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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


神の思いのままに & あるがままに
JE T'APPARTIENS / Let it be me
ジルベール・ベコー & GILBERT BECAUD

本編は訳詞の改訂稿版ですが、江口純子氏のPf.伴奏編によるVer.1と、萩原えり子氏のPf.トリオによるVer.2 の2本立てになります。
・・・・以下、再掲・・・
1955年に作曲ジルベール・ベコー 作詞ピエール・ドラノエ によって創られた。
'60年にアメリカのマン・カーティスによって英語歌詞がつけられ『レット・イット・ビー・ミー & LET IT BE ME』 としてエヴァリー・ブラザーズによって歌われ大ヒットしました。
その他、プレスリー、ボブ・デュランをはじめ、ニーナ・シモンやジェームス・ブラウン等のジャズシンガーたちにも広く歌われて、同じくベコーの「そして、今は」と並んで世界的ヒット曲となった。

訳詞の方は「あるがままに」としましたが、ベコーの「神の思いのままに」よりは、そのまま「Let it be me」に近い Sima World です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
あるがままに(訳詞初稿)
  https://youtu.be/iA6NHQ7A8oY
いない人(去っていった人)
  https://youtu.be/uSMYZPWJ43w
ひとり星の上に
  https://youtu.be/0T6DC2sT2uY
君を迎えに
  https://youtu.be/rkUk3w9X4Mg
バラはあこがれ
  https://youtu.be/KYgcl0ZaQjE
愛の終わりに
  https://youtu.be/gTxUoxNO4zA
そして今は
  https://youtu.be/2foNSkhQf_A
君を待つ
  https://youtu.be/x2QqMNCYhPQ

訳詞・歌 Sima   /
Ver.1
Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
Ver.2
Pf. 萩原えり子
  Ba.大西慎吾
  Dr.貝増直樹
in 銀座 Ami's Bar
訳詞  no.57 (改訂稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/

愛すれば愛するほど
Più m'innamoro di te
ルイジ・テンコ Luigi Tenco

作詞モゴール 作曲カルロ・ドニーダ によって作られたカンツォーネ。
既に初稿版としてVer.1をアップしていますが、本編は江口純子氏のピアノ伴奏によるVer.2 としてアップしてみました。
ちなみに、にしかわまこと氏による伴奏編Ver.1 は、下記です。
https://youtu.be/daJhGZ7haNs

・・・・・以下、再掲・・・・・・・・・・・・・・
ルイジ・テンコの死後15年以上経った、1984年に見出された未発表曲で1994年発売された「Quando...tributo a Luigi Tenco」 と言うアルバムに収録。

1967年のサンレモ音楽祭でダリダの出場の為に作られたCiao amore ciaoを初日に歌ったものの、予選落ちをしてしまったルイジ・テンコは独りホテルに帰り、ピストル自殺をはかり28歳という短い生涯の幕を閉じた。
ルイジ・テンコとパートナーを組んで歌う予定だった二人は何度か会っているうちに恋に落ちる。
この時彼女は34歳。
彼の死に直面したダリダは半狂乱となるも傷心のまま帰仏し、一か月程してテンコと初めて会ったホテルの部屋で服毒自殺をはかる(発見が早く未遂)。
その後、彼女自身がエントリー曲Ciao amore ciao(チャオ・アモーレ・チャオ)を歌っているが「歌うのは良いのだけれど、聴くのは耐えられない」と言っていたとか。
そしてダリダ自身は、、54歳の1987年5月にパリ・モンマルトルの自宅で 「人生にもう耐え難い。私を許して」と遺言状を残しバルビタールという睡眠薬を服用して自殺。
そんなダリダが年下の男性を想って歌った名曲が、「18歳の彼(il venait d'avoir 18 ans)」である。
この曲のヒットは1973年だが、彼女はルイジ・テンコのことを想って歌っていたのかも。

ルイジ・テンコ (vm) Luigi Tencoは、1938年3月21日ジェノヴァの北北西50kmにある小さな町カッシーネ (アレッサンドリア)生まれ、
やがて養子となってジェノヴァで育ちました。ジェノヴァ大学工学部で理論物理学を学んでいる間に作曲を始め、イタリア音楽界に新風を吹き込もうと活動していたグループの一員となります。
後にジェノヴァ派カンタウトーレと呼ばれたこのグループは以後のカンツォーネに多大な影響を与えることになりました。
58年ミラノに出来たばかりのレコード会社リコルディにジェノヴァ派カンタウトゥーレ達が入社し、ルイジ・テンコも59年3月に歌手としてデビューしました。
また他のシンガーソングライター同様に違うペン・ネームで作品を作っています。
62年には、そのイケ面からか映画「La cuccagna」に出演しその後も俳優として活躍していた。
彼の死後、残された曲は多くの歌手に歌われている。

カンタトゥーレ、ルイジ・テンコの傑作「愛のめざめ / HO CAPITO CHE TI AMO」は、「花のささやき」等でよく知られるウイルマ・ゴイクに提供した曲で、ゴイクを一気に知らしめる曲でもあった。
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訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 市川 ラ・メール 
訳詞 no.123 (初稿) Ver.2

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

マイ・ボーイ
本邦・初訳詞・改訂稿
My Boy
& PARCE QUE JE T'AIME MON ENFANT
クロード・フランソワ & CLAUDE FRANCOIS / エルヴィス・プレスリー & ELVIS PRESLEY

一部の訳詞フレーズを改訂しましたのでピアノトリオで収録したものをアップしました。

・・・・・以下、初稿版より再掲・・・・
マイ・ウエイ & My Way の原曲「いつものように」COMME D'HABITUDE を創った同じクロード・フランソワとジャン・ピエール・プチェールとの共作になるシャンソン。
1970年にクロクロの愛称で親しまれているクロード・フランソワの自作によりリリースされたものを翌年シェークンピア劇で著名な俳優 リチャード・ハリス RICHA HARRIS が「My Boy」と英語のタイトルと歌詞で歌いヒットさせた。
'75年にはエルヴィス・プレスリー ELVIS PRESLEY に採りあげられ全米で大きくヒットしました。

クロード・フランソワはフランスギャルと別れた後に、モデルをしていた女性と結婚して二児をもうけましたが離婚となり、その際に息子たちを想い作ったものと言われている。
一方プレスリーはちょうどプリシラさんと別居協議中とみられている最中のリリースだったことから息子を娘に変えて歌っているのだろうと、大きな話題となっていたようです。
昨夏ロードショー公開された「最後のマイ・ウエイ」にはこの曲の周辺について触れていたのでしょうか、残念ながら田舎にいる私は観ることが出来ないままです。
プレスリーに採りあげられてヒットもしたということでは、確執のあった父親に対して誇らしい気持ちを抱いたのではないでしょうか。
ともあれ、子供たちへのメッセージソングと言うわけです。

シャンソンなのに「My Boy」は変かも知れませんが、「マイ・ウエイ My Way」と違い中身は同じなので「愛している、我が子よ」よりも端的で通りが良いのかなと思い、そのままを採用しました。

参考
拙訳「いつものように」Comme d'habitude & My Way も、宜しかったら下記よりどうぞ。
   http://youtu.be/0Mayv04VVr
同・参考「分かってくれ」
   http://youtu.be/h3ijC3cTv54
マイ・ボーイ(初稿版)
   https://youtu.be/4uPs5wa-MAU
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訳詞・イントロ編曲・歌 Sima
Pf . 萩原えり子
Ba. 大西慎吾
Dr. 貝増直樹    / in 銀座 Ami's Bar
訳詞  no.62 本邦・初訳詞(改訂版)

シャンソン・訳詞のチャンネル
http://www.youtube.com/user/fwhy3109

五月のバラ
津川 晃(フランツ・フリーデル)
作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真

1970年4月 エキスプレスよりシングルリリースされた作品。
1960年代、日本で活躍したドイツ人の父と日本人の母の間に生まれ、1958年にドイツから来日し、1960年、ロカビリー歌手として本格的にデビューして、折からのロカビリーブームとかつてない端正な顔立ちと相俟って人気を博した。

ロカビリーが下火となり、カヴァーポップス歌手して低迷していたが、1969年に津川晃と改名して歌謡曲のジャンルでレコードリリース、再デビューすることになり、そのシングル第2弾として1970年4月にリリースされたのが、この「五月のバラ」。
1972年、ブレンダ・リーの来日の際には「思い出のバラ(Omoide no Bara)」としてもシングルリリースされた。
1973年、尾崎紀世彦のアルバムに収録されたり、数名の歌手による競作品としてリリースされた。
‘77年には水原ひろしもアルバムに収録しているが、同年のシングルで発売された塚田三喜夫盤が人気を呼び、静かなヒットとなり知られ、彼の創唱作品と思っている人もいるほどである。
その他、菅原洋一、グラシェラ・スサーナ、布施明、香西かおり、湯原昌幸 他。
2008年にヒットした秋川雅史のアルバムにも同楽曲が収められるなど、スタンダード・ナンバーとして様々なジャンルの歌手によってカヴァーされている。

津川晃としての作品は、他にも多くの歌手によってもカヴァーされている「ドゥ・ユー・ノウ」(1966年、CBSコロムビア) 作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義 や「心がさむい」 (1969年7月、エキスプレス) 等がある。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

わかっているよ
Je Le Voie Sur Ton Visage
エンリコ・マシアス ENRICO MACIAS


作詞は、同じアルジェリア出身のジャック・ドマルニとなっているのが知られているが、ジャン・ペイネだと明記している邦盤LPもあるので、よくわからない。
ドマルニとマシアスを作詞として併記している文献もあったりする。
作曲は、エンリコ・マシアス & ジャン・クロード・ドーリックによって創られた、1967年のヒット作。
原題の直訳は゜私はあなたの顔を見る」で、1967年発売のアルバム”Les millionaires du dimanche”に収録された時の邦題は「話さなくても」となっていたようだ。
同年の10月に初来日して日本語での録音をして発売、「わかっているよ」となって大変にヒットしました。
このことから、仏盤でのタイトルも「わかっているよ」と変更されたという。
‘62年の「思い出のソレンツァラ」’64年の「恋心」とともに、日本での彼の代表曲となった。

参考
「パリに抱かれて」
  https://youtu.be/lDf8VhUqpWU
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A
 「愛のおそれ」
  https://youtu.be/I8AiWCA-mgI

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.175 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

街の灯り 
堺正章 
作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
 
1973年にシングル盤で発売され、のちTBS系で放送されたドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」の挿入歌に起用。
浜圭介氏の作品としては「おんな道」に続く、第二弾としてCover up
https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
   https://youtu.be/lPSFX0pdPnY

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

カミニート
Caminito (小径)
フリオ・イグレシアス Julio Iglesias
& グラシェラ・スサーナ Graciela Susana
作詞:ガビノ・コリア・ペニャロサ、作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト によって作られたタンゴ。
1903年に発表されたガビーノ・コリア・ペニャローサ(Gabino Coria Peñaloza)の格調の高い詩にイタリア系移民三世のフィリベルトが1923年のタンゴコンクールのために曲をつけたものとされている。(1926年発表という文献もある)

カミニート(Caminito)とは、小道のスペイン語で、「小径」 とされているがブエノスアイレスのボカ地区の通りの一角とするのが一般的。
移民受け入れ時代の港町の面影を残した粗末な建物が立ち並ぶ、この所謂貧民街の中からタンゴが発祥したと言われている。
大戦後にブェノスアイレス市がボカ地区の貨物線路跡地の路地を「カミニート」と名付けた散歩道として観光名所とした。
屋根や壁、バルコニーがカラフルに塗り分けられた建物が立ち並んでいて、フィリベルトの親友で同じくボカ生まれの高名な画家キンケラ・マルティンが監修指導して造ったともいわれている、小さな美術館のような通り。
現在は歩行者天国になった通りに土産物屋、タンゴレストランやカフェが並ぶという。
週末になると多くの画家の卵たちが作品を持って集まり、ミニ美術館のようになる。
また、路上では大道芸人たちがタンゴの調べにのって歌ったり、踊ったりもしているようだ。
タンゴの衣装を着た女性たちが観光客たちの記念写真用に、そこかしこにスタンバイしているらしい。

住民の多くはヨーロッパ系移民で、特にイタリアのジェノヴァ出身者が多く、風紀の悪い場末で、娼家などにおけるわいせつなダンスのための音楽として、タンゴ(Tango)はカンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合い、19世紀半ばにモンテビデオ近辺のこのラ・プラタ川流域で生まれ盛んに演奏されるようになったと言われる。
それに合わせたダンスもスペインやイタリアからの貧しい移民の日常のはけ口として、日頃の不満を歌にぶつけて自然発生的に酒場で生まれ、男性同士や娼婦を相手に踊られるようになったと云われている。
そしてそのタンゴは一般社会からも卑猥・蔑視されながら、1903年に「エル・チョクロ:El choclo」が1905年ブエノスアイレスの高級レストラン「レストラン・アメリカ」にて初演され、遂に時代の表に躍り出ることになった。
更にヨーロッパに渡ると瞬く間に広く知られるようになり、コンチネンタル・タンゴの曲が続々と生まれ、ダンスも普及した。
アルゼンチン・タンゴとコンチネンタルの区別は、日本だけの使い分けらしい。

知見はないが、カルロス・ガルデルやメキシコに移ったリベルタ・ラマルケの歌はいまでも人気が高いという。
日本では1950年代のタンゴ・ブームの立役者「藤沢嵐子」氏が自身の訳詞で歌ったのが創唱だろうか・・・。
昨今ではスペインポップスのフリオ・イグレシアスやグラシェラ・スサーナも歌っている。

訳詞・イントロ・間奏編曲・歌 Sima
Ver.1 Pf. 砂原嘉博 (ラテン・ポップス調)
Ver.2 Pf. 江口純子 (タンゴ調)
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.174 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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おんな道
唄:浜真二(圭介) 作詞・作曲:浜圭介

芸名を何度か変えてデビューするも挫折を繰り返す。
諦めきれない歌手への道を目指して再上京して銀座のクラブなどで弾き語りをしていて評判になり、1969年にこの「おんな道」で再々デビュー、夜店などでは評価も高く人気だったが、一般的には何故か売れず、マニアックな人たちの愛唱歌となっている。
この当時は、銀座・赤坂・六本木の夜は大変に賑わっていて、零時を過ぎるとタクシーも3時過ぎるまで掴まらないなんてことは日常茶飯事でした。
まだ、カラオケも出だしの頃で夜店ではギターやピアノの弾き語りが引く手数多に求められていました。
五木ひろし氏や、浜圭介氏と同じく作曲家に転向した水森英夫氏等も銀座の夜のスターとして鳴らしていました。

浜圭介は旧満州(中国東北部)の収容所で生まれ、青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。
1962年、歌手を目指し上京し、同郷の歌手・森山加代子の付き人となる。
1962年に歌手デビューするが不発。1964年、牧宏次の芸名で「波止場のロック」を出すも日の目を見ることが叶わず、弘前市に戻り、屋台を引いたりしていたという。
1966年、大木賢(おおき けん)の芸名で「これが愛さ」で再々デビューするも、夢叶わず。
1969年に、最後のチャンスと満を持しての「おんな道」だったが無念の結果で作曲家に転向を決意。
1972年、奥村チヨの「終着駅」三善英史の「雨」堺正章「街の灯り」等のヒットで一躍作曲界のホープとして脚光を浴びるようになる。
1979年のレコード大賞では、八代亜紀の「舟歌」で大賞受賞し、不動の地位を確立。
2005年4月29日、春の褒章で紫綬褒章を受章した。
その他「石狩挽歌」「そして神戸」「雨の慕情」「折鶴」「すずめの涙」「北空港」「心凍らせて」等々。

私の本作品は朝鮮歌謡の流れを汲むと言われる、いわゆる演歌とされる分野の曲ですが、私的な観点から和・シャンソンとして私撰させて貰いました。
伴奏の江口純子氏も、演歌べったりな弾き方ではなくシャンソン風を意識したように寄り添ってくれたと感じますが、違和感があったら申し訳ありません。m(_ _)m

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

君去りし夜
La Noche De Tu Partida
オズワルド・オロペザ Oswaldo Oropeza
& グラシェラ・スサーナ GRACIELA SUSANA


詳細は不明ですが、1960年に発表されたベネズエラのシンガーソングライターである オズワルド・オロペザ の作詞・作曲になる作品。
オズワルドは、独学で音楽家になったとされている。
この作品の原曲は、ワルツで録音されている。
日本では、1962年に当時のタンゴ歌手としてアルゼンチンでも認められていたという「宝とも子」や「ザ・ピーナッツ」等がリリースしていて、人気の曲であったようだ。

1970年、アルゼンチンで行われた「第6回タンゴフェスティバル」に優勝し、それを観ていた菅原洋一氏に招聘され、’71年の暮れに来日して日本デビューを果たしたグラシェラ・スサーナ氏も1972年の2枚目のアルバム「愛の音」の中に収録している。

尚、当アップ作品はいつもお世話になっている村田ナオミ氏に対訳をお願いし、ベースとして日本語の歌詞を作らせてもらいました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/169523666957/la-noche-de-tu-partida-君去りし夜

訳詞・イントロ・間奏編曲・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.173 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
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https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

パリに抱かれて
Paris, Tu M'As Pris Dans Tes Bras 
エンリコ・マシアス

作詞 ジャン・ペニエ Jean Pégné 作曲 エンリコ・マシアス Enrico Macias 
1963年に作られ’64年にオリンピア劇場で発表し、好評を得たというシャンソン。
原題を直訳すると「パリ、君はその腕に僕を抱いた」となるようですが、アルジェリア動乱のあおりを受けて家族でフランスへ移住し、シャンソン歌手になる決意でパリに出てきたマシアスにとって、自分を温かく迎えてくれたパリの街に対する感謝の念を込めて作られ、歌われたとされている。

マシアスは、アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人です。
アルジェリアは、1962年に独立するまで1世紀以上フランスの植民地でした。
マシアスもアルジェリア独立後に追われるように帰仏した入植者(ピエ・ノワール)の1人にならざるを得なかったのです。
帰国した後も、決して順調だったわけではなくピエ・ノワールとして差別・区別視されていたと思われます。
ピエ・ノワールという言葉自体に差別的な意味合いが含まれるようですが、そうした人たちの強力な支援が、大きな力となったに違いありません。

また、世界中をコンサート・ツアーしているマシアスですが、最後の「パリ」のところを現地の地名に置き換えて歌い、ファンを喜ばせていたようです。
日本のコンサートでも、「Et toi Tokyo et le Japon. je suis bien dans tes bras.」と歌い、
聴衆の大喝采を受けたそうです。
シャンソンとしては、なんとなくオリエンタル風なマシアスの曲は、それまでにないエキゾチックさをもって当時の人々に新鮮に響いたのではないでしょうか。

参考
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.171 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos