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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


哀しみ通せんぼ 
作詞 るい 作曲 大塚博堂
1978年2月4枚目のシングルで発売されたA面の作品。
B面はすでにカバー曲としてアップしている「翌朝」である。
同時発売の3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」にも収録されている。
初期の作品は、デビュー曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を作詞した藤公之介と組んだものが多かったが、3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」から作詞家るい(本名:小坂洋二)が登場する。るいは博堂が所属する渡辺プロダクションの社員で、博堂担当のマネージャーだった。また、後期は山川啓介と数曲組んでいる。そして最後のアルバム「感傷」では、全作品の作詞を阿久悠が行っている。
以上、Wikipedirより抜粋。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima 
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

あなたなしに
SANS TOI
パトリシア・カース Patricir Kaas


1997年、自身が初プロデュースしたアメリカン・ティストなアルバム「ダン・マ・シェール DANS MA CHAIR (私のからだの中で)」に収録されている作品。
作詞 ダイアン・ウォーレン Dian Warren &フィリップ・ベルグマン Philippe Bergman 作曲 ダイアン・ウォーレン
‘87年に「マドモアゼル・シャントゥ・ブルース」で衝撃のデビューをしたのが20歳、
このアルバムを発表した時は30~31歳かと思われる。

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ホテル・ノルマンディ
    https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc
 いつわり
    https://youtu.be/5k4PEStMdg0
 ブルースを唄う女
    https://youtu.be/MF89CYuqUIw

訳詞・歌 Sima
ピアノトリオVer.
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹   
in 銀座 Ami’s Bar
訳詞 no.164 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

愛の誓い TILL &
世界と僕らの愛 Le Monde Et Notre Amour

リュシアン・ルピ Lucien Lupi & ティノ・ロッシ Tino Rossi


原曲はピエール・ベノワ・ビュイッソンPierre Benoit Buisson作詞、シャルル・ダンヴェールCharles Danvers作曲によるシャンソン。

56年にリュシアン・リュピが歌ったのがオリジナルで、原題は“Le Monde Et Notre Amour 世界と僕らの愛”で、翌’57年にティノ・ロッシも歌い知られるようになる。
カール・シグマン Carl Sigmanがスケールの大きい英詞をつけて「Till (The Moon Deserts The Sky)」となり、60年代の初めイギリスでシャーリー・バッシーやトニー・ベネット、アメリカでは白人三人娘のエンジェルスやヴォーグス The Vogues のヒットにつながり、シャンソンよりも「TILL 愛の誓い」として周知されている。

オーケストラの演奏でもケンプフェルト楽団のテーマみたいに知られているが、アメリカで最初に採りあげレコーディング・ヒット(1957年米国63位)させたのは、パーシー・フェイス楽団である。
以降もフランク・シナトラやカテリーナ・ブァレンテ、トム・ジョーンズ等、多数のアーティストにカバーされ世界的な定番ラブソングの1曲となっています。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.163 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

ブルースを唄(歌)う女
& マドモワゼル・シャントゥ・ル・ブルース

Mademoiselle chante le blues
パトリシア・カース Patricia Kaas

本編は、初稿版の発音違いを正し、日本語詞も一部改訂したものを「トリオ伴奏編Ver.1」 & 「ピアノ編Ver.2」の二本立てでアップしたものです。
・・・以下、再掲・・・・・・
1987年にシングルリリースされ、ビックヒットに繋がったメジャーデビュー曲。
作曲は、カースの多くの作品を作っているディディエ・バルベリヴィアン Didier Barbelivienで、作詞にも関わっている。

カースは、13歳の頃からドイツとフランスの国境周辺の地元キャバレー等で歌っていた。
17歳の時パリに出て、一枚レコードを出すが不発。
19歳でプロデューサーのベルナール・シュワルツと出会い、Mademoiselle chante le blues(マドモアゼル・シャントゥ・ル・ブルース) を‘87年デビューシングルとしてリリースし、話題を集め評価を得る。
‘88年"Mademoiselle chanté"のファーストアルバムは発売3ヶ月で35万枚の大ヒット、プラチナディスクも獲得。
各方面での新人賞を総なめにして世界中に勢力を伸ばし、’89年までに150万枚のビッグヒット。
日本での発売は’89年。

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ホテル・ノルマンディ
    https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc
 いつわり
    https://youtu.be/5k4PEStMdg0
・・・・・・・・・・・
訳詞・歌 Sima

Ver.1
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹 in 銀座 Ami’s Bar
Ver.2
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.136 (改訂稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured


半ダースのバラ
Una Mezza Dozzina Di Rose
ミーナ Mina
作詞 P.Liniti 作曲 A.Matelli で1969年に発表したカンツォーネ。

日本では、何故かシャンソン歌手と言われる人たちによって多く歌われているようだ。
私の訳(作)詞は、いつも対訳をおねがいしてお世話になっている村田ナオミ氏の下記ページを参考にさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/130982500762/半ダースのばら

参考
 ふたりの愛は(雨)
  https://youtu.be/O00Kj-8k480
 子供のころ(私の子供のころ)
  https://youtu.be/NNqUAKRUqOc
 ぶどうの季節
  https://youtu.be/KKYBpE63ZP4
 別離(わかれ)
  https://youtu.be/ImcRpKIDL68

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.162 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured


翌朝 は大塚博堂氏デビュー後、初期の頃に発表された作品のほとんどの作詞をしていた藤公之介氏の詩に大塚博堂が曲を付け、1978年に発売された3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」に収録された作品。

メジャーデビュー後、わずか5年間の活動で逝ってしまい、数多の作品を残した博堂の初期の作品は、デビュー曲『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を作詞した藤公之介と組んだものが多かったが、デビュー前に書き溜めていたものは詩集を手にした博堂が勝手に気の向くままに作っていたものだという。

参考(私選 博堂・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
季節の中に埋もれて
https://youtu.be/eVK_876CrU0

Cover by Sima 
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured


33歳
33 ANOS
(フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS)
スペイン・ポップス

33歳は、フリオ・イグレシアス自らの作詞作曲で歌われ、’77年に発売されたアルバム「A Mis 33 Años」に収録された作品。
敬愛する作曲家マヌエル・アレハンドロの曲「38歳」に触発されて、1977年に創り上げたと言う。(フリオ自身はこの年7歳でったそうな)
日本ではフリオ・ブームを生むきっかけとなった1981年に国内発売されたアルバム「愛・フィエスタ」の2曲目に収録されていて大ヒットの代表作となった。
33歳という人生の半ばを迎えて・・・と言っているのだけれど、何故33才なのかについては良く分かりません。
フリオ・イグレシアスは過去70枚以上のアルバムを発表していて、3億枚を超えるレコードセールスを記録して"史上最も多くのレコードを売ったアーティスト”としてギネスブックに認定され、また全世界で1,500を超えるゴールド&プラチナ・ディスクを獲得していると言う。

参考(拙訳)
 キエレメ・ムーチョ
  https://youtu.be/L-hu0PtrqCo
抱きしめて ABRAZAME
https://youtu.be/D7oUgwDtsF4
黒い瞳のナタリー
  http://youtu.be/eftzmVLDMTw
エル・アモール
  https://youtu.be/VzQCyVR-em4
愛と孤独の日々
  https://youtu.be/iBKl6iui-Ic
想いの色は狂おしく
  https://youtu.be/8MHa1MfBnHA

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.161 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

魂は何処に(いつわり)
Des mensonges En Musique

パトリシア・カース Patricia Kaas
作曲:F.bernheim/D.Barbelivien フランソワ・ベルハイム
作詞:D.Barbelivien ディディア・バルベリヴィア

「いつわり」として紹介されている、この作品は、パトリシ・カース1987年のメジャーデビューシングル「マドモアゼル・シャントゥ・ル・ブルース」の大ヒットに続き、「ダルマーニュ」「モン・メック・ア・モワ」と立て続けにヒットを飛ばしていたパトリシア・カースの’88年デビューアルバムに収録されている一曲。
このアルバムは、発売一か月でゴールド・アルバム(10万枚)を超えて、瞬く間にプラチナ(30万枚)を超えたという。
「魂は何処に」として翻案し、日本語の歌詞を作ってみましたがご多分に漏れずのSima World です。(^。^;)

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ) https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても     https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)     https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)     https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)     https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ブルースを歌う女     https://youtu.be/WXTH0isa5L8
ホテル・ノルマンディ     https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.160 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

誰も私の悩みを知らない Que nadie sepa mi sufrir は、エディット・ピアフÉdith Piafの「群衆La foule」の原曲で、アルゼンチンの歌手でもあったアンヘル・カブラルÁngel Cabralが作曲したものに、エンリケ・ディセオ(Enrique Dizeo)とカブラルとの共作で作詞された作品。
1953年に発表されアルフレッド・デ・アンジェリス楽団(歌:カルロス・ダンテ)でヒットしていたようだ。
エデット・ピアフは、1956年のオランピア公演の後、9月にNYを皮切りに(’57年1月カーネギー・ホールでのリサイタルを挟んで)翌57年の8月まで11ヶ月間のツアーへと旅立ち、3月にはアルゼンチン、リオデジャネイロ、ブラジルなど南米を廻りました。
そのアルゼンチンのブエノスアイレスで耳にしたのが、この「Soledad - Que nadie sepa mi sufrir 」(誰も私の悩みを知らない)だと言われている。
南米ペルーで作られたワルツとされていましたが、当時ギターやヴァイオリン奏者で、タンゴの作曲家で歌手でもあったプエノス・アイレス生まれのアンヘル・カブラル(Angel Cabral)の作品でした。
詞は、アルゼンチンでも幾多のタンゴの作品を書いている著名な作詞家だと言う。

ピアフは、早速ミッシェル・リヴゴーシュMichel Rivgaucheにフランス語への作詞を依頼、翻案され、翌58年にピアフがオランピアで創唱するまでに、10回以上もの書き直しをさせられたという伝説もある。
原曲の方は、ピアフのフランス語版の成功の後、Amor de mis amoresというタイトルでもリメイクされたり、様々にリズムを変えたり、アレンジを加えたりのアプローチを試みて、実に多くの歌手により歌われています。

今回のアップは、フリオ・イグレシスのバージョンですが同じスペインでも、より現在に近いタマラ(Tamara)が歌う“Que Nadie Sepa Mi Sufrir”になると、ペルー(?)のフリア(Julia)の踊りと歌などにも、かなり近いテイストを感じられ、ピアフの「群集」からは遥かに隔たった歌になっていると言われたりもしている。
比較的に「群衆」を基にしたアレンジやアプローチ作品は、あまり無いように思うがどうだろうか。

参考
 群衆 (拙訳)
  https://youtu.be/sACq9BEjOqA

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.159 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

バラの樹通り
バラの花咲く道 & バラ通り
La Rue Des Rosiers
ピア・コロンボ Pia Colombo
 
を「バラの樹通り」として日本語の歌詞を作りました。

作詞 S.Reiner 作曲 Joel Holmes
「バラの花咲く道 / LA RUE DES ROSIERS」は1967年に作られ、翌1968年のオランピア劇場のライヴ盤(録音はスタジオ)に収録されている名歌で、シンガー・ソングライター、ジョエル・オルメスの作曲した作品です。
ジョエル・オルメスは才能豊かな人物と定評されていて、他の有名作品ではピア・コロンボも録音し、日本のシャンソン歌手も良く歌っている曲「時は過ぎてゆく(人生は過ぎ行く) / LA VIE S'EN VA (ET JE T'AIME)」が周知です。
大戦の最中の12歳の時、彼の両親は突然ドイツに連れ去られ、からくも妹と共に田舎に逃避したものの数多の辛酸を舐めて苦労したという。
‘56年を迎えたころに左岸のキャバレーで歌っていたところでモーリス・ファノンと知り合い、ファノンとの合作をピア・コロンボが歌い成功への道が開かれた。
この「バラの樹通り」とは、パリ4区のヴィユエイユ・デュ・タンブル通りとムマレール通りの間にある「ロジェ通り(バラ通り)」のことであるという。
大戦中では、このユダヤ人街で大勢のユダヤの子供たちがナチスに虐殺されたという。
この作品の対訳をお願いした「村田ナオミ」氏の下記ページにもそのあたりの記述がある。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/156283708962/la-rue-des-rosiers-バラの花咲く道

ピアは、煙突掃除人の父親とジプシーの母親のもとに生まれたが、イタリアの修道院に捨て子とされ、8歳の時に里親に連れられてパリに出た。
舞台への憧れと情熱を捧げ、ダンサーとなるが病気をして断念。
芝居へと転向し、まのたキャバレーで歌うようにもなり若き作詞作曲家のモーリス・ファノンと出会う。
そこでファノンの曲を歌い、感激で涙したファノンと時を経ずして恋に落ち、結婚するに至った。
のちに別れることになったのだが、作品上の関係は続いていて尊敬しあっていたようだ。

歌詞の中に出てくるダビデの星は、ユダヤ人の象徴で大戦中には家の門扉にこのマークを付けられたり、外を歩いていると「ポン」と知り合いに背中を叩かれて、この星のチョークマークを付けられたりしていたという。

ピア・コロンボの作品をアップするのは「スカーフ」「すでに」「恋の友達」に次ぐ4作品目となる。

参考
 恋の友達
  https://youtu.be/tqMH207TD-Y
 すでに・・
  https://youtu.be/oazKJCiHA0I
 スカーフ
  https://youtu.be/bPuMN0W9dY4
関連作品
 今は帰れない
   https://youtu.be/G_eHq7M-hT0
 明日を信じて
   https://youtu.be/cw5VDeCIm6g
 涙のベルジェ
   https://youtu.be/JZpT8ysOsCY
 愛の恵み 
   https://youtu.be/bsMtx7XKUIo
 愛しかない時
   https://youtu.be/4fiOUT_9aQ8
 鶴
   https://youtu.be/D6X18QWZPRA
 インシャラー
   https://youtu.be/WMaCSVA14fk

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.158 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured