引続き、九州・福岡プチ旅です。

宿泊の目的地は熊本県『山鹿温泉』!

 

秋に『山鹿温泉』お隣…と言ってよいくらいの距離にある『平山温泉』に宿泊して、その帰りにも『山鹿温泉』の街には訪れておりました。

『平山温泉』のお湯がよかったし、今度は『山鹿温泉』に…ということでやってきました。

一部重複がありますが(笑)、よろしかったらお付き合いを。

 

『山鹿温泉』は福岡県との県境にも近くて、気軽に行ける距離にある温泉地。

『山鹿燈籠祭り』で有名な観光地でもあります。今年(2025年)は、急な豪雨で燈籠祭りのクライマックス『山鹿燈籠千人踊り』は中止されてしまいましたが、例年沢山の観光客でにぎわう…らしい(笑)

丁度お祭りのときには訪れてないのですよね~。実は訪れたときは8月上旬…『山鹿燈籠祭り』の前の、おそらく街の人たちは準備に追われていただろう、ときでした。

 

そんな『山鹿温泉』は趣のある温泉街です。

 

朝、ゆっくりめにFUKUOKA市内を出立し、久留米市内ででお昼ご飯と文化に触れる散策をした後に、夕方山鹿に到着!!

本日のお宿は、『菊池川』に面したお宿、『山鹿温泉 清流荘』さん。

明治41年創業の老舗のお宿です。

 

おお!!

到着してチェックインするときに出て来るおもてなし。なんと、シャンパンでお出迎え~!

真夏の久留米市街散策をしてきた者としては、染みわたる清々しさ。

ちょっと心地よくなるのがウレシイ。

 

露天風呂付客室です。

テーブルが掘りごたつ式になってる。快適ですね。

 

お部屋についている露天風呂…やっぱり露天風呂の貸切はサイコー!!です。

『山鹿温泉』は”ぬる湯”

少し沸かしているので冷たいわけではないのですが、ぬるめのお湯にゆっくり浸かるのが気持ちイイ。浴槽も広くてこれはノンビリ入っていられる!!

部屋は『菊池川』に面していて、景色もゆったり、目にやさしい露天風呂でした。

 

…なんですが、ここは大浴場にも入りたいのが人情?

お湯の加減はやっぱり部屋風呂の方がよいのですが、大きなお風呂は温泉旅館ならでは。

 

外には露天風呂。

『菊池川』河畔の景色は見えませんが(涙)、外のお風呂はまた格別。

 

足湯もあって、水の音を聞きながら、足元から温まることもできます。

 

さて、お風呂にゆっくり浸かったら…お食事!!

食事は食事処にていただきます。今回は8月に訪れたので『葉月会席』

まずは、食前酒と前菜を。鯛昆布〆小袖寿司、海老床漬など十種類のおつまみ。

 

鮪つみれのお椀…早松茸が浮いてる!

そしてお造りは三種のお刺身。

 

生雲丹の乗った茶素麺と、熊本…といえば、やはり馬刺し!!

 

煮物は枝豆と穴子の饅頭です。

器もイイですね。

 

焼物は、虹鱒のポワレ。

しっとりしていてレモンソースが適度な酸味でオイシイ。虹鱒は結構ボリュームがあって、この辺でも段々お腹いっぱいに…。

 

ということで!本日のメイン!!

黒毛和牛の陶板焼きです!!

すでに腹9分目を超えているような気がしますが(笑)、柔らか~い肉は、それぞれ1口でとろけるように胃の中へ…!

 

香の物と山鹿産のごはんをいただいて、デザートはプリンと山鹿羊羹。

は~お腹いっぱい…!

お部屋に戻って少し落ち着いたら、夜風に当たりながら露天風呂を満喫して、ゆっくり休みます。

 

そして、同じ会場での朝ごはん。

丁度良い量の温泉旅館の朝ごはん。

 

特に気になったのは(笑)、1階ロビーにあるバーカウンタ!

色々な種類のお酒が並んでいますが、何と言ってもウイスキー!!の種類。

ウイスキー好きな方にはたまらないでしょうね~。

お土産のコーナーも結構充実していて、ほぼお土産はお宿で揃いました!

 

 

 

さて、山鹿の街並の散策をしましょう!

生憎の雨がぼそぼそと落ちてくるような天気でしたが、土砂降りでもないので構わずGO!

『清流荘』を出てすぐに左手に見える高い煙突を目指して歩いていくと、『千代の園酒造』さん。

 

正面は『菊池川』で、いわばここが『豊後街道』散策の出発点。

 

明治29年創業の老舗のお酒屋さん。

こちら側は事務所の建物?でしょうか?立派な歴史的な建造物。

ショップは街道を挟んで向かいの建物です。

 

ショップの裏には見学ができる展示場もありました。

古い酒造りの道具が雑然と並べられている(だけの)展示場は、老舗の酒造屋さんには定番(笑)ですが、何となくこの手の展示場は親しみを感じます…。

 

どうして1つの酒造メーカーさんでこれだけの種類のお酒を造ることができるのだろう??というくらい、種類をそろえているお店も多くなっているように思うのですが、千代の園酒造さんのバリエーションは特に?多いような気がする。

今回は、酒蔵でしか販売していないという純米酒を購入。純米酒にしては値段もリーズナブルで、お尋ねしたところ、酒樽でできるお酒の部分をブレンドして調整しているから…ということなのですが、なかなか豊潤でオイシイ!お得な1本でした。それとお醤油も。

 

 

では、『豊前街道』を登って行きます。

前回、『豊前街道』をご紹介したときは、時間の都合もあって、北側の『豊前街道駐車場』から南へ半分くらい歩いたところまでで終わってました。

で、今回は、南側の菊池川近くから、北へ登って行きます。

 

歩き始めてすぐに目につくのがこのお寺『光専寺』さん。

400年前の熊本城築城の際、余った材木で作られた桜門を構える歴史あるお寺だそうです。

 

そして、その先に見えてくるのが、山鹿温泉のシンボル『さくら湯』さん。

温泉施設としても立派ですが、九州最大級の木造建築…だそうです。建築物に興味ある人はたまらない…かも。

『さくら湯』は寛永17年(1640年)に始まり、明治以降改修を重ねながらも、昭和48年(1973年)に取り壊されました。それが、平成24年(2012年)に日本の伝統工法による九州最大級の木造温泉として往時の姿で再び甦ったということです。

 

『さくら湯』さんの入浴施設の隣にはこのような展示場なんかもありました…が…こんなもの(笑)

昨日から今朝まで、『清流荘』で何度も何度も温泉に浸かったので、ここでの入浴はパス。

『さくら湯』さんから道路を挟んで向かい側の公園には「足湯」もあって、お風呂に入りながらのノンビリ散歩は楽しそう。

 

 

前回内部を見学しなかった『山鹿燈籠民芸館』

大正14年(1925年)に『安田銀行山鹿支店』として建てられた建物で、昭和48年(1973年)まで『肥後銀行山鹿支店』として使われていたもの。平成14年に国の登録有形文化財に指定を受けているものです。

 

内部は、国指定伝統的工芸品「山鹿燈籠」を展示しているのですが、「山鹿燈籠」というと、山鹿燈籠祭りの際に頭の上に乗せて踊る「金灯籠」を思い浮かべますが、ここで展示されているものは、燈籠祭りのときに大宮神社に奉納される奉納品として作られたもので、和紙と糊のみでできた、精巧な”模型”といえるものです。

”燈籠”と言いますが、実際には灯りを灯さないものも多いそうで、まさに伝統的工芸品です。

 

種類は様々で、歴史的な建造物、お城や伝統的な日本家屋をはじめ、機関車や人形などもあります。その精巧さには見とれるばかり。

超絶技能のペーパー・クラフトです。

 

前回の山鹿の紹介のときに見学した『八千代座』

これも山鹿燈籠です。ホンモノそっくり。

”模型好き”にはたまらない…時間を忘れてしまいます。

 

山鹿燈籠祭りのポスター…といえば、鶴田一郎さんの美人画。

毎年のポスター画の展示もありました。

 

別棟には工房もあって、職人さんが実際に制作されているところも見学することができます。

この日は、見習いとして金燈籠づくりに勤しむ方が居られました。

その細かい作業にはびっくり。

小さな施設ですが、見ごたえは十分な『山鹿燈籠民芸館』でした。

 

 

『山鹿燈籠民芸館』の先には、山鹿のシンボルともいうべき『八千代座』などもありますが、前回のレポートと重複するので今回は割愛。

車を『清流荘』さんに置いていたので、来た道を戻りながら、『温泉プラザ 山鹿』を覗いてみます。

 

『さくら湯』の隣にある、ショッピングセンター『温泉プラザ 山鹿』は、山鹿温泉街のショッピングの中核施設…だと思うのですが、ちょっと古ぼけてきた外観に少し不安?を抱きながら建物の内部に入ってみると…。

飲食店が並んでいたりはするものの、結構空き店舗もあって、平日午前中ながら館内は閑散とした感じが拭えません。

こういう老舗のショッピングセンターやスーパーなどは、立地は悪くないものの、大型の郊外店・モールなどに押されてしまっているのでしょうね。

どこか懐かしい感じはするものの、残念ながら何を購入することもなく見学のみで退出。

 

 

それでも豊前街道は、散策して楽しい場所です。

温泉と観光がほどよく揃っています。

 

さて、そろそろ昼食の時間となったのですが、本来なら?山鹿の街の美味しい処でいただいてご紹介すべきですが(笑)

前回訪れていて気になっていた、『平山温泉』の『湯の蔵』さんの施設『yuzou cafe』に行ってみることにしました。

 

『山鹿温泉』と『平山温泉』は近くて約7㎞の距離。2024年の2月に訪れたときにはまだ準備中でオープンしていなかったお店。山鹿に来たのでどうなったか行ってみよう…と思い足を運んでみることに。

実はこのお店は、17時以降は無人のカフェバーになっていて、セルフサービスで宿泊客がチョイ飲みをするための施設。

お昼間の時間帯はカフェ営業をしていて、ランチメニューもあり。

このときは1日限定20食の「松華堂ランチ」をいただきました。

どれも美味しくて、おにぎりがついていて目にも楽しい。

 

デザートも目に楽しい。「松華堂ランチ」は前日夕方までに要予約。

お昼ご飯に気を取られて、建物の外観や平山温泉の写真は…忘れました(爆)

前回のレポートをご参考に。

 

 

夏と冬に訪れた『山鹿温泉』

お湯の感じがよくて、また、温泉街の観光地としてもコンパクトにまとまっていて、妙に観光地ズレしていないのも落ち着きます。

それから、今回も『山鹿羊羹』ともなか…お土産に!

 

 

 

最近ブログの更新が滞り…でも、まあボチボチ復活していきたいと思っています。

で!!!

8月上旬の話題とはなるのですが(笑)、今回もFUKUOKA周辺のプチ旅行をご紹介していきます。

今回の旅程は、実は…『山鹿温泉』が目的で、前回の旅ブログとほぼ同じような場所を巡っている感じとなってます(爆)

ということで、季節を変えての小旅行…併せてご覧いただければ幸いです。

 

今回は、『山鹿温泉』1泊2日の旅なのですが、ノンビリ移動の1日目…散策した場所は『久留米市内』です。

 

ずいぶん前にはなりますが、久留米市内は、久留米城跡、高良大社、慈母大観音像など、何度かご紹介しているところですが、今回は、『久留米市美術館』と『寺社町』を中心に、やはり文化的な見どころをご紹介していきたいと思います。

 

その前に…

朝ゆっくりFUKUOKA市内を出て、ノンビリ移動をしていると、丁度お昼どきに久留米市内に到着。

まずは、ランチをいただきます。

夜は温泉宿で懐石料理…なので、お昼は軽めに「麺類」とかイイな~と思っていたのですが、久留米といえば「ラーメン」…が思い浮かびますが何せ灼熱の8月。昼間に熱々のラーメンは重い気がするので、できれば”蕎麦”!

そこで、”幻のお蕎麦屋さん”こと『青苔庵』さんへ。

 

『そば処 江戸屋敷 青苔庵』さんは、土日しか開いていないお蕎麦屋さん。静かな住宅街の中にある、古いお屋敷のお店です。席数も駐車場も限られているので、事前に予約を入れておきました。

 

門から建物の玄関までは美しい日本庭園。

名前のとおり、キレイな”苔”で覆われたお庭です…が…今年は、梅雨の雨も少なく、気温が以上に高いので、本来青々としているはずの苔が所々赤茶色く変色してしまっていました。

でも、百日紅の花なども咲いていて、お庭を散策するのも楽しいくらい。気持ち、気温も少し和らぎます。

 

歴史を感じる建物の中に入って、窓側のお席に。

お庭を見ながら涼しい部屋でいただきます!

 

お店…というよりお家の中はこんな感じ。

まさに古民家の居間です。

 

メニューは暖かいお蕎麦と冷たいお蕎麦のそれぞれ3、4種くらいでシンプル。

夏ですし、冷たいお蕎麦で「天ぷら蕎麦」と「鴨汁つけ蕎麦」を注文。メインのお蕎麦が出てく前に、小鉢が4種類出てきました。なんだかウレシイ。

 

鴨のつけ蕎麦です。

思った以上に量のあるお蕎麦と温かいつけ汁ですが、柔らかく味の染みた鴨肉も結構な量、いただけます。

「蕎麦だけで足りるかな~」という心配は要らないみたい(笑)

 

お野菜たっぷりの天ぷらもサクサクです。

 

小豆のチョコレートケーキ。

う~ん、風味が良くてほどよい甘さで満足!!ですね。

 

 

お腹も満たしたところで、本日の目的地の1つ『久留米市美術館』へ!

 

『久留米市美術館』は、『株式会社ブリヂストン』の創業者である石橋正二郎が建設寄贈した『石橋文化センター』の中核施設として1956年に開館した『石橋美術館』が発祥です。青木繁はじめ、石橋財団が集めた日本を代表する美術品の宝庫となっていましたが、2016年から『石橋美術館』の運営を久留米市が引き継ぎ、『久留米市美術館』として再スタートした美術館です。

石橋財団のコレクションの多くはここで見ることができなくなっていますが、特別展などの公共施設としての美術館の機能はあって、2025年は5月から8月末まで『異端の奇才 ビアズリー展』が開催され、今回の目的はその展示会です。

 

美術館としての魅力は後退したものの、久しぶりに訪れてみると…公園としての魅力には溢れていて、とても癒される場所であることをあらためて実感しました。

8月の猛暑の中でも、バラをはじめ、様々な植物が花をつけていて、暑さを忘れるくらいです。

バラは種類も多くてキレイ!!『久留米市美術館』のバラ園は名物の1つです。

 

水と緑も豊かな場所で、まさに都会のオアシス。

 

すでに会期は終わっていますが、2025年5月~8月に『異端の鬼才 ビアズリー展』が開催されていました。

『サロメ』をはじめ、様々な書籍の挿絵として、見覚えのある絵が大量に展示された特別展で、見ごたえ十分!!

このような展示会が開催されていることは、収蔵品は減ったとはいえ、地域の重要な文化施設としての機能をしっかり果たしている…ということを再認識いたしました。

 

美術・芸術の拠点、また、文化的集客施設としての機能だけでなく、施設全体が、美しい公園として市民はじめ広く多くの人々に利用されています。

訪れたときはまさに炎天下の季節(久留米は夏は結構暑い…!)でしたが、緑と水の豊かな施設内は奥へと進むと木陰も多く、少しホッとします。

 

『石橋文化センター』施設の一番奥にある『想像の森ゾーン』には、坂本繁二郎の『旧アトリエ』も移築されています。

 

木陰と水、そして、花々も沢山植えられていて、まるで屋外の植物園のような『石橋文化センター』

暑い中、ぐるっと散歩すると結構汗ばんできました。

で、施設にある喫茶で一休み…。

 

冷たいものが欲しくなりますよね~。

お昼も思った以上にいただいたので、間食は控えめにしないと夜のご馳走が…とは思うものの、ついつい注文(笑)

 

白玉団子もいただいて、ホッとしたら、出発です。

 

 

今回立ち寄るのは、久留米市内の寺町。

旧久留米城下の南側に集められた地域で、かつて城下町は久留米城と寺町の間に栄えていました。

筑後川に守られていた久留米城にとって、いわば陸側の前線基地…FUKUOKAの城下も博多部の東側に寺社が集められて、東からの侵略があった際には、兵力を寺社の境内に集結させて、防衛拠点とする街づくりがなされていますが、久留米城下でも寺町を始め、城下町の外縁部分に寺社が配置されて、街の守りとされていたのではないか、と思います。

 

さて、その寺町ですが…えっと…どれくらいのお寺さんがあるのかな~??

『久留米観光コンベンション国際交流協会』のHPを見ますと、17のお寺さんがある(以前は26寺)ということですが、本当にたくさんのお寺さんが並んでいます。

 

寺町のメインの通りはこの道ですが、左右にお寺さんがずら~りと並んでいます。

 

曹洞宗の『正覚寺』さん。1957年(天正15年)に現在の地に移転されたとのこと。

 

浄土真宗の『真教寺』さん。

 

同じく、お庭がキレイな『誓行寺』さん。

どこがどのお寺だったのか、思い出すのも大変なくらい、お寺さんがたくさん。

いずれも趣があって、ゆっくり散策していたらいくらでも時間が過ぎてしまいそう。

また、久留米ゆかりの人物の墓碑も集まっていて、歴史が好きな人にもたまらない空間になっているのでは。

 

 

いろいろと、見どころも多い久留米。

文化的にも散策したくなる場所が沢山。

まだまだ観たいところも多いですが…そろそろ、お宿へと移動しましょうか!

 

なお、古い情報ですが、このブログで取り上げた久留米のレポートは以下のとおりです。

 

またまた原鶴温泉!温泉と絶景を見に行こう!”後編”~福岡FUKUOKAで遊ぼう!~ | side‐in企画 ~サイド・イン企画~

ぶらり散策、久留米城と久留米市美術館 ~福岡FUKUOKA再発見~ | side‐in企画 ~サイド・イン企画~

 

ジュラシック・ワールド/復活の大地

JURASSIC WORLD:REBIRTH

 

〔勝手に評価 = ★★★ = もうジュラパじゃなくてもいいんじゃない?〕

 

2025年/アメリカ映画/134分/監督:ギャレス・エドワーズ/製作:フランク・マーシャル、パトリック・ローリー/製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、デニス・L・スチュワート、ジム・スペンサー/キャラクター創造:マイケル・クライトン/脚本:デヴィッド・コープ/撮影:ジョン・マシソン/出演:スカーレット・ヨハンソン、マハーシャ・アリ、ジョナサン・ベイリー、ルパート・フレンド、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、ルナ・ブレイズ、デヴィッド・ヤーコノ、オドリーナ・ミランダ、フリッピーヌ・ヴェルジュ、ベルシ・シルヴァン、エド・スクライン ほか

 

【気ままに感想】

 

振り返ってみると、間違いなく、現在のCG技術、映像技術の進展の原点、起点の1つとなったと言える『ジュラシック・パーク』シリーズの新たな展開となる本作!!

このシリーズがなければ…というか、天才スピルバーグが「恐竜で映画を創りたい!」と思わなければ…あの記念すべき第1作目の『ジュラシック・パーク(1993)』がなければ…今この世に溢れる「AI YouTuber」も居なかった…かもしれない!!(それは言い過ぎか??)

そんな“偉大な”シリーズの3部作の第3弾の始まり!!

…ん!!

それって、まるで訳アリ家族・親族が宇宙の大混乱を巻き起こす、迷惑なお話、“星々戦争”の構造と一緒じゃ…。まさか、あのシリーズと同様に、3部作の3番目になった途端に“残念!”な結果になってしまうのでは…。

う~ん!

何となくそんな予感が的中してしまいそうな、新シリーズの幕開けとなった本作!

やっぱり(笑)、ちょっと困った内容というかクオリティというか、そんな感じになっています。

忘れないうちにきっぱり言っておきたいですが、

「人気シリーズに安心しきって、油断したり手抜きしたり、ご都合で話を結びつけたり、主人公が『実は“例のおっちゃん”の娘でした~』みたいな拍子抜けの取ってつけたようなオチにしたり、そんなことは絶対!するなよ!!力入れて行けよ~!!」

もうそれだけで十分です。

でも、そうはならないのだろうな~。

そんな不安を掻き立てる作品です。

恐竜が出て来なくったって、もうそれだけでドキドキです。

 

前3部作の主人公スター・ロードことクリス・プラットから、本作ではブラック・ウィドウ姉御、スカーレット・ヨハンソンにバトンタッチ。

スカーレット・ヨハンソンは、ブラック・ウィドウと化して以降、どんどんタフマッチョになって行って、本作ではすっかり頼もしい、元特殊工作員経験者としてのストレートな戦闘スキルの持ち主です。

人体改造してない草薙少佐。キャラは全く被っています。

もう、恐竜とはこれっぽっちも関係ありません。

主人公の専門分野がどんどん恐竜から離れていっている(笑)。

いやいや、もう本作においては出て来る“生物”が“恐竜”であるのかすら分からなくなってしまっています。というのは、本作では、人工的に遺伝子配列を組み立てていって“新種”の…というより“新型”の恐竜を作り上げている…というお話です。

ごくまれに自然に保存されて残っていた恐竜のDNAの欠けた部分を他の生物(爬虫類や両生類)のDNAで補って卵から育てていたシリーズの原点『ジュラシック・パーク(1993)』からは、文字通り飛躍的に科学が進歩して、自由に(適当に)ゲノムを創作して新種の“生物”を作っていっちゃう。

このコンセプトは、前シリーズ最終話『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者(2022)』でも全面的に取り入れられていましたが、本作はさらに進んで行ってしまって、恐竜は単なる実験動物になってしまっています。

DNAではない、“恐竜”そのものには全く興味も関心もない(見世物としての価値すら見出さない)人々しか(除くジョナサン・ベイリー)出てこないこの新しい『ジュラシック』シリーズ…いったいどこに向かっているのか??

 

増えすぎた恐竜たちも、環境変化にはついていけなかった…。何せ、あっという間に熱中症やら線状降水帯やらが出現する地球ですからね~。

それに加えて、ブームの移り変わりも激しくて、みんなすっかり恐竜には興味を失っている。一旦、増えすぎて社会に迷惑をかけるようになってくると、現代日本の「クマちゃん達」くらいに、迷惑生物になってしまう。人気の移り変わりは残酷です。

で、ありがたみが薄れてしまった(商売ネタにならなくなった)恐竜たちは人気一転、世間の嫌われ者になって、再び絶滅の危機に晒されています。

そんな恐竜たちにビジネスチャンスを見出したのは、グローバルな製薬会社。

手広いのかニッチなのかわかりませんが、恐竜を新薬開発に利用しよう…あんまりよいアイデアに聞こえないのですが、まあ、そんなことを大企業が考えた!

計画の内容は、陸・海・空のそれぞれ最もサイズのデカい恐竜のDNAをかけ合わせれば、寿命延長の妙薬が開発できる!…ほんとかいな???ちゃんと脚本の科学的なチェックがあったのでしょうか???にわかには信じがたいプロジェクトが着手されます。

冷静に考えれば、それで画期的な新薬が開発できるのであれば、何も“恐竜”にこだわらず、ゾウさんとシロナガスクジラさんとダチョウさんのDNAを使えばそれなりの新薬もできそう…。

まあ、そんな野暮なことは考えず、とにかく恐竜さんたちのDNAを採取することとなります。

ちなみに、おっきな恐竜さんは長命で、DNAの良いとこどりをすれば不老長寿の薬ができる…ちょっと頭が痛くなるようなお話です。前作ではすでにクローン人間だってできそうな技術力があるのに、そんな中坊の考えたような技術がうまくいくのか…。

ということで、計画主導者のグローバル製薬企業のエリートサラリーマン、ルパート・フレンドは、3大恐竜のDNA(血液)を採取するため、恐竜さんの島に行くことにします。

参加メンバーは、戦闘能力に長けたスカーレット・ヨハンソン、その傭兵時代の仲間で密航船の頼れる船長マハーシャラ・アリ、専門家が全くいないのはどうかな~…ということで連れ出されたかのアラン・グランド博士!の弟子、ジョナサン・ベイリー(今までどこに居たの?)。

いずれにせよ、恐竜が放置されて生き残っている“島”に行くことにしますが、実はその島は世界中から立入禁止になっていて、人類の迷惑にしかなっていない“恐竜”との接触は誰もが禁止されています。

つまり、本作のメインキャラはみんな「犯罪者」というか「違法行為」を犯してます。スカーレット・ヨハンソンですら。

実は、本作の主役はもう1組あって、それは、クルーザーで世界一周に挑んでいる一家。

何のバックアップもなしに、娘2人とお父さん、そして上の娘の彼氏の4人だけで大海原を行く…やっぱり無謀な人々です。

もちろん、こちらは違法行為という訳ではないと思いますが、それでも、恐竜さんたちのエリアに迷い込んでしまうのは“お約束”

一家のクルーザーはでっかい海の恐竜「モササウルス」に襲われてあえなく沈没。

そして、マハーシャラ・アリらの船に救出されます。

ここから先のお話は…。

う~ん、語るべきこともないような、予定調和なお話です。

もちろん、あの人は「〇んで~」、その他の良い人たちは「生きて~」、この人はどっちかな~って人はやばいけど「生きて~」…みたいに、全く道を外れない。

お話に関しては、もうあまり語るところのない本作…です(爆)

 

それでも、本作は全く観る価値がないのか??…というとそうでもなくて、評価したいところは、やっぱり何と言っても、映画界にCG革新をもたらした、このシリーズ。

「腐っても鯛」とまでは言いませんが、ビジュアルと冒険譚には手に汗握ります。

このビジュアルをボ~っと観ているだけでも、本作を鑑賞する価値はあるかも。もっとも、小さなデバイスで観るよりも、やっぱり映画館で観た方がいいようです。

                       

とはいえ、本作の最大の脅威であるディストータス・レックスのビジュアルは賛否両論…というより、ズバリ!批判だらけでしょう。

何せ、作り方からビジュアルまで、何から何まで“某残酷宇宙生物”シリーズの第4作に出てきた“あの”遺伝子操作生物とそっくり。せっかくここまで培ってきたオリジナリティが、そのパクリ1回で台無し…と言ってよいくらい、批判が氾濫しています。

でも、正直、色々言っている人々の言葉にも聞くべき意味があります。

実際、何でこんな映画…というかキャラを撮ってしまったのでしょうかね~。

名前こそ「レックス」と命名されているのですが、すでに出自も立場も“恐竜”ではない“生物”。

悲哀感があればまだしも、すっかり“おばけ”“怪物”扱い。

生命をもてあそんだ(もっとも、悪いのは主人公たちではないですけどね)人間たちの反省もこれっぽっちも描かれない。

それでいて、ビジュアルやハラハラドキドキ感は半端ない。

ホントウに…!

このシリーズ、どこに行くの????

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5

ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング

MISSION:IMPOSSIBLE—THE FINAL RECKONING

 

〔勝手に評価 = ★★★★☆ = お見事!!〕

 

2025年/アメリカ映画/169分/監督:クリストファー・マッカリー/製作:トム・クルーズ、クリストファー・マッカリー/脚本:クリストファー・マッカリー、エリック・ジェンドレセンス/撮影:ブレイザー・ダガート/出演:トム・クルーズ、ヘイリー・アトウェル、ヴィング・レイムス、サイモン・ペッグ、イーサン・モラレス、ポム・クレメンティエフ、ヘイリー・ツェーニー、マリエラ・ガリガ、ニク・オファーマン、ハンナ・ワディンガム、シェー・ヴィガム、グレッグ・ターザン・デイヴィス、ロルフ・サクソン、ルーシ・トゥルガリュク、アンジェラ・バセット ほか

 

【気ままに感想】

 

すっかり遅くなりましたが…もう、しっかり楽しみました~!!

といえる作品でした。

本シリーズほど、手に汗握りながらも最後はスッキリして観終わることができる作品って…もう、他にないかもしれません???少なくとも“(小屋で観る)映画”では。

そういうまさに“映画としての楽しみ”をガッツリ、しっかり味わえるという点では、「満点!」といってもよいのではないか??

正直に思います。

ちょっと寂しいけど。

本シリーズでも、途中で重要なキャラがぽっくり死んだり、前作では「つづく…」という形式だったし、本作でも、水中アクションは何だか“もったり”していて、全てにおいて完璧!という訳ではないのですが、それでも「とりあえず面白そうなシーンは何でも入れちゃおう!!」みたいなノリの良さが大事!!

少々お話が荒唐無稽だったり、物語がちゃんとつながってなかったり、おかしな点もあるけれど…

「だから、何??(So What?)」

楽しめるからこそ“エンタメ”

そんな原点を、すっかり振り返らせてくれる作品…そんなにないのではないですか??

 

ふと気づくと、映画の面白さがなくなっているのでは?と感じる。

特に、洋画作品は心躍る大作映画がかなり少なくなっているように思います…感覚的だけど…アニメとかはあるけど(実際統計を見ても2023、2024年の洋画は厳しい…(除くトムクル))。

特にコロナ後は巣ごもり需要という名のNET配信サービスの種類や映画に負けない迫力、ビジュアルのドラマが増え、映像産業の投資規模も(正確ではないけど)小屋にかかる映画からそちらの方にシフトしているのでしょう。

これだけ通信、ICTが進んだ世界で、映画館で映画を観る…というビジネスモデルがもう限界に来ているのかもしれません?

これまでの従来型の映画の楽しみを持続していくためには、映画館で観る、魅せるという特色をいかにしっかり考えて作品を創り、作品のみならずビジネスモデルそのものの差別化を図っていかなければ、もうアニメ作品や子ども向けを意識した作品しか、成り立たないのではないか??と思ったりします…というか、本作を観て実感しました。

 

繰り返しになりますが、本作でも、アクションシーンやストーリーがすべてパーフェクト!…という訳ではありません。

潜水艦の中で解決のカギとなるユニットを探すシーンでは、潜水艦に侵入しようとしてドアを開ける度に水が浸入してウエイトのバランスが崩れ、ゴロゴロと深海に向かってころがっていく…。

発想としては、よくもそこまで考えましたね~と思うし、セットの中で演じるトムクルにしてみれば、文字通り“命がけ”の撮影シーンになっている…少なくとも絶えず不規則に回転するセットの中で泳ぎながら演じる(しかも、いかにも重くて身動きができなさそうな深海用の耐圧スーツを着て)のは至難の業…だったでしょう!!

ですが、ビジュアルとしてはゆっくり回っているドラム式洗濯機を“ボーッと”観ている感じで、思わす睡魔が襲ってくる??

何せ、ゆっくりクルクル回るものを見続けるのは、睡眠術の常とう手段ですからね。

それから、どういう原理か、知見の無い者にはすっかり理解できない人工知能は、これまたよくわからない、すごい容量のUSB??が接続されたらそれにシステムが飲み込まれてしまう(正確には、AIは“穴”があったら覗き見しないと気が済まない?…どこかのおっちゃんと同じですね(笑))…という原理?

よほど賢いAIっていうのは好奇心旺盛なのでしょうね。もしかしたらすごく正しい現象なのかもしれませんが(そうであればゴメンナサイ)、AIがデバイスの中身を覗きに行くのに“0.1秒も”かかったり、そうして外部にシャットアウトされると、世界中のシステムが一斉に復帰(ウィルスだったら“増殖”してしまって意味がないかと思いますが、AIは自分で勝手に増えたりはしないのでしょう??)したり…。

お約束の“はらはら時限爆弾”もしっかり出てきて、正直詰め込み過ぎが、滑稽な感じさえしてしまいます。

でも!

「スリはタイミング!」って言われたとたんに「オオッ」ってなってしまうのは、さすがに手馴れたシリーズ!

今作で一番の見せ場!イマドキ何で?と思ってしまう、複葉機のセスナを使っての逃亡(辺鄙な場所ですから滑走路が必要なセスナを利用するよりヘリの方が合理的)とその追いかけっこ…に続く、飛行機の羽の上での格闘技。

すごく原始的(笑)で、まるで、ハロルド・ロイドかバスター・キートンのようなアクションシーン。

本シリーズ第1作目での新幹線の屋根でのジョン・ボイドとの格闘シーンの飛行機版とも言える、いかにも“インポッシブル”なミッションのアクションシーンですが、第1作よりも遥かに“実写感”のある本作では、思わず手に力が入っちゃう。

延々とレトロな飛行機の上や下で繰り広げられる(実際は“広い”というより“狭い”ですが)格闘は飛行機好きなトムクルでこそのシーンだと言えるでしょう。

今ならスタジオ撮影とCG処理でお手軽に作っちゃうシーンを、生身の人間で実際に飛びながらやってしまうのは、何だか時代遅れのような感じもしてしまいすが、さすがにこの臨場感はCGではでない…ような気がする。

どんなに安全策を講じていたとしても、生身の人間が飛行機に乗って撮影する、というのはムリができない。ちょっと手違いで事故も起こり得るし、計画通りであっても人間が耐えきれるかどうかはその時のコンディションでも変わって来る…何があるかわからない。

一方で、そのムリのギリギリ限界を見せなければ作品としては面白くないわけですし、どんなムリでもへっちゃらなCGキャラに負けないシーンは実現しない。

生身の人間がやることは、決してヴァーチャルなデジタル世界では表現できない、実写映画の面白はそこに尽きる…トムクルはそれを証明しようとしてるかのようです。

ホントウに最近のトムクルには頭が下がります。

もうすでに還暦も過ぎてしまい、同じようなシーンを撮り続けるのは難しいかもしれませんが、可能であれば本作も“シリーズ最終作”とせずに継続してもらいたい。

それが無理であれば、次世代のトムクルの育成に、トムクル自身のみならず、映画界がこぞって取り組んでいただければ、と切に願います。

本シリーズの魅力の1つで忘れてならないのは、登場人物のキャラクタです。

 

これも、本シリーズが本作で8作目と積み重ねることで、キャラクタの個性が丁寧に積み重ねられてきたことと、特に、5作目『ミッション:インポッシブル/ローグネイション(2015年)』からずっとクリストファー・マッカリーがメガホンをとっているという一貫性によるもの。

それまでは、毎回監督も変わり、その度に作風が変化しているので、回を重ねるごとにキャラクタの変化もあったのですが、かえってこれが逆にキャラクタを生きたものにしています。

というのも、主人公のイーサン・ハントも含めて、毎回すこしずつ描き方が変わることで、キャラクタの多面性が加わっているように感じられるし、実際の人間も、年齢や経験を重ねていくと、以前とは違う、変化していくことが当たり前だし、それが人間としての成長でもあって、リアリティを与えています。

実際に、胡散臭い、とっつきの悪いおじさんだったヴィング・レイムス(ルーサー・スティッケル)は頼れる気の良い相棒となり、どこか抜けててオタクなサイモン・ペッグはふわふわとした(『宇宙人ポール(2011)』はじめ、いつもの、見慣れたサイモン・ペッグな)人物として登場するものの、シリーズを経ていくと、コメディ・リリーフとしての立ち位置を続けつつも、なくてはならないイーサン・ハントの片腕となっていって、本作ではカッコいいヒーロー的な役割も果たしている…。

こんな印象的なキャラクタを育ててきたシリーズが本作で“おしまい”では超~もったいない!

ヴィング・レイムスは本作でもって自らの命と引き換えに世界を守ったのだけれど、「実は生き延びていました~!!」

って感じで、シリーズ継続と仲良し3人組の復活を期待したい。

ハリウッドでは“よくある話”だと思いますからね!

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5

サブスタンス

THE SUBSTANCE   R15+

 

〔勝手に評価 = ★★★ = 閲覧注意!!〕

 

2024年/アメリカ映画/142分/監督・脚本:コラリー・ファルジャ/製作:コラリー・ファルジャ、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー/製作総指揮:ニコラス・ライアー、アレクサンドラ・ローウィー/撮影:ベンジャミン・クラカン/出演:デミ・ムーア、マーガレット・クアリー、デニス・クエイド、エドワード・ハミルトン=クラーク、ゴア・エイブラムズ、オスカル・ルサージュ、クリスティアン・エリクソン、ヒューゴ・ディゴ・ガルシア ほか

 

【気ままに感想】

 

本作については、スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジョン・カーペンター、ポール・バ―ホーヴェンなどなどのホラー巨匠へのオマージュや影響について多くの人が述べられていますが(「ああ、これか~」みたいな声が思わずでちゃうシーンが満載!)…。

やっぱり!!最もテイストがピッタリくるのは、『ホラー』というより『スプラッタ―』…いややっぱり『ゴア映画』って呼ぶのが良さそうな、ルチオ・フルチ…いやいや、むしろフランク・ヘネンロッターの申し子!!!

…みたいな作品!!です。

そんな本作が、カンヌ国際映画祭では脚本賞、ゴールデングローブ賞では主演女優賞、さらにアカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、メイク賞の5部門にノミネートされてメイク賞を受賞。

作品のジャンル、というかスタイル自体はすっかりB級『ゴア映画』なのに、作品としてはこれだけ評価されているのは、“女性の美の追求”というテーマ性が認められたからでしょうね。

とは言うものの、スタイルそのものが『ゴア映画』の猥雑性を前面に押し出したものとなっているし、えげつなさはまさに、フルチやヘネンロッターなどの諸兄のそれとも負けずとも劣らない。思い切り振り切っているので、多分賛否両論…と配給側も判断したのでしょうか??

作品自体はすでに1年前にカンヌ国際映画祭で発表されているにもかかわらず、日本での公開がようやく今頃(2025年5月)になったのは、受けるかどうか読めなかった…のでしょうね。日の目を見たのはアカデミー賞でそれなりに評価をされたからだと思いますが、それくらい、ちょっと「ぶっ飛んだ」映画であることは間違いありません。

なお、交通の利便性の高いシネコンで鑑賞したとはいえ、平日の公開1週間後にもかかわらず、それなりにお客さん…中高年中心で女性も結構な割合…だったのは、久しぶりにデミ・ムーアが主演をして演技が評価された作品である、ということが往年のファンに届いたのではないと思うのですが、一方で、「途中退出した人も多かった」というNETでの書き込み(この時はほとんど途中退席はなかったですが)があるのは、何となく納得です(笑)

何しろ、本作でのデミ・ムーアの老醜さ、というのも目を覆うほどの過激な描写で、特に中高年の同性の皆さまには心にグサッ!!刺すくらいです…と言いながら、冒頭からしばらくの間のデミ・ムーアは(最近はパッとしないものの(笑))往年のアイドルスターとしての片りんをしっかり見せていて、「さすが、歳をとってもそれなりに美しいものですね~」と感心するくらい。もっとも、物語が進んでいくにつれて、どんどん醜くなってしまうので、そのギャップが“痛い!”のですが…。

ただ、前述のとおり、過激…醜悪なのはデミ・ムーアに限りません。

周辺の人々にしても、本当に「美しい」キャラは皆無…といってよいほど徹底した描写が本作の特徴です。

あ、映像的には「美しい?」ものも多いのですが、中身がドロドロ…という意味での「美しくない」という趣旨ですので、よろしくご理解を。

本作は「美しいビジュアル」と「ゲロゲロのシーン」とが交じり合った作品ですが、お話としては、女性蔑視社会のメタファ…全編に渡って悪意の塊りのような作品です。

と、いうことで…本作を家族や恋人同士で鑑賞するのは控えた方がよろしいでしょう。

 

一時は誰からも愛されるアイドルスターだったデミ・ムーア(演じる主人公)も50歳の誕生日。

さすがに衰えは隠せないものの、レオタードに身を包んで大胆なポーズを披露するエアロビクス番組では長い間レギュラーを勤めていました(というか、看板アイドルだった)。

が、それも誕生日のその日に突然降板を告げられます。

番組視聴者の若返りを狙うプロデューサー(デニス・クエイドが怪演)は、デミ・ムーアに代わる若手のタレントの発掘に取組むことに。

降板させられたデミ・ムーアの心はかき乱されるが、番組(自分)の看板が撤去されるところを車で通りかかり、それに気を取られて赤信号に突入、派手に横転する事故に遭うが奇跡的に軽症で済む。が、ショックで呆然としているデミ・ムーアに、若い男性看護師から『サブスタンス』という違法民間療法のPRデータが入ったUSBを渡されます。

一度はゴミ箱に捨てたものの、お約束どおり(笑)、我慢ができずに手を出して、怪しげなキットを怪しげな場所から手に入れます。

で、やってみたら「あ~ら不思議!」

急激な細胞分裂?が起きて、背中が裂けるとデミ・ムーアの中から若くて美しいマーガレット・クアリーが出てきます。まるで忍法『魔界転生』!ですが、デミ・ムーアも意識を失っているけどしっかり生きていて、“栄養”によって1週間眠り続けます。

新旧の肉体は1週間ごとに眠りと活動を入れ替わるのですが(ここが本作の目玉部分ですが、全く説明できるものではありません。『山田忍法』もびっくり)、入れ替わりがピッタリ1週間を超えてしまうと母体であるデミ・ムーアの肉体の一部が醜く老化してしまいます。

若々しいマーガレット・クアリーは、心機一転リニューアルされたエアロビクス番組の主役に抜擢され、人気も急上昇!老いたデミ・ムーアと入れ替わるのが惜しくなるし、そのだらしない行動にも嫌気がさしてきて、ルールを破って1週間以上にわたって入れ替わりをしないままになるのですが、ところが!

実は若い肉体を維持するには母体の脊髄から栄養を取り出して補給しなければならないのですが、そのうちに、長い間ほったらかしにされたデミ・ムーアの肉体からは栄養が枯渇してしまいます。

その影響で若い肉体が維持できなくなり、仕方なく久しぶりに入れ替わりをするのですが、目覚めた母体(デミ・ムーア)は、すっかり面影もない醜い老婆の姿になってしまうのですが…。

 

美貌とナイスボディが唯一の?評価基準のショービズの世界ですが、その世界でずっと生きてきたデミ・ムーアの精神はすっかり毒されていて、若い肉体を取り戻したい!という願望も、復活したい!という欲望も、全ての基準が“それだけ”

若さを活かして別の道に進もう!なんて発想はこれっぽっちもありません!!

どこまでもセクシー(死語)に、お○りをプリプリ振り回しておっちゃんたちの注目を浴びることしか人生の価値を見出せない。

びっくりするほど徹底した女性蔑視感に満ちた世界です。しかも、当人はその世界でしか生きられない。それを見事に許容しています。

そんな性的差別が徹底した、男女平等参画社会…なんて微塵もない世界を描いているのは、女性監督ならではの皮肉…でしょう。

劇中の『サブスタンス』にしても滑稽なほどに荒唐無稽です。

本作は、ほぼ全編に渡ってキッチュでグロテスク、女性の人格を全く顧みない世界を描き切っています。

でも、描写が極端であればあるほど、この世の中がいかに男女差別、人権が尊重されていないかが、浮き彫りになってきます。

そして、恐くて気色の悪いはずなのに、寂しい世界観です。

文字通り、デミ・ムーアが裸一貫になって真剣勝負で挑む演技なのですが、デミ・ムーアが真剣になればなるほど、迫真の演技になればなるほど、コメディな世界観を感じてしまうのは…ファルジャ監督の思惑通り…ということになるのでしょうか?

少なくとも、在りし日のデミ・ムーアをイメージして鑑賞しようとする往年のファンにとっては…すっかり置いてきぼりの作品…といえそうです。

 

とは言うものの、御歳還暦を超えて、衰えたる…といえども(もしかしたら??画像処理もあったのかもしれませんが)、派手なレオタードに身を包んでプルンプルンするデミ・ムーアには極めて感心!とても歳を感じさせない。

「参りました…」という感覚です。

また、デミ・ムーアの影武者??を演じるマーガレット・クアリーも、しっかり、若返って欲望の塊りとなった中高年女性の性を、違和感なく表現しました。

こちらも熱演。

ちなみに、『サブスタンス』によって、分離した、若い肉体と母体とは、分離の時点では意識・記憶が共通していますが、分離して別の肉体になってからはそれぞれが自我、意識を持っているので、同じ人間(のはず)なのに、行動や思惑が次第にバラバラになっていき、ついにはお互いを憎み、争ったりするようになります。

これも、己の欲望の深さとそれに対する「自己嫌悪」の醜さをストレートに表現していて、この点でも結構鑑賞に際して“覚悟”が必要な…“痛い”内容です。

そんな「処方注意!!」…な作品です(笑)

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5