因果倶時 -65ページ目

デジャブ

展開が遅い。

何の展開?って、自分の中の展開が。

やらなきゃいけないことは感覚的に掴めているのに、それを思考が追いかけていない。


ところで面白い。って実は別に面白くもなくてシリアスなことなんだけど、どこに行こうが人間は人間、な~んとなく見送ってしまう、腑に落ちないこと、ってのがあるみたいだ。

組織になるとそれが助長されるところが恐ろしい。

ところがこの、見送ってしまった中途半端な傷というのが、最後に一番ひびいてくる。ボディーブローのようなもので、最後は致命傷になる。しかも最初からボディーブローが入っているような気が実はしていたという後ろめたさが、結果ではなく、過程に対する後悔を生む。

腑に落ちないことというのは、結局、腑に落ちないというよりも、それが実は大問題であることを潜在的に分かっているため、色んな理由で意識的に問題にぶち当たるのを避けているのを、言い訳がましく、腑に落ちない、と表現しているだけだ。

問題に直面しようとしないのは、その場の小さな成功・達成を求めるからだ。

組織でこんな空気が助長されるのは、組織を作った時点で組織を守るという目的が発生し、何故組織が出来たのか、という本来の目的を忘れるからだ。

最悪なのは、そもそも何の理由もなく組織が出来ている場合だ。


Anyway、あの悔しさを大事にしたい。

新しい価値観

昔、父の仕事の関係でよく転校した。

小学校も中学も3つ行っている。

しまいに転校も慣れっこになった。


しかしその後、高校も大学もひとつの学校にしか行かなかったので、環境が変わるというのは長いことやってない。
というか、既に環境=文化が形成されているところに一人で飛び込むのは長いことやっていない、というのが正しいかな。

今回望んだこととはいえ転職によりガラリと価値観の違う世界に入った。

やばいやばいと思いつつ、本能的に心と体が防御体制に入り、結構内向きの力が働いているのを感じる。


まずは地固め。
落ち着いて周りを把握する必要がある。
戦争でいえば、宣戦布告前の事前偵察=転職活動を終え、出撃。戦闘区域に入った。索敵の結果、レーダーや衛星を使ったら膨大なデータが入手できたので、これから侵攻作戦を立てるところ、って言うとちょっとかっこよすぎるな。けど、そんな感じ。


な~んて言っているが、敵は慌しく仕掛けている。
戦場のデータはどんどん変化している。
味方も持っている地図が正しいのか、疑心暗鬼になりながら匍匐前進といったところ。
悠長には言ってられない。

あ~頭がまとまらない!

テスト

小気味良く読める本なのでついでにちょっとテスト。


著者: 三枝 匡
タイトル: 戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ

下町コント:重厚

帰宅後、みなでちゃぶ台を囲み食事。

ふと見ると息子が見慣れない黄色い塗装のダイキャストの飛行機(全長8cm)で遊んでいる。

私「あれ、どうしたのその飛行機?」
息子「あのね、買ってもらったの」
私「へー、見たことの無い飛行機だね。どこの航空会社かな?どれ見せてくれる?」

(顔近づけてよく見てみる)

私「へー、これルフトハンザなんだ」
妻「ルフトハンザってどこ?」
私「ドイツだよ」

義母「へーさすがドイツよね。これずっしりしてるわ~

え?ドイツ製?、、

あんた、それ、隣のスーパーセーフーの駄菓子コーナーで買ってきたんでしょが!! 違いますからっ!(爆)

かっこいい

生まれて初めての転職、第一日目。

入社といっても中途だし、手続きだけしたらすぐに業務に入るのかと適当な予想をしていたら、全く違った。ほとんど丸一日かけたオリエンテーションで、会社の業容、目指すところを丁寧に説明してくれた。
従業員の目的意識の統一を図ろうとする努力がよく分かり、ちょっくら疲れたけど、感動した。

色々な方が話しをしてくれたが、面白いことに気づいた。

底流で、「かっこいいことやろうよ!」という意識が同じだったのだ(ように感じた)。

前の会社で、仕事に「かっこよさ」の話を持ち出す上司は皆無だった。

「かっこいいこと」って何?
多分、それは自分がやっている仕事に誇りを持ち、自分が自分で模索し、作ってきた道があって、その自慢が出来る、ということだ。「自慢」と書くと胡散臭く聞こえるかもしれないけど、今の日本、無理やり自慢しろ、といっても自分の仕事を自慢できない人が殆どだと思う。僕は以前「仕事にアイデンティティーを持つ」という表現を使ったことがあるけど、要はそういうことだ。どの人も自分の言葉でしゃべっていたのが本当に印象的だった。

何はともあれ、取り敢えず今日は第一歩。
ま、気持ちはさておき、明日からどうやら戦場の予感。

始まり

スタート!

フジvsライブドアのこと

いい加減論じられ飽きたネタではあるけど、少し思ったことがあるので。

まず第一に、この話を倫理的に「いい」とか「悪い」とかいう話で括る人が多いけど、この話しは誰かに迷惑がかかったり、何かの犯罪ではなく、れっきとした企業間の経済戦争なんだからそんなことどうでもいいと思う。戦争にはルールなんか無いわけで、じゃあ、堀江社長が事前に裏工作をしておけば話が通ったのか?といわれるときっと、NOでしょう。

第二に、フジの経営陣は真面目にライブドア参入による経営効果も検証するとかそういう対応を練っているのか?と言いたい。
非常に感情的な対応で、フジのほうが年食ってる経営陣の割りに対応が大人気ない。
サラっと受けて受け流し、裏ではガッチリ防御固めてますよ、的な対応とって欲しいもんだ。
堀江社長と真面目に話しをして真意を引き出してみればいい。一般向けには話していないことがきっとあるはず(なければお笑いグサだけど)。
きっと面子があってノコノコ話しを聞きにいけないんだろう。

第三に、メディアとネットの融合とか言われているけど、何が変わるのか?堀江社長はここのヴィジョンをはっきり示していないし、僕はチンプンカンプンだ。消費者は何を求めているのか?プロが作る金かけたコンテンツなのか?個人が発する草の根コンテンツなのか?どちらでもないでしょう。要はその時・その場所に適った優良コンテンツを視聴したいだけ。プロのコンテンツと草の根コンテンツはちゃんと住み分けがされるわけで、フジ側も命削って作っている番組の価値が無くなると(とは夢にも思っていないと思うけど)慌てる必要もないわけです。フジという会社の使命は「優良な番組を提供すること」であって、それを「どういう形で提供するか」は本来どうでもいいはずと思う。

問いかけ

中居正広主演の 砂の器 をこの2日間、一気に見た。





見すぎて目頭が痛い。

原作を読んだことは無いけれど相当ストーリーが変わっているようなので、一度読んでみようと思う。とにかく引き込まれ、クライマックスは怒涛のように僕の全身の感覚に迫ってきて、最後はただ泣けた。

そこでふと我に返った。

「なんでこんなに泣けるんだろう?なんで感動してるんだろう?」

よく考えるとよく分からない。

このドラマは「宿命」をテーマにしている。
「自分の生きてきた道と過去から逃げずに正面から向き合うこと」というのがメッセージと感じた。

自分はどうなんだろう?

正直真正面から向き合っているとは思えない。

感動したのも、自分が主人公に成りきって利己的に自分が可愛そうだという感覚に包まれたから。
ドラマの中の登場人物もみなそうだが、それぞれに辛い過去を背負ってる。
自分は自分の荷物を背負いながら、他人の人生を見つめていた。
けど自分は自分のために感動しただけだ。

「自分から逃げない」
簡単に言う人も結構いるが、重いテーマだな。
そんな悟りの境地は全然来そうにない。

少し自虐的に聞こえるかもしれないけど、そんなこともなくて、結局自分は自分の中途半端さがずーっと嫌なんだなと思う。

今日はそんな重いテーマとしばし見つめ合ってみた一日でした。

ワイハー

無事(?)今の会社での勤務を終え、つかの間のバカンスでワイハー(ふるっ)へ行ってきました。

サイコーです。
気分いいです。
仕事のことを全く考えずに楽しむ休暇って素晴らしい。

子供ともみっちり遊べたし、これでまた「パパ」の存在をこのチビのちっちゃな脳ミソに刻み込めた手ごたえ感じる、、、強烈な新陳代謝活動のため、効果は1週間程度しか持続しない可能性大ですがー

今、頭の中は真っ白です。ゼロです。
ここ数日の世の中の出来事も知りません。呆けています。
今考えてることは、「砂の器」の続きのビデオを借りてきて観るぞ、ということだけ。

てなわけで、今オーバーホール中ですが、徐々に徐々にエンジンかけていきますわ。

ps.あ、そういえば、ホノルルから東京までhitomiと同じ飛行機だった。やっぱスゴイね、モデルさんは。すんごい細くて、人間離れ、というか、少なくとも日本人離れしてる。Boarding待ちの間、帽子深くかぶって、なにやらNintendo DSでもやってたみたい。体型を除くと意外に普通な感じで、なんか気さくなネーサンって感じだったな。hitomiは当然ファーストのほうに案内されてたが、ついてきたスタッフは全員エコノミーに座っていたのが、仄かな哀愁を感じさせてくれた。

渋谷

今日はこれから働くC社訪問。
明日で今の勤務先も最後となる。
8年間お世話になったなぁ。
だけど意外にそんなに感慨もなかったりする。
今最大の悩みは最終日にどんな挨拶をするか、ということ。
俺、挨拶下手だから。

思わず雑誌の「話し方革命」なんか熟読してしまう、、一日前でいまさら何が変わるってんだよ(笑)

うん、しかし、田中真紀子の演説術は確かにすごいな。彼女は嫌いだけどスピーチには感心する。

それにしても、大手町と渋谷は全然違う。
人が面白いから渋谷のハチ公前交差点のスタバでショートが無いと言われて(なんで無いの?)仕方なく買ったトールのラテを飲みながら、交差点を行き交う人たちを眺めて30分くらい、ボーー、としてた。
まず、この環境の変化だけでも自分としては革命的かも。

会社に帰って机を整理してたら入社の頃の業務日誌が出てきた。
ノート4冊もある。すご。
開いてみると、あー、アホ社会人だった入社の頃が思い出される。
めちゃくちゃ先輩から叱られてる。
自分で日誌を読んでみても、「なんじゃこれは!」みたいな内容。自分が上司でも叱り飛ばしたくなる内容だ。
多少はここからは成長したと思いたいものだ。

さ、あと一日。
なにはともあれ、つつがなく過ごそうと(その考え方間違ってる?)