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simachyanのブログ

シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


誰もいない海
越路吹雪 & トワ・エ・モワ
作詞 山口洋子 作曲 内藤法美

本編は、トワ・エ・モワVer と、越路吹雪Ver の二本立てになります。

1967年のNET TV「木島則夫モーニングショー」今週の歌として作られ、ジェリー伊藤が創唱。
2018年のテレビ朝日系列ドラマ「越路吹雪物語」の主題歌としても採用、大地真央氏が歌唱。

1968年、CBSソニーから発売されたシャンソン歌手の大木康子が歌ったシングル盤が初レコード化。

更に、1970年11月に東芝音楽工業から発売されたトワ・エ・モワが歌ったシングル盤が大ヒット(オリコン16位)した。
トワ・エ・モワと同日発売で越路吹雪のシャンソン調シングル盤をリリース、競作となった(オリコン92位)。
トワ・エ・モワのヒットにより、シャンソンよりフォークのイメージが強い。
追って、オリジナル歌手のジェリー伊藤がレコーディングしたシングル盤は1971年に同じ東芝音楽工業リバティレーベルから発売され、3番はジェリー自身による、英語の歌詞で歌われている。

なお、作詞者の山口洋子は現代詩畑に属する詩人で、銀座の高級クラブの経営者で、演歌・流行歌でも知られる作詞家の山口洋子氏とは、同姓同名の別人である。
また作曲者の内藤法美は、越路吹雪の夫君である。

1970 (昭和45)年は、世相的には第二次安保闘争が終結した年でもある。
前年には、東大紛争や新宿駅周辺の学生運動争乱・乱闘事件など騒然としていた世情でした。
この闘争は、学生(全共闘など)・ベ平連等が加わった激しい運動でしたが、結果的に日米安全保障条約の改訂を阻止できず、挫折感や絶望感を体験した若者が多かったといわれる。
そんな若者たちや前衛的市民の心を反映したとも言われるが、どうだろうか・・。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
 妻を恋うる唄
   https://youtu.be/sZYFHlYFN60
 少しは私に愛をください
   https://youtu.be/H9RUPc8NWRI

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

知らなかった Non Sapevo ミルバ MILVA 作詞:B.Pallesi 作曲:P.Calvi

Milva 1963年サンレモ出場した時の入賞曲。
日本では1964年6月アルバム「ミルバ・イン・トゥキョウ (MILVA IN TOKIO)」がキングレコードより発売され、知らなかった (NON SAPEVO) 収録。
他には、ラ・ノビア [伊] (LA NOVIA) .ミロール [伊] (MILORD) ウナ・セラ・ディ東京[日] (UNA SERA DI TOKYO) リコルダ (RICORDA) タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) 等がみられる。 
1996年には「ミルバ・日本語の歌」が発売されて、日本語詞で収録される。
1970年の来日記念盤にも収録。

ミルバは、1939年7月17日、イタリア生まれ、家族を支えるため10代の頃からダンスホールで歌い始めます。
映画「麗しのサブリナ」に出ているオードリー・ヘップバーンに似ていると気付き、初興行の時に髪を短くサブリナ・カットにして「サブリナ(Sabrina)」という芸名で、トスカーナ・エミリア・アペニン地方のダンスホールすべてを回ったりしていた。

59年にイタリア国営放送のコンテストで優勝し、翌年にデビューし61年から9年連続でサンレモ音楽祭に出場してます。ミーナ、オルネッラ・ヴァノーニと共に3大プリマ・ドンナと称されました。
数々のヒット曲を生み出し、60年代を通じてポップス・シンガーとして大きな人気を博した。
70年代に入ると活動の場を広げ、オペラに挑戦するなど、自身の表現領域をさらなる高みへと押し上げる。
1971年に「ミルヴァ・カンタ・ブレヒト」を発表して以来ヒット・メーカーとしてよりも芸術性を重視するようになり、イタリアのカンタウトーレのフランコ・バッティアートやエンツォ・ヤンナッチの作品集の発売、オペラへの出演、アストル・ピアソラとの共演、といった活動を行っています。
イタリアよりもむしろドイツや日本での人気が高く、特に日本にはたびたび来て毎回異なったテーマでコンサートを行っているほか、日本語によるアルバムや谷村新司の曲をイタリア語で歌ったアルバムなども発売しています。
以降、長きに渡り現役であり続け、日本でも数多くの公演を行なっている。
日本の楽曲もカバーしていて【昴】【夜明けのスキャット】【過ぎ去りし想い出は】【ウナ・セラ・ディ東京】1964年Una Sera Di Tokio等々。

参考
 「愛遥かに」
   https://youtu.be/615-Wv2bdoo
  タラッサ
   https://youtu.be/NTlHs_dJOps
  夜のタンゴ
   https://youtu.be/fq5tP2kx83s

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.179 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

少しは私に愛を下さい
作詞作曲;小椋佳 
この歌は1971年発表のセカンドアルバム「雨」に初収録されたものです。

ポリドールの営業会議で、井上陽水と小椋佳の写真が並べられて論議され、結果的に陽水が売り出されることとなる。
それでも何とか1971年「青春 〜砂漠の少年〜」でデビュー。
アルバムで世界観を創るという方針から当時としてはめずらしい、アルバムでのデビュー。
当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。
当時のフォークソング界はアグレッシヴな傾向があり、ラブバラードなどを歌うと野次が飛んだというが、小椋佳の曲が受け入れられたのは、どこか演歌にも通じるようなエスプリが感じられたからだろうか。

ファーストアルバムが制作費をカバーできる程度に売れたので2枚目のLP『雨』に着手。
「東大卒の謎のシンガー」で行くことにして顔の露出をしない売り方を貫き、小椋の情報はテレビやマスコミ、外部にはすべてシャットアウトにした。
ラジオで少しずつ流して、人々の間に広まっていけば、絶対いいものを創ってるんだから売れないはずがないと思っていたというのが当時の制作者の信念だったという。
小椋自身は、こんなことが続くはずがないと思っていたので銀行を辞めなかった。

しかし ‘72年『彷徨』’75年『夢追い人』の2枚は、オリコンTOP3に連続11週チャートインという、未だ破られていない最高記録を持つ大ヒットとなり自らの地位を確立することとなる。
小椋は譜面が書けないので、ギターのコードを弾きながら書いた詩を口ずさんで曲にしていくという手法で、それをカセットに録音してミュージシャンに譜面に起こしてもらっていたそうだ。

「少しは私に愛を下さい」は「恋歌」の体裁をとっていますが、秘められたメッセージがあるという。
1971年は小椋氏が勤めていた日本勧業銀行と第一銀行が合併して第一勧業銀行(現:みずほ銀行)が誕生した年でした。
合併はしたものの勢力争いの下で冷遇される立場の辛いサラリーマンの悲哀と皮肉を込めてが誕生したという話がネットの中で散見されます。
また、歌中の「バラ」は勧銀のマークで人事部に知られて怒られたともいわれている。

他の歌手への提供曲も多く、1975年の「シクラメンのかほり」(歌:布施明)は第17回日本レコード大賞などを受賞した。、「俺たちの旅」・「時」・「俺たちの祭」(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)、「夢芝居」(歌:梅沢富美男)等々。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
 妻を恋うる唄
   https://youtu.be/sZYFHlYFN60

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/

バラ色の人生
エデット・ピアフ
LA VIE EN ROSE (1946)作詞 エデット・ピアフ Édith Piaf 作曲 ルイ・ギィ Louiguy
エデット・ピアフ Édith Piaf の伝記本の中では、自分が作詞・作曲をしたと書かれているが、当時のピアフは音楽著作協会に作曲家として認められていなかったため、やむを得ず友人の作曲家ルイ・ギイの名前を借りたとされている。
あるいは、マルグリット・モノの作であるとも言われたりしているが、二人ともピアフのために多くの曲を提供しているので、むべなるかなである。

この”バラ色の人生”を初めて歌ったのはピアフではなくマリアンヌ・ミッシェルという女性歌手で、新しい歌を求めてピアフのもとを尋ねて来た時に”バラ色の人生”の原型を知り、歌詞の一部を変更して歌うことの了解を得た。
‘45年にマリアンヌは自分が経営するピアノ・バーでこの曲を歌ったところ、反響が著しく、巷に話題が広がることとなり、翌年にはピアフも歌い始めることとなった。
するとたちまちこのピアフの歌が(曲が)世界中の人々の心を捕えるほどの大ヒットとなり、ルイ・アームストロング Louis Armstrong やイヴ・モンタン Yves Montand はじめ、数え切れない歌手がこの歌を持ち歌にし、今でも世界中で歌われている。

ピアフ自身は、ろくな教育を受けてはいなかったが人の心をとらえる詩を作り、非凡な才能を発揮していて「愛の讃歌」をはじめ、幾多の作品にその実力を顕わしている。

参考
水に流して
  https://youtu.be/zcGqn_s10Hw
愛の讃歌(改定版) Ver.2
https://youtu.be/-Wvtj8bBFxY
愛の讃歌(再改定版) Ver.3
  https://youtu.be/dZCi7UuA8X0
群衆
  https://youtu.be/sACq9BEjOqA
セ・ラムール
  https://youtu.be/DZt7vMBrMj8
パダン・パダン
  https://youtu.be/Jslo8OHOi9U 

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.178 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

妻を恋うる唄
フランク永井
作詞 岩谷時子 作曲 吉田正 1965年に発表された作品だが、戦時中の出征兵士の妻によって書かれた詩を発見した岩谷時子が夫を妻に変えて、作り直したものと言われている。
1957年(昭和32年)有楽町そごうデパートのキャンペーンソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」の爆発的ヒットで一躍スターダムに乗る。
本来は三浦洸一の吹き込み予定作だったらしいが、作曲した吉田正の強い希望で永井に回ったものと言われる。
「妻を恋うる歌」のあとも、「おまえに」 1977年(昭和52年)や「公園の手品師」 1978年(昭和53年)等の話題作も発表している。

余談だが、ビクターのフランク永井に対抗して、テイチクレコードも山下清泉という青年に、洋風の芸名を付け新人歌手としてデビューさせ大々的に売り出したものの挫折。
その新人歌手は廃業してシナリオライターに転向したが、その人物は何とジェームス三木であった。

フランク永井は、1985年(昭和60年)10月21日(当時53歳)、自宅の階段でロープを括り首吊り自殺を図り、数分後に永井夫人によって発見され、辛うじて一命は取り止めた。だが脳に障害が残り、会話が不全となり、記憶も乏しくなるなどの後遺症を患ってしまう。
一時は復帰もありそうな話もあったようだが、結局再起できずに2008年(平成20年)10月27日、東京の自宅で肺炎のため逝去。76歳没。
復帰を最後まであきらめずに、見舞いを重ねていた吉田正氏とだけは不思議なことに、会話が出来たという。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/

本編は、江口純子氏のピアノ伴奏での2本立てとなります。
Ver.1は、ワルツの曲を4Beatにアレンジしたもの、Ver.2は、原曲通りの3拍子でのパフォーマンスとなります。

大戦の最中に一緒に暮らしていたピアニストのルベール・グランベールにより作曲されたものを、ある時何気なくピアフが”パダン・パダン”と口ずさんでいたのを聞いた作詞家のアンリ・コンテが、その言葉に刺激を受けて出来上がったという。
戦後1945年に「バラ色の人生」を発表したピアフは、この曲の爆発的なヒットでスタートを切った。
「谷間に三つの鐘が鳴る」- Les Trois Cloches (1945)
「街に歌が流れていた」- Un refrain courait la rue(1946)
「小さなマリー」- La p'tite Marie(1950)
「愛の讃歌」 - Hymne à l'amour (1950)
と立て続けにヒット作を飛ばし続けて、1951年に「パダム・パダム」をリリースし、翌年にディスク大賞を受賞しいる。
ちなみに”パダン・パタン”とはドアを叩く音とか、心臓の鼓動であるとか言われている。
どちらで解釈するかで、訳詞や歌い方も変わりそうですね。

彼女はシャルル・アズナヴールのデビューを手助けし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させた。アズナブールの他にも、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどピアフに才能を見出され、送り出された歌手はあまたに及ぶ。

ピアフの生涯の大恋愛はプロボクサーのマルセル・セルダンとの話が著名だが、セルダンは1949年に飛行機事故死していて、その知らせを受けたピアフはパニックに襲われるが、その夜のアメリカ公演で「愛の讃歌」を歌ったという。

1951年にピアフは自動車事故に遭い、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだ。
47歳になってまもなくの1963年10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により死去する

私の歌は、ノリが悪くて聴き難いと思いますが申し訳ありません。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.177 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

めぐり逢い紡いで 大塚博堂(作詞:るい/作曲:大塚博堂)
1978年2月5日発売の博堂3枚目のアルバム「もう少しの居眠りを」に収録され、同年7月5日にシングルカットされた。
所属の渡辺プロが、この曲の競作を企画して歌手を募集したところ布施明と森進一が手を挙げたという。
結果、布施によるシングルが1978年9月5日にリリースされ、同年12月5日には同曲を表題作とするアルバム「めぐり逢い紡いで」もリリースされ、同年の『第29回NHK紅白歌合戦』でも同曲を歌った。
森進一もコンサートやディナーショーなどでその後も歌い続けているようだ。
当時の噂ですが、布施はこの曲があまり好きではないとどこかで発言したとかで、博堂フアンからはひんしゅくをかい、総スカンを喰らったとか言う話を聞いたことがあります。
(博堂が布施の前座を務めたことがあり、布施自身が以降自分の前に歌わせないでと言ったとかも知られているが、博堂の才能やセンス等は高く評価していたようだ)
1981年5月18日に脳内出血のため37歳の若さで亡くなってしまったのは、いかにも無念であり残念。
私の歌は、お聞き苦しい箇所があり、申し訳ありません。m(_ _)m

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/

神の思いのままに & あるがままに
JE T'APPARTIENS / Let it be me
ジルベール・ベコー & GILBERT BECAUD

本編は訳詞の改訂稿版ですが、江口純子氏のPf.伴奏編によるVer.1と、萩原えり子氏のPf.トリオによるVer.2 の2本立てになります。
・・・・以下、再掲・・・
1955年に作曲ジルベール・ベコー 作詞ピエール・ドラノエ によって創られた。
'60年にアメリカのマン・カーティスによって英語歌詞がつけられ『レット・イット・ビー・ミー & LET IT BE ME』 としてエヴァリー・ブラザーズによって歌われ大ヒットしました。
その他、プレスリー、ボブ・デュランをはじめ、ニーナ・シモンやジェームス・ブラウン等のジャズシンガーたちにも広く歌われて、同じくベコーの「そして、今は」と並んで世界的ヒット曲となった。

訳詞の方は「あるがままに」としましたが、ベコーの「神の思いのままに」よりは、そのまま「Let it be me」に近い Sima World です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
あるがままに(訳詞初稿)
  https://youtu.be/iA6NHQ7A8oY
いない人(去っていった人)
  https://youtu.be/uSMYZPWJ43w
ひとり星の上に
  https://youtu.be/0T6DC2sT2uY
君を迎えに
  https://youtu.be/rkUk3w9X4Mg
バラはあこがれ
  https://youtu.be/KYgcl0ZaQjE
愛の終わりに
  https://youtu.be/gTxUoxNO4zA
そして今は
  https://youtu.be/2foNSkhQf_A
君を待つ
  https://youtu.be/x2QqMNCYhPQ

訳詞・歌 Sima   /
Ver.1
Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
Ver.2
Pf. 萩原えり子
  Ba.大西慎吾
  Dr.貝増直樹
in 銀座 Ami's Bar
訳詞  no.57 (改訂稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/

愛すれば愛するほど
Più m'innamoro di te
ルイジ・テンコ Luigi Tenco

作詞モゴール 作曲カルロ・ドニーダ によって作られたカンツォーネ。
既に初稿版としてVer.1をアップしていますが、本編は江口純子氏のピアノ伴奏によるVer.2 としてアップしてみました。
ちなみに、にしかわまこと氏による伴奏編Ver.1 は、下記です。
https://youtu.be/daJhGZ7haNs

・・・・・以下、再掲・・・・・・・・・・・・・・
ルイジ・テンコの死後15年以上経った、1984年に見出された未発表曲で1994年発売された「Quando...tributo a Luigi Tenco」 と言うアルバムに収録。

1967年のサンレモ音楽祭でダリダの出場の為に作られたCiao amore ciaoを初日に歌ったものの、予選落ちをしてしまったルイジ・テンコは独りホテルに帰り、ピストル自殺をはかり28歳という短い生涯の幕を閉じた。
ルイジ・テンコとパートナーを組んで歌う予定だった二人は何度か会っているうちに恋に落ちる。
この時彼女は34歳。
彼の死に直面したダリダは半狂乱となるも傷心のまま帰仏し、一か月程してテンコと初めて会ったホテルの部屋で服毒自殺をはかる(発見が早く未遂)。
その後、彼女自身がエントリー曲Ciao amore ciao(チャオ・アモーレ・チャオ)を歌っているが「歌うのは良いのだけれど、聴くのは耐えられない」と言っていたとか。
そしてダリダ自身は、、54歳の1987年5月にパリ・モンマルトルの自宅で 「人生にもう耐え難い。私を許して」と遺言状を残しバルビタールという睡眠薬を服用して自殺。
そんなダリダが年下の男性を想って歌った名曲が、「18歳の彼(il venait d'avoir 18 ans)」である。
この曲のヒットは1973年だが、彼女はルイジ・テンコのことを想って歌っていたのかも。

ルイジ・テンコ (vm) Luigi Tencoは、1938年3月21日ジェノヴァの北北西50kmにある小さな町カッシーネ (アレッサンドリア)生まれ、
やがて養子となってジェノヴァで育ちました。ジェノヴァ大学工学部で理論物理学を学んでいる間に作曲を始め、イタリア音楽界に新風を吹き込もうと活動していたグループの一員となります。
後にジェノヴァ派カンタウトーレと呼ばれたこのグループは以後のカンツォーネに多大な影響を与えることになりました。
58年ミラノに出来たばかりのレコード会社リコルディにジェノヴァ派カンタウトゥーレ達が入社し、ルイジ・テンコも59年3月に歌手としてデビューしました。
また他のシンガーソングライター同様に違うペン・ネームで作品を作っています。
62年には、そのイケ面からか映画「La cuccagna」に出演しその後も俳優として活躍していた。
彼の死後、残された曲は多くの歌手に歌われている。

カンタトゥーレ、ルイジ・テンコの傑作「愛のめざめ / HO CAPITO CHE TI AMO」は、「花のささやき」等でよく知られるウイルマ・ゴイクに提供した曲で、ゴイクを一気に知らしめる曲でもあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 市川 ラ・メール 
訳詞 no.123 (初稿) Ver.2

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

マイ・ボーイ
本邦・初訳詞・改訂稿
My Boy
& PARCE QUE JE T'AIME MON ENFANT
クロード・フランソワ & CLAUDE FRANCOIS / エルヴィス・プレスリー & ELVIS PRESLEY

一部の訳詞フレーズを改訂しましたのでピアノトリオで収録したものをアップしました。

・・・・・以下、初稿版より再掲・・・・
マイ・ウエイ & My Way の原曲「いつものように」COMME D'HABITUDE を創った同じクロード・フランソワとジャン・ピエール・プチェールとの共作になるシャンソン。
1970年にクロクロの愛称で親しまれているクロード・フランソワの自作によりリリースされたものを翌年シェークンピア劇で著名な俳優 リチャード・ハリス RICHA HARRIS が「My Boy」と英語のタイトルと歌詞で歌いヒットさせた。
'75年にはエルヴィス・プレスリー ELVIS PRESLEY に採りあげられ全米で大きくヒットしました。

クロード・フランソワはフランスギャルと別れた後に、モデルをしていた女性と結婚して二児をもうけましたが離婚となり、その際に息子たちを想い作ったものと言われている。
一方プレスリーはちょうどプリシラさんと別居協議中とみられている最中のリリースだったことから息子を娘に変えて歌っているのだろうと、大きな話題となっていたようです。
昨夏ロードショー公開された「最後のマイ・ウエイ」にはこの曲の周辺について触れていたのでしょうか、残念ながら田舎にいる私は観ることが出来ないままです。
プレスリーに採りあげられてヒットもしたということでは、確執のあった父親に対して誇らしい気持ちを抱いたのではないでしょうか。
ともあれ、子供たちへのメッセージソングと言うわけです。

シャンソンなのに「My Boy」は変かも知れませんが、「マイ・ウエイ My Way」と違い中身は同じなので「愛している、我が子よ」よりも端的で通りが良いのかなと思い、そのままを採用しました。

参考
拙訳「いつものように」Comme d'habitude & My Way も、宜しかったら下記よりどうぞ。
   http://youtu.be/0Mayv04VVr
同・参考「分かってくれ」
   http://youtu.be/h3ijC3cTv54
マイ・ボーイ(初稿版)
   https://youtu.be/4uPs5wa-MAU
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訳詞・イントロ編曲・歌 Sima
Pf . 萩原えり子
Ba. 大西慎吾
Dr. 貝増直樹    / in 銀座 Ami's Bar
訳詞  no.62 本邦・初訳詞(改訂版)

シャンソン・訳詞のチャンネル
http://www.youtube.com/user/fwhy3109