嘉峪関の中心部に高々と聳えるモニュメントを眺めながら、車は南の方向に向かった。小麦が芽吹いたばかりの緑の絨毯が広がっている。まだ芽の出ていない瓜や綿畑は耕されたままの黄土色で、所々に羊が群れを成していた。この地方の農産物には、他に青唐辛子、タマネギ、ジャガイモ等があるという。田園地帯を過ぎて、およそ二十五キロ程行くと、カラフルな家並みが続く集落があった。色とりどりの、祈りのチベット風タルチョのような旗が、左右の並木や電柱に吊るされ、道の上の空間にも張り巡らされている。チベット風柄のパオもあり漢人の集落とは大分異なる雰囲気といでたちである。運転手の李さんの話ではここには裕固(ユグル)族、モンゴル族、チベット族、ウイグル族、カザフ族などの少数民族が住んでいるという事だった。その集落の奥まったところの高台に十三層もの高さの仏塔が聳えていた。
文殊寺という古いお寺で、この地域の観光スポットにもなっているようだ。
王氏と私は、一木一草もない岩山の坂道を上って行くと、途中に管理人小屋があった。王氏がそこで拝観料を払っている間、管理人住居奥に大きな犬がこちらを覗っていたので、犬好きな私は、親愛の情を以て頭などを撫ぜてやろうと、近づいた。が、その瞬間犬は猛犬に豹変し、猛然と襲い掛かってきた。私は驚愕しサッと手と身を交すと、犬のロープがビューンと鳴った。私は犬が繋がれていたので、寸前(すんで)のところで助かったが、私を噛み損ねた腹いせか、変な言葉を操る怪しい外国人と思ったのか、犬は私達が遠ざかっても、いつまでも吠え立てていた。
王氏と私は、一木一草もない岩山の坂道を上って行くと、途中に管理人小屋があった。王氏がそこで拝観料を払っている間、管理人住居奥に大きな犬がこちらを覗っていたので、犬好きな私は、親愛の情を以て頭などを撫ぜてやろうと、近づいた。が、その瞬間犬は猛犬に豹変し、猛然と襲い掛かってきた。私は驚愕しサッと手と身を交すと、犬のロープがビューンと鳴った。私は犬が繋がれていたので、寸前(すんで)のところで助かったが、私を噛み損ねた腹いせか、変な言葉を操る怪しい外国人と思ったのか、犬は私達が遠ざかっても、いつまでも吠え立てていた。
私と王氏は色とりどりの旗がはためく道に沿って、急坂を上ったり下りたりした。道の両側には梨の木が植えられ、小さな白い花が満開に咲き誇り、疲れを癒してくれる。チベット族の端正な顔立ちの、若い女性が歩きながら説明か何か話しかけてくる。言葉が分らないので何の事かサッパリ分からない。私は無視して前へ進んだ。周囲の岩山の中腹にハチの巣のように無数の石窟があり、その幾つかを見て回った。石窟の内部は極彩色の派手な神仏が祀られ、線香が手向けられていた。私が王氏に「これ何の神様?」と尋ねると「観音様と弥勒菩薩」と言った。日本とはまるで異なる姿形に、「ホントかよ…?」半信半疑で頷いたが、それ以上は訊かなかった。
お寺の肌けた岩の高台から南方を望むと、目前に祁連山脈の前山、その奥には真っ白な雪を頂いた祁連山脈が悠然と輝いていた。最後に辿り着いたのは、十三層の三角形の巨大な仏塔であった。実に高く立派だ。赤、青、黄、白色などの旗が各層にはためき、これまたカラフルである。掲げられている意味はチベット族と同じ意味なのかは分からないが、異国で生まれた宗教が民族のるつぼの中で姿を変えて表されているのであろうか。元々中国では在来の宗教や思想があったが、そこえ仏教が入ってきて、その結果軋轢が生まれ、後に融和と混合を経て、やがて社会主義の苛烈な弾圧を受けた。今では中国人自身も迷信とか悪習とか信仰の区別がつかず、宗教の実態が分からなくなっていると言われている。真に信仰に拠り所をを求めている人々は、この地域に住むような少数民族の人達に違いない。そう考えながら文殊寺の坂を 下りていくと、見下ろす寺門の右側に、表通りから隠れるように戦車や装甲車が物々しい雰囲気を漂わせせて並んでいた。私はギョッとして、ずっと気になっていた、先程の、たえず話しかけ続けた、チベット族の若い女性の顔を思い浮かべた。その端正な顔立ちは、私達に何かを訴えたかったのではないか…と。こんな山村の少数民族の集落でも、人民解放軍が駐屯し、監視しているのかと思ったら、私はここの少数民族の人達に無性に連帯感を感じずにはいられなかった。
私がすかさず写真を撮ろうと戦車や装甲車にカメラを向けると、王氏は「あぶない!」と言って止めた。私はしばらくその場で様子を見ていたが、王氏の離れた隙に、シャッターを切った。「カシャッ!」と音がして私はビクッとした。彼に背いた事で、私の心は少しやましい気分になり、少し沈んだが、私はどこへ行っても、ありのままの姿を求めて旅をしているのだからと、自身に言い聞かせ、帰路の車に乗った。車が走り出して暫くして、王氏は言った。「戦車撮ったでしょう!公安に見つかったらどうなると思う……」彼は胸を撫で下すように言って、苦笑いした。
私はこんな山村の部落に迄、監視の目があるように思えなかったが、彼への謝罪の気持ちと、中国政府の少数民族政策への閉塞感がない交ぜになり、すごく虚しい気持ちになった。
文殊寺前の道路を砂塵を上げて走る戦車 仏塔から見下ろすと戦車がズラリと並んでいた