料理は舌で覚える
邱永漢さんが、
- 著者: 邱 永漢, 糸井 重里
- お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ
で面白いことを言っている
「料理は腕で覚えるんじゃないんですね、舌で覚えるんです」
男にとって、奥さんにする人が料理がうまいかどうか、これはかなりの死活問題と僕は思う。
女性にはウザイ話かもしれないけど、、、、やはり料理は上手なほうがいい。
邱さんが言っているのは、奥さんを選ぶときに、その奥さんが
「今までぜんぜん料理なんかしたことありませんっ!」
という箱入り娘、あるいは遊び人?、であったとしても、それまでにおいしいご飯を食べた経験がそれなりにあれば、自然と料理もそのレベルに合わせて上手になるから問題ありませんよ、という話だ。
世の中の独身貴族の女性にとっては、デートのネタになりそうないい話しではないだろうか(笑)
つまり、知っている、ということが如何に重要か、ということだ。
仕事でもそうだ。
「知らぬが仏」という言葉があるけど、知らない、ということは、知っている人から見ると、恐ろしい事態を引き起こす時がある。
なにしろ本人は、自分が知らないという事実さえも知らないから。
この事実に、「知っている」側の人が気づかないでいると、結構大変なことになる。
最近、「知の競争」はものすごく激しい。
新しい環境でやっているからだろうか? やけにそう感じる。
自分が突っ込んでいくと、「え、また?」と言いたくなるほど、周りは既に先に進んでいるケースが多い。
かなり先を読んでそこに投資していかないと、現状では相当手遅れなことが殆どだ。
それは実際、絶望的になるほどだ。
知る。
何事も不確実で、約束されたことなんかない状況で、確実性を増してくれるのは、まずは自分が精一杯広げたアンテナでしかない。
まずは、自分が知らないことを、なんとなく察知できるかどうか?
これが出来なければ、自分では最高の料理を作っているつもりなのに、いっこうに世間は反応してくれない、ということになるだろう。
それって怖いよなー それが奥さんだと尚更、、、(笑)
何も変わってない
今週のAERA。
第二次世界大戦のときの硫黄島での出来事が特集されている。
硫黄島では、日本兵が2万人以上戦死した。
アメリカ兵も2万8千人が死傷。
アメリカ軍の上陸により戦闘が開始されてから、わずか36日間のことだ。
このとき、日本軍の指揮をとった人は、栗林さんという。
「栗林さんは、日本兵に突撃を禁止した」
僕はこの記事を読んでこのことに衝撃を受けた。
硫黄島の地下壕に潜んでいると、きっと、ものすごいアメリカ軍の大軍が押し寄せてくるのが見えたことだろう。
想像を絶する恐怖だ。
負けるのはもう歴然としている。
抵抗すれば死ぬだけだ。
であれば、いっそのこと、突撃してでも楽に死にたいと思うだろう。あるいは降参するか。
ところが、栗林さんは、「突撃禁止」命令を出した。
突撃を禁止したのは、アメリカ軍の進撃を少しでも食い止め、本土爆撃を遅らせようとする考えからの判断だ。
実際には、この命令が強いるのは、ひたすら地下壕に潜み、泥臭く抵抗し、死ぬ、という運命だ。
そして、日本兵2万人は、この命令に従い、死んでいったとのこと。
なんという司令官なんだろうか。
このような多くの有益な人達を殺戮してしまったその戦闘は、たった36日間のために行われた。
栗林さんは玉砕の前に、最後に本国に宛てて電報を送っている。
その電報では、勇敢な兵士たちが死んでいくことを「悲しい」と歌った。しかし、大本営は、「口惜しい」という表現に変えて国民に発表したそうだ。
ここのところ、小泉総理は、詭弁ばかりで、開き直った言い訳ばかりをしている。
靖国神社への参拝を強行しては、その理由は、「平和への誓い」だ、と語っている。
こんなにも人を愚弄する話があるだろうか?
小泉さんは、大本営と、一緒である。
死んだ兵士たちはみなさん、泣いていることだろう。
栗林さんは、こんな戦闘の中、45通の手紙を家族に書いて送ったとのこと。
そしてその手紙の中には、軍人が書きそうな美辞麗句は一言もなく、生活の小さなことへの気遣いばかりが書かれていたそうである。
下町コント:思考回路を斬る!
妻の実家のマルチスペース=通称「寝床兼居間」 の壁には、ホワイトボードが掲げられている。
書かれているのは、
・その日、みのもんたが言ったワンポイントアドバイス
であったり、
・ラーメン選手権優勝店の名前
であったり、
・3ヶ月前の”ナンバーズ4”の当選番号から推測される次のラッキーナンバー
であったり、、、
要は、どうでもいいことがテキトーに書かれ、備忘録として書き留められたにも関わらず、その後、誰も顧みずに放置されている場所である。
今日、そんなホワイトボードをダラーっと見ていて、ふと気付いた。
「 あれ?」
(なんか変だぞ???、、、)
そのメモは、あまりにも自然に見えていたため、これまで数ヶ月間放置されたままになっていたのだが、よくよく見ると、、、
ぜんぜんまちがってるっす!
どう見ても、こう↓書いてある。
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水 土 焼えるゴ人
木 火 もえない
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ここから読み取れるのはこういうストーリーではないだろうか。
ちなみにこの字体は、うちのお義父さんである、、、
《ある日の出来事》
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(そういえば、ゴミの日のことはちゃんと書いておかないと、ウチのが忘れるからな)
(えーっと、水曜日と土曜日は、もーえーるーごーみ、っと。 よしっ)
(んでもって、木曜日は、焼、、 あれ、なんか変だなぁ もえる=焼える?? なんか違うな?)
(わかんねぇな、よし、とりあえず平仮名で書いてやれ、もんだいねぇだろ。 火へんを消して、もーえーなーい、っと。)
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しかし、きっとお義父さんはそれでもまだ気付いていなかったのだ。
「ゴ ミ」 を 「ゴ ”メ”」 と書いてしまい、それが、更に間違って ”メ” が、 ”人” になっていることに、、
そのホワイトボードは今も掛かっている。
誰もその誤りに気付かないまま。
日中韓と、常任理事国入り問題
今日は中国の友人と花見。
彼は日中・日韓の最近の関係の悪さを憂いていた。
家に帰ってニュースを見ていたら、今日は北京で大規模な反日デモがあったとのこと。
日本大使館や日系のレストランが投石で壊されていた。
今まであまり気にしていなかったが、実際、映像を見ると随分な騒ぎだ。
やはり日本人が作った資産が破壊されている光景を見るのは哀しいものだ。
日本政府は中国の大使に”電話で”抗議し、”再発防止を求めた”らしい。
それでいいのか?
日本人の資産が破壊されたら賠償を求めてしかるべきだと思うけど。
それにしても日・中・韓という、アジアを代表する3国が、お互いにつまらないことでイガミあっているこの状況は、一体なんなんだろうか。
もう、いい加減にして欲しいと思う。
今日、中国のデモで出たシュプレヒコールには、日本の常任理事国入り反対、というものもあったようだ。
ということは背後で中国政府の牽制もあるのだろうか。
無償援助の打ち切り問題なんかも絡んでいるのだろうか。
まぁ、別にいいのではないだろうか?入らなくても。
拒否権の無い常任理事国に、何の意味があるのか分からない。
国連というのは本当に矛盾した組織だ。
世界中の国が集まって議論する場であるのに、一部の大国が強力な権限を持って牛耳ることが出来る。
これは、実際問題として、世界に影響力を持つ大国が、議論の場から抜けてしまっては困る、という現実論から出てきた権限だと学校では教えられたが、本来は、全ての国が国連の場では、等しい発言力を持つべきなのだから、国連の理想に忠実であってきた日本としては、実際には、一つの超大国と、二つの大国と、その他大国でもないくせに大国面をした国がのさばっている安全保障理事会よりも、総会に重点をおいて活動したらいいのではないだろうか?
だいたい、日本・ドイツ・ブラジル・インドなどが常任理事国入りを目指していたはずだけど、どこか、他の国が積極的にその姿勢を後押ししているだろうか?
あたらしい権利国を作る動きに、心から賛同できる国などどこもないないだろう。
世界が仮にものすごく栄え、どこも一人当たり所得ではたいして変わらない世界になったとしよう。
世界中の国が常任理事になりたいと思うかもしれない。
今、日本はこんな状況下で、常任理事になってしまったら、後からそういう主張をする国にたいして、一体どんな反応が出来るのだろうか?
「日本だって経済力だけで常任理事になったでしょ」といわれれば、グゥの音も出ないだろう。
存在意義が無いから辞めるともいわない英仏、見栄だけのロシア、中身がともなっていない中国、イラク戦争の大義名分が間違えだったことに対する正式な謝罪もないアメリカ、、茶番だ。
やめちゃえやめちゃえ、そんなの。
日本はとてもいい国。
環境も穏やかで、天然の楽天的国家だ。
国連に対しても、「参加することに意義がある」ぐらいのつもりで、永世中立国的な立場で、理想論を追求したほうがいいのではないか?
あまり、国際政治のドロドロした部分に半人前のプレーヤーとして頑張るのには、国民性が向いて無さそうだ。 地道な支援で十分とすべきだ。
ホメ上手!
今日は盛りだくさんの日だった。
まずは自分がおおよそ3年間も温めてきた企画に、ようやく灯をともすことが出来そうな、きっかけを作ることが出来た。
短いけど、充実した1歩。
自分で自分の環境を変えたことによって実現のチャンスを得た、その一つの成果だ。
まだまだ何がそこから実っていくのか、未知ではあるけど、自分にとっては本当にデカイ1歩だ。
この1歩を、単なる1歩に終わらせないように、着実に進むぞ!
そして会社の総会。
はじめて参加した総会は、若者の巣窟だった。
若い奴らは、元気だ!!
驚くほど、元気だ!!
この会社はリクルート系の文化なのだろうか、とてもオダテ上手、ホメ上手なところがある。
若者のキモチは、かなり簡単に揺れ動く。
感受性が高いから、泣くときは泣くし、怒られればすぐにどん底まで凹むし、笑うときは思い切り笑うし、やれといわれればとことんやってしまう。
そんな若者のキモチを、この会社は、ものすごく上手く、扱っている。
この会社に、ゆるぎないノウハウがあるとしたら、多分、そんな、若者の人心操作術だ。
寧ろそれだけかもしれない。
でも、それがとても効果的だ。
前の会社では、基本的に、ほめられるということが無い。
まして、おだてられることは一切無い。
若い連中への基本は、叩き、絞り、訓練し、といった感じだ。
仕事に対する一連の基本動作と現実はみっちりしこまれるが、その過程で、発想力を発現する能力はかなり刈り取られ、埋没させられてしまう。
昔、僕は英語がムッチャ苦手だった。
どれほどかというと、テストでいつも30点ぐらいだった。。。(恥)
ところが、高校3年のときだ、突然、成績があがった。
それは、それまでの文法一辺倒の授業から、テスト対策としての長文読解や、作文が増えたからだ。
この時はじめて、英語を「勉強するもの」ではなく、「コミュニケーションツール」として捉えることが出来て、突然楽しくなったのだ。 その代わり、未だに文法は大変苦手だが、、、(過去分詞ってナニ???)
受験では理系のくせに、数学は殆どゼロ点、英語で受かった(笑)
つまり、言い古されたことではあるが、能力の向上には、訓練だけでなく、本人のやる気を育てることのほうが、余程大事だ。
そういう意味で、今日の総会はすばらしい総会だった。
改めてこの会社の営業力に対するポテンシャルの高さを認識させられた。
前職の会社にも、是非こういう会社の総会に役員クラスを送り込み、若者のモチベーション管理を勉強してほしいと思う。
僕のほうは、途中から強烈な花粉症に苦しみながら、自分が中途でこの会社に採用された意味、この強烈なエネルギーにたいして何を付加価値として提供するべきなのかを、再度考えさせられた。
。。。なんて言っている一方で、今日は、全然本業の仕事が進められてない!!
これまた、チームはいま、メンツもそろい、ものすごく盛り上がっている。
やるぞ。やるぞ。
何が言いたいのか? 要は、こういうことだ;
一日が短いっ
偉い人
僕は職場にだいたい朝一番に来る。
今の職場は新規事業の集まりなんだが、なぜか朝が遅い。
もちろん夜遅くまでみんな仕事をしているのだが、家族持ちの自分には限度があるので、朝早く来るのが効率がいいのだ。
人間、朝から晩まで仕事をしていたとしても、本当の意味での集中力が引き出せるのは、普通の人はせいぜい一日に2時間だと思う。
この貴重な2時間のピークを一日のどこにもって行き、本来やるべき仕事でどれだけ成果を挙げるか、、、仕事にはかなり後ろ向きな「こなし」業務がつきまとうことを考えれば、結局仕事はこれにつきるような気がする。 早朝は、この2時間を有効に活用するための、バッファーのようなものかもしれない。
もっとも、ここのところ、あまり早朝の時間帯を有効に活用しきれているとはいえないが、、、
ところでうちの職場は朝来ると、まず地下の管理人室に出向き、カギを取ってくる必要がある。
管理人さんには何人かいるのだが、とっても気持ちのいい方が一人いらっしゃる。
その方は年齢はおそらく50代、僕なんかよりはるかに年上なのだが、朝、僕がビルに入ってくると、大変丁寧に
「おはようございます」
と応対してくださる。
その態度が、タダ単にテナントの客だから丁寧にしている、という感じではなく、本当に、ごく当たり前の動作として、「おはようございます」、と言われている感覚を受けるわけ。
そのほかの応対も、基本がとても真面目で、丁寧で、飾りっけが無く、まったくもって、相手の人を色眼鏡で見ることがなさそうなのだ。
小僧が言うのもなんだが、あなたはエライです。
僕もこういう自然体で、年齢も何も関係なく人と接することが出来る心の余裕と広さをもてるように、なっていきたいと思います。
奇策は奇策
今日はガイアの夜明けで、リンクアンドモチベーションという会社が取り上げられたらしい。
調べてみたら、リクルート系の会社だ。
面白いコンセプトをたくさん世に打ち出しているようで、オフィス環境もなんだか先進的だ。
3ヶ月に1回の4連休で「ピットイン休暇」だって。面白い。
恥ずかしながら今まで全く知らなかった。
ここの会社も、カテゴリーに分けるとしたら、人材コンサル会社、という感じだろうか。
ところで、今日の番組では、白紙の模造紙で「自分を表現しなさい」という入社試験にたいして、白紙で回答を出した方が内定を受け取ったということだ。
それを聞いて僕は「???」と思う。
その方は質問に対して、「一人ぐらい白紙で出す人がいてもいいと思った」と答えたらしい。
失礼を承知でその人を見もしない僕が敢えて直感的に思ったことを言うと、こういう人は、ものすごく我の強い、奇策に走る人ではないかと疑ってしまう。
何か窮地に陥ったときに、きっと、敵の意表をつくような作戦で切り抜ける力はあるだろう。
しかし、奇策はすぐにばれる。
ある本に書いてあった。
織田信長といえば桶狭間の奇襲が有名だ。
が、彼が生涯で奇襲を断行したのは、この時だけで、後は全て正攻法で戦を戦い抜いている。
正攻法の積み重ねの中で、キラリと光るような応用編を見せてくれるのはスゴイと思うが、普通に就職活動をしている人が、その最初のエントリーで奇策に走った、ということが、他人事とは言え、なんだか気に入らない。
つまり、その会社に入るためには手段を選ばなかったということだ。
そういう発想は、なんでもいいから一流大企業を目指した人の精神と、殆ど何も変わらないと僕には思える。
じゃあお前はなんだ?といわれれば、奇策を思いつくことも出来ないんだけど。
それにしても、自分も転職活動を通じて知ったが、世の中にこれだけ人材を商品とする会社が百花繚乱状態であるとは知らなかった。
あるコンサルの方によれば、東京だけで3000社は下らないそうだ。。。
これだけ聞くと、どうしようもない過当競争のように思える。
実際、そうだろう。
それにしても3000社の会社を食わせるだけの人材市場が既に日本にはある、ということがスゴイ。
どこかの企業がリストラで放出した人材だけでは3000社のマーケットは成り立たないだろう。
やはり、積極的に仕事を求める層がそれだけ膨大になっているということを、この数は表しているように思う。
政府も、郵政民営化なんかにそんな労力使わずとも、機が熟するのを待ち、廃れるべきものは自ら廃れていくのだと割り切ってほったらかしておき、一方で、これから伸ばしていく分野が若者や職を求める中堅層に魅力的に見えるように変えていくような、積極的で明るい政策をバシバシうっていけばいいのに。
ていうか、ほんと、最近の小泉さんは、魅力がなくなったよなぁ。
自民党を辞めずに首相になった時点で「???」ではあったけど。
今日のブログはえらく話しが散漫になってしまった。
求めるのは結局バランス
つくづく、時間は有限だ! と思う今日この頃。
申し訳ないが、家族に割ける時間もあまり無い。
平日は本当に殆ど無いので、週末にまとめて精一杯遊んであげているつもりでも、結構、妻も子供も、半分仕事にウツツを抜かしている心境を見透かしているような気がする。
その分、たまに仕事を忘れて会話が出来る瞬間がとても貴重に思える。
この前、ある若者と結婚の話題で盛り上がったときに、
「今ならいろんなことが出来る(が家族が出来たら何かが出来なくなる)」
と恐れて考えるのではなく、
「家族が出来ても何だって出来る(けど、出来なくなることってなんだろう)」
と考えよう、という話を偉そうにしたのだが、どうもそもそも命題の視点が間違っていたようだ。
結局、
「家族が出来ると他の何かが出来なくなる」
のではなくて、
「仕事が家族に犠牲を強いる」
側面がむしろ強いんだった。
残念ながらこれは否めない。
仕事がそのような犠牲を強いるとしたら、やはり仕事で結果を出して償うしかないか。
これが人類が脈々と引き継いできた人の営みというものなのかな。
このバランスをしっかり回せれば、他の何にも成功しなくたって、いい、と思う。
仕事への思い
今日は仕事に関する思いをツラツラ書いてみることにする。
「エキサイトするか?」
仕事をするとき、常にこう問いかける必要がある。
エキサイトしない仕事、、、そんなの辞めたほうがいい。ホントは。
自分がエキサイトしない仕事、、、他人もエキサイトしない。
辞められない場合もあるでしょう。それなら、あまり命をかけないことだ。
適当に流しておくことだ。無くなったところで世の中に何の影響もないから。
仕事は勝手に増殖し、成長していく。
しかし仕事は常に現場にあることに変わりはない。
ときどき、現場にいない気分になることがあるとする。
多分、それは仕事じゃない。
近頃最もヒットした言葉;
自分達の足元しか見れていないと、1歩進み、2歩進むごとに、自分は成長していると思う。 しかし、ゴールはどんどん遠くなっている場合があるということだ。
これは本当に陥りやすい罠だと思う。
顧客は賢い。思った以上に賢い。消費者は賢い。なめてはいけない。
誠実な努力は報われる。見ている人は見ている。必ず見ている。
スピードは華々しい結果をもたらすが、最後に勝つのはコツコツとした努力である。
スピードはコツコツで裏打ちされなければならない。
モノを売るという行為。いいモノさえあればいくらでも売れる。
モノを作るという行為。熱い思いがなければ、絶対作れない。