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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


五月のバラ
津川 晃(フランツ・フリーデル)
作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真

1970年4月 エキスプレスよりシングルリリースされた作品。
1960年代、日本で活躍したドイツ人の父と日本人の母の間に生まれ、1958年にドイツから来日し、1960年、ロカビリー歌手として本格的にデビューして、折からのロカビリーブームとかつてない端正な顔立ちと相俟って人気を博した。

ロカビリーが下火となり、カヴァーポップス歌手して低迷していたが、1969年に津川晃と改名して歌謡曲のジャンルでレコードリリース、再デビューすることになり、そのシングル第2弾として1970年4月にリリースされたのが、この「五月のバラ」。
1972年、ブレンダ・リーの来日の際には「思い出のバラ(Omoide no Bara)」としてもシングルリリースされた。
1973年、尾崎紀世彦のアルバムに収録されたり、数名の歌手による競作品としてリリースされた。
‘77年には水原ひろしもアルバムに収録しているが、同年のシングルで発売された塚田三喜夫盤が人気を呼び、静かなヒットとなり知られ、彼の創唱作品と思っている人もいるほどである。
その他、菅原洋一、グラシェラ・スサーナ、布施明、香西かおり、湯原昌幸 他。
2008年にヒットした秋川雅史のアルバムにも同楽曲が収められるなど、スタンダード・ナンバーとして様々なジャンルの歌手によってカヴァーされている。

津川晃としての作品は、他にも多くの歌手によってもカヴァーされている「ドゥ・ユー・ノウ」(1966年、CBSコロムビア) 作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義 や「心がさむい」 (1969年7月、エキスプレス) 等がある。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

わかっているよ
Je Le Voie Sur Ton Visage
エンリコ・マシアス ENRICO MACIAS


作詞は、同じアルジェリア出身のジャック・ドマルニとなっているのが知られているが、ジャン・ペイネだと明記している邦盤LPもあるので、よくわからない。
ドマルニとマシアスを作詞として併記している文献もあったりする。
作曲は、エンリコ・マシアス & ジャン・クロード・ドーリックによって創られた、1967年のヒット作。
原題の直訳は゜私はあなたの顔を見る」で、1967年発売のアルバム”Les millionaires du dimanche”に収録された時の邦題は「話さなくても」となっていたようだ。
同年の10月に初来日して日本語での録音をして発売、「わかっているよ」となって大変にヒットしました。
このことから、仏盤でのタイトルも「わかっているよ」と変更されたという。
‘62年の「思い出のソレンツァラ」’64年の「恋心」とともに、日本での彼の代表曲となった。

参考
「パリに抱かれて」
  https://youtu.be/lDf8VhUqpWU
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A
 「愛のおそれ」
  https://youtu.be/I8AiWCA-mgI

訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.175 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

街の灯り 
堺正章 
作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
 
1973年にシングル盤で発売され、のちTBS系で放送されたドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」の挿入歌に起用。
浜圭介氏の作品としては「おんな道」に続く、第二弾としてCover up
https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
   https://youtu.be/lPSFX0pdPnY

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

カミニート
Caminito (小径)
フリオ・イグレシアス Julio Iglesias
& グラシェラ・スサーナ Graciela Susana
作詞:ガビノ・コリア・ペニャロサ、作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト によって作られたタンゴ。
1903年に発表されたガビーノ・コリア・ペニャローサ(Gabino Coria Peñaloza)の格調の高い詩にイタリア系移民三世のフィリベルトが1923年のタンゴコンクールのために曲をつけたものとされている。(1926年発表という文献もある)

カミニート(Caminito)とは、小道のスペイン語で、「小径」 とされているがブエノスアイレスのボカ地区の通りの一角とするのが一般的。
移民受け入れ時代の港町の面影を残した粗末な建物が立ち並ぶ、この所謂貧民街の中からタンゴが発祥したと言われている。
大戦後にブェノスアイレス市がボカ地区の貨物線路跡地の路地を「カミニート」と名付けた散歩道として観光名所とした。
屋根や壁、バルコニーがカラフルに塗り分けられた建物が立ち並んでいて、フィリベルトの親友で同じくボカ生まれの高名な画家キンケラ・マルティンが監修指導して造ったともいわれている、小さな美術館のような通り。
現在は歩行者天国になった通りに土産物屋、タンゴレストランやカフェが並ぶという。
週末になると多くの画家の卵たちが作品を持って集まり、ミニ美術館のようになる。
また、路上では大道芸人たちがタンゴの調べにのって歌ったり、踊ったりもしているようだ。
タンゴの衣装を着た女性たちが観光客たちの記念写真用に、そこかしこにスタンバイしているらしい。

住民の多くはヨーロッパ系移民で、特にイタリアのジェノヴァ出身者が多く、風紀の悪い場末で、娼家などにおけるわいせつなダンスのための音楽として、タンゴ(Tango)はカンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合い、19世紀半ばにモンテビデオ近辺のこのラ・プラタ川流域で生まれ盛んに演奏されるようになったと言われる。
それに合わせたダンスもスペインやイタリアからの貧しい移民の日常のはけ口として、日頃の不満を歌にぶつけて自然発生的に酒場で生まれ、男性同士や娼婦を相手に踊られるようになったと云われている。
そしてそのタンゴは一般社会からも卑猥・蔑視されながら、1903年に「エル・チョクロ:El choclo」が1905年ブエノスアイレスの高級レストラン「レストラン・アメリカ」にて初演され、遂に時代の表に躍り出ることになった。
更にヨーロッパに渡ると瞬く間に広く知られるようになり、コンチネンタル・タンゴの曲が続々と生まれ、ダンスも普及した。
アルゼンチン・タンゴとコンチネンタルの区別は、日本だけの使い分けらしい。

知見はないが、カルロス・ガルデルやメキシコに移ったリベルタ・ラマルケの歌はいまでも人気が高いという。
日本では1950年代のタンゴ・ブームの立役者「藤沢嵐子」氏が自身の訳詞で歌ったのが創唱だろうか・・・。
昨今ではスペインポップスのフリオ・イグレシアスやグラシェラ・スサーナも歌っている。

訳詞・イントロ・間奏編曲・歌 Sima
Ver.1 Pf. 砂原嘉博 (ラテン・ポップス調)
Ver.2 Pf. 江口純子 (タンゴ調)
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.174 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

おんな道
唄:浜真二(圭介) 作詞・作曲:浜圭介

芸名を何度か変えてデビューするも挫折を繰り返す。
諦めきれない歌手への道を目指して再上京して銀座のクラブなどで弾き語りをしていて評判になり、1969年にこの「おんな道」で再々デビュー、夜店などでは評価も高く人気だったが、一般的には何故か売れず、マニアックな人たちの愛唱歌となっている。
この当時は、銀座・赤坂・六本木の夜は大変に賑わっていて、零時を過ぎるとタクシーも3時過ぎるまで掴まらないなんてことは日常茶飯事でした。
まだ、カラオケも出だしの頃で夜店ではギターやピアノの弾き語りが引く手数多に求められていました。
五木ひろし氏や、浜圭介氏と同じく作曲家に転向した水森英夫氏等も銀座の夜のスターとして鳴らしていました。

浜圭介は旧満州(中国東北部)の収容所で生まれ、青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。
1962年、歌手を目指し上京し、同郷の歌手・森山加代子の付き人となる。
1962年に歌手デビューするが不発。1964年、牧宏次の芸名で「波止場のロック」を出すも日の目を見ることが叶わず、弘前市に戻り、屋台を引いたりしていたという。
1966年、大木賢(おおき けん)の芸名で「これが愛さ」で再々デビューするも、夢叶わず。
1969年に、最後のチャンスと満を持しての「おんな道」だったが無念の結果で作曲家に転向を決意。
1972年、奥村チヨの「終着駅」三善英史の「雨」堺正章「街の灯り」等のヒットで一躍作曲界のホープとして脚光を浴びるようになる。
1979年のレコード大賞では、八代亜紀の「舟歌」で大賞受賞し、不動の地位を確立。
2005年4月29日、春の褒章で紫綬褒章を受章した。
その他「石狩挽歌」「そして神戸」「雨の慕情」「折鶴」「すずめの涙」「北空港」「心凍らせて」等々。

私の本作品は朝鮮歌謡の流れを汲むと言われる、いわゆる演歌とされる分野の曲ですが、私的な観点から和・シャンソンとして私撰させて貰いました。
伴奏の江口純子氏も、演歌べったりな弾き方ではなくシャンソン風を意識したように寄り添ってくれたと感じますが、違和感があったら申し訳ありません。m(_ _)m

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

君去りし夜
La Noche De Tu Partida
オズワルド・オロペザ Oswaldo Oropeza
& グラシェラ・スサーナ GRACIELA SUSANA


詳細は不明ですが、1960年に発表されたベネズエラのシンガーソングライターである オズワルド・オロペザ の作詞・作曲になる作品。
オズワルドは、独学で音楽家になったとされている。
この作品の原曲は、ワルツで録音されている。
日本では、1962年に当時のタンゴ歌手としてアルゼンチンでも認められていたという「宝とも子」や「ザ・ピーナッツ」等がリリースしていて、人気の曲であったようだ。

1970年、アルゼンチンで行われた「第6回タンゴフェスティバル」に優勝し、それを観ていた菅原洋一氏に招聘され、’71年の暮れに来日して日本デビューを果たしたグラシェラ・スサーナ氏も1972年の2枚目のアルバム「愛の音」の中に収録している。

尚、当アップ作品はいつもお世話になっている村田ナオミ氏に対訳をお願いし、ベースとして日本語の歌詞を作らせてもらいました。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/169523666957/la-noche-de-tu-partida-君去りし夜

訳詞・イントロ・間奏編曲・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.173 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

パリに抱かれて
Paris, Tu M'As Pris Dans Tes Bras 
エンリコ・マシアス

作詞 ジャン・ペニエ Jean Pégné 作曲 エンリコ・マシアス Enrico Macias 
1963年に作られ’64年にオリンピア劇場で発表し、好評を得たというシャンソン。
原題を直訳すると「パリ、君はその腕に僕を抱いた」となるようですが、アルジェリア動乱のあおりを受けて家族でフランスへ移住し、シャンソン歌手になる決意でパリに出てきたマシアスにとって、自分を温かく迎えてくれたパリの街に対する感謝の念を込めて作られ、歌われたとされている。

マシアスは、アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人です。
アルジェリアは、1962年に独立するまで1世紀以上フランスの植民地でした。
マシアスもアルジェリア独立後に追われるように帰仏した入植者(ピエ・ノワール)の1人にならざるを得なかったのです。
帰国した後も、決して順調だったわけではなくピエ・ノワールとして差別・区別視されていたと思われます。
ピエ・ノワールという言葉自体に差別的な意味合いが含まれるようですが、そうした人たちの強力な支援が、大きな力となったに違いありません。

また、世界中をコンサート・ツアーしているマシアスですが、最後の「パリ」のところを現地の地名に置き換えて歌い、ファンを喜ばせていたようです。
日本のコンサートでも、「Et toi Tokyo et le Japon. je suis bien dans tes bras.」と歌い、
聴衆の大喝采を受けたそうです。
シャンソンとしては、なんとなくオリエンタル風なマシアスの曲は、それまでにないエキゾチックさをもって当時の人々に新鮮に響いたのではないでしょうか。

参考
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.171 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

愛のくらし 
加藤登紀子 

作詞:加藤登紀子 作曲:アルフレッド・ハウゼ Alfred Hause
& トミー・チルドレン Tommy Children

1971年に加藤登紀子のシングルでリリースされヒットし、後に「ちあきなおみ」「テレサ・テン」「森昌子」もカヴァーしています。
同年「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」もこの年に発売され、ミリオンセラーとなっていた。

当時、加藤登紀子氏は石井好子事務所にいました。
このころ石井事務所は、アルフレッド・ハウゼ楽団の招聘を行っていて来日公演が実現したときに加藤登紀子氏がゲスト歌手として出演しました。
その招聘と同時に、石井好子氏の意向でハウゼ氏に2曲ほど作曲を依頼しました。
発売されたシングル盤のA面「愛のくらし」B面「悲しみの島」の2曲です。
日本語の作詞は加藤登紀子氏ですが、ハウゼ氏は作詞権をドミー・チルドレン氏にすでに与えていたようです。
実際に外国語の詞がついているのかまでは分かりませんが、外国では曲が出来上がったときに作曲家が特定の人を指名して作詞権を与えることが普通なんだとか。
なので作詞にトミー・チルドレンの記名がある場合もある。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

歌いつづけて
Mourir Sur Scene
(死ぬのは舞台で)
ダリダ Dalida

当作品は、砂原嘉博氏のピアノ伴奏編Ver.1 と萩原えり子氏のピアノトリオによるVer.2 の2本立てになります。

1983年に 作詞 ミッシェル・ジュヴォー、作曲 ジェフ・バルネルによる作品をダリダが歌い発表されたシャンソンです。
日本のシャンソン歌手、ファンの間でも人気の高い曲として好んで歌われています。
作曲者のジェフ・バルネルは「雨のブラッセル」等、多くの楽曲をダリダに提供している。
原題のタイトル「ステージ上で死にたい」と歌ったダリダですが、この4年後1987年5月2日夜自殺をはかり、翌3日に他界してしまいました。

ダリダ一家は、イタリアからの移民としてエジプトに移り住まい、彼女は首都カイロで生まれ幼少期を過ごし、1954年度の「ミス・エジプト」に選ばれたほどの美貌をもって、1956年から歌手活動を開始。
拠点を仏に移して、その後フランスに帰化した。
本名は Iolanda Cristina Gigliotti (ヨランダ・クリスティーナ・ジリョッティ)で兄と弟がいる。

歌手・女優の仕事を、基本的にはフランス語で行っていたが、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語そしてドイツ語でも行っていた。
後年、度重なる失恋が原因で、自殺を図るが発見されて再起もしましたが、「人生は、私にはもう耐えられない・・許して」と書置きを残してバルビツールを大量服用して去って逝きました。
この間、ルイジ・テンコをはじめとして彼女と恋人関係にあった3人の男性たちも自殺をしている。
彼女の墓はパリのモンマルトル墓地にある。
生涯、全世界に1億4000万枚以上のレコード(ディスク)を売りました。

私の歌、トリオ編の方は録音時のテンポがアップ版より10ポイント程速かったこともあり、かなり雑で荒っぽい仕上がりになっていますが、申し訳ありません。m(_ _)m

参考
「ブリュッセルにそそぐ雨」
  https://youtu.be/hSbuF7m6uds
「それぞれのテーブル」
  https://youtu.be/exhVbpiwbyM
「人生を歌う」
  https://youtu.be/sc8ZLRYYaRI
めぐり逢いたくて
  https://youtu.be/gQBOFy_JoMY

訳詞・歌 Sima
Ver.1
Pf. 砂原嘉博 
in 市川 ラ・メール
Ver.2
Pf. 萩原えり子
Ba. 大西慎吾 
Dr. 貝増直樹
in 劇空間 えとわ~る

訳詞 no.171 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
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愛のおそれ
J'Ai Peur

作詞:ジャック・ドマルニー Jacques Demarny 作曲:Enrico Macias
‘66年にエンリコ・マシアスによって発表され、日本では同時期に作られた「ひとりぼっちのタンゴ」 (Tout Seul)のB面にプレスされて翌67年に発売された。

人間と生まれたら誰でもが抱く潜在的「怖れ」を描いた曲。
恋人との別離、友人・知人が離れてゆきひとりぽっちになったり、巣立ちをしてゆく子供たち、そして年を重ねて夫婦の意思の疎通に対する不安、何よりも死を迎える恐れ等々を淡々と歌にしていますが、私の訳は、個人としての器の問題もあり、日本語の歌詞にすることには尻込みせざるを得ず、別物としての作詞となってしまいました。(@_@;)

マシアスは、フランスの植民地下のアルジェリア・コンスタンチーヌに生まれ育ったスペイン系ユダヤ人であり、アルジェリア動乱・独立紛争に伴って本国フランスに「帰還」したピエ・ノワールと呼ばれる移住者の一人である。
1962年に最初に録音し、ヒットさせたデビュー曲「さらば、ふるさと」は、動乱のアルジェリアを離れる船上で作ったものだが、故郷と太陽と恋、そして何よりも愛と平和を訴えて歌うマシアスは、1960年代後半にアダモとともに日本に新しいシャンソン・ブームを作りました。
ピエ・ノワールの人たちに支えられながら次第にファン層を広げ、フランスはもとより、日本を含め世界中で人気を確立、一方でマシアスはアラブ・ムスリムとユダヤ人の対立が激化する中、2003年のアルバム『橙』(Oranges amères, Trema,などでアラブ=ユダヤの幸福な共生を訴え、歌ったりして、イスラエル支援を積極的に行い、彼の周囲には賞賛と拒絶のかなり激しい衝突が見られるという。

参考
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.170 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos?disable_polymer=1