今回の旅の目的地は、日本でも有数…というか、世界でも有数!!の温泉地~!『別府』です!

いや~、テンション上がる…よね???

前回『別府』を訪れたのは3年ちょっと前…意外に時間空いてた!

別府って、あまりにもあちこちからお湯が出て、しかも特色もバラエティあるので何べん行ってもイイ感じ!なので、行き足りないかもね!

今回は、そんな九州が世界に誇る「温泉の街『別府』」を目的地としつつ…実は今回ゆっくり回ったのは別府市内というより、もう少し北の方…福岡県にも接する『中津市』!!

ということで?

今回は2つの街を遊んでみます!!

※時期は2023年12月末!冬の様子です。

(前回レポート)

https://ameblo.jp/side-in-planning/entry-12626628637.html

 

ゆっくりFUKUOKAを出て丁度お昼どきに中津市街へ到着。

まずは、腹ごしらえをすることとして、寺町近くの日本料理のお店『美味創匠 朱華』さんへ。

周辺は、お寺さんが並ぶ、静かで情緒豊かな場所にあります。

 

お店の中はこんな感じのレトロな雰囲気。

何の予約もせずに入りましたが、ランチタイムは大丈夫でした。(HPでは、夜は予約があったときのみの営業とありました)

 

こんな和風の個室でお食事もいただけます。

テーブル席もありました。

 

『華かご膳』のお食事

朱華さんは、和とフレンチの融和をテーマにしているそう。一つ一つの料理がたのしい。

 

こちらはおススメの『官兵衛膳』

内容は『華かご膳』よりもちょっとガッツリ系。唐揚げやハモなど中津の名物が入ったお食事です。

 

デザートとコーヒーもいただいて、お腹も気持ちもすっかり落ち着きましたので、そろそろ中津観光へと出発!!

 

 

まずはやっぱり、中津のシンボル『中津城』!!!

寺町からも近い場所にある、『日本三水城』の1つ(残りは『高松城』『今治城』)。

黒田官兵衛が築いて、黒田家、細川家、小笠原家、奥平家と継がれてきたお城です。

写真の中央に見えるのは『中津大神宮』さん。明治14年に伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉迎鎮祭したということで、歴史的には新しそうですが『豊前の国のお伊勢様』と親しまれているそう。

 

『中津城』の内部は結構充実した博物館のような展示室になっていて、最も長く中津城の城主であった奥平家の歴代藩主のものを中心に、数々の宝物、歴史資料が展示されています。

 

鎧なんかもズラッと並んでいたりします。しっかり見学をしていくと時間が本当に足りないくらい。

 

そして、天守閣からの眺め。海の方角を観た様子です。

ただし、実際には中津城には天守閣はなかったのではないか、と考えられていますけど…。

まあ、眺めがよいのでイイですね!

 

反対側の市街の方向を見た様子です。

周辺に高い建物があまりないので(笑)、見晴らしはかなりイイですね~!

 

中津城、というとこの風景!!ですね!

「水城」と呼ばれるのはこの反対に流れる『中津川』を活かした城割にあるのだろうと思いますが、こっちのお堀の方から見た風景の方が、お城がお堀の方に飛び出している分、「水城」っぽい感じがしますね。

 

 

今回は、少しだけですが中津の城下町を散策してみよう!と思います。

まず訪れたのは、お城からも近い『福沢諭吉旧居・記念館』

写真の茅葺屋根の建物は『福沢諭吉旧居』で、1803年(享和3年)に建てられた建物で、福沢諭吉が青年期を過ごした家です。

写真では紹介していませんが、この『旧居』に隣接して、諭吉の遺品、書簡など、諭吉関連の資料を展示している『福沢記念館』があって、諭吉に関するものはもちろん、江戸末期から明治期にかけての歴史に触れることができる、なかなか見ごたえのある施設です。

 

『福沢諭吉旧居』の内部の様子。

中津藩13石2人扶持の下級武士の子として生まれた諭吉は、1歳半で父親と死別し、母子6人で過ごしたという家。

貧しい生活の中で、勉学に励む諭吉の姿が(ちょっと残念な感じですが)お人形さんで再現されています。

 

 

『福沢諭吉旧居・記念館』の駐車場を出てちょこっとだけ左折したところになる『寺町通り』

ここを右折した通りには、名前の通り、お寺さんがずら~っと並んでおります。

お城の西側は『水城』の名の通り、『山国川』で守られていますが、東側はこのズラッと並んだお寺の境内が防衛の要所となっています。

中津城を築城した黒田家からお寺さんをこの場所に集めるようになったそうで、奥平家時代までに12寺院が寺町にあって、さらに周辺にもっとお寺さんがあります。

城下町の周辺に寺社を配置するのはよくある当時の都市計画なのかもしれませんが、FUKUOKAにも同じような街並みがあって(『冷泉町』周辺や『唐人町』周辺)、やはり、お寺さんの境内を有事の際の軍の展開場所として活用することを想定した場所を設けているのは、中津城下と福岡城下を設計した黒田官兵衛(如水)と黒田長政父子らしい発想だな~と思います。

 

『福沢諭吉旧居・記念館』から近い、『寺町』の一番北にある『西蓮寺』さん。

 

『西蓮寺』のお隣の『浄安寺』さん。

 

またその隣の『圓龍寺』さん。

その向かいには、河童のお墓がある、という『円応寺』さんがあるのですが…写真撮り忘れました。

『円応寺』さんの前の立て札(中津市教育委員会の解説)によると、この「河童のお墓」は、『黒田二十四騎』の1人、野村太郎兵衛の墓とされています。円応寺には河童の伝説があるのですが、お墓とは関係ないのかしら?

なお、野村太郎兵衛は、城井鎮房暗殺の時に、一の太刀を浴びせた武士です。

 

で、今回の目的!と言ってもよい場所がここ『合元寺』さん!!

実はこの「赤壁」を見に来たのでした!

この赤壁こそ、黒田官兵衛・長政親子が豊前の領主となったときに、反乱を起こして抵抗を続けていた城井谷領主の宇都宮鎮房を、天正17年(1589年)に長政が城内において謀略を用いて暗殺した際に、鎮房が率いていた200人超の家臣はこの『合元寺』に留め置かれており、鎮房暗殺と同時に鉄砲隊にことごとく討ち取られた…ということです。

そのため、『合元寺』の白壁は血に染まり、幾度塗り替えても赤くなってしまうので、やむなく寺の壁を赤く塗り潰した、というのがこの「赤壁」。

黒田官兵衛・長政親子の隠れた一面を見る事件とされ、中津の名跡となっています。

 

 

さて、中津城下の散策はここまで。

別府に向かいます!

 

別府駅に近い宿にチェックインして、ちょっと落ち着いてから別府駅周辺の散策に出てみます。

冬の夕方は陽が落ちるのも早くて、もう「黄昏時」になっていました。

「別府駅」の表玄関…は、繁華街にも面している、”海側(東口)”になりますが、こちらは”山側(西口)”

”海側”の散策は、前回レポートでご紹介していますので、今回は”山側”の様子を。

 

とは言うものの、別府市街の繁華街となっている海側(東口側)に比べて、山側(西口側)は住宅街。

お店などもあまりなく…ということで、前回じっくり見て回れなかった別府駅の駅ビルを散策してみます!

 

駅ビルの内部は1フロア、通路2本のシンプルなつくり。

駅コンコースを挟んで、北側が『B-Passage』のエリア。専門店が集まるエリアです。

 

コンコースの近くにはお土産屋さんのコーナー。

観光地の駅としてはちょっと小ぶりですが、一通り銘品が揃う。

 

駅コンコースを挟んで反対側の『BIS南館』には、スーパー、本屋、コスメ・ドラッグなど、生活に密着したお店が集まっています。

別府市内一帯に様々な温泉が出る、広いエリアの観光地だからでしょうか、駅ビルのショップ機能はちょっと残念。食事ができるお店も少なくて、駅で何でも済ませてしまおう、というのは難しそう。

 

 

駅ビルを出てしまうと西口の方は東口の方とは全く違って静かな住宅地。駅前の通り沿いにもマンションが並んでいますが…すぐに目に飛び込んできたビルの壁画!

「TARO」の文字もくっきり、芸術家の岡本太郎さんの作品『緑の太陽』を見ることができます。

 

さて、今回のお宿は別府駅西口から歩いても5分くらいの立地にある温泉宿『旅館 千成』さん。

老舗…というか懐かしい感じを与える古い旅館。

 

ロビーの感じもこんな風で、これ以上ない??レトロ感。

 

1日8組限定…つまりは客室は8室のみというこの旅館は、純和風。

 

お部屋についている専用の露天風呂。

なかなかイイ雰囲気のお風呂です。

 

風呂付のお部屋だけでなく、貸切で使えるお風呂も3か所あって、ボードに書き込んで時間指定で入れます。

こちらは、貸切で使える露天風呂。

 

そして、貸切で使える岩風呂。

温泉の質は思ったほど?まったりしてはいないのですが、源泉掛け流しの気持ちよい別府温泉です。

別府は温泉の量も質も豊富なので、同じ別府市内でも、いろいろと温泉が楽しめる。

何度訪れても飽きない街です。

『千成』さんは、宿泊が8組限定で貸し切りのお風呂も3か所あるので(浴室付きのお部屋だとさらに)、結構お風呂だけでもノンビリ楽しめるところでした。

ちなみに、この日は年末の平日…ということもあってか、宿泊は2組だけ?

もう1組は肌の色が白い中高年の外国人カップルでした。レトロな日本文化に浸ることができたのではないでしょうか?

では、この後は夕食ですが…それは「その2」で。