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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


キエン・セラ 
¿Quién será?
トリオ・ロス・パンチョス
Trío Los Panchos


メキシコのパブロ・ベルトラン・ルイス Pablo Beltrán Ruíz 作詞・作曲の 1953年の曲。
ラテン音楽のスタンダード・ナンバーとして知られ、パンチョスの代表的ナンバーのひとつ。
原題の "¿Quién será?" を直訳すると「誰だろう」となる。
トリオ・ロス・パンチョス Trío Los Panchos の歌が、世界中で大ヒットして知られ英語版のスウェイ「Sway」がディーン・マーティン Dean Marin により歌われ、これまた大ヒット。
ラテンの楽団でもよく採りあげられていて、ペレス・プラード楽団の演奏が著名である。
その他の採りあげて歌っていた歌手。
ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney
イーディ・ゴーメ Eydie Gorme
カテリーナ・ヴァレンテ Caterina Valente
日本では、アイ・ジョージや坂本スミ子、小野リサ等も歌っている。

この英語歌詞をつけたのは「やさしく歌って~Killing me softy with his song~」に代表されるノーマン・ギンベル。
彼の作詞家としての評価は確立していて、アントニオ・カルロス・ジョビンのポルトガル語の作品「イパネマの娘」「ソ・ダンソ・サンバ」など著名な作品の殆どを、ノーマン・ギンベルが訳しており、訳詞に厳しいジョビンの絶対的信頼を得ていたという。
(アントニオ・カルロス・ジョビンは、自分のポルトガル語の曲を全く違う内容で訳されることをもっとも嫌っていて、ノーマンと出会う前は自分で訳したりもしていた)

余談だが、札幌の狸小路商店街のコマーシャルに使われたりしていたが、現在はどうなのかわかりません。
また吹奏楽のレパートリーにも多く使われたりしている。

●参考(拙訳)
キエレメ・ムーチョ
 https://youtu.be/L-hu0PtrqCo
喜びの奴隷
 https://youtu.be/79YPIvMxMvA
愛のサンバは永遠に
 https://youtu.be/XWj_7UaJyxY
貴女なしでは(without you)
 https://youtu.be/ohNLiYTDnAo
永遠に別れを
 https://youtu.be/9aqbzuhJaoY
ベサメ・ムーチョ
 https://youtu.be/df6fgGGTzAE
Y VOLVERE (いつの日か再び)
 https://youtu.be/xLkHLhe_rgE
時計(時計をとめて)
 https://youtu.be/m_Q-DWCY8lI
アドーロ
 https://youtu.be/eyL02Tje69E
時をも染めたあの歌が
 https://youtu.be/5et5RtXMv2E
ある恋の物語
 https://youtu.be/yOAeh4MjZ_U
去りゆく君に
 https://youtu.be/4m5--r53WxQ
●番外編
アントニオの歌
  https://youtu.be/yIs3Z0_gvgY
レカード・ボサノヴァ
  https://youtu.be/gNT7Ur99Ykw

Windowsのムービーメーカーが使用できなくなったため、新しいソフトを導入しましたが慣れていないため、観難いかも知れません。
また、一部スペイン語の歌詞を噛んで間違えていますが申し訳ありません。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.157 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

最後の恋
I'll Never Fall In Love Again
トム・ジョーンズ Tom Jonesm
& エルヴィス・プレスリー Elvis Aron Presley
作詞・作曲:Lonnie Donegan & Jimmy Currie


「Green Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)」はじめ、数多くのヒット曲を世に送り込んでいるトム・ジョーンズの代表曲の一つ。
1950年代の英で同年代のスーパースターとして活躍したロニー・ドネガンが’62年作ったこの作品を、’67年にトムがリメイクしたものが大ヒット。
ロニー・ドネガンの盤はシングルとしてパイ・レーベルよりリリースしたがUKチャートには入らなかった。
トム・ジョーンズ盤は67年にシングルとしてリリース、1967年全英で2位、全米で49位に達しており、その後世界中でヒットしたが、その前年にプレスリーも採りあげてレパートリィにしていた。
2年後再びトム・ジョーンズのこのパージョンがアメリカでチャート・イン6 位を記録する大ヒットとなった。
同年年ビルボード誌では年間8位を記録。
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“1976年の2月と8月にメンフィスのエルヴィスの自宅グレースランドの居間でエルヴィスの生前最後のレコーディングが行われた。
この時の録音から2枚のオリジナル・アルバム76年4月「メンフィスより愛をこめて」(カントリーチャート1位、ゴールド・ディスク)、遺作となってしまった77年6月「ムーディ・ブルー」(ビルボード3位、マルチプラチナ・ディスク)と3枚のシングル「心の痛手」「ムーディ・ブルー」「ウェイ・ダウン」がリリースされた。
40枚目(ラスト前の生前最後となった「メンフィスより・・・」)のアルバムには、スタンダード・ナンバーとして有名な「Danny Boy」「The Last Farewell」そして「I'll Never Fall In Love Again(最後の恋)」も収録していて、3拍子で歌っている。
トムとは、とても仲の良い友人関係にあった。”
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トム・ジョーンズはダイナミックでソウルフルでセクシーな歌唱で人気を得たボーカリスト。
代表曲に「よくあることさ」(It's Not Unusual)、「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(Love Me Tonight)、「最後の恋」(I'll Never Fall in Love Again)、「デライラ」(Delilah)、「思い出のグリーングラス」(Green Green Grass of Home)、「シーズ・ア・レイディ」(She's A Lady)、「恋はメキ・メキ」(If I Only Knew)など数多く、「よくあることさ」「恋はメキ・メキ」などは日本でもCMやTV番組のBGMとして使用されていたこともあり、「007 サンダーボール作戦」の主題歌も歌ったことでも知られている。
1999年、バッキンガム宮殿でエリザベス女王からOBE勲章を授与され、2006年には大英帝国ナイト位を授与された。
また、オリジナル曲のみならずシャンソンやカンツォーネを英語歌詞でカバーすることも多く、中には原曲以上にトム・ジョーンズのカバー版が広く知られている作品も多くあり、原曲はイタリアのカンツォーネである「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(イタリア語原題 "Alla fine della strada" 英題 "Love Me Tonight"は、周知の曲である。
その他「ささやく瞳」(イタリア語原題 "Gli occhi miei" 英題 "Help Yourself")「アイ(愛の告白)」(イタリア語原題 "Uno dei tanti" 英題 "I (Who Have Nothing)"や、原曲はフランスのシャンソンである「愛の誓い」(フランス語原題 "Le monde est notre amour" 英題 "Till")などは、トム・ジョーンズのカバー版によって国際的な知名度を得たと言えるのではなかろうか。
「歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第71位を獲得したこともある。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.156 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

夜のタンゴ
Tango Notturno
ミルバ Milva


不具合があったため、作り直しての再アップ作品です。
登録していただいた方にはご迷惑をお掛けしますが、申し訳ありません。
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ナチ政権下の1937年制作のドイツ映画「夜のタンゴ」(ポーラ・ネグリ Pola Negri主演)の主題歌であり、コンチネンタルタンゴの代表曲の一つとしてアルフレッド・ハウゼ Alfred Hause の名演奏でも知られている。
作詞:ハンス・フリッツ・ベックマン 作曲:ハンス・オットー・ボルクマン
映画の中で、主演のポーラ・ネグリが歌ったのが創唱。
同じドイツのエレーナ・ラウリ Elena Lauri も同年に録音していて、良く知られている。
ミルヴァも「ドイツを詠う」というようなタイトルのアルバムに収録していて、ドイツ語で歌っている。

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.155 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

小心者 梓みちよ 作詞・作曲 中村泰士
1980年8月にシングル盤のA面で発売、同年のアルバム「リラックス」にも収録。
2005年に 二枚組アルバム「ゴールデン☆ベスト 梓みちよ ニュー・シャンソン」を発売。
79~86年の梓の作品38曲が選曲されて、この「小心者」も再収録されている。

一時期、日本のャンン歌手たちの間で何故か盛んにこの曲が歌われ、クミコ氏もレパートリィにしていて、今でも密かな人気作品である。

梓みちよ氏については、今更紹介するまでもないが、1960年福岡女学院高校1年中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格し上京。
約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューした。
その後は、「夢であいましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞を受賞したり、1964年5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露し、初めての天覧歌謡曲歌手となるなど話題も集め、数々のヒット曲を出して活躍したのは周知のごとくである。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 歩きつづけて     https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場     https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて     https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も     https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河     https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン     https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」     https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 季節の中に埋もれて https://youtu.be/eVK_876CrU0

キエレメ・ムーチョ
QUIEREME MUCHO
フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS
& トリオ・ロス・パンチョス TRIO LOS PANCHOS

1931年に創られ、トリオ・ロス・パンチョス等でも有名な、このラテンの名曲をアレンジして’78年にフリオが歌いリメイクし、大ヒットした。
良く並列的に話題となるラテンの代表曲ともされる「ベサメ・ムーチョ」は”もっとキスして”という意味で、メキシコの女流ピアニストのコンスエロ・ベラスケスが’41年に作ったと言われている名曲。
「キエレメ・ムーチョ」は”もっと愛して”で、中南米音楽の原点であり、発祥の地とも言われるキューバで生まれた傑作。
フリオとしては’79年、この曲の全英ヒットによってヨーロッパを代表するシンガーとして認められた作品で、初期の代表曲である。

・・・以下「ラテン音楽・名曲名演ベスト111」(竹村 淳)より要約・・・
原曲は、キユーバのクラシック系の音楽家であるGonzalo Roig(ゴンサロ・ロイグ)が1931年に作詩家でもあるAgustin Rodriguez(アグステイン・ロドリゲス)と共にLa Habana(ラ・アバナ)にあるTeatro Marti(マルテイ劇場)の中に、ベルナークロ劇団を結成し、その翌年32年にはキューバを代表すると後に評価される傑作サルスエラ「Cecilia Valdes(セシリア・バルデース)」を初演するにあたり、ゴンサロ・ロイグがこのサルスエラのテーマ曲として「キエレメ・ムーチョ」を作曲、それにロドリゲスが作詞した(R.Gollury との共作という説あり)と言われている
※”サルスエラ”とはスペインの国民的な「オペラ」のこと。
・・・・・・・・・・・・・
付け足し「キエレメ→Love me」ベサメ→「Kiss me」

●参考
喜びの奴隷
 https://youtu.be/79YPIvMxMvA
愛のサンバは永遠に
 https://youtu.be/XWj_7UaJyxY
貴女なしでは(without you)
 https://youtu.be/ohNLiYTDnAo
永遠に別れを
 https://youtu.be/9aqbzuhJaoY
ベサメ・ムーチョ
 https://youtu.be/df6fgGGTzAE
Y VOLVERE (いつの日か再び)
 https://youtu.be/xLkHLhe_rgE
時計(時計をとめて)
 https://youtu.be/m_Q-DWCY8lI
アドーロ
 https://youtu.be/eyL02Tje69E
時をも染めたあの歌が
 https://youtu.be/5et5RtXMv2E
ある恋の物語
 https://youtu.be/yOAeh4MjZ_U
去りゆく君に
 https://youtu.be/4m5--r53WxQ
●番外編
アントニオの歌
  https://youtu.be/yIs3Z0_gvgY
レカード・ボサノヴァ
  https://youtu.be/gNT7Ur99Ykw

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.154 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

面影を心に
レイディ Lady
ケニー・ロジャース Kenny Rogers

1980年にR&Bのライオネル・リッチーとケニー・ロジャースとの出会いによって生まれた。
作詞・作曲Lionel Richie ライオネル・リッチー
カントリーのケニー・ロジャース最大のヒット曲となり、コモドアーズ のメンバーであったライオネル・リッチーの二人がポップス界へ進出することにもなった記念すべき作品。
全米シングルチャート(Billboard Hot 100) 第1位(6週)
全英シングルチャート(UK Singles Chart) 第12位
カナダ・シングルチャート(RPM?Top Singles) 第2位
全米年間シングルチャート 第3位(1981年)
50年間の歴代シングルチャート(All-Time Hot 100 top songs) 第47位
この曲が収録されたコンピレーション・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』も同じくアルバム部門で全米ナンバーワンに輝いている。

1983年にはドリー・パートンとデュエットした「アイランド・イン・ザ・ストリーム」も全米1位となっている。
1990年代以降は大きなヒット曲こそないものの安定した活動を続け、国民的歌手として積極的に慈善活動等を行ない、その地位を揺るぎないものとしている

ライオネルがソロになったときに、ケニーのマネージャーと契約したが、このマネージャーのケンは「USA for Africa」プロジェクトの陰の立役者とも言われ、ふたりの出会いは、あの“We Are The World”を誕生させることにも繋がったようだ。

原曲の詞は、さっていった彼女への未練や思慕につて綿々と訴えてるような内容だが、私の訳は相変わらず創作とも言えそうな程の、Sima Worldになってしまいました。m(__)m

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.153 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

小雨降る径
Il pleut sur la route
ティノ・ロッシ Tino Rossi

1920年代にパリで活躍していたと言われる、ドイツ系の作曲家ヘンリー・ヒンメル Henry Himmelのこのコンチネンタル・タンゴに、ロベール・シャンフルーリ R.hamfluryがフランス語の歌詞を作り「パリ祭」で知られているリス・ゴーティLys Gautyが創唱した作品。
1934年にティノ・ロッシ Tino Rossiがリメイクして発表したものがヒットとなり、日本ではシャンソンのスタンダードナンバーとして、今でも多くのシャンソン歌手によって歌われている。
ティノ・ロッシは、翌’35年映画「マリネラ」に出演し、テーマ曲の「マリネラMarinella」と「チチTchi-tchi」が大ヒットし、更に人気が爆発し彼の唄声が「魅惑のシャンソンchanson de charme」と称され、多くの女性を虜にして人気が沸騰したと言う。
ロッシに夢中になった人妻が、夫に撃ち殺されるというような事件まで起きたそうな。
生涯に1014曲録音し、レコードの総売り上げが3億枚にもなったとか。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.150 (初稿)

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インシャラー
Inch'Allah
アダモ Adamo


アダモは1966年にイスラエルを訪れ、建国の史跡を訪ねてめぐり、深い感銘を受け、戦いの犠牲になった全ての人々のレクイエム(鎮魂歌)として、テルアヴィブのホテルの一室でこの反戦歌を作詞・作曲したという。

1967年発売されたシングル盤は8ヶ月の間、ヒットチャートの10位以内をキープし、更に英語・イタリア語・スペイン語のヴァージョンも作られた。
しかし、この年に第三次中東戦争が勃発してしまい、この曲がイスラエル寄りだとしてアラブ諸国の反感を買ってしまい発禁となった。
当初の歌詞の一部に「このイスラエルの地には、泣いている子共たちがいるというのに・・」というような一節があったためらしい。

「インシャラー=Inch'Allah」は「神の思し召しのままに」というような意味と解されているが、実際は日本語で表記することは不可能とも言われる。
「願い」とともに「諦め」の意味でも使われたりするような含蓄があるそうな。
1993年にベルギーのUNICEF大使に就任したアダモは、それを機に中立的な立場の歌詞表現に改変している。

更にこの曲は、ファドの女王であるアマリア・ロドリゲスによって唱われたことで世界に知られるようになり、それまでのアダモのポップス的なイメージから一変したレアリズムが英語版の発売もあり、周知されることとなった。
1967年は、日本初来日公演も果たしている。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.149 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

想い出をみつめて<font size="4">
MES EMMERDE
シャルル・ズナヴール Charles Aznavour
1976年にシャルル・アズナヴールによって作詞作曲され、自身によって歌われ発表されたシャンソン。
この曲は、アズナヴールのひとり二役の二重唱で録音されている異色な作品でもある。
MES EMMERDES (メ・エメルド)を訳すのは少し厄介らしいが「我が悩み」「困った事柄」等のニュアンスになるようだ。
しかしながら若き日の悩み、友人・恋人たちを想うに、青春はノスタルジーの彼方で輝いている、といったところか。

昨’16年6月に9年振りの日本公演を行った92才の彼は、外国ではフランス人として振る舞うが、フランスではアルメニア人の代表として行動すると言っているそうだ。
両親は、早くから彼とその兄弟を彼らがパリに持つレストランや多くの舞台に立たせ、アズナヴールの芸名で9歳より芸能活動を開始していたという。
1946年に、大御所の歌手エディット・ピアフに認められたことにより、彼女のフランスおよびアメリカでのツアーに前歌として同伴したことにより運命が大転換。
アアズナヴールのシャンソンは、ほとんどが愛を謳い上げていることで知られている。
また60本以上の映画にも出演している俳優でもある。
1995年以来、アルメニアの駐ユネスコ大使を務め、また2009年2月15日アルメニア共和国政府は、シャルル・アズナブールを同国の駐スイス大使に任命したという。

参考
ラ・ボエーム
 https://youtu.be/-fU6Hz9Ts-0
帰り来ぬ青春
 https://youtu.be/HMGme7jd5iE
束の間の青春(青春という宝)
 http://youtu.be/dlYpEDW9vM0

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.149 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

いない人 & 去って行った人 L'absent ジルベール・ベコー Gilbert Bécaud & グロリア・ラッソ Gloria Lasso

失恋の痛手に苦しんでいたグロリア・ラッソGloria Lassoのために、ルイ・アマードLouis Amadetの詞にジルベール・ベコーが作曲して、1960年に作られた贈った曲と言われている。
ベコー自身も歌い発表している。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.148 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured