怪物

MONSTER

 

〔勝手に評価 = ★★★★☆ = 怪物はどこに?〕

 

2023年/日本映画/125分/監督・編集:是枝裕和/製作:市川南、大多亮、依田巽、潮田一、是枝裕和/脚本:坂元裕二/撮影:近藤龍人/音楽:坂本龍一/出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子 ほか

 

【気ままに感想】

 

とてもよくできた脚本、演出です。

全体のお話が二重構造になっていて、まず観客は一方向から物語を見せられます。そして、後半になると同じ事象を別の視点・方向からあらためて見ていくことで、実際は“どういうことだったのか?”を理解(完全な理解ではないところが本作のさらに秀逸なところ)する、という形の作品です。

作品全体のスタイル自体が“仕掛け”になっていて、まるで推理小説のような“謎解き”を見せられた気持ちになります。

アガサ・クリスティーが世の中の人々を「あっ!」と言わせた、古典的な推理小説の名作『そして誰もいなくなった(1939)』を源流としたスタイルで、読者や観客が客観的に事実を見ているように思わせながら、実は“一面だけを見せられていた…”という、物語全体がトリックになっている構造です。

ミステリは基本的には謎解きですからいずれの作品もこのような二面性をもっているものですが、それを物語の構造に活かした点が特徴です。

このような構造が二面(多面)的になっている映画作品としては、パッと近時のものを挙げていくと、映画版の『白雪姫殺人事件(2014)』や『イニシエーション・ラブ(2015)』、そして、変化球ですが世界的にも大きな反響を呼んだ『カメラを止めるな!(2017)』などが優れた作品…として思いつきます。映画版の『ピンクとグレー(2016)』も映画ならではの構造を活かした作品になっています。

これらの作品は、最初の印象によって観客をミスリードして、後半部分で過去を振り返るなどしながら最初の印象をすっかり覆していくもので、しっかりした脚本と演出がなければ凡庸な作品になってしまう危険もあるのですが、いずれもなかなか見ごたえのある=いい意味でうまく騙される作品になっています。

 

本作はまさにこのような作品の中でも優れた作品と言えるでしょう。

なので…

本作について本質的な感想なりを語ろうとするとどうしてもキモとなる“仕掛け”に触れざるを得ませんので…これ以降は、ネタバレ注意でお願いします。

 

さて、ミステリあるいは類似の作品には“ミスリード”は欠かせませんが、本作における最もキモとなる“ミスリード”は最近の映画の映画らしく、実は「予告編」の中にあります(本作においてはポスターにもありますが)。

この、予告編に過剰に情報を盛り込む傾向は、何とも情緒ないな~という気がしないでもないのですが、ある意味本作は、最近の映画にありがちな「過剰な予告編傾向」を逆手にとって、うまく“ミスリード”を埋め込んでいます。

もちろん、それは「怪物だーれだ」というフレーズですが、しっかりこの一言で、観客は「怪物探し」をしながら本作を観ていきます。

が、結論を述べてしまうと、「実は、怪物はいない」という本作最大の“オチ”につながっていくのです。

作品の前半では、登場人物の誰もが「怪物ではないか?」と疑いがもたれるように描かれています。

冒頭の火事で放火をしたのは誰なのか?過剰ないじめやハラスメントとその隠蔽工作をしたのは誰か?

オドオドとして言動が不審な永山瑛太(納得感のある新米教師の演技がスゴイ!)では?

子ども思いが強いシングルマザーの安藤サクラなのか?

安藤サクラの息子で、永山瑛太にパワハラされている?小学生の黒川想矢なのか?

黒川想矢の友達で、飲んだくれの父親中村獅童から児童虐待を受けているいじめられっ子の柊木陽太なのか?

孫をひき殺したのでは?と疑いをかけられもみ消しに走る田中裕子なのか?

あるいは、主要な登場人物の全てが「怪物」なのではないか…??

などと、まさに疑心暗鬼になって物語を見つめていく、この辺の脚本、演出、役者の演技はかなり迫真的です。

そして、後半部分はもう一度時計を巻き戻して、それぞれの立場から“何が起きていたのか”を見ていく。すると、「怪物」はどこにもいないことが分かってくる…という「謎解き」…実際に謎解きと言ってよいほどの、清々しい裏切られ方。

それも、優しい気持ちにさせる、力業です。

 

一方、ちょっと行き過ぎかな??

と思う点もあるのですが、それは本作のテーマの1つともなっている「LGBTQ+」の描き方について…ではないかと思います(ちなみに、LGBTQ+の言い方については、もっと多様性があって違った言い方をされたりもしますが、ここでは一応この表現を用いておきます)。

 

前述では、「怪物」はどこにもいない…と述べましたが、正確に言うと、後半の主人公、黒川想矢は自分のことを「怪物」だと思っている…ということが示唆されます。

それは、友達である柊木陽太のことが“好き”で、男の子が男の子のことを好きになることが“オカシイこと”“いけないこと”“秘密にしなければならないこと”…という感情です。

多感な少年時代、思春期へと差しかかろうとしている少年が、自分の“性”について考えるようになって…という、複雑な揺れる心を「怪物」…という言葉で表したものですが、この頃の少年の気持ちを、“恋愛感情”を通して描いた部分は、小学生の男の子にしてはちょっと“ませすぎ”かな…?と思います。

少年の同性愛的な感情はもっと不確かなもので、性的に未分化な少年時代には、性的なものとは違った「好き」「嫌い」があって、少年の発達段階には、恋愛感情の前に自分の“性”に対する揺らぎのある自認が芽生えてくるのではないか、と思います。

この辺は児童心理学の分野かもしれませんが、二人をもっと“自然に”「好き」「嫌い」という風に描いてよかったのではないかな。

ちょっと深読みかもしれませんが、LGBTQ+のことを“恋愛感情”のポイントで描いたところは、作品の後半が人々の“良心”や“思いやり”を描いたパートであったことを鑑みると、少し行き過ぎた感じがするのですが…。

ここのところはそれぞれがあらためて鑑賞して確認をしていただければ、と思います。

いずれにしても、最後のシーンで、嵐の後の陽だまり草むらを駆ける2人の少年の晴々とした姿には、心温まる思いをさせてくれる、優しさに満ちた作品です。

 

本作に出演している俳優の皆さんは、実にウマい演技をしています。

特に素晴らしいのは、若い先生役の永山瑛太。

前半の演技では、何を考えているのか全く分からない、不気味な教師…という印象を強烈に与えるのですが、後半は実は生徒のこともちゃんと考えて寄り添ってくれる先生。特別に良い先生ではないけれど、あくまでも善良な人物…ということをしっかり伝えています。

途中では、世間の誤解から精神的にも社会的にも追い詰められてしまう、悲劇の人物…なのですが、1つの演技を通して、これら、与える印象が二転三転するという、演じ分けるにはとても難しい役どころを、きちんと矛盾なく表現できている。

巧みな演技には舌を巻きます。

カッコいいキャラばかりではない、この人、こんな演技ができたんだ~って驚きを与えます。

それから、安藤サクラ。

結構濃いキャラクタの人なので、“ふつうの”お母さん役っていうのがかえって新鮮でよかった(笑)

最近の『ゴジラ—1.0(2023)』では、人の好い(素朴な性格の?)戦争未亡人というキャラで、本作とも通じるところがあるのですが、主人公を不合理に責め立てたりしてかえって性格がはっきりしない、ステレオタイプの生きて来ない演出となってしまいましたが、本作では誰もがイメージしやすい“ふつうの”お母さん役を演じながらも決して“凡庸”に落ち込まない、微妙な演技をうまく渡り切っています。

この差は脚本の違いではないか、と思うのですが、本当にオールマイティな女優さんだな~っとあらためて実感する作品でした。

そして、何といっても子役の2人の男の子たち。

本作の評価は黒川想矢くんと柊木陽太くんの演技で持っている…と言って過言ではありません。

子どもっぽさを残して、かつ思春期に差し掛かった頃の揺れ動く心を見事に表現しています。男の子らしさとともに中性的な演技も違和感なく演じるのは、子役としてはかなり課題も大きかったのではないかと思うのですが、2人の可愛らしビジュアルのおかげもあって、妖しささえ感じさせるシーンも納得!の内容になっています。

特に悩める男の子役の黒川想矢くんは見事!

2人の今後の活躍が楽しみですね。

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5