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シャンソンを日本語に訳詞して唄ったりして遊んでいます。
ご隠居さんの手慰みであり、自己充足的な世界です。


日本では「青い影」として紹介されている。 A Whiter Shade of Pale プロコル・ハルム PROCOL HARUM の 1967年5月12日シングルリリース
作詞 キース・リード(Keith Reid) - lyrics 作曲 ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker) - vocal/piano、マシュー・フィッシャー(Matthew Fisher) – organ 

ミック・ジャガーが最高のR&Bバンドだと称賛していたゲイリー・ブルッカーのバンドだったが、売れないまま解散してしまい、新たにメンバーを集めていた時、詩人のキースと知り合い、彼の詞に曲をつけたいと強く思い、演奏者5人に詩人が加わった変則グループで再出発。
マシュー・フィッシャーの教会音楽を思わせる、オルガンによるイントロダクションは、バッハの”管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」”からの引用と言われている。
クラシックを取り入れたロックを作りたいというゲイリーの構想で出来上がったものだという。
1967年5月12日に発売され、2週間で38万枚程を売り上げた。
イギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得し、アメリカでも5位を獲得するなど全世界でヒットを記録した。
生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げており「人生でベスト3に入る曲」と語り、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」とまで発言していた。

日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、ロックといえばエレキギターという先入観を打ち破られた松任谷由実はこの曲をきっかけに自作の曲作りに火が付いたという。
1988年に日産自動車から発売されたシルビアのCMソングに使用されたのを始め、多くのCMやTVドラマなどで使用されている。

2005年、マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした。
フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。
一方、ブルッカーは「青い影は、フィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。
2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡したが、当然ブルッカーは判決を不服として控訴した。
2008年4月3日、控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした。
しかし2009年7月30日、貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した。
これによって長期間に渡る法廷闘争に終止符が打たれた。

松任谷由実 - アルバム”日本の恋と、ユーミンと”(2012年)に英語で収録。
演奏にプロコル・ハルムが参加している

本作品は、難解で著名な原詞をどう解釈したら良いかに悩み、苦悶していることを音楽のボランティア活動で知り合った、ピアニストの(翻訳のプロでもある)石橋浩子さんに漏らしたところ、ほどなくして的確でとても分かりやすい対訳をして送ってくれました。
一気にイメージが湧き上がることとなり、それをベースとした日本語の歌詞を作ることが出来ました。
紙上ですが、感謝を申し上げます。

尚、初稿ですのでいろいろと不備もあり、とりあえずの過程としてのアップです。
後日、改訂版を必ずアップすることを前提としていますので、歌も含めてその差異を観ていただければ幸甚です。

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.182 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

行っておくれ
VA T’EN
作詞・作曲・歌 エンリコ・マシアス
Enrico Macias
1962年24才の時の作品と言われていて、日本で発売されたアルバム「エンリコ・マシアス」1965年に収録されているが手に入らないため詳細は不明。
日本初と思われるこのアルバムには「遠くへ行きたい」「恋心」「消え去りし友」等を収録。
63年発売の海外4曲入りEP版に初収録された曲とも認められる。
1962年に最初に録音し、ヒットさせたデビュー曲「さらば、ふるさと」は、動乱のアルジェリアを離れる船上で作り、それ以来故郷と愛と平和を生涯のテーマとして世に問う歌手になることを決意したという。

1962年10月5日、アルジェリア引揚者支援のテレビ番組に出演して「さらばふるさと」を歌い注目を集めて後、ABC劇場に出演し大成功を収めた。
63年「世界の子供たち」がボーイ・スカウトの歌として採用され、徐々にマシアスの名声は広まって行く。
‘66年「いつも心に」が大ヒットして、ヴァンサン・スコット賞を得る。
翌年の世界ツアーでは、初の日本公演を実現。
1960年代に、アダモとともに日本に新しいシャンソン・ブームを作ったのだが、
マシアスが1967年4月にソビエトツアーのためモスクワを訪れていたとき、 あるホテルのエレベータの前で偶然に同時期に旅行をしていた日本のシャンソン歌手石井好子と出会ったと言う。
マシアスは右手に怪我していて、それを見た石井好子は彼をマシアスとは知らず、気の毒に思い同行していた日本人の医師の部屋へ案内して、手当てをしてあげたそうな。
この奇遇からかマシアスは日本進出への大いなる協力者を得ることになった。 その年の10月には、彼女の招きにより初めて日本を訪れ、公演を成功させている。
また、その後何度も石井音楽事務所の主催でコンサートに来日した。

参考
「パリに抱かれて」
  https://youtu.be/lDf8VhUqpWU
 「君の話をしておくれ」
  https://youtu.be/K8LFIFz3Gjo
 「愛しあう二人」
  https://youtu.be/aYhpqIzWgNM
 「愛は生命」
  https://youtu.be/rid2CzBf2vM
 「幸せに涙して」
  https://youtu.be/DEQFidfbO-A
 「愛のおそれ」
  https://youtu.be/I8AiWCA-mgI
 「わかっているよ」
  https://youtu.be/2Mc3mNqYV_s
 「いつでも歌を」
  https://youtu.be/3CWD2XLe7_E

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.181 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

最後の恋
I'll Never Fall In Love Again
トム・ジョーンズ Tom Jonesm
& エルヴィス・プレスリー Elvis Aron Presley

作詞Jimmy Currie 作曲Lonnie Donegan
本編は、Pf. 萩原えり子トリオのVer.1 と Pf. 江口純子氏の伴奏で、ちょっとティストの味付けが違うもののVer.2による2本立てになります。

・・・・以下、初稿版より抜粋・・・・
「Green Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)」はじめ、数多くのヒット曲を世に送り込んでいるトム・ジョーンズの代表曲の一つ。
1950年代の英で同年代のスーパースターとして活躍したロニー・ドネガンが’62年に作ったこの作品を、’67年にトムがリメイクしたものが大ヒット。
ロニー・ドネガンの盤はシングルとしてパイ・レーベルよりリリースしたがUKチャートには入らなかった。
トム・ジョーンズ盤は67年にシングルとしてリリース、1967年全英で2位、全米で49位に達しており、その後世界中でヒットしたが、その前年にプレスリーも採りあげてレパートリィにしていた。
2年後再びトム・ジョーンズのこのパージョンがアメリカでチャート・イン6 位を記録する大ヒットとなった。
同年のビルボード誌では年間8位を記録。
解説の詳細と音源初稿版は、下記にあります。
https://youtu.be/otzrLHAo1m0

参考
 やさしく歌って                
   https://youtu.be/_FDWRZVZEOs
 愛がすべて
   https://youtu.be/FWdb_PeLs4w
 夜明けのもがき
   https://youtu.be/sBchcOywq_g
 ボン・ヴォワィヤージュ
   https://youtu.be/1H3_1z8p28w
 レイ・チャールズに捧ぐ
   https://youtu.be/llHSIgdhmb8
 Lady【面影を心に】
   https://youtu.be/sWzhbPb6AYA
 あるがままに(神の思いのままに)
   https://youtu.be/TmVLuhFcLm4
 ブルースを唄う女
   https://youtu.be/MF89CYuqUIw
 セ・ラムール
   https://youtu.be/DZt7vMBrMj8

訳詞・歌 Sima
Ver.1
Pf. 萩原えり子 Bs.大西慎吾 Dr. 貝増直樹
In 銀座 Ami’s Bar

Ver.2
Pf. 江口純子
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.156 (改訂版)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

ラスト・ワルツ
La Dernière Valse ミレイユ・マチュー
& The Last Waltz エンゲルベルト・フンパーディンク


本編は、江口純子氏のPf.伴奏のVer.1 と私の地元のコミニティプラザ主催の「歌声喫茶」で良く知られている、一般的な和訳の歌詞で会場の皆さんとパフォーマンスしたVer.2 の二本立てです。
年寄りの冷や水で、つたないGt.と時に稚拙なハモリなどを担当させてもらっています。

「ラスト・ワルツ」の原曲は、イギリスの歌手エンゲルベルト・フンパーディンク Engelbert Humperdinckが1967年に発表して世界的なヒットとなった楽曲。
作詞・作曲は、バリー・メイソン、レス・リード
第1位(全英シングルチャート)
第1位(アイルランド)
第25位(Billboard Hot 100)
第6位(Billboard Easy Listening)
この年の9月6日から10月4日にかけて5週連続で全英シングルチャートの1位を記録した。

フランス語版はミレイユ・マチューにより、1967年にシングルとして発売。
タイトルも「ラスト・ワルツ & La Dernière Valse」で、内容は英語版の翻訳になっているようです。
その他、アメリカのペトラ・クラーク(1968年9やコニー・フランシス(1969年)等もアルバム収録。
日本では翌年の1968年2月に岸洋子が、「ラスト・ワルツ」としてリリースしてヒットさせました。
後年、尾崎紀世彦 - 1971年のアルバム『尾崎紀世彦ファースト・アルバム』に収録。
小野リサ も2003年のアルバム『ダン・モニール』にフランス語版の「La Dernière Valse」をカバー。

岸洋子は1962年に「たわむれないで」でレコード・デビューをし、1964年に「夜明けのうた」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、知名度をあげ実力を発揮。
シャンソン界では「魅せる越路・聴かせる岸洋子」等と言われていたようです。
しかし、1970年に膠原病という難病にかかり入院・闘病生活を余儀なくされました。
そんな中、「希望」が大ヒットして、二回目のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞して、地位を確立。
この年の大賞は「今日でお別れ」だったようですが、入院中の岸は授賞式に出席できず電話での挨拶だった。
もし、出席出来ていたら大賞は「希望」だったろうと菅原洋一が吐露していたとも言われている。
翌年には膠原病を一時克服し退院して再起しましたが、後遺症が悪化し1992年12月11日に57才という若さで他界しました。

訳詞・歌 Sima
Ver.1 
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.181 (初稿)

Ver.2  
Pf. 石橋浩子 Gt. Sima
in 習志野市民プラザ大久保主催「歌声喫茶」
歌・Topaz (Hiroko & Sima)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

愛、愛、愛
L'amour l'amour l'amour
ムルージ Mouloudji


当作品は、砂原嘉博氏のPf.伴奏Ver.1 と 江口純子氏のPf.によるVer.2 の2本立てになります。

作詞:Yves Stephane、作曲:Jack Arel
1963年のアルバム:Voulez-vous danser…avec Mouloudjiに収録。
アルジェリアからの移民の父と仏・ブルターニュ出身の母から生まれたムルージは、詩人ジャック・プレヴェールJacques Prévertに見出されて役者として舞台に上がり、そののちステージで歌うようになり、52年に「小さなひなげしのようにComme un p'tit coquelicot」がヒットしてディスク大賞を受賞し、一躍有名になりました。
歌手、俳優であっただけでなく、小説家、画家としても活躍した多才な人で、小説「エンリコEnrico」は本名マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの名で出されてプレイヤード賞を受賞し、日本語にも翻訳されています。
「枯葉」も歌っていますが、それにちなんだ「サンフランシスコの6枚の枯葉」はムルージ自身が1969年に作詞・作曲して知られたヒット曲で、日本のシャンソン歌手たちにもよく歌われる人気曲。
その他「パリの郷愁」’51年もムルージの作詞、「いつの日か」’53年や、ボリス・ヴィアンの名曲「脱走兵」’54年、映画フレンチカンカンの主題歌「モンマルトの丘」’55年がよく知られた名唱作品ていうところか。

Ver.2 の画像が何故かタイトになってしまいました。
保存の仕方が違ったものと思いますが、申し訳ありません。

訳詞・歌 Sima
Ver.1  Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール

Ver.2  Pf. 砂原嘉博
In 新宿 Chansonの店「kuwa」
訳詞 no.181 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

傾いた道しるべ
小椋佳作詞・作曲 (1975年・昭和50年)

布施明に提供され、1975年大晦日の「第17回日本レコード大賞」など数々のグランプリ受賞曲となった「シクラメンのかほり」に次ぐ両者のシングル曲。
布施盤はオリコンチャート上の売上枚数は35.1万枚を記録し、同曲名のベストアルバムも発表された。

小椋佳のアルバムに登場するのは、「小椋佳大全集」(1987.11.01)に収録されたセルフカバー集が最初の収録。
直後のアルバム1987/12/01「彩影」にも収録されている。
2006年 小椋佳~自分史ベスト35 35th Anniversaryスペシャル・ベスト・アルバム で
3部構成の中の「愛と優しさ」をテーマとした2部に収録。

第一銀行と勧業銀行の合併から4年、まだまだいろんなことに翻弄されていた時期だったと思います。
そんな頃の自らの心象を顕わした作品なんでしょうか・・・。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
 妻を恋うる唄
   https://youtu.be/sZYFHlYFN60
 少しは私に愛をください
   https://youtu.be/H9RUPc8NWRI
 誰もいない海
   https://youtu.be/bFIpCYK7GsI

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

いつでも歌を
Chanter
(エンリコ・マシアス Enrico Macias)
作詞 ジャック・ドマルニー 作曲 E.マシアス で 1966年のヒット曲。
“歌”&“歌う”ということの意義についてのメッセージが込められているようです。
「“歌”は、魔法のように、すべてを変えたりすることが出来る」
人々の心には、愛と歌が必要だし、それさえあれば十分だということのようだ。
マシアスが歌にかける信念を感じさせるような曲でもあります。

私の歌も訳詞も不十分で、見直しを前提としてとりあえずあげてみました。
お聞き苦しい点はご容赦ください。

参考
涙のベルジェ
   https://youtu.be/JZpT8ysOsCY
 愛の恵み     https://youtu.be/bsMtx7XKUIo
 消え去りし友
   https://youtu.be/losuPvfoNtM

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.180 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109...

誰もいない海
越路吹雪 & トワ・エ・モワ
作詞 山口洋子 作曲 内藤法美

本編は、トワ・エ・モワVer と、越路吹雪Ver の二本立てになります。

1967年のNET TV「木島則夫モーニングショー」今週の歌として作られ、ジェリー伊藤が創唱。
2018年のテレビ朝日系列ドラマ「越路吹雪物語」の主題歌としても採用、大地真央氏が歌唱。

1968年、CBSソニーから発売されたシャンソン歌手の大木康子が歌ったシングル盤が初レコード化。

更に、1970年11月に東芝音楽工業から発売されたトワ・エ・モワが歌ったシングル盤が大ヒット(オリコン16位)した。
トワ・エ・モワと同日発売で越路吹雪のシャンソン調シングル盤をリリース、競作となった(オリコン92位)。
トワ・エ・モワのヒットにより、シャンソンよりフォークのイメージが強い。
追って、オリジナル歌手のジェリー伊藤がレコーディングしたシングル盤は1971年に同じ東芝音楽工業リバティレーベルから発売され、3番はジェリー自身による、英語の歌詞で歌われている。

なお、作詞者の山口洋子は現代詩畑に属する詩人で、銀座の高級クラブの経営者で、演歌・流行歌でも知られる作詞家の山口洋子氏とは、同姓同名の別人である。
また作曲者の内藤法美は、越路吹雪の夫君である。

1970 (昭和45)年は、世相的には第二次安保闘争が終結した年でもある。
前年には、東大紛争や新宿駅周辺の学生運動争乱・乱闘事件など騒然としていた世情でした。
この闘争は、学生(全共闘など)・ベ平連等が加わった激しい運動でしたが、結果的に日米安全保障条約の改訂を阻止できず、挫折感や絶望感を体験した若者が多かったといわれる。
そんな若者たちや前衛的市民の心を反映したとも言われるが、どうだろうか・・。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
 妻を恋うる唄
   https://youtu.be/sZYFHlYFN60
 少しは私に愛をください
   https://youtu.be/H9RUPc8NWRI

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

知らなかった Non Sapevo ミルバ MILVA 作詞:B.Pallesi 作曲:P.Calvi

Milva 1963年サンレモ出場した時の入賞曲。
日本では1964年6月アルバム「ミルバ・イン・トゥキョウ (MILVA IN TOKIO)」がキングレコードより発売され、知らなかった (NON SAPEVO) 収録。
他には、ラ・ノビア [伊] (LA NOVIA) .ミロール [伊] (MILORD) ウナ・セラ・ディ東京[日] (UNA SERA DI TOKYO) リコルダ (RICORDA) タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) 等がみられる。 
1996年には「ミルバ・日本語の歌」が発売されて、日本語詞で収録される。
1970年の来日記念盤にも収録。

ミルバは、1939年7月17日、イタリア生まれ、家族を支えるため10代の頃からダンスホールで歌い始めます。
映画「麗しのサブリナ」に出ているオードリー・ヘップバーンに似ていると気付き、初興行の時に髪を短くサブリナ・カットにして「サブリナ(Sabrina)」という芸名で、トスカーナ・エミリア・アペニン地方のダンスホールすべてを回ったりしていた。

59年にイタリア国営放送のコンテストで優勝し、翌年にデビューし61年から9年連続でサンレモ音楽祭に出場してます。ミーナ、オルネッラ・ヴァノーニと共に3大プリマ・ドンナと称されました。
数々のヒット曲を生み出し、60年代を通じてポップス・シンガーとして大きな人気を博した。
70年代に入ると活動の場を広げ、オペラに挑戦するなど、自身の表現領域をさらなる高みへと押し上げる。
1971年に「ミルヴァ・カンタ・ブレヒト」を発表して以来ヒット・メーカーとしてよりも芸術性を重視するようになり、イタリアのカンタウトーレのフランコ・バッティアートやエンツォ・ヤンナッチの作品集の発売、オペラへの出演、アストル・ピアソラとの共演、といった活動を行っています。
イタリアよりもむしろドイツや日本での人気が高く、特に日本にはたびたび来て毎回異なったテーマでコンサートを行っているほか、日本語によるアルバムや谷村新司の曲をイタリア語で歌ったアルバムなども発売しています。
以降、長きに渡り現役であり続け、日本でも数多くの公演を行なっている。
日本の楽曲もカバーしていて【昴】【夜明けのスキャット】【過ぎ去りし想い出は】【ウナ・セラ・ディ東京】1964年Una Sera Di Tokio等々。

参考
 「愛遥かに」
   https://youtu.be/615-Wv2bdoo
  タラッサ
   https://youtu.be/NTlHs_dJOps
  夜のタンゴ
   https://youtu.be/fq5tP2kx83s

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 
in 市川 ラ・メール
訳詞 no.179 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

少しは私に愛を下さい
作詞作曲;小椋佳 
この歌は1971年発表のセカンドアルバム「雨」に初収録されたものです。

ポリドールの営業会議で、井上陽水と小椋佳の写真が並べられて論議され、結果的に陽水が売り出されることとなる。
それでも何とか1971年「青春 〜砂漠の少年〜」でデビュー。
アルバムで世界観を創るという方針から当時としてはめずらしい、アルバムでのデビュー。
当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。
当時のフォークソング界はアグレッシヴな傾向があり、ラブバラードなどを歌うと野次が飛んだというが、小椋佳の曲が受け入れられたのは、どこか演歌にも通じるようなエスプリが感じられたからだろうか。

ファーストアルバムが制作費をカバーできる程度に売れたので2枚目のLP『雨』に着手。
「東大卒の謎のシンガー」で行くことにして顔の露出をしない売り方を貫き、小椋の情報はテレビやマスコミ、外部にはすべてシャットアウトにした。
ラジオで少しずつ流して、人々の間に広まっていけば、絶対いいものを創ってるんだから売れないはずがないと思っていたというのが当時の制作者の信念だったという。
小椋自身は、こんなことが続くはずがないと思っていたので銀行を辞めなかった。

しかし ‘72年『彷徨』’75年『夢追い人』の2枚は、オリコンTOP3に連続11週チャートインという、未だ破られていない最高記録を持つ大ヒットとなり自らの地位を確立することとなる。
小椋は譜面が書けないので、ギターのコードを弾きながら書いた詩を口ずさんで曲にしていくという手法で、それをカセットに録音してミュージシャンに譜面に起こしてもらっていたそうだ。

「少しは私に愛を下さい」は「恋歌」の体裁をとっていますが、秘められたメッセージがあるという。
1971年は小椋氏が勤めていた日本勧業銀行と第一銀行が合併して第一勧業銀行(現:みずほ銀行)が誕生した年でした。
合併はしたものの勢力争いの下で冷遇される立場の辛いサラリーマンの悲哀と皮肉を込めてが誕生したという話がネットの中で散見されます。
また、歌中の「バラ」は勧銀のマークで人事部に知られて怒られたともいわれている。

他の歌手への提供曲も多く、1975年の「シクラメンのかほり」(歌:布施明)は第17回日本レコード大賞などを受賞した。、「俺たちの旅」・「時」・「俺たちの祭」(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)、「夢芝居」(歌:梅沢富美男)等々。

参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
 ワインレッドの心
    https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
 見送った季節のあとで(by Sima)
    https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
 過ぎ去りし想い出は
    https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
 季節の中に埋もれて
    https://youtu.be/eVK_876CrU0
 翌朝
    https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
 歩きつづけて
    https://youtu.be/M21qmIwXb5I
 時代おくれの酒場
    https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
 涙をふいて
    https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
 身も心も
    https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
 光る河
    https://youtu.be/OePtQPk8LWc
 昔聞いたシャンソン
    https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
  https://youtu.be/Y120MMPYx0U 
 酒と涙と男と女
    https://youtu.be/efSTPB1viGQ
 小心者
    https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
 黄昏のビギン
    https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
 街の灯り
   https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
 おんな道
   https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
 妻を恋うる唄
   https://youtu.be/sZYFHlYFN60

Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/