河西回廊の西端にあるオアシス敦煌は、ゴビ灘に浮かぶ砂漠の町。
面積約2万7000平方キロの大地に、約14万人が住んでいる。
敦煌は、武帝の時代に西域侵略によって奪い取ったところで、西方への前線基地としての役割を果たしてきた。
大兵団が駐屯し、発進し、幾百万もの人馬の屍を砂漠の中に埋もれさせた。
そんな血なまぐさいイメージの敦煌も、時代の流れとともに平和的な面を持った都市に変わっていく。
古来より中国と西域との出入口でもあったので、軍事基地としての性格から、人や物資や、文化が交流する場所へと移り変わっていく。
敦煌を代表する観光名所といえば、何といっても莫高窟だ。
雲崗石窟、龍門石窟と並び中国三大石窟に数えられる世界文化遺産で、その起源は366年。
乱世の十六国時代、それを統一した北魏、そして西魏、北周、隋、唐、五代、宋、西夏、元、清……と、千年に渡って堀り続けられたため、各時代を映した特色あふれる膨大な量の美術品を見ることができる。
また、敦煌市街地から50キロほど南へ行くと、東西約40キロ、南北20キロに渡り砂丘が広がっている。鳴沙山だ。ここは、日本人がイメージする「月の砂漠」にピッタリの場所。美しい砂の中には三日月形の泉が浮かんでおり、その形から「月牙泉」と呼ばれている。
さらに敦煌周辺には、玉門関や陽関、漢長城、ヤルダン魔鬼城のような史跡も多く残されており、見どころは尽きない。
敦煌空港は市の東13キロのところにあり、市内まではタクシーで約30分。
私のように列車で移動する場合は、町から130キロほど離れた柳園駅を利用することになる。西安を出ておよそ26時間。
柳園駅は、何の変哲もない駅であった。だが派手な大都会でないのが私には嬉しかった。。駅前広場の店は、どこもまだ閉まっていた。 敦煌の朝は遅い。午前8時を過ぎているのに、あたりは暗かった。タクシーを拾い、一路敦煌へ向かつた。柳園の町を抜けると、すぐ砂漠になった。ゴビ砂漠だ。荒涼とした大地の果てから真っ赤な太陽が輪郭をのぞかせている。日が高くなるにつれて、まばゆい光が大地を黄白色に変えていった。ごくたまにトラックがすれ違うくらいで、交通量は少ない。
砂漠の中のアスファルト道路を、車は一直線に南へ走っていった。
砂漠の中には、背の低い固そうな草が、まばらに生えている。
これがラクダ草かもしれない…と思った。
2時間ほどして、前方に帯状に広がる緑の樹林帯が見えてきた。
運転手が「敦煌(トンホワン)!」と前方を指して言った。
いつか訪れたいと思っていた敦煌が目前に迫るのを見て、胸の熱くなるのを感じた。
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