マッドマックス:フュリオサ

FURIOSA:A MAD MAX SAGA  (PG12)

 

〔勝手に評価 = ★★★★ = 殺伐とした世界でのピュアなお話〕

 

2024年/アメリカ映画/148分/監督:ジョージ・ミラー/製作:ダグ・ミッチェル、ジョージ・ミラー/脚本:ジョージ・ミラー、ニコ・ラソウリス/撮影:サイモン・タガン/出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、アリーラ・ブラウン、トム・バーク、チャーリー・フレイザー、ラッキー・ヒューム、ジョン・ハワード、ネイサン・ジョーンズ、ジョシュ・ヘルマン、アンガス・サンプソン ほか

 

【気ままに感想】

 

ジョージ・ミラー御年79歳!!

超高齢化社会…というか『人生100年時代』にあっては、まだまだ“若い”…と言えるのかもしれませんが、でも、もうほぼ80代。

それでいて、一貫してテンション高い作品を創ってしまうなんて…というか、むしろシリーズ第1作『マッドマックス(1979)』の方が大人しいくらい??

もちろん、映画技術や社会環境の変化は著しい…何せかれこれ半世紀近く!前の古い作品ですから、第1作はすっかり「いわゆる『名画』」骨董品…比較するのは野暮とはいうものの、本作の迫力は半端ありません。

エネルギーに満ち溢れた本作を、老人パワーで創ってしまった…ということについては、素直に驚くべきでしょう。

特に、冒頭の情け容赦のない残酷シーン、どんどん出て来る汚くてムサくて○ったおっちゃんたち、食料も水もない世界でしぶとく生きていくマッチョな人々と砂漠の中のユートピアといったイイ加減な設定…目を覆うばかりのトンデモなシーンが連続して、マッドマックス魂に溢れた始まり方(に止まりませんが)は一見の価値あり。

むしろ、イマドキのクリエイタの方が大人しくて理性的なのかもしれません。老害が進んだ方が、もしかしたら過激になってしまうのかも??

このままお話が進んでいったら、いったいどこに行ってしまうのか???と、ある種の不安さえも覚えていたら…何と!!!

純愛と家族愛の世界へ!!

80歳のお爺さんがやりたかった作品のテーマが、純愛と家族愛…まさに“愛”だったなんて…まるっきり梶原一騎(やはり古い)の世界に迷い込んだかのような錯覚と戸惑いを感じること、間違いありません。

泣く子も黙るフュリオサ大隊長が、金髪の原子爆弾シャーリーズ・セロンからキッチュでバービーなアニャ・テイラー=ジョイにチェンジして、その華奢な身体つきから不安を感じていた人も多いと思うのですが、意外に問題とならなかった(いや、問題にはなったか…(笑))のは、その“眼力”!

アニャ・テイラー=ジョイのバービーな瞳に見つめられたら、シャーリーズ・セロンとは違った意味で「参りました!」

男どもの戦意は別のものに代わってしまう…。

どうしてシャーリーズ・セロンのフュリオサをチョイスしたジョージ・ミラーが、ほぼ真逆のようなキャラクターのアニャ・テイラー=ジョイを本作の主役に選んだのか…?

それはまさに、本作のテーマが純愛と家族愛…“愛”だからだと、(一応)納得するわけです。

と、言う風に考えると、本作において最大の“欠点”…というか批判の嵐を受けている点である、「クライマックスの戦闘シーンがすっかり省略されてしまっている!!」というのも、実はジョージ・ミラーにとっては、「いや、そこんところは、本作のテーマと直接関係がないから省いただけだよ」という感覚であって、少しも“非難されるべきことではない!”という、ことなのでしょう。

実際、フュリオサにとっては、クリス・ヘムズワースを罠にかけたところで「大隊長」としての役割は終了しているわけで、その後は集団戦より、むしろ個人的な恨みを晴らすためにタイマンできっちりケリをつける…が最も重要なイベントであったわけです。

その点では、ジョージ・ミラーは徹底して“フュリオサの物語”を語っているのであって、観客としてはガックリしたかもしれません(これは間違いないけど)が、作品としての欠点には決してならなかったはずなのです(おそらく…)。

とはいうものの、やっぱり、2時間以上にわたってシビアで乾いた戦闘シーンを見せつけてくれたジョージ・ミラーには、ないものねだりをしたくなるのがサガ。

本作が思ったほどヒットしていない…という残念なニュースも耳に入って来ています(正確には、ネットに溢れています)が、そのこのところは製作陣とファンとのすれ違いが起きている、ということでしょうか。

 

世界を原始時代にリセットしてしまった大戦争からしばらく後、地球上のほとんどの地(もしかしたらオーストラリア限定…かも?)が荒れた砂漠になってしまった中で、誰も知らない水と緑が豊かな場所『緑の地』を少数の女たちが守って暮らしていた。

ある日、『緑の地』をバイクに乗ったならず者たちが発見!

ならず者たちを発見した少女のフュリオサ(アリーラ・ブラウン)は、『緑の地』を人に知られてはいけない、と一人で果敢に戦うが、ならず者たちにあっさりと攫われてしまう。

娘を奪還し、秘密を知ったならず者たちの口封じをすべく、フュリオサの母、メリー・ジャバサはライフルを抱えてバイクで追いかけ、次々にならず者たちを射殺していくが、惜しいところで、2人取り逃がし、ならず者たちの親玉、ディメンタス(クリス・ヘムズワース)と凶悪で自分勝手なバイク乗りたちがたむろする野営地にフュリオサは連れていかれてしまいます。

人肉さえも食料とするバイク乗りたちがディメンタスにフュリオサを差し出しますが、実は幼い娘を亡くしていたディメンタスはその凶悪な性格とは裏腹に、フュリオサに娘の姿を見出して、勝手に『リトルD(ディメンタス)』と名付けた上に、娘の形見である“くまちゃん”のぬいぐるみを与えて養おうとします。

しかし、フュリオサが捕まったその夜、激しい砂嵐の中、メリー・ジャバサは母親のカンをフルに活用してフュリオサが軟禁されているテントに忍び込んで娘の奪還を果たします。

ですが、さすがに多勢に無勢。

○ったバイク集団は逃げる二人を執拗に追いかけ、メリー・ジャバサの背中を燃やし、負傷したメリー・ジャバサはフュリオサを逃がすけれどもディメンタスの一味に捕縛され、磔にされてしまう。一旦は逃げ出したフュリオサだけれども母を助けんがために危険を冒してディメンタス一味に立ち向かう。けど、あっさりと捕まってしまい(子どもだしね)、目の前で母を惨殺される。

母の惨殺を見せつけられたフュリオサはリトルDとして生きることを断固拒否!檻の中の生活となります。

一方、『緑の地』の秘密を守り通したメリー・ジャバサとフュリオサ。ディメンタスたちは何とかして『緑の地』を探そうと躍起になるけど、その途中で真っ白いお兄さんに出会い、ほかにも水と緑が豊かな『シタデル』という場所があることを知ります。

おびただしい数のバイカーを引き連れて『シタデル』の乗っ取りを試みるディメンタスたち…だったのですが、○ったバイク野郎どもが“普通の人”に見えるくらい、けた違いに異常なイモータン・ジョー&ウォー・ボーイズの姿にビビったディメンタスたちは、『シタデル』奪略に失敗した腹いせに未だに石油の供給を続けている『ガスタウン』を乗っ取り、イモータン・ジョーとの共存を交渉します。

イモータン・ジョーはディメンタスの提案を受け入れますが、その代わりに『リトルD』ことフュリオサをディメンタスから取り上げ、イモータン・ジョーの花嫁の間に押し込めます。

囚われの身となったフュリオサは、内部の助けも借りて何とか逃げ出し、ウォー・ボーイズの中に紛れ込んで身を隠し、成長をしていきます。

すくすくと成長して、やがて、ウォー・ボーイズの中でも頭角を現すようになったフュリオサは、男たちに負けない戦闘能力の高さとメカにめちゃ強い技術力を活かし、護衛隊長のジャック(トム・バーク)の信頼を勝ち取ってその片腕となっていくのですが…。

 

製作費がなかったからこそ、殺伐としたオーストラリアの大地を背景に製作したであろう『マッドマックスシリーズ』(マジでオーストラリアの砂漠は厳しい…)。

そのご都合主義?の設定が、今ではすっかり“未来の地球”として受け入れられていることが何よりもスゴイ!ことであった(=逆手に取った画期的な手法だった)のですが、それが今の映像技術を駆使して創られると、説得力が際立ってきて『マッドマックスシリーズ』が示した未来の姿がリアルなものとして伝わって来ることにあらためて感銘します。

『マッドマックス2(1981)』と『ブレードランナー(1982)』が相次いで公開されてからは、それ以降は、世界の未来は『マッドマックス的未来』か『ブレードランナー的未来』のどちらかに枝分かれしていって、まあ、ほとんどどっちかしかない未来…になってしまいました。

その、元祖“世界の未来”である『マッドマックス』シリーズがこのように続いていくことが、まずもってビックリするのです。

実際、ありがたい話であります。とはいえ、そろそろ誰か、『マッドマックス』でも『ブレードランナー』でもない未来を描いてくれないですかね~。

そんな変な期待も感じてしまう作品でした。

 

登場人物については、何といっても『リトルD』こと、アリーラ・ブラウンちゃん。

NETの情報によると2010年生まれということですので、御年14歳。本作への出演時は10歳ちょっとだったと思いますが、その可愛らしさだけでなく、眼力についてはかなりのもの。アニャ・テイラー=ジョイにしても、前作のシャーリーズ・セロンにしても『フュリオサ』役には“眼力”が必要、それだけで多くを語る能力を求められますが、しっかり応えていました。クリス・ヘムズワースならずとも、思わず“リトル○”と名付けてしまいたくなる美少女です。

オーストラリア出身の俳優さんということで、今後どのような活躍をさせるのか、ということですが、本作がステップになってくれれば…と思います。

あと、語るべきは…事情アリのフュリオサを庇って自らの相棒(色々な面で)であり、後継者として育ててきた、大隊長ジャック役のトム・バーク。あまり見なかった役者さんですが、本作で見事大役を務めました。

素顔では結構優しそうなオジサマですが、寡黙で頼れる、アクションだってこなしている本作…大変だったかもしれませんね。

ジョージ・ミラー大先生は、それこそメル・ギブソンを発掘した人ですし、前作のシャーリーズ・セロン、アニャ・テイラー=ジョイとこのトム・バークのカップルにしても、役者の意外な面をうまく活かしてキャスティングしているような気がします。

トム・バークもこれを機に、役者としての活躍の場を広げてくれるといいですね。

そして、最後に、クリス・ヘムズワース。

『ソー:ラブ&サンダー(2022)』では、実の娘と共演して見事なマッチョのすっぽんぽんを晒したり、三枚目を突き進んでいるように見えましたが、さらに、本作でも一皮むけました??

汚くて、○った人々にも決して負けないインパクトを与えることができました。

これだけ濃いキャラクタが大挙して出て来てる本作において、“キャラが負けない”というのは大したものです。何せ、『イモータン・ジョー』を差し置いて、本作の“敵役”を演じきったのですから。

もう、恐いものはありませんね(笑)。

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5

ゴジラXコング 新たなる帝国

GODZILLA X KONG:THE NEW EMPIRE

 

〔勝手に評価 = ★★★★ = 潔い!!〕

 

2024年/アメリ映画/117分/監督:アダム・ヴィンガード/製作:メアリー・ペアレント、アレックス・ガルシア、エリック・マクレオド/製作総指揮:アダム・ヴィンガード、ジェン・コンロイ、ジェイ・アシェンフェルター/脚本:テリー・ロッシオ、サイモン・バレット、ジェレミー・スレイター/撮影:ベン・セレシン/出演:レベッカ・ホール、ダン・スティーヴンス、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ゲイリー・ホトル、アレックス・ファーンズ、ファラ・チェン、レイチェル・ハウス、ロン・スミック、シャンテル・ジェイミーソン ほか

 

【気ままに感想】

 

原産国の日本が描くゴジラの姿が『ゴジラ-1.0(2023)』で原点である『ゴジラ(1954)』に回帰し、人類の味方としてではなく禍々しい悪魔として、怪獣映画という視点よりも人間ドラマを重視しようという今この頃にあって、アメリカ、ハリウッドの『モンスター・ヴァース・シリーズ』がどんどんと“怪獣映画としてのゴジラ”の道を突き進んでいる…あらためて言うまでもありませんが、ベクトルが真逆に近いくらいに違っていることが、何とも不思議な感じをぬぐえません。

ほとんど同時期に別物、と言ってよい“ゴジラ映画”を日米それぞれの作品で観ることができる…今まで考えられなかった…というと大げさですが、感慨深いものがありますね。

もともと、ゴジラという水爆核実験で生まれた“怪獣”は、その生まれのサガからも「人類世界をリセットするほどの脅威」となった核兵器のメタファであったのですが、昭和のゴジラ映画は、いつの間にやらそんな“出自”がどこかに行ってしまって、むしろ「人類世界をリセットするほどの脅威から人類を守ってくれる」…人類というより単なる1種のみではなく地球環境そのもの、と言った方が正確ですが…立場が逆転していきました。

アメリカ映画、というと「アメリカン・ニュー・シネマ」や“9.11”の影響を受けた作品群のように決してハッピーではない作品も結構作られ、好まれる傾向がありますし、“冷戦”の後遺症による“異世界からの侵略者”恐怖症作品も多いですが、やはりどちらかというと、単に“残念!”で終わるよりも、ハッピー・エンドとまでは言わずとも何らかの明るい兆しが好まれる…のではないかと思います。

そんな風土からも、“恐い”だけのゴジラより、結局は“敵を倒してくれる”ゴジラ像の方が受けが良いのでしょう。

ゴジラが“アメリカが造った水爆”で生まれた怪獣という出自(モンスター・ヴァース・シリーズではこっそり設定が差し替えられていますが…)からしても、辛気臭い“日本の”ゴジラにはむしろ違和感があるのかもしれません。

 

とは言うものの、

“日本の”“昭和”ゴジラが、作品を重ねる度に、いつの間にか“正義の怪獣”となって“悪者”を倒す、いわゆる「怪獣映画」となって、さらに対象となる観客ターゲットもどんどん「低年齢化」していって(サイケでキッチュ(褒めてます)な『ゴジラ対ヘドラ(1971)』を除く)、お子さまたちの年中行事『東宝チャンピョンまつり』へと移行していったのと同じように、モンスター・ヴァース・シリーズもどんどんと“怪獣だらけ(だけ)”の作品と化していったのは…ちょっとあきれるくらいに“いさぎよい!!”

もう『ハリウッド・チャンピョンまつり』と言って過言ではありません!(誉め言葉になってないけど)

怪獣たちが大暴れすればするほど、人間ドラマの部分がおざなりになって行き、現実的な世界観がどんどんと歪んで行くのは…ちょっとやりすぎじゃね?とは思いますが。

ついに本作においては、“孤独”が身上?だったキング・コングのはずなのに、「おっきなおさるさん」が大挙して出てきて、(俗世的な)文明と切り離されて生きてきた人間を支配しかねない脅威となっているシーンはすっかり『猿の惑星』関連作品。

海の中に大きな穴が開いていて、その先に地底世界がある…というのはまだしも、そこに行くのには何だか異次元トンネルみたいなものを潜らないといけない(なぜ??)、怪獣がそのトンネルから出入りするその様は…言わずと知れた『パシフィック・リム』シリーズ。

『ジュラシック・パーク(ワールド)』シリーズのまねっこはもちろんですが、いつかどこかで見たビジュアルが、ブラッシュアップして(さすがにビジュアルの技術的進歩はスゴイ)見せられているような感覚がず~っと続く作品です。

そんなデジャブ感覚満載の作品ですが、飽くことなくほぼ2時間を過ごすことができるのは、まさに、ほとんど何も考えなくていい…怪獣さんたちのプロレス!!

ホントウに困った作品です。

怪獣さんたちが、歴史的建造物や文化財、世界のシンボルなどを…というか“などに限って”壊していくのは我が国の怪獣映画の伝統?をきっちり受け継いでいるので、観光パンフレット的な意味でも関心を保つことができるのですが、さすがに、ゴジラがイタリアのコロッセオに「くるん!!」って収まっている姿は、わんちゃんやねこちゃんの“おうちでねんね”みたいで、緊張感が失われ、思わず「ゴジラが媚びをうってどうする!!」と、いらぬ恫喝(ツッコミ)を与えてみたくなるのは致し方ありません。

エンドロールには続編をうかがわせるシーンはなかったのですが(版権の関係もあるのかもしれませんが)「隙あれば続編を!!」と考えていそうなレジェンダリー、もしも続編があるのであれば、このまま「怪獣プロレス」を続けていくのか、それとも“多少は”原点回帰の?シリアスドラマを取り入れるのか??

日本のゴジラも動向があやしい感じがする(笑)中、今しばらくは怪獣映画のバリエーションを楽しめる機会があってもいいのかな~、と思いますね、日本人としては…。

なお、コング(手にはアーマー)とゴジラが並んで突っ込んで行く姿を正面から描いたポスターなどのビジュアル…言うまでもなく、ロボットアニメや戦隊シリーズの“決めポーズ”そのもので、やっぱり『チャンピョンまつり』を意識しているよね~、『チャンピョンまつり』愛(?)を感じる作品です。その点も“潔い”と言えます。

 

さて、ほとんど怪獣(プロレス)以外に語る要素は何もない感じがする(科学的な設定やメカなどに関してもイイ加減)本作ですが、俳優についていくつかコメントを。

まずは、コングのお友達、ケイリー・ホトルちゃん。前作に引き続き、人間の言葉を話せないコングとは手話を通じてコミュニケーションする少女を演じていますが、すっかり大きくなりましたね。

聴覚に障がいがある俳優さんだそうですが、そのせいか表情は豊かで、ほとんど1人で「人間ドラマ」部分を担っていたように思います。

演じることができるキャラの幅は限られてしまうかな?(もっとも、今の映像技術なら彼女くらいの演技ができれば違和感なく“しゃべっている”シーンも簡単にできてしまうのでしょうが)とも思いますが、一方で聴覚障がいがある方を扱った作品も結構コンスタントに創られているし、障がいや人権に関する意識や関心が向上していることを考えると、活躍の場も増えるのではないか??

期待の若手の1人かもしれませんね!

その他の俳優さんたちは…すっかり怪獣さんたちにお株を奪われてしまって、ほとんど記憶に残らない…(笑)…何だか「ワーワー」言っているだけ?の演技になってしまったのは…これは脚本のせいでしょうね。

その中でも、やっぱりこの人!

ブライアン・タイリー・ヘンリー!

本シリーズの主要登場人物という役柄に加えて、『エターナルズ(2021)』『ブレッド・トレイン(2022)』など、ときどき目にするようになった、おもろいオッサン。

シリアスな役もちゃんとこなせて、多彩。普通、多彩な役者さんって、かえって没個性的になってしまう感じがしますが、この人はちゃんと存在感を示す人ですね。

ああ、あと、あっさり“〇んでしまう人”アレックス・ファーンズ!

こういうパニック系の映画には欠かせない、キャラ!!

危機的状況の中でも頼もしい、知恵とテクニックを持っている“頼れるキャラ”…なんだけど、途中であっさりと…というか思わぬシチュエーションで○んでしまう人。そのことで、中だるみ感を払拭して緊張感を維持してくれるキャラクタです。

こういう人がちゃ~んと居てくれることで、ご都合主義だらけの本作も一定の緊張感は保てました。

貴重ですね!

とはいうものの、やっぱり本作の主役は“怪獣さん”たちです。

新しく登場した怪獣さん、倒されたはずの怪獣さんの復活、そしてお馴染みの怪獣さんなど…本作にはたくさんの怪獣さんたちが登場します。

まさに、大進撃!

コングに(血縁関係はないけど)小さな子どものおっきなおサルさんのお友達ができたのですから、次回作ではいよいよゴジラには○ニラが…次回作ありますかね??

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5

怪物

MONSTER

 

〔勝手に評価 = ★★★★☆ = 怪物はどこに?〕

 

2023年/日本映画/125分/監督・編集:是枝裕和/製作:市川南、大多亮、依田巽、潮田一、是枝裕和/脚本:坂元裕二/撮影:近藤龍人/音楽:坂本龍一/出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子 ほか

 

【気ままに感想】

 

とてもよくできた脚本、演出です。

全体のお話が二重構造になっていて、まず観客は一方向から物語を見せられます。そして、後半になると同じ事象を別の視点・方向からあらためて見ていくことで、実際は“どういうことだったのか?”を理解(完全な理解ではないところが本作のさらに秀逸なところ)する、という形の作品です。

作品全体のスタイル自体が“仕掛け”になっていて、まるで推理小説のような“謎解き”を見せられた気持ちになります。

アガサ・クリスティーが世の中の人々を「あっ!」と言わせた、古典的な推理小説の名作『そして誰もいなくなった(1939)』を源流としたスタイルで、読者や観客が客観的に事実を見ているように思わせながら、実は“一面だけを見せられていた…”という、物語全体がトリックになっている構造です。

ミステリは基本的には謎解きですからいずれの作品もこのような二面性をもっているものですが、それを物語の構造に活かした点が特徴です。

このような構造が二面(多面)的になっている映画作品としては、パッと近時のものを挙げていくと、映画版の『白雪姫殺人事件(2014)』や『イニシエーション・ラブ(2015)』、そして、変化球ですが世界的にも大きな反響を呼んだ『カメラを止めるな!(2017)』などが優れた作品…として思いつきます。映画版の『ピンクとグレー(2016)』も映画ならではの構造を活かした作品になっています。

これらの作品は、最初の印象によって観客をミスリードして、後半部分で過去を振り返るなどしながら最初の印象をすっかり覆していくもので、しっかりした脚本と演出がなければ凡庸な作品になってしまう危険もあるのですが、いずれもなかなか見ごたえのある=いい意味でうまく騙される作品になっています。

 

本作はまさにこのような作品の中でも優れた作品と言えるでしょう。

なので…

本作について本質的な感想なりを語ろうとするとどうしてもキモとなる“仕掛け”に触れざるを得ませんので…これ以降は、ネタバレ注意でお願いします。

 

さて、ミステリあるいは類似の作品には“ミスリード”は欠かせませんが、本作における最もキモとなる“ミスリード”は最近の映画の映画らしく、実は「予告編」の中にあります(本作においてはポスターにもありますが)。

この、予告編に過剰に情報を盛り込む傾向は、何とも情緒ないな~という気がしないでもないのですが、ある意味本作は、最近の映画にありがちな「過剰な予告編傾向」を逆手にとって、うまく“ミスリード”を埋め込んでいます。

もちろん、それは「怪物だーれだ」というフレーズですが、しっかりこの一言で、観客は「怪物探し」をしながら本作を観ていきます。

が、結論を述べてしまうと、「実は、怪物はいない」という本作最大の“オチ”につながっていくのです。

作品の前半では、登場人物の誰もが「怪物ではないか?」と疑いがもたれるように描かれています。

冒頭の火事で放火をしたのは誰なのか?過剰ないじめやハラスメントとその隠蔽工作をしたのは誰か?

オドオドとして言動が不審な永山瑛太(納得感のある新米教師の演技がスゴイ!)では?

子ども思いが強いシングルマザーの安藤サクラなのか?

安藤サクラの息子で、永山瑛太にパワハラされている?小学生の黒川想矢なのか?

黒川想矢の友達で、飲んだくれの父親中村獅童から児童虐待を受けているいじめられっ子の柊木陽太なのか?

孫をひき殺したのでは?と疑いをかけられもみ消しに走る田中裕子なのか?

あるいは、主要な登場人物の全てが「怪物」なのではないか…??

などと、まさに疑心暗鬼になって物語を見つめていく、この辺の脚本、演出、役者の演技はかなり迫真的です。

そして、後半部分はもう一度時計を巻き戻して、それぞれの立場から“何が起きていたのか”を見ていく。すると、「怪物」はどこにもいないことが分かってくる…という「謎解き」…実際に謎解きと言ってよいほどの、清々しい裏切られ方。

それも、優しい気持ちにさせる、力業です。

 

一方、ちょっと行き過ぎかな??

と思う点もあるのですが、それは本作のテーマの1つともなっている「LGBTQ+」の描き方について…ではないかと思います(ちなみに、LGBTQ+の言い方については、もっと多様性があって違った言い方をされたりもしますが、ここでは一応この表現を用いておきます)。

 

前述では、「怪物」はどこにもいない…と述べましたが、正確に言うと、後半の主人公、黒川想矢は自分のことを「怪物」だと思っている…ということが示唆されます。

それは、友達である柊木陽太のことが“好き”で、男の子が男の子のことを好きになることが“オカシイこと”“いけないこと”“秘密にしなければならないこと”…という感情です。

多感な少年時代、思春期へと差しかかろうとしている少年が、自分の“性”について考えるようになって…という、複雑な揺れる心を「怪物」…という言葉で表したものですが、この頃の少年の気持ちを、“恋愛感情”を通して描いた部分は、小学生の男の子にしてはちょっと“ませすぎ”かな…?と思います。

少年の同性愛的な感情はもっと不確かなもので、性的に未分化な少年時代には、性的なものとは違った「好き」「嫌い」があって、少年の発達段階には、恋愛感情の前に自分の“性”に対する揺らぎのある自認が芽生えてくるのではないか、と思います。

この辺は児童心理学の分野かもしれませんが、二人をもっと“自然に”「好き」「嫌い」という風に描いてよかったのではないかな。

ちょっと深読みかもしれませんが、LGBTQ+のことを“恋愛感情”のポイントで描いたところは、作品の後半が人々の“良心”や“思いやり”を描いたパートであったことを鑑みると、少し行き過ぎた感じがするのですが…。

ここのところはそれぞれがあらためて鑑賞して確認をしていただければ、と思います。

いずれにしても、最後のシーンで、嵐の後の陽だまり草むらを駆ける2人の少年の晴々とした姿には、心温まる思いをさせてくれる、優しさに満ちた作品です。

 

本作に出演している俳優の皆さんは、実にウマい演技をしています。

特に素晴らしいのは、若い先生役の永山瑛太。

前半の演技では、何を考えているのか全く分からない、不気味な教師…という印象を強烈に与えるのですが、後半は実は生徒のこともちゃんと考えて寄り添ってくれる先生。特別に良い先生ではないけれど、あくまでも善良な人物…ということをしっかり伝えています。

途中では、世間の誤解から精神的にも社会的にも追い詰められてしまう、悲劇の人物…なのですが、1つの演技を通して、これら、与える印象が二転三転するという、演じ分けるにはとても難しい役どころを、きちんと矛盾なく表現できている。

巧みな演技には舌を巻きます。

カッコいいキャラばかりではない、この人、こんな演技ができたんだ~って驚きを与えます。

それから、安藤サクラ。

結構濃いキャラクタの人なので、“ふつうの”お母さん役っていうのがかえって新鮮でよかった(笑)

最近の『ゴジラ—1.0(2023)』では、人の好い(素朴な性格の?)戦争未亡人というキャラで、本作とも通じるところがあるのですが、主人公を不合理に責め立てたりしてかえって性格がはっきりしない、ステレオタイプの生きて来ない演出となってしまいましたが、本作では誰もがイメージしやすい“ふつうの”お母さん役を演じながらも決して“凡庸”に落ち込まない、微妙な演技をうまく渡り切っています。

この差は脚本の違いではないか、と思うのですが、本当にオールマイティな女優さんだな~っとあらためて実感する作品でした。

そして、何といっても子役の2人の男の子たち。

本作の評価は黒川想矢くんと柊木陽太くんの演技で持っている…と言って過言ではありません。

子どもっぽさを残して、かつ思春期に差し掛かった頃の揺れ動く心を見事に表現しています。男の子らしさとともに中性的な演技も違和感なく演じるのは、子役としてはかなり課題も大きかったのではないかと思うのですが、2人の可愛らしビジュアルのおかげもあって、妖しささえ感じさせるシーンも納得!の内容になっています。

特に悩める男の子役の黒川想矢くんは見事!

2人の今後の活躍が楽しみですね。

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5

2023年12月下旬の別府・中津観光、1泊2日の旅の後半です。

別府の宿泊先は、別府の玄関口『JR別府駅』からすぐにある、老舗の温泉宿『旅館 千成』さん。

1日8組限定で、貸切のお風呂も選んで使える、のんびりした癒しの旅館です。

 

今回の夕食は、冬の王道?の『ふぐコース』

 

まずは前菜の「ふぐ和え物」

 

そして!ふぐ刺し!!

ふぐづくしの料理とは言うものの、このボリュームはスゴイ。どんなに食べても”ふぐ”なんだけど、満喫させてくれる。

なお、写真の大皿は3人前です。

 

そして、ふぐの唐揚げ。

ほどよく味が染みていてお酒がすすむ。

 

メインは「ふぐ鍋」です!!!

野菜もたっぷり。大分…といばやっぱり?シイタケ!!…ですね~。肉厚でオイシイ。

この後は、もちろん!「ふぐ雑炊」

すっかり胃の中は”ふぐ”の水槽状態。

 

最後はシンプルに果物。

 

夕食の後は、前回ご紹介しましたお風呂に入って、また、朝も入って、ゆっくりしてから朝食!!

 

朝食もシンプルなんですが、一通り日本の朝ごはんが揃っている!という内容。

ハムエッグは目の前で作っていきます。

特に凝ったものがある…という訳ではないのですが、いかにも昭和レトロな、お風呂、お食事、お部屋、ロビー…心が休まるお宿でした。

 

さて、ご飯とお風呂を堪能したら、ブラブラと見学しながら小さな旅を楽しんでまいりましょう。

 

別府の市内はまだまだ見どころあるものの、ざっくりと以前市内観光はしているので、今回は市街からちょっと離れて(と言ってもすぐですけど)、冬の『鶴見岳』に上ってみたい!と、思います。

標高1,375mの『鶴見岳』へは『別府ロープウェイ』でまっしぐら!

 

ステーション内も売店があって、待ち時間もあまり苦にならない。

年中無休の便利なロープウェイです。

 

ゴンドラは定員101人の大型なので、ハイシーズンを外せばそれほど待ち時間も…ないはす。

 

何といってもおススメは海側から観る景色!!

別府湾を一望できます。もちろん、着いてからもしっかり景色を味わうことはできるのですが、段々と視線が高くなっていく感じもなかなかのもの!!です。

 

到着!!

写真の先に見える建物が、ロープウェイの到着駅『鶴見山上駅』標高は1,300mの場所になります。

建物の屋上には展望デッキ。

 

で!!

こちらが『鶴見山上駅』から観た風景。方角は南東になりますか。

眼下に『城島高原』、くじゅう、阿蘇の山々が見渡せます。

 

『別府湾』も一望!!最高の景色です。

 

お宮さんの向こうに見えるのが山頂付近。

積雪もあったので、今回はここまで。

 

 

『別府高原駅』まで戻って、ロープウェイ大駐車場の横にある『九州焼酎館』へ!!

 

まあ!!

焼酎と言わず、様々な種類と銘柄のお酒が所狭しと並んでいます。

たまらない!!

パンフレットによれば、九州各地の焼酎が500銘柄以上!!

今回は、オリジナル焼酎の『芋焼酎 紅鶴見』を購入。大分県産の高糖度サツマイモ『甘太くん』を使った、ほの甘い口当たりの良い焼酎。度数はそれでも30度あります。オイシイ!!

 

さて、景色も堪能したところでお昼ご飯!

豊かな魚介類も楽しめる別府ですが、昨夜は「ふぐ」でしたので、お昼は”肉!!”

で、別府ロープウェイからも近い『すてーき南蛮館』さんへ。

 

お店の看板メニューの『豊後牛ステーキ』はやはりちょっとお高め(笑)なので、普通のステーキをいただきましたが、ぷりぷりのエビフライもサイドで注文してこのボリューム!!

 

 

さて、お腹も落ち着いたところで、別府市内を離れ、北へと移動します。

 

今回の小旅行は『別府』と『中津』

帰り道は、中津市を代表する景勝地『耶馬渓』を見ながら。

まずは、耶馬渓の南の入り口、深耶馬渓『一目八景』へ。

 

ベストな季節はやっぱり”紅葉のシーズン”でしょうね。

冬枯れした風景ではありますが、何だかかえって寒々とした感じが険しい奇石の風景を際立たせるようです。

 

シーズンオフの観光地。ちょっと物寂しいですが、長閑な景色でもありますね。

 

『麗谷(うつくしだに)』に架かる橋と岩峰群。一目で八景を一望できる…という場所らしく、山や渓谷の様子は見飽きない。

 

続いては、耶馬渓の中でも観光の中心、『青の洞門・競秀峰』地区へ。

写真は、2022年に国の重要文化財に指定された『耶馬渓橋』。日本で唯一の8連石造アーチ橋で、日本最長の石造アーチ橋…ですが…2023年7月の大雨被害によって欄干が崩れ、通行止めとなっていました。痛々しい姿ですが、2024年度中を目指して復旧が進められています。

 

『耶馬渓橋』と『青の洞門』を挟んで反対側の『競秀峰』

奇岩が連なる風景は見ごたえあり!

 

この『競秀峰』には、およそ100分をかけて奇岩の峰々を登って降りて来る『競秀峰探勝道』という”崖っプチ探検コース』というのがあって、上からの展望もよいようです…が、今回は時間がなく断念(途中で降りて来る70分のコースもあるそう)。

今度、季節の良いときにゆっくり巡ってみたい。

 

『競秀峰』には広い駐車場もあって、その傍には、『甘味処 禅海茶屋』さん。

甘味をいただいたり、お土産が入手できるお店です。

 

店舗の半分くらいが甘味や食事ができる食堂、そしてもう半分がお土産屋さん。

かなり商品(おみやげ)も充実しています。

 

ボリューム満点!の抹茶ソフト!!

エネルギーチャージは十分回復!

 

 

さて、今回の小旅行の〆は、耶馬渓のシンボル『青の洞門』です!

 

駐車場からテクテク歩いて、『耶馬渓橋』の方向に戻って行くと『青の洞門』の石碑があって、トンネルの脇にある入口から入って行きます。

 

現在残っている『青の洞門』の様子。

中津観光協会のHPの紹介を引用させていただきますと、

「諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。」

とのこと。

青の洞門 (nakatsuyaba.com)

世間的には、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で有名ですね。

 

洞窟の壁には今でもノミや槌の跡が残っています。

 

さて、山や渓谷の観光としては若干?季節外れになってしまった今回の小旅行でしたが、一方で、”冬の温泉”はなかなかイイ!もちろん、四季を通じて温泉はイイですけどね(笑)!!観光でもオフシーズンも結構楽しめる。

別府だけでなく、福岡県に近い『中津』もいろいろと見どころなどもあるところです。

また、秋や春などのベストシーズンにも行ってみたい場所ですね!!

今回の旅の目的地は、日本でも有数…というか、世界でも有数!!の温泉地~!『別府』です!

いや~、テンション上がる…よね???

前回『別府』を訪れたのは3年ちょっと前…意外に時間空いてた!

別府って、あまりにもあちこちからお湯が出て、しかも特色もバラエティあるので何べん行ってもイイ感じ!なので、行き足りないかもね!

今回は、そんな九州が世界に誇る「温泉の街『別府』」を目的地としつつ…実は今回ゆっくり回ったのは別府市内というより、もう少し北の方…福岡県にも接する『中津市』!!

ということで?

今回は2つの街を遊んでみます!!

※時期は2023年12月末!冬の様子です。

(前回レポート)

https://ameblo.jp/side-in-planning/entry-12626628637.html

 

ゆっくりFUKUOKAを出て丁度お昼どきに中津市街へ到着。

まずは、腹ごしらえをすることとして、寺町近くの日本料理のお店『美味創匠 朱華』さんへ。

周辺は、お寺さんが並ぶ、静かで情緒豊かな場所にあります。

 

お店の中はこんな感じのレトロな雰囲気。

何の予約もせずに入りましたが、ランチタイムは大丈夫でした。(HPでは、夜は予約があったときのみの営業とありました)

 

こんな和風の個室でお食事もいただけます。

テーブル席もありました。

 

『華かご膳』のお食事

朱華さんは、和とフレンチの融和をテーマにしているそう。一つ一つの料理がたのしい。

 

こちらはおススメの『官兵衛膳』

内容は『華かご膳』よりもちょっとガッツリ系。唐揚げやハモなど中津の名物が入ったお食事です。

 

デザートとコーヒーもいただいて、お腹も気持ちもすっかり落ち着きましたので、そろそろ中津観光へと出発!!

 

 

まずはやっぱり、中津のシンボル『中津城』!!!

寺町からも近い場所にある、『日本三水城』の1つ(残りは『高松城』『今治城』)。

黒田官兵衛が築いて、黒田家、細川家、小笠原家、奥平家と継がれてきたお城です。

写真の中央に見えるのは『中津大神宮』さん。明治14年に伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉迎鎮祭したということで、歴史的には新しそうですが『豊前の国のお伊勢様』と親しまれているそう。

 

『中津城』の内部は結構充実した博物館のような展示室になっていて、最も長く中津城の城主であった奥平家の歴代藩主のものを中心に、数々の宝物、歴史資料が展示されています。

 

鎧なんかもズラッと並んでいたりします。しっかり見学をしていくと時間が本当に足りないくらい。

 

そして、天守閣からの眺め。海の方角を観た様子です。

ただし、実際には中津城には天守閣はなかったのではないか、と考えられていますけど…。

まあ、眺めがよいのでイイですね!

 

反対側の市街の方向を見た様子です。

周辺に高い建物があまりないので(笑)、見晴らしはかなりイイですね~!

 

中津城、というとこの風景!!ですね!

「水城」と呼ばれるのはこの反対に流れる『中津川』を活かした城割にあるのだろうと思いますが、こっちのお堀の方から見た風景の方が、お城がお堀の方に飛び出している分、「水城」っぽい感じがしますね。

 

 

今回は、少しだけですが中津の城下町を散策してみよう!と思います。

まず訪れたのは、お城からも近い『福沢諭吉旧居・記念館』

写真の茅葺屋根の建物は『福沢諭吉旧居』で、1803年(享和3年)に建てられた建物で、福沢諭吉が青年期を過ごした家です。

写真では紹介していませんが、この『旧居』に隣接して、諭吉の遺品、書簡など、諭吉関連の資料を展示している『福沢記念館』があって、諭吉に関するものはもちろん、江戸末期から明治期にかけての歴史に触れることができる、なかなか見ごたえのある施設です。

 

『福沢諭吉旧居』の内部の様子。

中津藩13石2人扶持の下級武士の子として生まれた諭吉は、1歳半で父親と死別し、母子6人で過ごしたという家。

貧しい生活の中で、勉学に励む諭吉の姿が(ちょっと残念な感じですが)お人形さんで再現されています。

 

 

『福沢諭吉旧居・記念館』の駐車場を出てちょこっとだけ左折したところになる『寺町通り』

ここを右折した通りには、名前の通り、お寺さんがずら~っと並んでおります。

お城の西側は『水城』の名の通り、『山国川』で守られていますが、東側はこのズラッと並んだお寺の境内が防衛の要所となっています。

中津城を築城した黒田家からお寺さんをこの場所に集めるようになったそうで、奥平家時代までに12寺院が寺町にあって、さらに周辺にもっとお寺さんがあります。

城下町の周辺に寺社を配置するのはよくある当時の都市計画なのかもしれませんが、FUKUOKAにも同じような街並みがあって(『冷泉町』周辺や『唐人町』周辺)、やはり、お寺さんの境内を有事の際の軍の展開場所として活用することを想定した場所を設けているのは、中津城下と福岡城下を設計した黒田官兵衛(如水)と黒田長政父子らしい発想だな~と思います。

 

『福沢諭吉旧居・記念館』から近い、『寺町』の一番北にある『西蓮寺』さん。

 

『西蓮寺』のお隣の『浄安寺』さん。

 

またその隣の『圓龍寺』さん。

その向かいには、河童のお墓がある、という『円応寺』さんがあるのですが…写真撮り忘れました。

『円応寺』さんの前の立て札(中津市教育委員会の解説)によると、この「河童のお墓」は、『黒田二十四騎』の1人、野村太郎兵衛の墓とされています。円応寺には河童の伝説があるのですが、お墓とは関係ないのかしら?

なお、野村太郎兵衛は、城井鎮房暗殺の時に、一の太刀を浴びせた武士です。

 

で、今回の目的!と言ってもよい場所がここ『合元寺』さん!!

実はこの「赤壁」を見に来たのでした!

この赤壁こそ、黒田官兵衛・長政親子が豊前の領主となったときに、反乱を起こして抵抗を続けていた城井谷領主の宇都宮鎮房を、天正17年(1589年)に長政が城内において謀略を用いて暗殺した際に、鎮房が率いていた200人超の家臣はこの『合元寺』に留め置かれており、鎮房暗殺と同時に鉄砲隊にことごとく討ち取られた…ということです。

そのため、『合元寺』の白壁は血に染まり、幾度塗り替えても赤くなってしまうので、やむなく寺の壁を赤く塗り潰した、というのがこの「赤壁」。

黒田官兵衛・長政親子の隠れた一面を見る事件とされ、中津の名跡となっています。

 

 

さて、中津城下の散策はここまで。

別府に向かいます!

 

別府駅に近い宿にチェックインして、ちょっと落ち着いてから別府駅周辺の散策に出てみます。

冬の夕方は陽が落ちるのも早くて、もう「黄昏時」になっていました。

「別府駅」の表玄関…は、繁華街にも面している、”海側(東口)”になりますが、こちらは”山側(西口)”

”海側”の散策は、前回レポートでご紹介していますので、今回は”山側”の様子を。

 

とは言うものの、別府市街の繁華街となっている海側(東口側)に比べて、山側(西口側)は住宅街。

お店などもあまりなく…ということで、前回じっくり見て回れなかった別府駅の駅ビルを散策してみます!

 

駅ビルの内部は1フロア、通路2本のシンプルなつくり。

駅コンコースを挟んで、北側が『B-Passage』のエリア。専門店が集まるエリアです。

 

コンコースの近くにはお土産屋さんのコーナー。

観光地の駅としてはちょっと小ぶりですが、一通り銘品が揃う。

 

駅コンコースを挟んで反対側の『BIS南館』には、スーパー、本屋、コスメ・ドラッグなど、生活に密着したお店が集まっています。

別府市内一帯に様々な温泉が出る、広いエリアの観光地だからでしょうか、駅ビルのショップ機能はちょっと残念。食事ができるお店も少なくて、駅で何でも済ませてしまおう、というのは難しそう。

 

 

駅ビルを出てしまうと西口の方は東口の方とは全く違って静かな住宅地。駅前の通り沿いにもマンションが並んでいますが…すぐに目に飛び込んできたビルの壁画!

「TARO」の文字もくっきり、芸術家の岡本太郎さんの作品『緑の太陽』を見ることができます。

 

さて、今回のお宿は別府駅西口から歩いても5分くらいの立地にある温泉宿『旅館 千成』さん。

老舗…というか懐かしい感じを与える古い旅館。

 

ロビーの感じもこんな風で、これ以上ない??レトロ感。

 

1日8組限定…つまりは客室は8室のみというこの旅館は、純和風。

 

お部屋についている専用の露天風呂。

なかなかイイ雰囲気のお風呂です。

 

風呂付のお部屋だけでなく、貸切で使えるお風呂も3か所あって、ボードに書き込んで時間指定で入れます。

こちらは、貸切で使える露天風呂。

 

そして、貸切で使える岩風呂。

温泉の質は思ったほど?まったりしてはいないのですが、源泉掛け流しの気持ちよい別府温泉です。

別府は温泉の量も質も豊富なので、同じ別府市内でも、いろいろと温泉が楽しめる。

何度訪れても飽きない街です。

『千成』さんは、宿泊が8組限定で貸し切りのお風呂も3か所あるので(浴室付きのお部屋だとさらに)、結構お風呂だけでもノンビリ楽しめるところでした。

ちなみに、この日は年末の平日…ということもあってか、宿泊は2組だけ?

もう1組は肌の色が白い中高年の外国人カップルでした。レトロな日本文化に浸ることができたのではないでしょうか?

では、この後は夕食ですが…それは「その2」で。