先日、久々に映画館に行き、映画の素晴らしさを実感した影響からか、なんとなく映画熱に火がついたっぽい私たかひろ。

今回は映画館に行ったわけではないですが、自宅にて、ずっと気になっていたコチラの作品を観ました👀

『彼女が好きなものは』

昨年末に公開されていたこの映画。とあるブロガーさんの記事からこの映画の存在を教えていただいて以降、ずっと気になっておりました。


なぜなら、この作品って2019年に

"腐女子、うっかりゲイに告る"

というタイトルで、テレビドラマでも放送されていたんですけど…

僕、このドラマには特別な想い入れがありまして…。これまで『同性愛』について、取り扱った作品を色々観てきました。


中でも、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』『おっさんずラブ』は、世間的にも注目されましたが、僕の中でも今なお群を抜いて感動させられた作品であり、大切な作品になっています💡


ただ、僕的にその2作品以上に、

『登場人物の気持ちに共感できた作品』

が、この『腐女子、うっかりゲイに告る』でした。


僕にとっては、チェリまほの安達や黒沢おっさんずラブの牧以上に、この作品に登場する主人公・安藤純が抱える苦悩、葛藤、願い…、彼が抱える全ての気持ちに、観てて苦しくなるくらいに共感できたんです。

この作品って、本当痛いほどに『リアル』なんです。ゲイであることに悩む主人公の心情、身近な人間がゲイだと知った時の周囲の困惑。そこに『ゲイに対するハンパな配慮』は一切ない。


だからこそ、心に刺さったし、痛いけどめちゃめちゃ共感しました。正直、観てて辛くなる瞬間もあったけど、ここまでリアルだと、なんだか自分の気持ちを代弁してくれてるような感覚というか、自分のことをわかってもらえたような気持ちになってしまい、なんだか泣けて仕方なかったんですよね😢


ちょうどこの作品を観た年、僕は某マッチングアプリでゲイの方と知り合ったのですが、当時この作品に衝撃と感銘を受けていた僕は、その人にこの作品をめっちゃ売り込んでたことを記憶しています(笑)(あの後この作品、観てくれたかな?)


少々前置きが長くなりましたが…💦

だから、そんな僕にとって特別な作品が映画化されると知り、

これは絶対観なければ!!

と心に決めていたんです。

(と言いながら、上映期間中に映画館には行ってないわけですが…💦)


そんなわけで、現在U-NEXTで先行レンタルしているらしいことを思いがけず知った僕は、わざわざ課金して鑑賞させていただきましたよ😊


それでは、今回はそんな映画を観た僕の感想を綴らせていただきます✏️


※以下、ネタバレとなります!!これから観る予定がある方は、くれぐれもご注意くださいませ。

  あらすじ

いつも長くなりがちなので、今回は本当に簡潔に(笑)


ゲイであることを隠して生きる高校生の安藤純(神尾楓珠)と、

BL好きであることを秘密にしているクラスメイトの三浦紗枝(山田杏奈)。

思いがけず接近した二人は、紗枝が純のセクシュアリティを知らないまま、“ふつう”の男女としてつき合い始めるが……。

(公式HPより抜粋)


その他の登場人物等は公式HPを是非に💡

あと詳しいことは、本編をご覧ください(笑)


  純の姿に重ね合わせた昔の自分。

映画版ということで、ドラマより尺が短いので、ドラマに比べると、どうしてもカットせざるを得ない描写はあったと思いますが、それでも作品自体が劣化するようなことはなく、同性愛というテーマについて、ゲイ側の気持ち、周囲の気持ち、どちらの葛藤、心情もとても丁寧に描いていて、期待通りの素晴らしい映画だなと思いました✨

特に純の心情は、映画版でも痛いほど共感できましたね😔


『普通に結婚して、家庭を持って、子供を持つ』

ということ。


たとえ自分がゲイだと自覚していても、そういう

『普通の幸せ』

を諦めたくないという純の想い。


学生時代の自分を思い返すと、まさにドンピシャで僕もそう思っていたし、だからこそ、

"LIKEな感情""LOVEなんだ"

と無理矢理にでも思い込ませようとしていたというか…。


今思えば、『この感情はLOVEなんだ』と、最後まで自分は『女性も愛せるんだ』と信じたかったんだろうなと思います。

(というか、今は年齢的なこともあって性別とか関係なく『結婚する』ということ自体を諦めてしまったというか、そこに魅力を感じなくなってしまっただけで、今でも手に入れられるのであれば『普通の幸せ』が良いと、心のどこかでは思ってるなと思います…)


だから、純が三浦さんに対して『この子となら普通の幸せを手に入れられるかもしれない』と信じて、彼女と付き合うという選択をした気持ちは痛いほどによくわかりました。


僕自身も、そう信じてこれまで女性と付き合う選択をしてきました。ただ、やはり僕の彼女に対する『好き』は、劇中の純の言葉を借りるならば、"勃たない好き"なんだと悟り…(実際には、僕は無理矢理勃たせましたけど…ってどうでもいいですねw)。


『やっぱり自分は同性しか愛せないんだ』

と思い知らされ、最終的に別れた時には、彼女を騙したつもりはないけど、"異性も愛せる"という自分の可能性に賭けたくて、どこかで彼女を『試してしまった』ような罪悪感に苛まれました。僕が『辛かった』なんていう資格ないことはわかってますが、それでもあの時は本当に辛かったです。


だから、劇中で初体験に失敗してしまった三浦さんが『自分に魅力がないんじゃないか』と思い、胸が大きくなるようにと牛乳を飲んだり、メイクやお洒落に磨きをかけたり、少しでも魅力的な女の子になろうと努力する姿を観ていたら、当時感じていた罪悪感が再び蘇ってきたりもして、正直観ていて苦しくもありました。


SNS上の友人であるMr.ファーレンハイト(磯村勇斗)の死を受け、純が

『なんで僕たちみたいな人が生まれてくるの?』

と泣きながら恋人の誠(今井翼)に問いかける場面。


学校で飛び降り自殺を図った後、病室で純が

『これは何かの間違えで、僕もいつかは女の子を好きになれるって、僕自身が1番期待してたんだよ。男を好きになる自分が、嫌で嫌でたまらなかったんだよ。結婚することも、母さんに孫を見せることも出来ない…。幸せな未来がほしいのに、一人どっかのアパートで孤独死する想像が頭から離れない…。それでも…女の子を好きなフリをして…必死に周りに合わせて生きてきたんだよ。なんで僕なんて産んだんだよ…なんで僕はまだ生きてるんだよ…。ごめんなさい…』

と号泣しながら母親(山口紗弥加)に訴える場面。


こんなにも主人公の気持ちが手に取るようにわかる作品ってあまりなくて…。

どの場面も泣けて泣けて仕方なかったです😢

今こうやって文字に起こしてるだけで涙腺が刺激される…😭


原作者の浅原ナオトさんもコメントしてますが、

『好きな相手が同性でもいいと思うよ』

という言葉で簡単に救える問題じゃないというか、そんな言葉だけでは片づかない複雑な内面がゲイ(というか僕?)にはあって、その辺をものすごく繊細かつ丁寧に描いている作品だなぁと思います。


  僕が感じていた違和感の正体。

純が自殺未遂を図った後、学校で『同性愛』について話し合いの場が設けられるシーンがあるのですが、このディスカッションの様子が、ドラマというより、非常にリアルな映像に映りました。


僕が印象的だったのは、同級生の小野(三浦獠太)の言葉です。

小野は、純がゲイだとアウティングし、純がセクシャリティを偽っていたことに怒りを覚え、罵倒し、純を自殺未遂に追いやった張本人です。


多くの生徒が、

『今どき同性愛なんて珍しいことじゃない』

と、同性愛を理解したような立場を取りながらも、どこか他人事のように感じたと話す三浦さん。そして、そんな三浦さんと同じようなことを感じていたのが、小野だったのです。


小野は、

『今は漫画とかドラマとか同性愛を扱ったものが多いから、だから私は全然理解できるかなぁって…』

と話す生徒の発言を遮って、

『理解者ヅラしてたって、実際目の前に現れたら好奇心丸出しだったじゃねーか。アイツのこと、なんかのキャラみたいに見てたんじゃねーの?』

と、その生徒に噛み付きます。


このシーンを見た時、

『本当の意味では、多様性はまだ世に受け入れられてない』

と、僕がどこか違和感を感じている理由がわかったような気がしました。


小野の言うように『理解したつもり』という空気感が、世の中には蔓延しているなと思うんです。実際、かつて職場で同性愛者だとカミングアウトした人がいたのですが、表面上では『自分は理解がある』的な発言をしていた人も、別の場面では、『あ〜なんかショックだったなぁ』と発言してたりして…。その場面を目の当たりにした時、

"上辺だけの理解なんて、かえって残酷だな"

と思ったことがありました。


もちろん、世の中全員がそんな風な人ばかりだとは思いませんが、とはいえ、目の前に現れたら、途端に好奇な目で見てしまうという部分は少なからずあると思います。


この映画の公式HPに、この作品についてこんな紹介文が載っていました。

漫画からドラマ化された「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」や、タイのテレビドラマ「2gether」が国境を超えて人気を誇るなど、いまやパワーコンテンツとなったBL市場。しかし、エンタテインメントに昇華される一方で、私たちが生きる社会には多様な価値観を受け入れることへの根強い壁がある。大切なのは、少数派と多数派を被害者と加害者に分断するのではなく、どの立場であっても自分ごととしてとらえること。十代の登場人物たちが自分たちで踏み出したその第一歩は、大いなる勇気を与えてくれるに違いない。

この文章を読んだ時、なんとなく自分の中にある違和感というか、モヤっとした想いを代弁してくれているというか、そんな気持ちになりました。


たしかに今は『チェリまほ』をはじめ、良質なBL作品のおかげで、同性愛の理解に追い風が吹いているなと感じます。

ただ、その一方で、BLのエンタメ色が強くなると、ただエンタメとして昇華されるだけのコンテンツになってしまうんじゃないか?と感じるというか、必ずしも多様性の本質的な理解に繋がっていくんだろうか?と思ってしまう部分もあって…。

なので、これは前にも触れたことあるんですけど、なんでもかんでも"BL噛ませときゃ当たる"的な風潮になることを僕は少々危惧してます。


ちょっと話が逸れましたが、要するに何が言いたいかと言えば、作品はあくまでもキッカケに過ぎず、それを世の中に本質的に浸透させていくためには、一人一人がどれだけ

"自分事として捉えられるか?"

にかかっているんだよなぁと、この作品からは、そんなことも考えさせられました。


  ゲイは"被害者"ではない。

自分の心のどこかにずっとあった『被害者意識』。ゲイに生まれてしまった自分は"可哀想"なんだと…。そして、ゲイを受け入れられない周囲の人間は"加害者"なんだと。


僕は、どこかそんな風に思って、ここまで生きてきたような気がします。だけど、それは違うということを、この作品は気付かせてくれました。


ゲイは不幸かもしれないけど被害者ではない。

なんなら、ゲイであることを不幸と思うかどうかなんて人によって違う。もしゲイであることを不幸に思うことがあるとすれば、それは"自分が望む自分にはなれない"という絶望感がそうさせているのだと思う。


けど、それってゲイに限った話じゃない。性的指向がストレートだったとして、必ずしも自分が望む幸せを手に入れられるわけではない。

『なりたい自分』『なれる自分』に隔たりが生じることは、性的指向に関係なく、誰にでも起こり得ることだ。


そして、

『ゲイを受け入れられない周囲の人間は加害者なのか?』

といえば、そうではないんだと思う。

異質な者に対して、どう対応して良いかわからず、困惑してしまうのは当然のことだし、わからないからこそ不安や恐怖を感じて、思わず排除しようとしてしまう気持ちも、ある意味『人間として』自然な反応なんじゃないかと思う。


だから、即座に『受け入れろ!』と要求することは酷な話だし、『そんな反応は間違ってる!』と端から否定すること自体、間違っているような気がする。


大事なことは、劇中で三浦さんが言っていた

"理解出来なくても想像したい"

という、あの言葉なんだと思う。


自分と違う人間を理解しようともせず、想像することを拒否した時に、その人は初めて『加害者』になるのだと思う。

そして、ゲイ自身も、ゲイである自分を受け入れることを拒否した時に、初めて『被害者』になるのだと思う。


だからこそ、互いが互いの気持ちを

『想像』

しようとする姿勢。これを諦めてはいけないんだなと、この作品から教えられた気がします。


この作品って、単にゲイ側の苦しみを一方的に描いているわけじゃなくて、そのゲイを取り巻く親や同級生といった周りの戸惑いもリアルに描いているからこそ、秀逸な作品だよなぁと思います💡


三浦さんが病室で純に言った

『安藤くんのこと、他人事にしたくない』

という言葉。あの言葉に、ちょっと救われたような気がしました。


  "摩擦"から生まれる可能性

僕は、自分自身が傷つきたくないから、ゲイであることを隠し、ストレートのふりをして、ここまで生きてきたと思ってました。


けど、体育館のシーンで三浦さんが訴えた

『彼は自分を守るためじゃなくて、私たちを守るために、見えない壁を作っているんです。周りを困惑させないように、自分をなくして、摩擦をなくして、世界を簡単にしているんです』

という言葉。この言葉を聞いた時、自分でも気付かなかった内なる想いに気付かされたような気がした。


たしかに、"親や友人を動揺させたくないからカミングアウトしたくない"という気持ちも自分の中にはある。けれど、それはあくまでも『自分を守るための想い』でしかないと思ってました。


だから、三浦さんのこの言葉を聞いた時に、

『あぁ…こんな風に受け止めてくれる優しい視点もあるのか』

と思ったら、なんだか涙が止まらなかった。


そして、僕がカミングアウトをせずに生きているのは、きっと自分が傷付いたり、相手を困惑させたり、自分と周りが『摩擦すること』を避けたいからなんだろうなとも気付かされた。そして、そうやって周囲と『摩擦すること』を避けているのは、自分が相手のこと、周りのことを信じられてないからなんだろうなと。


互いが互いを認め合ったり、理解しようとすることって、言葉は綺麗だけど、簡単じゃないし、すごく面倒臭いことなんだと思う。だから、摩擦を避けて『世界を簡単にする』ことは、自分を偽る苦しみ"がある反面、でもある。


けど、物語の終盤、純が言っていた

『もしこの世界に摩擦がなかったら僕らは一歩も進めない』

という言葉通り、摩擦がなければ、僕たちは互いを認め合うことも、理解することも永遠に出来ない。摩擦を避けるということは、互いを理解し合う可能性を消しているということだ。


これに関しては、非常に難しい問題で…。

『正論だな』とは思う反面、『じゃあ実践してみよう』と簡単に思えるものでもなくて…。

まぁそんな簡単に『カミングアウトしよう』と気持ちを切り替えられるなら、ここまで苦労してないよって話なんだけども…。


ただ、だからと言って、

『言ってることは最もだけど自分には無理』

と簡単に諦めてしまいたくもないというか。

この作品を観た後で、自分の中にはそういう感情が生まれていることも事実です。それだけでも、この作品を観た価値があるというか、この作品が持つ力を感じます。


綺麗事かもしれないけど、親だったり、兄弟だったり、友人だったり…。いつか誰かに、もしカミングアウトすることが出来たとしたら、今の自分が想像もできない新しい世界に出会えるのかもしれないと、そんな"一筋の希望の光"を見つけたというか、なんだかそんな気持ちになれました。


  登場人物の優しさに救われた。

それぞれの気持ちの描写がリアル過ぎて、苦しくもある作品ではあるのですが、そんな中でも、純を理解しようとする三浦さんの存在であり、いつも変わらず明るく純を照らし続ける幼馴染みの亮平(前田旺志郎)の存在に、すごく救われたなぁと思います。

彼らももちろん戸惑いはするのだけど、それでも純の気持ちを想像して、理解しようとすることを諦めない。


前述しましたが、終盤の体育館のシーンで、三浦さんが全校生徒の前で熱弁する姿。教師たちがそんな三浦さんの行動を止めさせようとする中、必死に三浦さんの行動を守ろうとする亮平。そして、純を追い詰めた張本人でありながらも、同じように三浦さんの行動を守ろうとする小野。


このシーンも涙が止まりませんでした😭


一体この映画で何回泣いたんだろう(笑)

しかし、キャストの皆さんがみんな好演していて、素晴らしいなと思いました👏


そして、誠役の今井翼さん。

いつの間にこんな色気を身に付けたんだろう?と思ったし、いかにも"ゲイ人気が高そうなイケメン"という感じがハマってたと思います⭐️そんなところにも純の気持ちに共感したというか、こんな人がいたら、たしかに僕も惹かれてしまうかもです…(ただ、不倫はいけませんね⚠️)


ということで!!

想いが溢れてしまい、またもや長くなってしまいましたが、また観たいなぁと思える(というか、ほぼ確実にまた観る)とても素晴らしい作品だったと思います💡


セクシャルマイノリティ当事者の方には、もしかすると辛い作品かもしれませんが、物語の最後、

『BL星に行くときは連絡してね。私も一緒に行くから』

という三浦さんの言葉に対して、

『もうしばらく地球で生きるよ』

と答えた純。

この言葉で物語は締め括られるのですが、一度死のうとした純が放ったこの言葉に、最後

"光を見出せる"

そんな作品じゃないかなと思います。


もし良ければ一度ご鑑賞くださいませ💡

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m