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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


小心者 梓みちよ 作詞・作曲 中村泰士
1980年8月にシングル盤のA面で発売、同年のアルバム「リラックス」にも収録。
2005年に 二枚組アルバム「ゴールデン☆ベスト 梓みちよ ニュー・シャンソン」を発売。
79~86年の梓の作品38曲が選曲されて、この「小心者」も再収録されている。

一時期、日本のャンン歌手たちの間で何故か盛んにこの曲が歌われ、クミコ氏もレパートリィにしていて、今でも密かな人気作品である。

梓みちよ氏については、今更紹介するまでもないが、1960年福岡女学院高校1年中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格し上京。
約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューした。
その後は、「夢であいましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞を受賞したり、1964年5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露し、初めての天覧歌謡曲歌手となるなど話題も集め、数々のヒット曲を出して活躍したのは周知のごとくである。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 歩きつづけて     https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場     https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて     https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も     https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河     https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン     https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」     https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 季節の中に埋もれて https://youtu.be/eVK_876CrU0

キエレメ・ムーチョ
QUIEREME MUCHO
フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS
& トリオ・ロス・パンチョス TRIO LOS PANCHOS

1931年に創られ、トリオ・ロス・パンチョス等でも有名な、このラテンの名曲をアレンジして’78年にフリオが歌いリメイクし、大ヒットした。
良く並列的に話題となるラテンの代表曲ともされる「ベサメ・ムーチョ」は”もっとキスして”という意味で、メキシコの女流ピアニストのコンスエロ・ベラスケスが’41年に作ったと言われている名曲。
「キエレメ・ムーチョ」は”もっと愛して”で、中南米音楽の原点であり、発祥の地とも言われるキューバで生まれた傑作。
フリオとしては’79年、この曲の全英ヒットによってヨーロッパを代表するシンガーとして認められた作品で、初期の代表曲である。

・・・以下「ラテン音楽・名曲名演ベスト111」(竹村 淳)より要約・・・
原曲は、キユーバのクラシック系の音楽家であるGonzalo Roig(ゴンサロ・ロイグ)が1931年に作詩家でもあるAgustin Rodriguez(アグステイン・ロドリゲス)と共にLa Habana(ラ・アバナ)にあるTeatro Marti(マルテイ劇場)の中に、ベルナークロ劇団を結成し、その翌年32年にはキューバを代表すると後に評価される傑作サルスエラ「Cecilia Valdes(セシリア・バルデース)」を初演するにあたり、ゴンサロ・ロイグがこのサルスエラのテーマ曲として「キエレメ・ムーチョ」を作曲、それにロドリゲスが作詞した(R.Gollury との共作という説あり)と言われている
※”サルスエラ”とはスペインの国民的な「オペラ」のこと。
・・・・・・・・・・・・・
付け足し「キエレメ→Love me」ベサメ→「Kiss me」

●参考
喜びの奴隷
 https://youtu.be/79YPIvMxMvA
愛のサンバは永遠に
 https://youtu.be/XWj_7UaJyxY
貴女なしでは(without you)
 https://youtu.be/ohNLiYTDnAo
永遠に別れを
 https://youtu.be/9aqbzuhJaoY
ベサメ・ムーチョ
 https://youtu.be/df6fgGGTzAE
Y VOLVERE (いつの日か再び)
 https://youtu.be/xLkHLhe_rgE
時計(時計をとめて)
 https://youtu.be/m_Q-DWCY8lI
アドーロ
 https://youtu.be/eyL02Tje69E
時をも染めたあの歌が
 https://youtu.be/5et5RtXMv2E
ある恋の物語
 https://youtu.be/yOAeh4MjZ_U
去りゆく君に
 https://youtu.be/4m5--r53WxQ
●番外編
アントニオの歌
  https://youtu.be/yIs3Z0_gvgY
レカード・ボサノヴァ
  https://youtu.be/gNT7Ur99Ykw

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.154 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

面影を心に
レイディ Lady
ケニー・ロジャース Kenny Rogers

1980年にR&Bのライオネル・リッチーとケニー・ロジャースとの出会いによって生まれた。
作詞・作曲Lionel Richie ライオネル・リッチー
カントリーのケニー・ロジャース最大のヒット曲となり、コモドアーズ のメンバーであったライオネル・リッチーの二人がポップス界へ進出することにもなった記念すべき作品。
全米シングルチャート(Billboard Hot 100) 第1位(6週)
全英シングルチャート(UK Singles Chart) 第12位
カナダ・シングルチャート(RPM?Top Singles) 第2位
全米年間シングルチャート 第3位(1981年)
50年間の歴代シングルチャート(All-Time Hot 100 top songs) 第47位
この曲が収録されたコンピレーション・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』も同じくアルバム部門で全米ナンバーワンに輝いている。

1983年にはドリー・パートンとデュエットした「アイランド・イン・ザ・ストリーム」も全米1位となっている。
1990年代以降は大きなヒット曲こそないものの安定した活動を続け、国民的歌手として積極的に慈善活動等を行ない、その地位を揺るぎないものとしている

ライオネルがソロになったときに、ケニーのマネージャーと契約したが、このマネージャーのケンは「USA for Africa」プロジェクトの陰の立役者とも言われ、ふたりの出会いは、あの“We Are The World”を誕生させることにも繋がったようだ。

原曲の詞は、さっていった彼女への未練や思慕につて綿々と訴えてるような内容だが、私の訳は相変わらず創作とも言えそうな程の、Sima Worldになってしまいました。m(__)m

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.153 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

小雨降る径
Il pleut sur la route
ティノ・ロッシ Tino Rossi

1920年代にパリで活躍していたと言われる、ドイツ系の作曲家ヘンリー・ヒンメル Henry Himmelのこのコンチネンタル・タンゴに、ロベール・シャンフルーリ R.hamfluryがフランス語の歌詞を作り「パリ祭」で知られているリス・ゴーティLys Gautyが創唱した作品。
1934年にティノ・ロッシ Tino Rossiがリメイクして発表したものがヒットとなり、日本ではシャンソンのスタンダードナンバーとして、今でも多くのシャンソン歌手によって歌われている。
ティノ・ロッシは、翌’35年映画「マリネラ」に出演し、テーマ曲の「マリネラMarinella」と「チチTchi-tchi」が大ヒットし、更に人気が爆発し彼の唄声が「魅惑のシャンソンchanson de charme」と称され、多くの女性を虜にして人気が沸騰したと言う。
ロッシに夢中になった人妻が、夫に撃ち殺されるというような事件まで起きたそうな。
生涯に1014曲録音し、レコードの総売り上げが3億枚にもなったとか。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.150 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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インシャラー
Inch'Allah
アダモ Adamo


アダモは1966年にイスラエルを訪れ、建国の史跡を訪ねてめぐり、深い感銘を受け、戦いの犠牲になった全ての人々のレクイエム(鎮魂歌)として、テルアヴィブのホテルの一室でこの反戦歌を作詞・作曲したという。

1967年発売されたシングル盤は8ヶ月の間、ヒットチャートの10位以内をキープし、更に英語・イタリア語・スペイン語のヴァージョンも作られた。
しかし、この年に第三次中東戦争が勃発してしまい、この曲がイスラエル寄りだとしてアラブ諸国の反感を買ってしまい発禁となった。
当初の歌詞の一部に「このイスラエルの地には、泣いている子共たちがいるというのに・・」というような一節があったためらしい。

「インシャラー=Inch'Allah」は「神の思し召しのままに」というような意味と解されているが、実際は日本語で表記することは不可能とも言われる。
「願い」とともに「諦め」の意味でも使われたりするような含蓄があるそうな。
1993年にベルギーのUNICEF大使に就任したアダモは、それを機に中立的な立場の歌詞表現に改変している。

更にこの曲は、ファドの女王であるアマリア・ロドリゲスによって唱われたことで世界に知られるようになり、それまでのアダモのポップス的なイメージから一変したレアリズムが英語版の発売もあり、周知されることとなった。
1967年は、日本初来日公演も果たしている。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.149 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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想い出をみつめて<font size="4">
MES EMMERDE
シャルル・ズナヴール Charles Aznavour
1976年にシャルル・アズナヴールによって作詞作曲され、自身によって歌われ発表されたシャンソン。
この曲は、アズナヴールのひとり二役の二重唱で録音されている異色な作品でもある。
MES EMMERDES (メ・エメルド)を訳すのは少し厄介らしいが「我が悩み」「困った事柄」等のニュアンスになるようだ。
しかしながら若き日の悩み、友人・恋人たちを想うに、青春はノスタルジーの彼方で輝いている、といったところか。

昨’16年6月に9年振りの日本公演を行った92才の彼は、外国ではフランス人として振る舞うが、フランスではアルメニア人の代表として行動すると言っているそうだ。
両親は、早くから彼とその兄弟を彼らがパリに持つレストランや多くの舞台に立たせ、アズナヴールの芸名で9歳より芸能活動を開始していたという。
1946年に、大御所の歌手エディット・ピアフに認められたことにより、彼女のフランスおよびアメリカでのツアーに前歌として同伴したことにより運命が大転換。
アアズナヴールのシャンソンは、ほとんどが愛を謳い上げていることで知られている。
また60本以上の映画にも出演している俳優でもある。
1995年以来、アルメニアの駐ユネスコ大使を務め、また2009年2月15日アルメニア共和国政府は、シャルル・アズナブールを同国の駐スイス大使に任命したという。

参考
ラ・ボエーム
 https://youtu.be/-fU6Hz9Ts-0
帰り来ぬ青春
 https://youtu.be/HMGme7jd5iE
束の間の青春(青春という宝)
 http://youtu.be/dlYpEDW9vM0

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.149 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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いない人 & 去って行った人 L'absent ジルベール・ベコー Gilbert Bécaud & グロリア・ラッソ Gloria Lasso

失恋の痛手に苦しんでいたグロリア・ラッソGloria Lassoのために、ルイ・アマードLouis Amadetの詞にジルベール・ベコーが作曲して、1960年に作られた贈った曲と言われている。
ベコー自身も歌い発表している。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.148 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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ホテル・ノルマンディ Hôtel Normandy パトリシア・カース Patricia Kaas
1993年に発売された、3枚目のアルバム「永遠に愛する人へ」に収録。
作曲・F.bernheim/D.Barbelivien フランソワ・ベルハイム 作詞・D.Barbelivien ディディア・バルベリヴィア は同アルバムの「あなたのために歌わせて」の名コンビ。
その他、ラインアップの中には拙訳でもアップさせてもらっている上記の曲をはじめ「はかない愛だとしても」「ラ・リベルテ」等の人気作品が並んでいる。
ボーナストラックには、中島みゆきの「カモメの歌」も入れている。

カースは、1985年に一度EMIからデビューするも不発。
1987年ポリドールへ移籍し、シングル版「マドモワゼル・シャントゥ・ブルース Mademoiselle chante le blues」を出したのがたちまち大ヒット。
その年のファーストアルバム「マドモワゼル・シャントゥ Mademoiselle chante...」は、アルバムチャート2位を獲得、トップ10内に64週間留まり、プラチナレコードとなった。同じく、ベルギー、スイスでもプラチナレコード、カナダではゴールドディスク大賞を獲得した結果、同年フランスのヴィクトワール・ド・ラ・ムジク賞に輝く。

私の歌は、発音も悪くて聞き取れないと思われる個所にキャプションを入れました。
聞き苦しくて、申し訳りません。m(__)m

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ブルースを歌う女
    https://youtu.be/WXTH0isa5L8

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.147 (初稿)

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恋心 L'AMOUR C'EST POUR RIEN エンリコ・マシアス Enrico Macias
1964年に念願のオランピア劇場への出場を果たした時に、同じアルジェリアから引き揚げてきたパスカル・ルネ・ブラン(Pascal Rene Blanc)が持ち込んだ詩をマシアスがタンゴのリズムで作曲していたこの曲を発表し評判となる。
日本においては岸洋子によるカヴァー版(本年亡くなられた永田文夫氏作詞)が先行し大ヒット。
翌1965年に本家のマシアス版が発売されて人気が爆発、周知されることとなりました。
そして、相次ぎいくつもの日本語詞のカバーが競作となりました。
キングレコード版・岸洋子 作詞 永田文夫
ポリドールレコード・菅原洋一 作詞 なかにし礼(「知りたくないの」のB面)
東芝レコード・越路吹雪 訳詞 岩谷時子

原題は「L’amour C’est Pour Rien」で、直訳は「愛、何物にも替え難いもの」となるようで、
売ることも買うことも出来ない、生きてゆくための唯一の希望とでもいうような内容で、岩谷時子氏の日本語詞が一番原詩に近いと言われているようだ。

傷心の渡仏をして歌手活動を始めた当初、ジルベール・ベコー(Gilbert Becaud)の前座歌手をつとめた機会に恵まれ、大いに激励され1962年妻子を伴いパリに出ることを決意して活動。
同年マシアス24歳の時「さらば祖国よ」でレコードデビューしてヒットを得たのが、奇しくもアルジェリア独立の年であったという。
日本では、1962年に作られ’66年に大ヒットした「想い出のソレンツァラ」も人気があって良く知られている。

参考
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛の生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.146 (初稿)

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季節の中に埋もれて 
大塚博堂 
1976年8月発売の1枚目のアルバム「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」に収録され、1977年8月にシングルカットされた作品。
作詞:藤公之介 作曲:大塚博堂 
博堂は、32歳で再デビューして37歳で脳内出血しで急逝するまでのわずか5年間のメジャー活動であったが100曲あまりの曲を残しているそうな。
シャンソン歌手では、大木康子氏が最初に採り上げ「季節の中に埋もれて」「旅でもしようか」をカバーしたことでも知られている。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 

cover by Sima
Pf 砂原嘉博   in ライヴ・カフェ “凡”

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