魏晋文物博物館入り口

 

  嘉峪関市街から北東に車で三十分程走ると、簡素な墓遺跡を管理する魏晋文物博物館があった。そこは一帯が荒涼たる砂漠の中で、千を越える墓が地中に点在しているという。そのうち発掘されたものは十八基で、現在公開されているものは六墓と七墓のみという事だった。私と王氏は博物館の学芸員の女性に案内されて、六号墓の階段を下りていった。墓の中はひんやりと涼しく、そこには千七百年前の人が永遠の眠りにつく死生観が込められていた。レンガ一枚一枚に描かれた彩色壁画は、三世紀のものとはとても思えない、鮮やかな色彩で、デザインや描線やタッチも繊細に描かれている。私はそれらを写真に収めたかったが、撮影禁止であった。

荒涼としたこの砂漠の下に千を超える墓が眠っているという

 

  彩色壁画には、墓主の華やかで贅を尽くした生活が、克明に描かれていた。痩せた農奴が農耕や牧畜に汗を流し、粗末な衣服の使用人らしき女が蚕から繭を紡ぐ。肥(ふと)った主(あるじ)は従者を連れて狩猟に精を出し、宴では歌舞音曲や賭け事に興じている。料理人が羊を屠殺(とさつ)する場面の、血の赤色は特に鮮烈である。その後、皮を剥いでなめす作業まで克明に描かれている。とりわけ印象に残ったのが、墓主夫婦と使用人の体格の違いであった。当時の身分差を表現していて大変興味深い。

  広い墓室の四面いっぱいと天井一面には、当時の様々な生活の姿が贅を誇るように描かれていた。ドーム型のレンガの門の次の部屋も絵がびっしりと描かれており、最奥の部屋には分厚い木で造られた長方形の棺が安置されていた。私はしばらく案内人の几帳面な説明を聞いていたが、あまりの絵の多さに少し退屈になった。

  私が最も興味深く感じたのは、最初の石室のレンガの壁に開けられた、人が入れるサイズの楕円の穴の跡だった。内部には金銀宝飾品など、死者の副葬品が膨大にあったに違いない。しかし、ある日の事、それが盗掘されてしまう。レンガで組み立てた石室は、無原則に外部から穴を開けると、ドミノ倒しのように全てのレンガがガラガラと崩れて埋まってしまう仕掛けになっているという。そこでこのドーム型の石室を造った職人が、盗掘者なのだと案内の学芸員の女性は言った。私はその盗掘の穴の跡をまじまじと眺めながら、なるほど、レンガの一つ一つを上手く外してあるものだと得心した。

魏晋壁画墓を後にして私達は一旦嘉峪関市街に戻った。   

 

  

魏晋文物博物館に展示さ れていた墳墓内の様子、墳墓内の実際の棺にはミイラがあった。