岐阜の平野部もうっすらと雪景色になった朝。
今朝は左義長だったので、寒い中、夫にお正月の役目を終えたしめ縄や、去年の破魔矢、神様のお札などを供養しに行ってもらいました。
こんにちは
今日も
「生きてるだけで愛される」
をお試し中のしず華です🥰
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【前回までのおはなし】
こんな記事に出会いました。
(引用)
がんがゼロになるということが本当に重要なのでしょうか。
がんがあってもなくても、「いい状態で長生きすること」の方が大切で、そこに望みがあるのではないでしょうか。
根治が難しくて、将来的に命を脅かす病気はほかにもたくさんあります。動脈硬化とか糖尿病などはその代表です。でも、これらの病気では、「治る」と「治らない」の間に希望と絶望の壁があるようなイメージはありません。動脈硬化を指摘されながらも、あまり気にすることなく、普通に生活している方はたくさんおられます。
これががんになると、「治らないというのは絶望的」というイメージになってしまいます。動脈硬化や糖尿病のように、適切に治療して、うまくつきあえればよいと思うのですが、がんの場合は、どうしても、イメージが先行してしまうようです。
仮に、がんをゼロにすることが目指せるとして、それが究極の目標と言えるでしょうか。もし、遠隔転移を全部切除できたものの、手術の合併症で命を縮めてしまった場合、それでもがんをゼロにすることに価値があったと言えるでしょうか。
やはり、私は、無理に「根治」を目指すよりも、「いい状態で長生き」を目指す方が自然な気がします。「根治」はなかなか達成できないものですので、治らなければ絶望と思い詰めてしまうのは、得策ではありません。がんがあること自体は受け止めた上で、「がんとうまく長くつきあう」と考えた方がよいように思います。
がんとうまく長くつきあい、「天寿」を全うする
がんが悪さをしないようにうまく抑えながら、いい状態で長生きして、「天寿」を全うできるのであれば、それは、「がんが治った」というのと、ほとんど同じことのような気もします。
「天寿」というのは、人それぞれ、いろいろな捉え方があるでしょうが、「その人なりの人生を生き切ること」と言い換えられるでしょうか。たとえ、がんで最期を迎えるとしても、天寿を全うしたと言える生き方はありえると、私は思います。
がんとうまく長くつきあって、天寿を全うすることを目指す。そのために、医療があるのだと思っています。今は、薬物療法も緩和ケアも進歩していますので、進行がんでも、いい状態で長生きできる方が増えてきました。そういう患者さんの中には、CTでは病変が確認できないくらいになっている方も、遠隔転移とずっとうまくつきあっている方もおられますが、両者に本質的な違いはなく、どの患者さんも、自分らしく生きておられます。そういう意味でも、「治ったかどうか」にこだわる必要はないのだと思っています。
この【命のおはなし】のテーマでは、
わたしが「生きていく」ことを信じてほしくて、
わたしが「生きていく」ことを応援してほしくて、
わたしの「大切な願い」をわかってほしくて、
シリーズ化して発信しています。
今夜も、あなたが安心して愛の中で眠れますように・・・
***しず華***