因果倶時 -64ページ目

毛糸玉

3年前の光景が目に浮かぶ。

あの頃はわけもわからず、大きな波に巻き込まれ、わけも分からずに足を動かしていた。

あらゆることが新鮮で、単に新しいことを始めたというのではなく、手法、つまり考え方自体を根底から何度もひっくり返された。

足は動かしていても、一体何の道を走っているのか、どんどん線路のポイントを切り替えられて、絶え間なく規格の違う線路に移されているみたいで、まともに進んでいるのかどうかも怪しい感覚になりながら、1年2年と過ぎ、気がついたら大きな大きな一つの道が出来ていた。

人間、何年も同じ仕事をし、同じ世界だけを見ていると、自然と思考回路がその世界に最適化されていく。

それは一種の進化だ。進化をしていると自分が何かを身につけ、成長したと普通は思うものだ。

だから、自分では進化したと思うその形を否定され、切り替えを強制されるのは大変な苦痛を伴う。

なぜなら気がつかないままに、ある世界のためだけに最適化されたその進化形が、いつのまにか強固な殻となり、自分を制御し始めるからだ。

毛糸の玉のように、一本一本の毛糸はもろく、やわらかくてどんな形にもなるのに、その毛糸が何本も絡み合ってぐちゃぐちゃの毛糸玉になってしまうと、まるでほどかれるのを拒否するかのような、複雑に絡み合った一つの形になる。



あの頃はそんな、コチコチになってしまった脳みそに、ゴツゴツとした指が何本も入り込んで、強烈なミキサーのようにかきまわされ、ほぐされた時期だった。きつかったし反発もあった。

何度も何度も反発し、怒り、反抗し、を繰り返しているうちに、突然トンネルを抜けるような感覚になる。

複雑に絡み合った毛糸玉も、一定のレベルまで毛糸がほぐされると、あとは自然崩壊していく。そんな感じなのかもしれない。



また、あんなプロセスをやるのかと思うと、ある意味ぞっとする。

取り敢えず分かるのは、すげーキツイことだということ。
そして今回は水先案内人はいないということ。

でもちゃんと自分が歩んだ道は、記憶に残っている。
そんな貴重な体験を呉れた案内人に感謝だ。

自然体

レゴのiPodはかわいいね。

こういうセンスのある、人のココロをさらっと静かにわしずかみにしてしまうモノをクリエイトできる人は本当に憧れるなぁ。

その人の自然体を感じてしまう。

自然体でいるっていうのは本当に難しいから、そういう人やモノに憧れるんだろうな。

昔、親からよく言われて、自分も「合理的」になろう、周りにも「合理的、合理的」と連発してたころがある。
今、思うと、あれは浅い理解だったような気がする。

究極の合理性っていうのは、自然体であることにつながるのかもしれない。

子供を持つ親の身としては、なにはともあれ、子供がそんな、自然なココロを持つ人間であって欲しいと思う。

気分を↑

今、オススメの本はこれだ。


キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法



いいよ、この本。
前向きになれる。絵がかわいいし。

この本には“キッパリ”する方法が山ほどのっているけど、中でも印象に残ったものを一つ;

「夜空を見上げましょう」

ケッコウ、見ないよね。最近の夜空。

そもそも東京の夜空は明かりがまぶしくて見れなかったりもするけど、夜、夜空を見上げながら歩いて家に帰れば、どんな仕事の疲れも悩みもふっ飛ぶもの。

昔、社会人になり立ての頃は、そういえばよくそうやって寮に帰ったなぁ。

サラリーマンの定義

ある番組でサラリーマンを↓のように定義していたそうだ。

<サラリーマンの定義>

① 「残業」の概念があること
② 専門職でないこと
③ 年功序列であること

④ にも関わらず会社に尽くすという意思があること


よく整理された定義だと思う。

④は、会社に尽くす、というよりは、「会社が唯一であると考える」と言った方が正しいだろうか。

ちなみにこの定義からいえば、公務員も「サラリーマン」である。

企業にしても、役所にしても、せこい「公費乱用」「接待費の無駄使い」などは、この定義から導き出された必然的な結果だと思えるな。

急速充電の恐怖

息子はいま2歳半。

今日はプールだ。

プールのあとは大概疲れる。今日もチャリに乗せて帰宅中にこっくりこっくり、眠りに入ってしまった。

こいつはいいぞ。午後はゆっくりできるぜぇ~ しめしめ、、、


ところが!!

家に帰ってチャリから下ろしてダッコした。ますます熟睡だ。力の無くなった手からおもちゃが落ちる、頭は肩から下にダラダラと落ちていく。。
すっかり熟睡モードであることを十分に確認し、また外出するため、ソロソロとベビーカーに移そうとしたその時、

ムクムクっ、、、

起きやがった!!!! 大失敗っ!!!!!
恐る恐る顔をのぞきこんだ。。オメメ”ぱっちり”だ。
妻が横で(このオトコつかえねぇー)と言いたげな視線を投げてくる。

しょうがない。
しょうがないから子供は歩かせて一緒に外に出ることにした。

(どうせ疲れてるからまた寝るだろ)


親の期待は潜在的な危機感の裏返しでもある

息子は見事に期待を裏切ってくれた。

しょうみ、5分ぐらいしか寝てないのに、息子は上機嫌で坂道を走ってのぼっていく。顔は生き生き、目はいたずらっこの目だ。

昨日ちょうど会社の同期に話していたことを思い出した。

「若さ」=「回復力」
の話しだ。

それにしても脅威の回復力だ。

よく電池を充電すると、最初の10分ぐらいで急速充電で8割ぐらいチャージしちゃうけど、あれと全く同じ。
フューエルゲージは5分の間にグググググーーーーッ、と伸びていたらしい、、

錆びかけたニッカドの単2型充電池で、新品のリチウムイオン単4型充電池に対抗することは難しい。せめて、自分は単1型に大容量化しなければダメなんじゃない??

よし、肉体改造だ!肉体改造に取組むぞ!

誰か、簡単な肉体改造法教えて(甘い?)。

流行語

僕の記憶に残る生まれて最初の流行語といえば、「なめんなよ」だったような。

確か夏目雅子が映画
で「なめたらあかんぜよ!」と言って流行ったんだっけな?
違うか?ま、いいや。

最近は流行語が死語になり、忘れ去られていくというサイクルが、昔より早いように感じる。

というか、マスコミが勝手に流行語を創り出している感があって、自分は流行語だと知らないパターンが多い気がする。

とりあえず、「残念!」が今年の死語候補No.1かな。もう既に死語か。

何かが変

帰宅時、電車が止まった。
どうやら先の駅で人身事故だかなんかで停止信号が出たらしい。

しばらくしたら解除され、動き出した。

次の駅で乗り換えの電車に乗ったら、サラリーマン二人組みの中年のおっさんが、乗ってきた。

話しを聞いていると、どうやら二人はその現場の近くにいたらしい。
本当かどうだか知らないが、JRは遺族に損害を請求するが、その他の私鉄は請求しないらしく、「どうせなら私鉄でとびゃいいのに」とか言って笑ってた。

正直なところ、僕も早く帰りたいのに自殺とかで電車が止められると「うざいな」と思う。

しかし、それを笑って冗談にする二人の会話を聞いていて、なんであれ、人が死んだということ、それを笑いの種にする、いい年をした二人に、何か殺伐としたものを覚えた。

同時に、何十年かの年を生きたあげくに、最後にそんな、如何にもつまらない死であるかのように人に語られるような死に方だけは、絶対ゴメンだと思った。

毀誉褒貶

ガイアの夜明けを見た。

正確にはまだこの執筆中、見ている。


これを見ていると、世の中の毀誉褒貶というのは本当に何の意味も無いものだと思う。

確かに、いまさらに思い出すけど、僕が高校・大学の頃、堤義明といえばNewsweek当りの雑誌のトップを飾るカリスマ経営者だった。

ソニーの出井さんはちょっと前まで世界最高の経営者のように言われていた。
(逮捕された人と出井さんを比較に出すのは失礼かもしれないけど)


それにしてもなんでこうもいったん成功したかのように思える人たちが、末節を汚してしまうんだろうか。

成功っていうのは成功しすぎてもよくないってことなのかなぁ。

成功しすぎて本当にとてつもなく成功したあげくに、キレイに死んでいった人ってどれくらいいるんだろうか?

のら猫

今日は大阪の路地裏に住むのら猫のドキュメンタリをTVで観た。

知らなかったけど野良猫にも縄張り社会があるんだそうです。

ある町のボス猫が繁殖期になり、何を思ったか、突然、隣町の縄張りに踏み込んでいく。

そこにはその町のボス猫がいる。

二匹のボス猫は互いを牽制しながら、間合いを図る。

戦いは突然始まり、20秒で終わる。
戦いは侵入者の勝利に終わった。

その一帯の王になったボス猫は、一帯のメス猫を全部手に入れる。
この瞬間、このボス猫は偉大な成功者だった。

ところが、ボス猫はそれでも飽き足らなかった。

やがて彼は更に遠くへと足を伸ばして遠征に出た。
そして交通事故で死亡。
誰も知らない、みじめで孤独な死だった。

一方で、ボス猫が死んだことも知らない残ったメス猫は一人子供を産みおとしていた。
ボス猫の血を継いだ子供達だ。


さて、果たしてこのボス猫は評価されるべきか?
それとも知らない土地にのこのこ足を踏み入れてのたれ死んだうつけ者なのか?

僕が思うに結局それは血を受け継いだ子供達が証明することになる。
子供を産み落とせなかったものは何も証明を残せない。

集中力

僕は物事の整理に時間がかかるタイプだ。

しかもなんかきっかけが必要。

とっかかりになる発想とか思いつきが無いと、ぜんぜん脳も体も動き出さない。

一旦整理を始めると、それなりにとことんやる。(やっているつもりだけどまあそれも自己満足の域なので、他人から見たらどうだか、、)

今日は朝からファミレスに缶詰めでデータを整理した。
家族の協力もあり、かなり集中できた。
本当は昨日もやろうと思っていたのに、昨日は気疲れからか、朝寝坊。
スタートを逸したので、子供と遊ぶのに集中した。
その反動エネルギーを今日は仕事に費やすことが出来た。

本当に家族ってありがたい。

それにしても集中って大事だなぁ
今日もかなり時間がかかるかと思っていたら、結構4時間程度でやりたいことは終わった。
大体僕はダラダラ遅くまでやる仕事が嫌いだ。
徹夜もダメ。
徹夜するとその後2日分ぐらい脳が働かない。
却って非効率だ。
きっかけが無いと仕事が出来ないのはこういったせいもある。

お蔭様で先週の仕事は整理でき、目標も見えてきた。分からない点も見えてきた。

こんな感じでワクワクしたり、凹んだり、しばらくそんな感じなんだろうな。
願わくば、ワクワク率>凹み率、であるように!