食器の利用方法


 東洋と西洋では磁器が”どのような使われ方”をされてきただろうか?

 またその違いはどんなだったろうか?みていこうw

                     


                       日本では


 江戸時代に装飾用に作られた磁器は数々あるが、幅広い意味で多くは“食器”として利用されてきた。

だから料理に合わせた器(うつわ)は何でも作られたんだよ。


 作られた器は芸術品に匹敵する程の高級品から普段使う雑器まで様々で、その用途は限りなく範囲が広かったんだ。


 その種類はとてもこのページの範囲内で説明出来るものではない(笑) あまりにも広すぎるのだ。

ちょっとだけ挙げてみようw

 

 大きな器、小さな器、深い器、浅い器、背の高い器、低い器、丸い皿、四角い皿、

細長い器、楕円形の器、蓋付きの器、スプーン代わりの器 ・・・・


きりがない(笑)


そのほかに花瓶・土瓶・飾り物・トイレの便器・タイルと様々だ。


 日本国中、“粘土”と“陶石(磁器の素材)”さへ出れば、どの地域でも作る事ができたんだよ。○○焼きという名を持つ地域は全てがそうだねw 

 代表的な地域と云えば、有田(佐賀県)・九谷(石川県)である。皆さんもご存じではないかな(笑)?

 

 このように私たち日本人は何百年にわたって食器に慣れ親しんできた。そのため、料理と食器の共存関係が自然と身に付いてしまったのだ。

 “(盛られる)料理の値段”がそのまま“食器の価値”として反映されるようにもなったんだよ。

 


 当時の高い器は大皿・(花瓶)といった豪華で絢爛(けんらん)できらびやかな食器であり、飾り物としても取り扱われた。

安い器は湯のみ・うどん丼・そばチ代久・酒徳利・杯・飯茶わん等々の様に使い捨てとして取り扱われた。


 このように生活感溢れる磁器が沢山作られていた。

それが何百年にわたって日本独特の食器文化として生き続けてきたんだな。

 


 もし皆さんが海外に出かけた機には日本製磁器の種類の多さに是非とも自慢してもらいたい。


 では西洋の食器はどのような利用の仕方だったろうか?



続く! 



              西洋での200年以上前の食事風景


 西洋では食事の時間になると、何枚かの金属製のお皿をテーブルに置いた。

当然鉄製か銅製か銀製だ。随分重たい食器を使っていたのだ。飲み物でミルクを注ぐには陶器製かまたは金属製の器を使っていた。

 現代のように合金で出来た真鍮・ステンレス・アルミニューム製などの軽い食器などは作られていないよ(笑)


 夕食時には首長である父親が丸焼きにした肉を一人ずつナイフで切って家族のお皿に分け与えていた。

 分け与えられた肉を家族全員が”手づかみ”で”むしゃむしゃ”食べていたのだ。もちろん使っている手は脂だらけ。

 彼等はナイフは利用していたがフォークは利用していなかった。下男・下女はテーブルの周りに待機していて、食事をしている家族の世話をしていた。

 上流階級の貴族でさへこうした食べ方をしていたのと思われる。

 正直、私も全く知らなかったね。(詳しい話はまた後で)

 

 そこでちょっと想像をしてほしい!

 お城の中では殿様・お妃さま・貴族たちも手づかみで食べている姿を!

 今の私たちが見たらどんな光景だったろうね??




                    食卓に革命が


 それが磁器の発明によってヨーロッパじゅうの食事風景ががらりと変わってしまう。


 これにより特権階級の生活は“破損しない安物金属文化”から“割れやすい最高級磁器文化”へ時代が変わる。

 彼等は高価なフィギュアと同じ感覚で食器を扱っていたんだね。


 つまり、美しさだけが強調された色鮮やかな食器がもてはやされたんだ。



 恐るべき”磁器の祖”マイセンと言いたいw





 さて、次回から話をがらりと変えたいと思います。 

 日本製磁器の歩みと西洋磁器の歩みについて見ていこう。


 次号もお楽しみにw

    

                  ドイツ・マイセン近辺では


 私の推測だが・・・

 西洋ドイツ・マイセンという地に磁器が発明されると、人々の磁器に対する感心度は異常なまでに激しかったと想像できる。


 街の人々は最高級品として”飾られたフィギュア”を見るたびどんな想いをしただろうか。それは“実に美しい”ワンダフルの一言だったに違いない。(ドイツ語ではワンダバーと云うんだよw)


 『でも作り方がさっぱり分からない。一体どうやって作ったのだろう??』


 こんな疑問を抱きながらミステリアスな磁器を人々は眺めていたのではないかな。



                  製造方法を求めて


 そこで一躍有名になったマイセンの地へは人々がつぎから次へを訪ねてきたのではないだろうか。 

 磁器を売って、ひと儲けを企んだ商人も少なくないはずだ。同時にその製造方法を探りに来た技術者もそっと訪れていたのではないだろうか?


 私の憶測であるが、”今まで謎であった作り方”を求めて、ヨーロッパじゅうから多くのスパイが街中をうろうろ歩き廻っていたに違いない。

 

 そこで私は当時スパイがどこをほっつき歩いていたのかヨーロッパの旅に出かけたんだな。特にドイツを中心に陶磁器街道を歩き回ったが、探し当てるのはそんなに簡単なものではなかったんだよ。 (これはいつかまた私の旅日記で後で書くことにするよ)



ところで・・・

当時のヨーロッパでの食事方法はどうだったのだろう??



続く!



注; 西洋で作られていた陶器は低温度で焼いた生地(土管とか瓦)に白い釉薬(ゆうやく)をかけたものだ。ヨーロッパでは陶器は有り余るほど作られていたが磁器ではないんだよ。

陶器と磁器の違いについては陶磁器知ったかぶり 第一号を参照くてくださいねw


 

磁器には三つの魅力が


  先ずは磁器の持つ3つ魅力をこっそり教えよう。


壱)雪のように真っ白である

弐)透明度がある  

参)鏡の様に光輝いて見える 


 そして、この三つの魅力に得るために必要な技術とは・・


イ)粘土(原料)発見  

ロ)釉薬(原料)の発見

ハ)焼成温度(焼く際の温度)の発見 


 以上三つの条件を発見するのが不可欠だ。

 約270年前までの西洋には磁器を製造する能力が全くありませんでした。

 

 私は何度実験しても失敗だらけのエピソードを博物館の案内人から何度も聞かされた。

 その一つの例として; 光り輝いて見える最適な焼成温度を探し出すにも?


イ)1400℃の高温度で焼成してしまった為に磁器化が進み過ぎ、原型に亀裂が入ってしまう。  

ロ)あるいは粘土が耐えられず元の形が崩れてしまう。
ハ)反対に1250℃の低温度で焼成すれば表面に光沢が出ない。

 といった具合だ。


しかし、磁器を作り始めると研究の過程で次々とその条件を発見し、結果的に全ての秘密をクリアしてしまいます。


こうしてマイセンという地にヨーロッパの磁器の原点が息づき始めるんですよ。



続く!!



                 初期の西洋磁器は人形


 今から250年ぐらい前、”独り占め”にして作られた磁器の内、ほとんどが人形でした。

 博物館(ドイツ)などに残っているフィギァ(人形)を見ると当時の努力が垣間見える。ひび割れていたり、欠けていたりした失敗品も沢山展示してある。

 “馬車に王妃様が乗っている風景”とか”マリヤ様が男の子を抱いている姿”、”野外でランチを楽しんでいる風景”、”兵隊が並んでいる”、”公園での男女” とかいった当時の時代そのものが人形として作られていたんだ。


 それにしても作られた磁器の価格は銀の重さに匹敵したぐらいだからものすごく高かった。それでも地方の貴族たちは買ったんだよ。

 現代価格にすると 乗用車一台分くらいかな?百万円・二百万円はたまた一千万円という単位。贅沢の極みだったんだろうね。



                      磁器製食器


 さて、少し遅れて磁器食器が磁器製の人形という過程を経た後に最高級品として取り扱われはじめます。

 そういった場に招かれた貴族達は”磁器の食器”で出された料理にさぞかしびっくり仰天したのではないだろうかw?
 初めて見る“お皿”でもてなされた貴族達は、どんな気持ちで食べていたのだろうね?? 想像してみるとおもしろいw



 ところで、当時作られた製品はまだまだ白さだけを求めた磁器に過ぎません。

 それは磁器の持つ”三つの魅力”のうち“一つ”を手に入れただけです。



 しかし、実はその魅力の一つを追及することで磁器の持つ他の二つの魅力を知らぬうちに手に入れることとなるのを当時の彼等は思いもしなかったでしょうね。

 


 それでは、その残り二つの『魅力』とは何か? それを次回からお話しましょう。




続く!