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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。



ホテル・ノルマンディ Hôtel Normandy パトリシア・カース Patricia Kaas
1993年に発売された、3枚目のアルバム「永遠に愛する人へ」に収録。
作曲・F.bernheim/D.Barbelivien フランソワ・ベルハイム 作詞・D.Barbelivien ディディア・バルベリヴィア は同アルバムの「あなたのために歌わせて」の名コンビ。
その他、ラインアップの中には拙訳でもアップさせてもらっている上記の曲をはじめ「はかない愛だとしても」「ラ・リベルテ」等の人気作品が並んでいる。
ボーナストラックには、中島みゆきの「カモメの歌」も入れている。

カースは、1985年に一度EMIからデビューするも不発。
1987年ポリドールへ移籍し、シングル版「マドモワゼル・シャントゥ・ブルース Mademoiselle chante le blues」を出したのがたちまち大ヒット。
その年のファーストアルバム「マドモワゼル・シャントゥ Mademoiselle chante...」は、アルバムチャート2位を獲得、トップ10内に64週間留まり、プラチナレコードとなった。同じく、ベルギー、スイスでもプラチナレコード、カナダではゴールドディスク大賞を獲得した結果、同年フランスのヴィクトワール・ド・ラ・ムジク賞に輝く。

私の歌は、発音も悪くて聞き取れないと思われる個所にキャプションを入れました。
聞き苦しくて、申し訳りません。m(__)m

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ブルースを歌う女
    https://youtu.be/WXTH0isa5L8

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.147 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

恋心 L'AMOUR C'EST POUR RIEN エンリコ・マシアス Enrico Macias
1964年に念願のオランピア劇場への出場を果たした時に、同じアルジェリアから引き揚げてきたパスカル・ルネ・ブラン(Pascal Rene Blanc)が持ち込んだ詩をマシアスがタンゴのリズムで作曲していたこの曲を発表し評判となる。
日本においては岸洋子によるカヴァー版(本年亡くなられた永田文夫氏作詞)が先行し大ヒット。
翌1965年に本家のマシアス版が発売されて人気が爆発、周知されることとなりました。
そして、相次ぎいくつもの日本語詞のカバーが競作となりました。
キングレコード版・岸洋子 作詞 永田文夫
ポリドールレコード・菅原洋一 作詞 なかにし礼(「知りたくないの」のB面)
東芝レコード・越路吹雪 訳詞 岩谷時子

原題は「L’amour C’est Pour Rien」で、直訳は「愛、何物にも替え難いもの」となるようで、
売ることも買うことも出来ない、生きてゆくための唯一の希望とでもいうような内容で、岩谷時子氏の日本語詞が一番原詩に近いと言われているようだ。

傷心の渡仏をして歌手活動を始めた当初、ジルベール・ベコー(Gilbert Becaud)の前座歌手をつとめた機会に恵まれ、大いに激励され1962年妻子を伴いパリに出ることを決意して活動。
同年マシアス24歳の時「さらば祖国よ」でレコードデビューしてヒットを得たのが、奇しくもアルジェリア独立の年であったという。
日本では、1962年に作られ’66年に大ヒットした「想い出のソレンツァラ」も人気があって良く知られている。

参考
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛の生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.146 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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季節の中に埋もれて 
大塚博堂 
1976年8月発売の1枚目のアルバム「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」に収録され、1977年8月にシングルカットされた作品。
作詞:藤公之介 作曲:大塚博堂 
博堂は、32歳で再デビューして37歳で脳内出血しで急逝するまでのわずか5年間のメジャー活動であったが100曲あまりの曲を残しているそうな。
シャンソン歌手では、大木康子氏が最初に採り上げ「季節の中に埋もれて」「旅でもしようか」をカバーしたことでも知られている。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 

cover by Sima
Pf 砂原嘉博   in ライヴ・カフェ “凡”

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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ガラスの部屋
CHE VALE QUESTA MUSICA STASERA
ペピーノ・ガリアルディ Peppino Gagliardi


1970年に日本公開されて大ヒットしたレイ・ラブロック主演映画「ガラスの部屋」の主題歌で知られているが、元々は1969年のイタリア映画「紅ばらがひらく夜」(原題:ある少女の秘められた日記)の主題歌「夜のバラード」を再転用したものだという。

作詞はガエターノ・アメンドーラ 作曲はナポレターナの巨匠と言われたロベルト・ムーロロとアメンドーラとの共作、ナポリを離れられずに活動の拠点としていたカンツォーネ歌手のペピーノ・ガリアルディが創唱し、このヒットによって一気にスター歌手の仲間入りを果たす。
歌手になる前はピアニストを目指していたが、「イ・ガリアルディ」という自身のバンドを結成し、アコーディオン奏者として活躍していたが、専属歌手の歌の下手さに業を煮やして替わりに歌ったのが好評で、歌手に転向したのだという。
サンレモにも複数回出場して入賞や連続準グランプリなどに輝いている。
ヒット曲もあるようだが、日本ではこの「ガラスの部屋」以外、あまり知られていないが「ある愛の詩 LOVE STORY」のカヴァー曲も出したりしている。

今回の曲の伴奏者は、女性歌手たちに特に人気の高い「今野勝晴」氏です。
5~6年前に一度だけ都内のシャンソニエで、お客様タイムで一曲歌わせていただいて以来のお手合わせとなり、初アップデート作品となりました。
初お手合わせと変わらない方に初挑戦の曲のぶっつけ本番をお願いしましたが、お粗末な歌に流石の合わせ技で盛り上げ、引き立てていただきました。

訳詞・歌 Sima
Pf. 今野勝晴 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.145 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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アプレ・トワ 想い出に生きる
Après toi
ヴイッキー・レアンドロス Vicky Leandros

ヴイッキーの父親Leandros Papathanasiou(Mario Panas)との共作のこの曲は、 ‘72年のユーロビジョン・ソングコンテストでルクセンブルク代表として出場したヴィッキーがフランス語で歌って、見事優勝した曲で大ヒットとなりました。
ヴィッキーはギリシャの出身ですが、1964年西ドイツでレコード・デビュー。
アイドル・シンガーとして人気を博し、1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「恋はみずいろ」を歌って4位を獲得して日本でも大ヒットしました。
世界的な活動を展開して、1970年には初の日本公演を果たしています。
その後もドイツやギリシャをはじめとしたヨーロッパを中心に音楽活動。
ギリシャ語はもとより、ドイツ語、フランス語など6カ国語を話せるヴァイリンガル。
2006年にはギリシャの首都アテネの外港ピレウスの副市長にもなって、文化振興・国際交流に貢献したらしい。
この「想い出に生きる」はフランス語版、日本語版Kako-e、英語版Come What Mayが出されて彼女の最大ヒット曲と言われていますが、日本に限っては「恋は水色」ほどのヒットにはならなかったようです。

私の歌の方は、お聞き苦しい箇所がありますが申し訳ありません。m(__)m

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.144 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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セ・シ・ボン
 
C'est si bon 
イヴ・モンタン Yves Montand


1947年にアンリ・ベティHenri Bettiが作曲し、アンドレ・オルネズAndre Hornezが作詞。
1948年に、イヴ・モンタンYves Montandも収録して発売されヒットした。
同年ニースのジャズ・フェスティヴァルでシュジー・ドレールSuzy Delairが歌ったものを、ルイ・アームストロングLouis Armstrongが聴いて、アメリカでレコーディングしたいと申し込み、翌1949年にジェリー・シーレンJerry Seelenが英語の歌詞(It's So Good)を付け、ジョニー・デズモンドJohnny Desmondも歌って大ヒットとなった。
ルイ・アームストロングのレコーディングは1950年だが、これまた大きな話題となって周知された。
1953年には黒人女性歌手アーサ・キットEartha Kittのフランス語ヴァージョンも出されて大ヒットしたが、日本ではあまりにもセクシーだということで、当時の某公共放送では放送禁止になった。
アメリカでのヒットを受けて1953年にイヴ・モンタン盤が収録し直して、フランスでリヴァイヴァル・大ヒットとなり、改めてイヴ・モンタンの代表作として確立した。
世界中で多くの歌手がレパートリィにしているが、モンタン版は日本のハーゲンダッツ TVCMソングとして採用されたりもしている。

C'est si bonとは、It’s so good という意味。
C'est bon. これはよい(This is good)
C'est si bon. これはとてもよい(This is so good)
Tres bien. とてもよい(Very good)

参考
枯 葉
https://youtu.be/U36d4X1sv_U

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.142 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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本作品は、Ver.1 Pf. にしかわまこと & Ver.2 Pf. 江口純子 両氏の伴奏による2本立てであります。

枯葉
Les Feuilles Mortes & Autumn Leaves
ジュリエット・グレコ Juliette Greco & イヴ・モンタン Yves Montand
1945年、ローラン・プティ・バレエ団のステージ「Rendez-vous」の伴奏音楽の一つとしてジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma)が作曲したものを、翌1946年に製作されたマルセル・カルネ監督の映画「夜の門」(Les Portes de la Nuit )で挿入歌として採用したときに、映画の脚本にも携わったジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)が詞を付けたものでる。
プレヴェールとコズマは、大戦中に製作されたカルネ監督の名作映画「天井桟敷の人々」にもそれぞれ脚本と音楽で携わっていた名コンビである。

映画「夜の門」は、出演した新人歌手イヴ・モンタン(Yves Montand)によって劇中歌として歌われたといわれているが、実際にはモンタンの相手役だったナタリー・ナディエが劇中でプレヴェールのこの歌詞を口ずさんだのが真の創唱であるそうな。
作曲のコスマは、サウンドトラックにコラ・ヴォケールを想定していたらしいが、カルネ監督は拒否したという。
残念ながら、映画も曲も共々ヒットすることはなかった。
その後‘49年コラ・ヴォケールが最初に録音して発表し、同年にモンタンもリリースした他、多くのフランス人歌手たちによって歌われて、セルジュ・ゲンスブールもこの歌を歌っている。(後年この作品へのオマージュとして「枯葉によせて」という名曲を作ってもいる)
しかし、これを当時サン・ジェルマンのミューズともてはやされていた、知性派の歌手ジュリエット・グレコ(Juliette Greco)が採り上げたことで1950年代の大ヒット曲となって一気に世界に認知されるようになり、不朽の名作としてシャンソンのスタンダード曲となった。

1949年にアメリカにもこの曲がわたり"Autumn Leaves"というタイトルの英語歌詞が「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」の作詞も手がけたジョニー・マーサー(Johnny Mercer)によって付けられ、1950年ビング・クロスビー、1952年ナット・キング・コールなどが発表している。
その後、ポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムズがインストゥルメンタル版アルバムの中で、枯葉の舞い散る様をピアノで模したきらびやかなアレンジが大評判となり大受け、1955年に全米ヒットチャートで4週連続第一位を達成している。
更に、’50年代末から’60年代初めにかけてスタン・ゲッツがジャズとして採り上げたことに始まり、名盤、ビル・エヴァンスの「ポートレイト・イン・ジャズ」や、キャノンボール・アダレイ(マイルス・デイヴィス)「サムシンエルス」の中で演奏され大評判を得て「枯葉」はジャズの大スタンダードナンバーの地位を確立することになりました。

本作品は、ピアニスト(にしかわまこと & 江口純子)の違う同曲の2本立てです。
歌唱は変わり映えのしないご隠居さんの手慰みで申し訳りませんが、お二人の素晴らしい伴奏を是非とも聴いていただいて、その感性の妙を感じていただければと思い、並べてみました。

Ver.1
訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.141 (初稿)

Ver.2
訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.141 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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やさしく歌って Killing Me Softly with His Song Roberta Flack (ロバータ・フラック) やさしく歌って Killing Me Softly with His Song ロバータ・フラック Roberta Flack
女性シンガーのロリ・リーバーマン(Lori Lieberman)が、当時まだ無名だったドン・マクリーンが歌う"Empty Chairs"という曲をロサンゼルスのクラブで聴いて感銘を受け、"With His Blues"という詩を書き、1972年8月にリリース。
リーバーマンのオリジナルはヒットしなかったが、飛行機の機内BGMとして採用されていたこの曲をシンガーソング・ライターである、ロバータ・フラックが偶然聴いて気に入ってアレンジして歌い、これを元に作詞家のギンベル(Norman Gimbel)と作曲家のフォックス(Charles Fox)とフラック当人との共同作業で最終的な曲に仕上げてシングルとアルバムを制作し’73年にKilling Me Softly with His Songとして発表し大ヒットとなった。
R&B、ポップ両チャートでトップ3に入ったこの曲により、73年5週連続全米1位に輝きこの年のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、続けて最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの3部門を受賞した。
その後フラックのこの曲がネスカフェのCMソングとして採用されたことでさらに有名になった。

日本ではこの邦題で渡辺美里や、南沙織と尾崎紀世彦、ペドロ&カプリシャス、本田美奈子等がカバーしている。平井堅はロバータ・フラック本人とデュエットをしたりしている
余談だが、ロバータ・フラックはビートルズとも親交があり、特にジョン・レノンとオノ・ヨーコとは住んでいたダコタ・ハウスの隣の部屋の隣人として家族ぐるみのお付き合いをしていたという。

ヨーロッパの名だたる歌手たちもカヴァーしていて、イタリアではミーナやヴァノーニも採り上げていますが、何故かフランスの歌手の中では見つかりませんでした。
シャンソンではありませんが、とてもシャンソンの雰囲気を感じさせる曲として独自に感じていましたので取り組んでみました。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.140 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
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もう森へなんか行かない & 青春は過ぎ去りて

Ma jeunesse fout l'camp
フランソワーズ・アルディ Francoise Hardy

1967年にフランスのシンガー・ソングライター、ギイ・ボンタンペッリGuy Bontempelliの作詞・作曲で、フランソワーズ・アルディ のために書き、翌’68年にリリースされた曲。
原題は「私の青春は立ち去ってしまう(逃げてゆく)」と言う意味のようですが、「青春は過ぎ去りて」として日本語詞にしてみました。
フランス人なら誰でも知っている「私たちはもう森へ行かない」と言う童謡があり、森で楽しく歌って、踊って好きな相手にキスをしましょうと言う内容らしく、この童謡曲の内容が発想の原点にあるとも言われる。

日本では、TBS系列で放送された山田太一脚本のドラマ「沿線地図」で挿入歌として使われて、周知されてブームを呼んだ。
フランソワーズ・アルディと言えば、1973年に世界的大ヒットを記録したシャンソンの血脈を受け継ぐフレンチ・ポップ界の奇才 セルジュ・ゲーンズブールの作になる「さよならを教えて」が想起されます。

訳詞・イントロ編曲・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.139 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured


心遥かに
Testarda Io(頑固な私)
~ La Mia Solitudine ~(私の孤独)
イヴァ・ザニッキ Iva Zanicchi

1972年に、ブラジルのシンガー・ソングライター、ロベルト・カルロスが従兄弟のエラスモ・カルロスと共に「A DISTANCIA」として作った曲にイタリア語歌詞を付けて’74年にイヴァ・ザニッキが歌い、ヒットしたものです。
作詞&作曲:Erasmo Carlos(エラスモ・カルロス) & Roberto Carlos(ロベルト・カルロス)
伊歌詞: Giuseppe Cristiano Malgioglioジュゼッペ・クリスティアーノ・マルジョッリオ)
このコンビは、日本では「アラビア」(拙訳・それが愛でないなら)や「逢いびき」としてオルネラ・ヴァノーニが歌った作品の作者でもある。
イヴァ・ザニッキの「心遥かに」は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の大作『貴族の肖像』の挿入歌として採用されたことで知られ、好評を博して大ヒットに繋がった。
また、イヴァ・ザニッキは、サンレモ音楽祭3回優勝の偉業でも知られる大物カンツォーネ歌手。

今回の作品の静止画の全ては、ある時は「にゃんこ (▼へ▼メ)オラオラ」ある時は「柑橘皮」そして今は「Yoshiko Hirano」とか称する得体の知れない戦友(遊び人とも言う)から拝借したものを、好き勝手に構成させていただいたものです。
公開の場ながら、ありがとうございました。

参考(拙訳)
逢いびき
 https://youtu.be/qkoNZKVdxH4
別れの詩
 https://youtu.be/QF_pgGPXphM
それが愛でないなら(アラビア)
 https://youtu.be/k_imRq3gnMg

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 月夜の仔猫
訳詞 no.138 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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