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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


帰り来ぬ青春
HIER ENCORE (昨日は、まだ)
& Yesteday When I was yang


当編は、Pf.江口純子氏による伴奏編・Ver.1 と萩原えり子氏のピアノトリオによるVer.2 の2本立てであります。
既にアップしています初稿版を一か所ですが歌詞改訂をしましたので、改訂版としてアップしました。
(初稿版 https://youtu.be/HMGme7jd5iE )
シャルル・アズナヴール & Charles Aznavour 作詞作曲の1964年の作品 。
数あるアズナヴールシャンソンの作品の中でも、世界中で最も広く知られていると思われる名曲。
アメリカでハーバード・クレッツマーがYesteday When I was yang のタイトルで英詞を書き、1969年カントリー歌手のロイ・クラークが発表してヒットし、その後1973年にシャーリー・バッシーがリリースして世界的な大ヒット。
翌年の日本公演でも歌い大きな反響を巻き起こした。
その他、フランク・シナトラ、ヴィッキー・カー等々各国のスター歌手たちがカヴァーしている。

※ラストのクレジットに「初稿」とありますが「改訂稿」の間違いです。(^^;)

「青春という宝」(1946年)&「束の間の青春」(拙訳名)と並べて、青春二部作とも言われる。
    http://youtu.be/dlYpEDW9vM0
「ラ・ボエーム」(1965年)を加えて、青春三部作と言われることもある。
    https://youtu.be/jm7oxnmg4fw
参考
 妻へ(妻に・・)
  https://youtu.be/RWwrVHPh0tg
 三部作のページ
   https://youtu.be/dlYpEDW9vM0
 思い出をみつめて
  https://youtu.be/C-Oe-mgKOdA 

訳詞・歌  Sima
Ver.1
Pf  江口純子 / in 市川 ラ・ボエーム
Ver.2
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹 / in 銀座 Ami’s Bar
訳詞  no.12 (改訂稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
https://www.youtube.com/user/fwhy3109

この胸のときめきを & 君なくしては生きられない
Io Che Non Vivo Senza Te
ピノ・ドナッジオ Pino Donaggio

ダスティ・スプリングフィールドがYou don’t have to say you love me 邦題 「この胸のときめきを」として1966年に放った全英一位、全米第四位にも輝いた大ヒット曲。
原曲は前年のサンレモ音楽祭での入賞曲で、参加していたダスティが気に入って取り入れたもの。
作詞 ヴィト・パラヴィチーニ 作曲 ピーノ・ドナッジョ
1965年のサンレモ音楽祭参加曲で、ピノ・ドナッジオ(Pino Donaggio)が歌って優勝は逃したものの楽曲の良さで人気を集め、ヒットチャートNO.1になりました。
タイトルの直訳は「Io Che Non Vivo Senza Te」(私はあなたなしでは生きられない)である。
英語の歌詞を書いたのは、ダスティ・スプリングフィールドの友人、プロデューサーのヴィッキー・ウィッカム(Vicki Wickham)とヤードバーズのマネージャー、サイモン・ネピア-ベル(Simon Napier-Bell)
エルヴィス・プレスリーも1970年にカバーリリースして日本でもスマッシュ・ヒットとなり、その後も多くの歌手たちがカバーしています。
和訳としては、岩谷時子氏の「夜ごと二人は、ここにいるけれど・・・」が著名ですが、内容を見ると英語版ではなく、カンツォーネの方を原型としているようです。
邦題の「この胸のときめきを」は誰が付けたものかわかりませんが、英語版・イタリア語版とも内容と合致していません。
最初に紹介されたレコードでは、どうなっていたのか知見がありませんが昔は歌詞など関係なく、曲のイメージを先導するような邦題が関係者によって勝手に付けられていたと言われています。

この曲は、数あるカンツォーネの中でも世界的に最も知られている曲のひとつという定評がある。
ピーノ・ドナッジョは、他にもヒット曲が数曲あるようですが、この曲の成功の後、作曲家に転進して映画音楽などで活躍、代表作として有名な作品に「キャリー」がある。

拙訳は、いつもお世話になっている村田ナオミ氏に対訳をお願いして、原典とさせていただきました。
「新春シャンソンショー」
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/archive

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.168 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

「黄昏のビギン」は、第一回レコード大賞をうけた水原ひろしのデビュー曲であり、中村八大がポップス界に進出する起点ともなり、同時に作詞家としての第一歩ともなった八大の後輩・永六輔の作詞家デビューともなった「黒い花びら」に続く、シングル第二弾の「黒い落葉」のB面として1959年10月プレスされたもの。
1959年、中村八大は東宝映画『青春を賭けろ』の音楽監督に応募、ジャズ奏者であったが作曲家として何の実績もなかった八大は東宝側から翌日までにロカビリー曲を10曲用意するよう要求される。
中村は偶然出会った後輩で放送作家の永六輔をつかまえて、自宅マンションで一昼夜かけて映画のテーマ曲「黒い花びら」等の10曲を提示して音楽監督の座を射止めた。
「黄昏のビギン」もその中の一曲と思われるが、八大が一部の詞を書き足して同年の末に公開された東宝映画「黒い落葉」の挿入歌として水原ひろしが歌い、レコードにして発売されたがB面ということもあり、ほとんど反響もないまま埋もれていたものだが、一部の音楽フアンからは評価を得ていて、根強い秘かな人気作としても知られていた。
この作品は、永六輔と中村八大の共同作詞・中村八大が作曲とあるが、のちに永六輔は作詞も八大だとラジオ番組の中で明言している。
ワンコーラスだけの唄として、当時作られた映画の中でロカビリーの歌手によって歌われたものを、上述のように八大が書き足して仕上げたことからの言と思われる。
1991年、ちあきなおみのカバーアルバム『すたんだーど・なんばー』に黄昏のビギンが収録されることとなり、アルバムの先行シングルとしても単独でリリースされて話題となりヒットにつながる。
同年10月から半年間、京成電鉄「スカイライナー」のCMに使用されたり、1999年にはちあき版がネスレ日本「ネスカフェ・プレジデント」のCMに起用、2003年まで4年間にわたり採用されていた。
Cover盤は、ちあきなおみの他、中村美律子、憂歌団の木村充揮、石川さゆり、さだまさし、菅原洋一、中森明菜、中村中、稲垣潤一、岩崎宏美、鈴木雅之・鈴木聖美、小野リサ等々数多に及ぶ。

参考(私選・和シャンソン)
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

想い出のシチリア
Sicilia Antica
マルチェラ・ベッラ Marcella Bella


この曲は1973年の2nd.アルバム「Mi...ti...amo」(平行線)の三曲目に入っている作品。
73年年間ベスト・アルバム30位となった。
マルチェラ・ベッラはシチリア東部の中都市カターニア(Catania)の出身で、この「sicilia antica」(シチリア・アンティーカ、古代シチリア)は自身の故郷を歌ったものだが、シンガーソングライターである兄のジャンニ・ベッラ GianniBellatが妹のために作った曲。
マルチェラの歌は、殆どこの兄の作曲によりヒット作を生み出していたようだ。
代表作として「.炎 (NESSUNO MAI)」は日本で今でもよく歌われている。
1973年は「Io,domani(燃える明日)」でフェスティヴァル・バール優勝。
「Mi...ti ...amo(平行線)」もヒットし、女性歌手として年間ベストセラー1位となり、73年はマルチェラにとって最良の年となったようです。

尚、いつもお世話になっている村田ナオミさんにお願いして対訳していただきましたものをベースとさせていただきました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/165778180407/sicilia-antica-古きシチリア

詞・歌 Sima
訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.167 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

本作品は、江口純子氏のピアノ伴奏編のVer.1と萩原えり子氏のピアノトリオによるものの2本立てになります。

通り過ぎる男たち
Les hommes qui passent

パトリシア・カース Patricia Kaas
1990年の2枚目のアルバムScène de vieに収録されています。
(日本盤は『セーヌ・ドゥ・ヴィ~人生のシーン~』として1990年6月21日にリリース)
初アルバムに引き続いての作詞ディディエ・バルブリヴィアンDidier Barbelivien、作曲フランソワ・ベルンハイムFrançois Bernheimのコンビを中心とした作品構成。
このコンビでの作品は「ダルマーニュ」「あなたのために歌いたい」「いつわり」「ケネディ・ローズ」「ホテル・ノルマンディ」「モン・メック・ア・モワ」「ブルースを唄う女」等数多に及ぶ。
バルブリヴィアン自身も歌手で、「もしもあなたに会えずにいたらQue serais-je sans toi」のヒット曲でも知られ、日本のシャンソン歌手たちにも好んで歌われている。

カースは、フランス人の父とドイツ人の母のもとに生まれ、8歳の頃から歌を習い始め、あちこちのコンテストを渡り歩き、13歳にはドイツのあるソング・コンテストでの優勝を機会に、ダンス・クラブで歌手としての契約の申し出を受け、そこで7年間を過ごしたのち、18歳にパリでレコード・デビューを果たすも不発。
その二年後、「マドモワゼル・シャント・ブルース」のリリースが大ヒットにつながり、実力を認められ人気を定着させてゆく。
この2作目のアルバム発売時は、23歳であった。

私の歌は、トリオ編においてエンディングが少し崩れていますが、ぶっつけ本番なものですから、ご容赦ください。m(__)m

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ホテル・ノルマンディ
    https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc
 いつわり
    https://youtu.be/5k4PEStMdg0
 ブルースを唄う女
    https://youtu.be/MF89CYuqUIw
 あなたなしに
    https://youtu.be/A_8BWkTMGRk

詞・歌 Sima
Ver.1 ピアノ伴奏
   Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
Ver.2 ピアノトリオ
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹   
in 銀座 Ami’s Bar
訳詞 no.166 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

「ワインレッドの心」は、井上陽水が作詞をしたものに玉置浩二が曲をつけて安全地帯の4枚目のシングルとして1983年11月25日にリリースされた。
1973年に北海道で結成された「安全地帯」は1981年に井上陽水に招かれ、東京へと進出し翌年にはフジテレビ系の人気番組「夜のヒットスタジオ」で井上陽水のバックバンドを務めた。
1982年2月、シングル「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューを果たし、その後4thシングル「ワインレッドの心」が1983年サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用されたり、フジテレビ系・ナショナル木曜劇場ドラマ「間違いだらけの夫選び」のエンディングテーマとしても使われたりして大ヒットとなり、一躍全国にその名が知れ渡る。
オリコンでは初の1位獲得となり、翌年1984年の年間チャート2位に輝いた。
1985年「悲しみにさよなら」が大ヒット。
表題曲「ワインレッドの心」は、井上陽水氏をはじめ数多の歌手によってもカヴァーされたり、ライヴでコラボレーション披露されたりしている。
2010年には、活動再開の安全地帯によりセルフカバー、再収録されている。
当作品は、勝手に和・シャンソンとして私的に選択しているものです。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima 
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

セ・ラムール
すべてが愛のために & それが愛
C'est l'amour
エディット・ピアフ Edith PIAF

本編は、砂原嘉博氏のピアノ伴奏によるVer.1 と、萩原えりこPf.トリオによるVer.2 の2本立てになります。

1960年にエディット・ピアフが作詞し、マルゲリット・モノー Margueritte MONNOT作曲によって発表されたシャンソン。
ピアフは、モノーとのコンビで数多の作品を生み出しているが、特に「愛の賛歌 Hymne à l'amour」は二人の傑作として今も世界に輝いている。
「Milord(ミロール)」は、ジョルジュ・ムスタキの作詞だがモノーの曲を得て日本のシャンソン歌手にも人気の衰えない曲として周知されている。
そして当時は珍しかった女性のポピュラーソングライターとして、パイオニア的な役割を果たしたと言われる。

私の歌の方は、好き勝手にフェイクアレンジしてしまいましたが、正統派? のシャンソンフアンの方々には不快な思いをさせてしまったかもしれません。
究極の自己満足を追求しているSima Worldなので、ご容赦のほどを・・。m(__)m

参考
群衆
  https://youtu.be/sACq9BEjOqA
 水に流して
https://youtu.be/zcGqn_s10Hw
愛の讃歌
  https://youtu.be/dZCi7UuA8X0

詞・歌 Sima
Ver.1 ピアノ伴奏
   Pf. 砂原嘉博
in 市川 ラ・メール
Ver.2 ピアノトリオ
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹   
in 銀座 Ami’s Bar
訳詞 no.165 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

哀しみ通せんぼ 
作詞 るい 作曲 大塚博堂
1978年2月4枚目のシングルで発売されたA面の作品。
B面はすでにカバー曲としてアップしている「翌朝」である。
同時発売の3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」にも収録されている。
初期の作品は、デビュー曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を作詞した藤公之介と組んだものが多かったが、3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」から作詞家るい(本名:小坂洋二)が登場する。るいは博堂が所属する渡辺プロダクションの社員で、博堂担当のマネージャーだった。また、後期は山川啓介と数曲組んでいる。そして最後のアルバム「感傷」では、全作品の作詞を阿久悠が行っている。
以上、Wikipedirより抜粋。

参考(私選・和シャンソン)
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima 
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

あなたなしに
SANS TOI
パトリシア・カース Patricir Kaas


1997年、自身が初プロデュースしたアメリカン・ティストなアルバム「ダン・マ・シェール DANS MA CHAIR (私のからだの中で)」に収録されている作品。
作詞 ダイアン・ウォーレン Dian Warren &フィリップ・ベルグマン Philippe Bergman 作曲 ダイアン・ウォーレン
‘87年に「マドモアゼル・シャントゥ・ブルース」で衝撃のデビューをしたのが20歳、
このアルバムを発表した時は30~31歳かと思われる。

参考までに(拙訳)
 ラ・リベルテ(自由と踊れ)
https://youtu.be/7S9idJdhffg
 はかない愛だとしても
    https://youtu.be/X9Ab83ojjUg
 マ・キャゴール・ア・モワ(モン・メック・ア・モワ)
    https://youtu.be/9_bllsGaJAU
 ヴィーナス達の涙(風景)
    https://youtu.be/6m2GrlC39Og
 あなたのために歌いたい(歌わせて)
    https://youtu.be/tci3WeMRBvY
 ホテル・ノルマンディ
    https://youtu.be/ZMN0WJZFGpc
 いつわり
    https://youtu.be/5k4PEStMdg0
 ブルースを唄う女
    https://youtu.be/MF89CYuqUIw

訳詞・歌 Sima
ピアノトリオVer.
Pf. 萩原えり子 Ba. 大西慎吾 Dr. 貝増直樹   
in 銀座 Ami’s Bar
訳詞 no.164 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

愛の誓い TILL &
世界と僕らの愛 Le Monde Et Notre Amour

リュシアン・ルピ Lucien Lupi & ティノ・ロッシ Tino Rossi


原曲はピエール・ベノワ・ビュイッソンPierre Benoit Buisson作詞、シャルル・ダンヴェールCharles Danvers作曲によるシャンソン。

56年にリュシアン・リュピが歌ったのがオリジナルで、原題は“Le Monde Et Notre Amour 世界と僕らの愛”で、翌’57年にティノ・ロッシも歌い知られるようになる。
カール・シグマン Carl Sigmanがスケールの大きい英詞をつけて「Till (The Moon Deserts The Sky)」となり、60年代の初めイギリスでシャーリー・バッシーやトニー・ベネット、アメリカでは白人三人娘のエンジェルスやヴォーグス The Vogues のヒットにつながり、シャンソンよりも「TILL 愛の誓い」として周知されている。

オーケストラの演奏でもケンプフェルト楽団のテーマみたいに知られているが、アメリカで最初に採りあげレコーディング・ヒット(1957年米国63位)させたのは、パーシー・フェイス楽団である。
以降もフランク・シナトラやカテリーナ・ブァレンテ、トム・ジョーンズ等、多数のアーティストにカバーされ世界的な定番ラブソングの1曲となっています。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.163 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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