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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。



33歳
33 ANOS
(フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS)
スペイン・ポップス

33歳は、フリオ・イグレシアス自らの作詞作曲で歌われ、’77年に発売されたアルバム「A Mis 33 Años」に収録された作品。
敬愛する作曲家マヌエル・アレハンドロの曲「38歳」に触発されて、1977年に創り上げたと言う。(フリオ自身はこの年7歳でったそうな)
日本ではフリオ・ブームを生むきっかけとなった1981年に国内発売されたアルバム「愛・フィエスタ」の2曲目に収録されていて大ヒットの代表作となった。
33歳という人生の半ばを迎えて・・・と言っているのだけれど、何故33才なのかについては良く分かりません。
フリオ・イグレシアスは過去70枚以上のアルバムを発表していて、3億枚を超えるレコードセールスを記録して"史上最も多くのレコードを売ったアーティスト”としてギネスブックに認定され、また全世界で1,500を超えるゴールド&プラチナ・ディスクを獲得していると言う。

参考(拙訳)
 キエレメ・ムーチョ
  https://youtu.be/L-hu0PtrqCo
抱きしめて ABRAZAME
https://youtu.be/D7oUgwDtsF4
黒い瞳のナタリー
  http://youtu.be/eftzmVLDMTw
エル・アモール
  https://youtu.be/VzQCyVR-em4
愛と孤独の日々
  https://youtu.be/iBKl6iui-Ic
想いの色は狂おしく
  https://youtu.be/8MHa1MfBnHA

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.161 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

魂は何処に(いつわり)
Des mensonges En Musique

パトリシア・カース Patricia Kaas
作曲:F.bernheim/D.Barbelivien フランソワ・ベルハイム
作詞:D.Barbelivien ディディア・バルベリヴィア

「いつわり」として紹介されている、この作品は、パトリシ・カース1987年のメジャーデビューシングル「マドモアゼル・シャントゥ・ル・ブルース」の大ヒットに続き、「ダルマーニュ」「モン・メック・ア・モワ」と立て続けにヒットを飛ばしていたパトリシア・カースの’88年デビューアルバムに収録されている一曲。
このアルバムは、発売一か月でゴールド・アルバム(10万枚)を超えて、瞬く間にプラチナ(30万枚)を超えたという。
「魂は何処に」として翻案し、日本語の歌詞を作ってみましたがご多分に漏れずのSima World です。(^。^;)

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ) https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても     https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)     https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)     https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)     https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ブルースを歌う女     https://youtu.be/WXTH0isa5L8
ホテル・ノルマンディ     https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.160 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

誰も私の悩みを知らない Que nadie sepa mi sufrir は、エディット・ピアフÉdith Piafの「群衆La foule」の原曲で、アルゼンチンの歌手でもあったアンヘル・カブラルÁngel Cabralが作曲したものに、エンリケ・ディセオ(Enrique Dizeo)とカブラルとの共作で作詞された作品。
1953年に発表されアルフレッド・デ・アンジェリス楽団(歌:カルロス・ダンテ)でヒットしていたようだ。
エデット・ピアフは、1956年のオランピア公演の後、9月にNYを皮切りに(’57年1月カーネギー・ホールでのリサイタルを挟んで)翌57年の8月まで11ヶ月間のツアーへと旅立ち、3月にはアルゼンチン、リオデジャネイロ、ブラジルなど南米を廻りました。
そのアルゼンチンのブエノスアイレスで耳にしたのが、この「Soledad - Que nadie sepa mi sufrir 」(誰も私の悩みを知らない)だと言われている。
南米ペルーで作られたワルツとされていましたが、当時ギターやヴァイオリン奏者で、タンゴの作曲家で歌手でもあったプエノス・アイレス生まれのアンヘル・カブラル(Angel Cabral)の作品でした。
詞は、アルゼンチンでも幾多のタンゴの作品を書いている著名な作詞家だと言う。

ピアフは、早速ミッシェル・リヴゴーシュMichel Rivgaucheにフランス語への作詞を依頼、翻案され、翌58年にピアフがオランピアで創唱するまでに、10回以上もの書き直しをさせられたという伝説もある。
原曲の方は、ピアフのフランス語版の成功の後、Amor de mis amoresというタイトルでもリメイクされたり、様々にリズムを変えたり、アレンジを加えたりのアプローチを試みて、実に多くの歌手により歌われています。

今回のアップは、フリオ・イグレシスのバージョンですが同じスペインでも、より現在に近いタマラ(Tamara)が歌う“Que Nadie Sepa Mi Sufrir”になると、ペルー(?)のフリア(Julia)の踊りと歌などにも、かなり近いテイストを感じられ、ピアフの「群集」からは遥かに隔たった歌になっていると言われたりもしている。
比較的に「群衆」を基にしたアレンジやアプローチ作品は、あまり無いように思うがどうだろうか。

参考
 群衆 (拙訳)
  https://youtu.be/sACq9BEjOqA

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.159 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

バラの樹通り
バラの花咲く道 & バラ通り
La Rue Des Rosiers
ピア・コロンボ Pia Colombo
 
を「バラの樹通り」として日本語の歌詞を作りました。

作詞 S.Reiner 作曲 Joel Holmes
「バラの花咲く道 / LA RUE DES ROSIERS」は1967年に作られ、翌1968年のオランピア劇場のライヴ盤(録音はスタジオ)に収録されている名歌で、シンガー・ソングライター、ジョエル・オルメスの作曲した作品です。
ジョエル・オルメスは才能豊かな人物と定評されていて、他の有名作品ではピア・コロンボも録音し、日本のシャンソン歌手も良く歌っている曲「時は過ぎてゆく(人生は過ぎ行く) / LA VIE S'EN VA (ET JE T'AIME)」が周知です。
大戦の最中の12歳の時、彼の両親は突然ドイツに連れ去られ、からくも妹と共に田舎に逃避したものの数多の辛酸を舐めて苦労したという。
‘56年を迎えたころに左岸のキャバレーで歌っていたところでモーリス・ファノンと知り合い、ファノンとの合作をピア・コロンボが歌い成功への道が開かれた。
この「バラの樹通り」とは、パリ4区のヴィユエイユ・デュ・タンブル通りとムマレール通りの間にある「ロジェ通り(バラ通り)」のことであるという。
大戦中では、このユダヤ人街で大勢のユダヤの子供たちがナチスに虐殺されたという。
この作品の対訳をお願いした「村田ナオミ」氏の下記ページにもそのあたりの記述がある。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/156283708962/la-rue-des-rosiers-バラの花咲く道

ピアは、煙突掃除人の父親とジプシーの母親のもとに生まれたが、イタリアの修道院に捨て子とされ、8歳の時に里親に連れられてパリに出た。
舞台への憧れと情熱を捧げ、ダンサーとなるが病気をして断念。
芝居へと転向し、まのたキャバレーで歌うようにもなり若き作詞作曲家のモーリス・ファノンと出会う。
そこでファノンの曲を歌い、感激で涙したファノンと時を経ずして恋に落ち、結婚するに至った。
のちに別れることになったのだが、作品上の関係は続いていて尊敬しあっていたようだ。

歌詞の中に出てくるダビデの星は、ユダヤ人の象徴で大戦中には家の門扉にこのマークを付けられたり、外を歩いていると「ポン」と知り合いに背中を叩かれて、この星のチョークマークを付けられたりしていたという。

ピア・コロンボの作品をアップするのは「スカーフ」「すでに」「恋の友達」に次ぐ4作品目となる。

参考
 恋の友達
  https://youtu.be/tqMH207TD-Y
 すでに・・
  https://youtu.be/oazKJCiHA0I
 スカーフ
  https://youtu.be/bPuMN0W9dY4
関連作品
 今は帰れない
   https://youtu.be/G_eHq7M-hT0
 明日を信じて
   https://youtu.be/cw5VDeCIm6g
 涙のベルジェ
   https://youtu.be/JZpT8ysOsCY
 愛の恵み 
   https://youtu.be/bsMtx7XKUIo
 愛しかない時
   https://youtu.be/4fiOUT_9aQ8
 鶴
   https://youtu.be/D6X18QWZPRA
 インシャラー
   https://youtu.be/WMaCSVA14fk

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.158 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

キエン・セラ 
¿Quién será?
トリオ・ロス・パンチョス
Trío Los Panchos


メキシコのパブロ・ベルトラン・ルイス Pablo Beltrán Ruíz 作詞・作曲の 1953年の曲。
ラテン音楽のスタンダード・ナンバーとして知られ、パンチョスの代表的ナンバーのひとつ。
原題の "¿Quién será?" を直訳すると「誰だろう」となる。
トリオ・ロス・パンチョス Trío Los Panchos の歌が、世界中で大ヒットして知られ英語版のスウェイ「Sway」がディーン・マーティン Dean Marin により歌われ、これまた大ヒット。
ラテンの楽団でもよく採りあげられていて、ペレス・プラード楽団の演奏が著名である。
その他の採りあげて歌っていた歌手。
ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney
イーディ・ゴーメ Eydie Gorme
カテリーナ・ヴァレンテ Caterina Valente
日本では、アイ・ジョージや坂本スミ子、小野リサ等も歌っている。

この英語歌詞をつけたのは「やさしく歌って~Killing me softy with his song~」に代表されるノーマン・ギンベル。
彼の作詞家としての評価は確立していて、アントニオ・カルロス・ジョビンのポルトガル語の作品「イパネマの娘」「ソ・ダンソ・サンバ」など著名な作品の殆どを、ノーマン・ギンベルが訳しており、訳詞に厳しいジョビンの絶対的信頼を得ていたという。
(アントニオ・カルロス・ジョビンは、自分のポルトガル語の曲を全く違う内容で訳されることをもっとも嫌っていて、ノーマンと出会う前は自分で訳したりもしていた)

余談だが、札幌の狸小路商店街のコマーシャルに使われたりしていたが、現在はどうなのかわかりません。
また吹奏楽のレパートリーにも多く使われたりしている。

●参考(拙訳)
キエレメ・ムーチョ
 https://youtu.be/L-hu0PtrqCo
喜びの奴隷
 https://youtu.be/79YPIvMxMvA
愛のサンバは永遠に
 https://youtu.be/XWj_7UaJyxY
貴女なしでは(without you)
 https://youtu.be/ohNLiYTDnAo
永遠に別れを
 https://youtu.be/9aqbzuhJaoY
ベサメ・ムーチョ
 https://youtu.be/df6fgGGTzAE
Y VOLVERE (いつの日か再び)
 https://youtu.be/xLkHLhe_rgE
時計(時計をとめて)
 https://youtu.be/m_Q-DWCY8lI
アドーロ
 https://youtu.be/eyL02Tje69E
時をも染めたあの歌が
 https://youtu.be/5et5RtXMv2E
ある恋の物語
 https://youtu.be/yOAeh4MjZ_U
去りゆく君に
 https://youtu.be/4m5--r53WxQ
●番外編
アントニオの歌
  https://youtu.be/yIs3Z0_gvgY
レカード・ボサノヴァ
  https://youtu.be/gNT7Ur99Ykw

Windowsのムービーメーカーが使用できなくなったため、新しいソフトを導入しましたが慣れていないため、観難いかも知れません。
また、一部スペイン語の歌詞を噛んで間違えていますが申し訳ありません。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.157 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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最後の恋
I'll Never Fall In Love Again
トム・ジョーンズ Tom Jonesm
& エルヴィス・プレスリー Elvis Aron Presley
作詞・作曲:Lonnie Donegan & Jimmy Currie


「Green Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)」はじめ、数多くのヒット曲を世に送り込んでいるトム・ジョーンズの代表曲の一つ。
1950年代の英で同年代のスーパースターとして活躍したロニー・ドネガンが’62年作ったこの作品を、’67年にトムがリメイクしたものが大ヒット。
ロニー・ドネガンの盤はシングルとしてパイ・レーベルよりリリースしたがUKチャートには入らなかった。
トム・ジョーンズ盤は67年にシングルとしてリリース、1967年全英で2位、全米で49位に達しており、その後世界中でヒットしたが、その前年にプレスリーも採りあげてレパートリィにしていた。
2年後再びトム・ジョーンズのこのパージョンがアメリカでチャート・イン6 位を記録する大ヒットとなった。
同年年ビルボード誌では年間8位を記録。
・・・・・・・・・・・・・・・・
“1976年の2月と8月にメンフィスのエルヴィスの自宅グレースランドの居間でエルヴィスの生前最後のレコーディングが行われた。
この時の録音から2枚のオリジナル・アルバム76年4月「メンフィスより愛をこめて」(カントリーチャート1位、ゴールド・ディスク)、遺作となってしまった77年6月「ムーディ・ブルー」(ビルボード3位、マルチプラチナ・ディスク)と3枚のシングル「心の痛手」「ムーディ・ブルー」「ウェイ・ダウン」がリリースされた。
40枚目(ラスト前の生前最後となった「メンフィスより・・・」)のアルバムには、スタンダード・ナンバーとして有名な「Danny Boy」「The Last Farewell」そして「I'll Never Fall In Love Again(最後の恋)」も収録していて、3拍子で歌っている。
トムとは、とても仲の良い友人関係にあった。”
・・・・・・・・・・・・・・・・・
トム・ジョーンズはダイナミックでソウルフルでセクシーな歌唱で人気を得たボーカリスト。
代表曲に「よくあることさ」(It's Not Unusual)、「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(Love Me Tonight)、「最後の恋」(I'll Never Fall in Love Again)、「デライラ」(Delilah)、「思い出のグリーングラス」(Green Green Grass of Home)、「シーズ・ア・レイディ」(She's A Lady)、「恋はメキ・メキ」(If I Only Knew)など数多く、「よくあることさ」「恋はメキ・メキ」などは日本でもCMやTV番組のBGMとして使用されていたこともあり、「007 サンダーボール作戦」の主題歌も歌ったことでも知られている。
1999年、バッキンガム宮殿でエリザベス女王からOBE勲章を授与され、2006年には大英帝国ナイト位を授与された。
また、オリジナル曲のみならずシャンソンやカンツォーネを英語歌詞でカバーすることも多く、中には原曲以上にトム・ジョーンズのカバー版が広く知られている作品も多くあり、原曲はイタリアのカンツォーネである「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」(イタリア語原題 "Alla fine della strada" 英題 "Love Me Tonight"は、周知の曲である。
その他「ささやく瞳」(イタリア語原題 "Gli occhi miei" 英題 "Help Yourself")「アイ(愛の告白)」(イタリア語原題 "Uno dei tanti" 英題 "I (Who Have Nothing)"や、原曲はフランスのシャンソンである「愛の誓い」(フランス語原題 "Le monde est notre amour" 英題 "Till")などは、トム・ジョーンズのカバー版によって国際的な知名度を得たと言えるのではなかろうか。
「歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第71位を獲得したこともある。

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.156 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

夜のタンゴ
Tango Notturno
ミルバ Milva


不具合があったため、作り直しての再アップ作品です。
登録していただいた方にはご迷惑をお掛けしますが、申し訳ありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ナチ政権下の1937年制作のドイツ映画「夜のタンゴ」(ポーラ・ネグリ Pola Negri主演)の主題歌であり、コンチネンタルタンゴの代表曲の一つとしてアルフレッド・ハウゼ Alfred Hause の名演奏でも知られている。
作詞:ハンス・フリッツ・ベックマン 作曲:ハンス・オットー・ボルクマン
映画の中で、主演のポーラ・ネグリが歌ったのが創唱。
同じドイツのエレーナ・ラウリ Elena Lauri も同年に録音していて、良く知られている。
ミルヴァも「ドイツを詠う」というようなタイトルのアルバムに収録していて、ドイツ語で歌っている。

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.155 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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小心者 梓みちよ 作詞・作曲 中村泰士
1980年8月にシングル盤のA面で発売、同年のアルバム「リラックス」にも収録。
2005年に 二枚組アルバム「ゴールデン☆ベスト 梓みちよ ニュー・シャンソン」を発売。
79~86年の梓の作品38曲が選曲されて、この「小心者」も再収録されている。

一時期、日本のャンン歌手たちの間で何故か盛んにこの曲が歌われ、クミコ氏もレパートリィにしていて、今でも密かな人気作品である。

梓みちよ氏については、今更紹介するまでもないが、1960年福岡女学院高校1年中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格し上京。
約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューした。
その後は、「夢であいましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞を受賞したり、1964年5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露し、初めての天覧歌謡曲歌手となるなど話題も集め、数々のヒット曲を出して活躍したのは周知のごとくである。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
   https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
   https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 歩きつづけて     https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場     https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて     https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も     https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河     https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン     https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」     https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 季節の中に埋もれて https://youtu.be/eVK_876CrU0

キエレメ・ムーチョ
QUIEREME MUCHO
フリオ・イグレシアス JULIO IGLESIAS
& トリオ・ロス・パンチョス TRIO LOS PANCHOS

1931年に創られ、トリオ・ロス・パンチョス等でも有名な、このラテンの名曲をアレンジして’78年にフリオが歌いリメイクし、大ヒットした。
良く並列的に話題となるラテンの代表曲ともされる「ベサメ・ムーチョ」は”もっとキスして”という意味で、メキシコの女流ピアニストのコンスエロ・ベラスケスが’41年に作ったと言われている名曲。
「キエレメ・ムーチョ」は”もっと愛して”で、中南米音楽の原点であり、発祥の地とも言われるキューバで生まれた傑作。
フリオとしては’79年、この曲の全英ヒットによってヨーロッパを代表するシンガーとして認められた作品で、初期の代表曲である。

・・・以下「ラテン音楽・名曲名演ベスト111」(竹村 淳)より要約・・・
原曲は、キユーバのクラシック系の音楽家であるGonzalo Roig(ゴンサロ・ロイグ)が1931年に作詩家でもあるAgustin Rodriguez(アグステイン・ロドリゲス)と共にLa Habana(ラ・アバナ)にあるTeatro Marti(マルテイ劇場)の中に、ベルナークロ劇団を結成し、その翌年32年にはキューバを代表すると後に評価される傑作サルスエラ「Cecilia Valdes(セシリア・バルデース)」を初演するにあたり、ゴンサロ・ロイグがこのサルスエラのテーマ曲として「キエレメ・ムーチョ」を作曲、それにロドリゲスが作詞した(R.Gollury との共作という説あり)と言われている
※”サルスエラ”とはスペインの国民的な「オペラ」のこと。
・・・・・・・・・・・・・
付け足し「キエレメ→Love me」ベサメ→「Kiss me」

●参考
喜びの奴隷
 https://youtu.be/79YPIvMxMvA
愛のサンバは永遠に
 https://youtu.be/XWj_7UaJyxY
貴女なしでは(without you)
 https://youtu.be/ohNLiYTDnAo
永遠に別れを
 https://youtu.be/9aqbzuhJaoY
ベサメ・ムーチョ
 https://youtu.be/df6fgGGTzAE
Y VOLVERE (いつの日か再び)
 https://youtu.be/xLkHLhe_rgE
時計(時計をとめて)
 https://youtu.be/m_Q-DWCY8lI
アドーロ
 https://youtu.be/eyL02Tje69E
時をも染めたあの歌が
 https://youtu.be/5et5RtXMv2E
ある恋の物語
 https://youtu.be/yOAeh4MjZ_U
去りゆく君に
 https://youtu.be/4m5--r53WxQ
●番外編
アントニオの歌
  https://youtu.be/yIs3Z0_gvgY
レカード・ボサノヴァ
  https://youtu.be/gNT7Ur99Ykw

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.154 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

面影を心に
レイディ Lady
ケニー・ロジャース Kenny Rogers

1980年にR&Bのライオネル・リッチーとケニー・ロジャースとの出会いによって生まれた。
作詞・作曲Lionel Richie ライオネル・リッチー
カントリーのケニー・ロジャース最大のヒット曲となり、コモドアーズ のメンバーであったライオネル・リッチーの二人がポップス界へ進出することにもなった記念すべき作品。
全米シングルチャート(Billboard Hot 100) 第1位(6週)
全英シングルチャート(UK Singles Chart) 第12位
カナダ・シングルチャート(RPM?Top Singles) 第2位
全米年間シングルチャート 第3位(1981年)
50年間の歴代シングルチャート(All-Time Hot 100 top songs) 第47位
この曲が収録されたコンピレーション・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』も同じくアルバム部門で全米ナンバーワンに輝いている。

1983年にはドリー・パートンとデュエットした「アイランド・イン・ザ・ストリーム」も全米1位となっている。
1990年代以降は大きなヒット曲こそないものの安定した活動を続け、国民的歌手として積極的に慈善活動等を行ない、その地位を揺るぎないものとしている

ライオネルがソロになったときに、ケニーのマネージャーと契約したが、このマネージャーのケンは「USA for Africa」プロジェクトの陰の立役者とも言われ、ふたりの出会いは、あの“We Are The World”を誕生させることにも繋がったようだ。

原曲の詞は、さっていった彼女への未練や思慕につて綿々と訴えてるような内容だが、私の訳は相変わらず創作とも言えそうな程の、Sima Worldになってしまいました。m(__)m

訳詞・歌 Sima
Pf. にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.153 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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