by Sima)

cover by Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)

愛のサンバは永遠に
 NAO DEIXE O SAMBA MORRER
(サンバを死なせてはいけない) 

サンバの女王、アルシオーネ ALCIONEの傑作 。
作詞・作曲 エジソン・コンセイサゥン Edson Conceicao
& アルイージオ・シルバ Aloisio Silva
この曲は彼女の’75年のデビューアルバムに納められ
シングルでも大ヒットした曲。
フランスのポール・モーリアも大絶賛してこの曲を録音し、
またアルシオーネに対しても
讃辞を送り彼女のために
「栗色の小鳥」という曲を創り、プレゼントしています。

サンバの原点は、
即興的な歌と手拍子によるリズムだけと言うシンプルなものだったよう
だ。
アフリカから無理やりに連れてこられた奴隷や、元奴隷、
その子孫達から自然発生的に生
み出され、
願いも込められたものとして発展したと言われる。
従って、その根底に流れるものは深い悲しみであり、
やるせなさ、故郷への切実な思慕感
覚、
心の中に息づく焼けつくような想いが込められていて、
所謂「サウダージ」である。
ブラジルの「サウダージ」とポルトガルのそれとは、
意味として似て非なるものだとも言
われている。

サンバのリズムや踊りの激しさは、単なるバカ騒ぎではなく、
深い悲しみや苦しみをもつ
人たちがひと時でも忘れようとして、
必然的に生まれ、発展したものだったのだ。

簡易ギターやマッチ箱、皿を叩いたり引っ掻いたりと言うような音も加わり
広がりを見せ
、サンバのための曲も作られるようになり、
やがてカーニバルにと大きくなって人々の生
活に根付いてきて、
メインストリートを練るメジャーの12団体、
少し離れた通りで行進
する第2~3軍まであると言われる
マイナー団体が、装置や衣装の大仕掛けで華美や情熱
を競い合う
コンテストに発展して現在に至って居る訳である。
サンバ・カーニバルを単なる
お祭り騒ぎに終わらせない内容を保持するかのように、
サン
バ作家としても人々から尊敬され、
敬愛されるサンバの神様と言われるような人たちが先
導役となります。
このような人たちを「バンバ」と言って、サンバの達人、指導者といっただれもが認める大立者だけが選ばれ、先頭委員会を構成しているようです。
例としてあげるならば、みんな故人ですが
カルトーラを筆頭として、ネルソン・カヴァキ
ーニョ、カシャーサ、
クララ・ヌネス、ギリェルミ等々のサンビスタ達。
そして、日本で言うならば、阿波踊りの「連」でしょうか
「エスコーラ」と呼ばれる団体
の先頭に立つのである。

あるがままのサンバは、
オーケストラを入れないスタイルが
ブラジルのサンバの原点とさ
れていましたが、
このアルシオーネの頃からストリングスを加えた
アレンジでのレコーデ
ィングになって行ったらしい。
また、サンバのコーラスは基本的に斉唱であるが、
マルチーニョ・ダ・ウラが初めて混声
合唱を取り入れて
革新的に発展させたりもして、
伝統を生かしつつも新たなサンバへの挑
戦をし続け、
時代の先駆・前衛を目指しているようです。

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫
訳詞 no.128 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)

  • カテゴリ

  • ライセンス

    • 標準の YouTube ライセンス

コメント数


雨 & 涙 【ふたりの愛は】
 UN PO'DI PIU
ミーナ MINA & パッティ・ブラヴォ PATTY PRAVO

作詞:セルジォ・バルドッティ 作曲:シェル・シャピーロの作品をミーナが1979年にカヴァーした曲で、創唱はパッ­ティー・プラーヴォPatty Pravo と言われ、’72年のアルバム”SI INCOERENZA"に収録されていて、youtubeにも同年を付した動画が見ら­れる。
"Un po'di piu'"の直訳は「もう少し」となるが、カンツォーネ歌手の中には「涙」というタイ­トルでも歌われているそうな。
また、何故か「雨」と言うタイトルで直村恵子氏が訳詞をしたものが村上進氏によって歌­われ周知されている。

拙訳では【ふたりの愛は】としました。
また、この作品は「春瑠」さんのブログを通じて知り合った「ccckaさん」の愛蔵写­真をお借りして自由に構成させていただきましたもので、第二弾となりました。
ありがとうございました。

参考
 まどろみの中でも(子供の頃)
  https://youtu.be/NNqUAKRUqOc
 ぶどうの季節
  https://youtu.be/KKYBpE63ZP4
 別離(わかれ)
  https://youtu.be/ImcRpKIDL68

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫
訳詞 no.127 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...