33歳 33 ANOS (フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS) スペイン・ポップス 33歳は、フリオ・イグレシアス自らの作詞作曲で歌われ、’77年に発売されたアルバム「A Mis 33 Años」に収録された作品。 敬愛する作曲家マヌエル・アレハンドロの曲「38歳」に触発されて、1977年に創り上げたと言う。(フリオ自身はこの年7歳でったそうな) 日本ではフリオ・ブームを生むきっかけとなった1981年に国内発売されたアルバム「愛・フィエスタ」の2曲目に収録されていて大ヒットの代表作となった。 33歳という人生の半ばを迎えて・・・と言っているのだけれど、何故33才なのかについては良く分かりません。 フリオ・イグレシアスは過去70枚以上のアルバムを発表していて、3億枚を超えるレコードセールスを記録して"史上最も多くのレコードを売ったアーティスト”としてギネスブックに認定され、また全世界で1,500を超えるゴールド&プラチナ・ディスクを獲得していると言う。
魂は何処に(いつわり) Des mensonges En Musique パトリシア・カース Patricia Kaas 作曲:F.bernheim/D.Barbelivien フランソワ・ベルハイム 作詞:D.Barbelivien ディディア・バルベリヴィア
「いつわり」として紹介されている、この作品は、パトリシ・カース1987年のメジャーデビューシングル「マドモアゼル・シャントゥ・ル・ブルース」の大ヒットに続き、「ダルマーニュ」「モン・メック・ア・モワ」と立て続けにヒットを飛ばしていたパトリシア・カースの’88年デビューアルバムに収録されている一曲。 このアルバムは、発売一か月でゴールド・アルバム(10万枚)を超えて、瞬く間にプラチナ(30万枚)を超えたという。 「魂は何処に」として翻案し、日本語の歌詞を作ってみましたがご多分に漏れずのSima World です。(^。^;)
誰も私の悩みを知らない Que nadie sepa mi sufrir は、エディット・ピアフÉdith Piafの「群衆La foule」の原曲で、アルゼンチンの歌手でもあったアンヘル・カブラルÁngel Cabralが作曲したものに、エンリケ・ディセオ(Enrique Dizeo)とカブラルとの共作で作詞された作品。 1953年に発表されアルフレッド・デ・アンジェリス楽団(歌:カルロス・ダンテ)でヒットしていたようだ。 エデット・ピアフは、1956年のオランピア公演の後、9月にNYを皮切りに(’57年1月カーネギー・ホールでのリサイタルを挟んで)翌57年の8月まで11ヶ月間のツアーへと旅立ち、3月にはアルゼンチン、リオデジャネイロ、ブラジルなど南米を廻りました。 そのアルゼンチンのブエノスアイレスで耳にしたのが、この「Soledad - Que nadie sepa mi sufrir 」(誰も私の悩みを知らない)だと言われている。 南米ペルーで作られたワルツとされていましたが、当時ギターやヴァイオリン奏者で、タンゴの作曲家で歌手でもあったプエノス・アイレス生まれのアンヘル・カブラル(Angel Cabral)の作品でした。 詞は、アルゼンチンでも幾多のタンゴの作品を書いている著名な作詞家だと言う。
ピアフは、早速ミッシェル・リヴゴーシュMichel Rivgaucheにフランス語への作詞を依頼、翻案され、翌58年にピアフがオランピアで創唱するまでに、10回以上もの書き直しをさせられたという伝説もある。 原曲の方は、ピアフのフランス語版の成功の後、Amor de mis amoresというタイトルでもリメイクされたり、様々にリズムを変えたり、アレンジを加えたりのアプローチを試みて、実に多くの歌手により歌われています。
今回のアップは、フリオ・イグレシスのバージョンですが同じスペインでも、より現在に近いタマラ(Tamara)が歌う“Que Nadie Sepa Mi Sufrir”になると、ペルー(?)のフリア(Julia)の踊りと歌などにも、かなり近いテイストを感じられ、ピアフの「群集」からは遥かに隔たった歌になっていると言われたりもしている。 比較的に「群衆」を基にしたアレンジやアプローチ作品は、あまり無いように思うがどうだろうか。
参考 群衆 (拙訳) https://youtu.be/sACq9BEjOqA
訳詞・歌 Sima Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール 訳詞 no.159 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World) https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
バラの樹通り バラの花咲く道 & バラ通り La Rue Des Rosiers ピア・コロンボ Pia Colombo を「バラの樹通り」として日本語の歌詞を作りました。
作詞 S.Reiner 作曲 Joel Holmes 「バラの花咲く道 / LA RUE DES ROSIERS」は1967年に作られ、翌1968年のオランピア劇場のライヴ盤(録音はスタジオ)に収録されている名歌で、シンガー・ソングライター、ジョエル・オルメスの作曲した作品です。 ジョエル・オルメスは才能豊かな人物と定評されていて、他の有名作品ではピア・コロンボも録音し、日本のシャンソン歌手も良く歌っている曲「時は過ぎてゆく(人生は過ぎ行く) / LA VIE S'EN VA (ET JE T'AIME)」が周知です。 大戦の最中の12歳の時、彼の両親は突然ドイツに連れ去られ、からくも妹と共に田舎に逃避したものの数多の辛酸を舐めて苦労したという。 ‘56年を迎えたころに左岸のキャバレーで歌っていたところでモーリス・ファノンと知り合い、ファノンとの合作をピア・コロンボが歌い成功への道が開かれた。 この「バラの樹通り」とは、パリ4区のヴィユエイユ・デュ・タンブル通りとムマレール通りの間にある「ロジェ通り(バラ通り)」のことであるという。 大戦中では、このユダヤ人街で大勢のユダヤの子供たちがナチスに虐殺されたという。 この作品の対訳をお願いした「村田ナオミ」氏の下記ページにもそのあたりの記述がある。 http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/156283708962/la-rue-des-rosiers-バラの花咲く道
この英語歌詞をつけたのは「やさしく歌って~Killing me softy with his song~」に代表されるノーマン・ギンベル。 彼の作詞家としての評価は確立していて、アントニオ・カルロス・ジョビンのポルトガル語の作品「イパネマの娘」「ソ・ダンソ・サンバ」など著名な作品の殆どを、ノーマン・ギンベルが訳しており、訳詞に厳しいジョビンの絶対的信頼を得ていたという。 (アントニオ・カルロス・ジョビンは、自分のポルトガル語の曲を全く違う内容で訳されることをもっとも嫌っていて、ノーマンと出会う前は自分で訳したりもしていた)
最後の恋 I'll Never Fall In Love Again トム・ジョーンズ Tom Jonesm & エルヴィス・プレスリー Elvis Aron Presley 作詞・作曲:Lonnie Donegan & Jimmy Currie
「Green Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)」はじめ、数多くのヒット曲を世に送り込んでいるトム・ジョーンズの代表曲の一つ。 1950年代の英で同年代のスーパースターとして活躍したロニー・ドネガンが’62年作ったこの作品を、’67年にトムがリメイクしたものが大ヒット。 ロニー・ドネガンの盤はシングルとしてパイ・レーベルよりリリースしたがUKチャートには入らなかった。 トム・ジョーンズ盤は67年にシングルとしてリリース、1967年全英で2位、全米で49位に達しており、その後世界中でヒットしたが、その前年にプレスリーも採りあげてレパートリィにしていた。 2年後再びトム・ジョーンズのこのパージョンがアメリカでチャート・イン6 位を記録する大ヒットとなった。 同年年ビルボード誌では年間8位を記録。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ “1976年の2月と8月にメンフィスのエルヴィスの自宅グレースランドの居間でエルヴィスの生前最後のレコーディングが行われた。 この時の録音から2枚のオリジナル・アルバム76年4月「メンフィスより愛をこめて」(カントリーチャート1位、ゴールド・ディスク)、遺作となってしまった77年6月「ムーディ・ブルー」(ビルボード3位、マルチプラチナ・ディスク)と3枚のシングル「心の痛手」「ムーディ・ブルー」「ウェイ・ダウン」がリリースされた。 40枚目(ラスト前の生前最後となった「メンフィスより・・・」)のアルバムには、スタンダード・ナンバーとして有名な「Danny Boy」「The Last Farewell」そして「I'll Never Fall In Love Again(最後の恋)」も収録していて、3拍子で歌っている。 トムとは、とても仲の良い友人関係にあった。” ・・・・・・・・・・・・・・・・・ トム・ジョーンズはダイナミックでソウルフルでセクシーな歌唱で人気を得たボーカリスト。 代表曲に「よくあることさ」(It's Not Unusual)、「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(Love Me Tonight)、「最後の恋」(I'll Never Fall in Love Again)、「デライラ」(Delilah)、「思い出のグリーングラス」(Green Green Grass of Home)、「シーズ・ア・レイディ」(She's A Lady)、「恋はメキ・メキ」(If I Only Knew)など数多く、「よくあることさ」「恋はメキ・メキ」などは日本でもCMやTV番組のBGMとして使用されていたこともあり、「007 サンダーボール作戦」の主題歌も歌ったことでも知られている。 1999年、バッキンガム宮殿でエリザベス女王からOBE勲章を授与され、2006年には大英帝国ナイト位を授与された。 また、オリジナル曲のみならずシャンソンやカンツォーネを英語歌詞でカバーすることも多く、中には原曲以上にトム・ジョーンズのカバー版が広く知られている作品も多くあり、原曲はイタリアのカンツォーネである「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(イタリア語原題 "Alla fine della strada" 英題 "Love Me Tonight"は、周知の曲である。 その他「ささやく瞳」(イタリア語原題 "Gli occhi miei" 英題 "Help Yourself")「アイ(愛の告白)」(イタリア語原題 "Uno dei tanti" 英題 "I (Who Have Nothing)"や、原曲はフランスのシャンソンである「愛の誓い」(フランス語原題 "Le monde est notre amour" 英題 "Till")などは、トム・ジョーンズのカバー版によって国際的な知名度を得たと言えるのではなかろうか。 「歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第71位を獲得したこともある。
訳詞・歌 Sima Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール 訳詞 no.156 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World) https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured
不具合があったため、作り直しての再アップ作品です。 登録していただいた方にはご迷惑をお掛けしますが、申し訳ありません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナチ政権下の1937年制作のドイツ映画「夜のタンゴ」(ポーラ・ネグリ Pola Negri主演)の主題歌であり、コンチネンタルタンゴの代表曲の一つとしてアルフレッド・ハウゼ Alfred Hause の名演奏でも知られている。 作詞:ハンス・フリッツ・ベックマン 作曲:ハンス・オットー・ボルクマン 映画の中で、主演のポーラ・ネグリが歌ったのが創唱。 同じドイツのエレーナ・ラウリ Elena Lauri も同年に録音していて、良く知られている。 ミルヴァも「ドイツを詠う」というようなタイトルのアルバムに収録していて、ドイツ語で歌っている。
訳詞・歌 Sima Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール 訳詞 no.155 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World) https://www.youtube.com/user/fwhy3109...