少しは私に愛を下さい
作詞作曲;小椋佳
この歌は1971年発表のセカンドアルバム「雨」に初収録されたものです。
ポリドールの営業会議で、井上陽水と小椋佳の写真が並べられて論議され、結果的に陽水が売り出されることとなる。
それでも何とか1971年「青春 〜砂漠の少年〜」でデビュー。
アルバムで世界観を創るという方針から当時としてはめずらしい、アルバムでのデビュー。
当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。
当時のフォークソング界はアグレッシヴな傾向があり、ラブバラードなどを歌うと野次が飛んだというが、小椋佳の曲が受け入れられたのは、どこか演歌にも通じるようなエスプリが感じられたからだろうか。
ファーストアルバムが制作費をカバーできる程度に売れたので2枚目のLP『雨』に着手。
「東大卒の謎のシンガー」で行くことにして顔の露出をしない売り方を貫き、小椋の情報はテレビやマスコミ、外部にはすべてシャットアウトにした。
ラジオで少しずつ流して、人々の間に広まっていけば、絶対いいものを創ってるんだから売れないはずがないと思っていたというのが当時の制作者の信念だったという。
小椋自身は、こんなことが続くはずがないと思っていたので銀行を辞めなかった。
しかし ‘72年『彷徨』’75年『夢追い人』の2枚は、オリコンTOP3に連続11週チャートインという、未だ破られていない最高記録を持つ大ヒットとなり自らの地位を確立することとなる。
小椋は譜面が書けないので、ギターのコードを弾きながら書いた詩を口ずさんで曲にしていくという手法で、それをカセットに録音してミュージシャンに譜面に起こしてもらっていたそうだ。
「少しは私に愛を下さい」は「恋歌」の体裁をとっていますが、秘められたメッセージがあるという。
1971年は小椋氏が勤めていた日本勧業銀行と第一銀行が合併して第一勧業銀行(現:みずほ銀行)が誕生した年でした。
合併はしたものの勢力争いの下で冷遇される立場の辛いサラリーマンの悲哀と皮肉を込めてが誕生したという話がネットの中で散見されます。
また、歌中の「バラ」は勧銀のマークで人事部に知られて怒られたともいわれている。
他の歌手への提供曲も多く、1975年の「シクラメンのかほり」(歌:布施明)は第17回日本レコード大賞などを受賞した。、「俺たちの旅」・「時」・「俺たちの祭」(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)、「夢芝居」(歌:梅沢富美男)等々。
参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲
ワインレッドの心
https://youtu.be/r3NbPdFzKY4
見送った季節のあとで(by Sima)
https://youtu.be/Tw_-kmBdw-E
過ぎ去りし想い出は
https://youtu.be/JcqdkQ0DZvI
季節の中に埋もれて
https://youtu.be/eVK_876CrU0
翌朝
https://youtu.be/Wsb8PNeUcQI
歩きつづけて
https://youtu.be/M21qmIwXb5I
時代おくれの酒場
https://youtu.be/_mRZYO4wh0U
涙をふいて
https://youtu.be/UmcXcv6wcE8
身も心も
https://youtu.be/IoBKqW9Oy8Q
光る河
https://youtu.be/OePtQPk8LWc
昔聞いたシャンソン
https://youtu.be/SARNQLq7kyM
仏語版 わかって下さい 「信じているよ」
https://youtu.be/Y120MMPYx0U
酒と涙と男と女
https://youtu.be/efSTPB1viGQ
小心者
https://youtu.be/EFbUqgOy3Bg
黄昏のビギン
https://youtu.be/lPSFX0pdPnY
街の灯り
https://youtu.be/2ck6PSm8cPA
おんな道
https://youtu.be/F7lnQ2jMPXE
妻を恋うる唄
https://youtu.be/sZYFHlYFN60
Cover by Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/