こどもとおばあちゃん
初詣。今年は妻が年末に盲腸に倒れ、普段仕事で忙しくて子供と接することがなかなか出来ず、だんだん「俺ってパパってちゃんと認識されてる???」って不安な僕は、はりきって子供を浅草寺に連れて行こうと朝からスタンバっていた。そしてぐずぐずなんだか寝起きの悪い子供を起こし、服を着替えさせ、さあいくぞっ!、と自転車を待機させ、子供を玄関から連れ出したのもつかの間、道角から現れたおじいちゃんの「あれ、周ちゃん、パパと行っちゃうのかな~、いいな~」の一言に子供はジジ・ババの存在を思い出し、「パパと行く、ババと行く!」の嵐。。。 トホホ。。。 すでに「パパ」の存在は忘却の彼方に消えているのであった。ジジ・ババ強し!
結局ジジ・ババ・オジ・オバの4人と一緒に初詣めぐりとなった僕は、ババの自転車に連れ去られてしまった我が子を、別の自転車から悲しくみつめながらさびしく一人自転車をこぎ、差しさわりのない親類との会話に花を咲かせるのであった、、、2005年初詣、わびしいパパ切り! 残念っ!
結局ジジ・ババ・オジ・オバの4人と一緒に初詣めぐりとなった僕は、ババの自転車に連れ去られてしまった我が子を、別の自転車から悲しくみつめながらさびしく一人自転車をこぎ、差しさわりのない親類との会話に花を咲かせるのであった、、、2005年初詣、わびしいパパ切り! 残念っ!
性分
今日は国盗り物語をずっと観てました。
やはり出てくる人物がみな魅力があるし、よく描かれていて、思っていたより相当見ごたえがあるドラマでした。小さい頃はよくこの時代のことを夢想してはいろいろ考えたものですが、久しぶりにその興味が刺激されました。
いろいろと感じたことはあるけど、一つは、人の生まれつきの「性分」というもの。それから時代の「波」というものを考えさせられた。というか考え中。
性分ってやっぱりありますよね。いわば個性みたいなものですが。
たとえば僕なんか、適性検査を受けたとき、考えすぎるところがあると指摘された。つまりもう十分材料は揃っていてあとは判断をするだけ、という客観的な状況があったとしても、まだあーだこーだと考えてしまう、ということです。
たぶんこの性分は、人生経過するにつれ、色々な外部要素が入り込んできて、半分意識的にそんな考えすぎ、ってところを自分で自分の背中を押したりして、打ち消しつつあるんだけど、性分ってのは、根っこから消えるもんじゃないですよね。
あとはその性分を自分でちゃんと理解して、その上でその自分自身につきあっていく、っていうようなところが多分必要なんだと思う。簡単じゃないし、悪くすると、なんか変な暗示になって判断を誤りかねないけど。
最初の話に戻ると、僕はもともと時代を動かす人を殺してしまうようなひとが大嫌いなので、明智光秀って武将も過小評価してたけど、やっぱり7日間でもいいから天下を取りそうな状況までいったというのはすごい人だったということなんだろうな。そう思った。 だけどこの人が悲しいのは、信長を殺した後に誰もついてこなかったということ。そしてこの人は誰かの助けが必要な人だったんだろうな、大きなことをやるには。この人じたいはとてもいい人のようだし、頭も良くて、家族も大事にして、一般的な意味では本当に使える戦士だったけど、最後の最後で間違ったドアを感情的に開けてしまった。その後にどうするか、という構想もなく。 まあそこで正しいドアを開ける人っていうのは、常日頃から心身ともに備えがある人なのでしょう。 やっぱり感情が昂ぶれば昂ぶるほどに、性分というものをよく見極めて、無理のある行動を起こさないようにしたほうがいいな。これは自分に対する戒めだ。やはり歴史は大事だ。
やはり出てくる人物がみな魅力があるし、よく描かれていて、思っていたより相当見ごたえがあるドラマでした。小さい頃はよくこの時代のことを夢想してはいろいろ考えたものですが、久しぶりにその興味が刺激されました。
いろいろと感じたことはあるけど、一つは、人の生まれつきの「性分」というもの。それから時代の「波」というものを考えさせられた。というか考え中。
性分ってやっぱりありますよね。いわば個性みたいなものですが。
たとえば僕なんか、適性検査を受けたとき、考えすぎるところがあると指摘された。つまりもう十分材料は揃っていてあとは判断をするだけ、という客観的な状況があったとしても、まだあーだこーだと考えてしまう、ということです。
たぶんこの性分は、人生経過するにつれ、色々な外部要素が入り込んできて、半分意識的にそんな考えすぎ、ってところを自分で自分の背中を押したりして、打ち消しつつあるんだけど、性分ってのは、根っこから消えるもんじゃないですよね。
あとはその性分を自分でちゃんと理解して、その上でその自分自身につきあっていく、っていうようなところが多分必要なんだと思う。簡単じゃないし、悪くすると、なんか変な暗示になって判断を誤りかねないけど。
最初の話に戻ると、僕はもともと時代を動かす人を殺してしまうようなひとが大嫌いなので、明智光秀って武将も過小評価してたけど、やっぱり7日間でもいいから天下を取りそうな状況までいったというのはすごい人だったということなんだろうな。そう思った。 だけどこの人が悲しいのは、信長を殺した後に誰もついてこなかったということ。そしてこの人は誰かの助けが必要な人だったんだろうな、大きなことをやるには。この人じたいはとてもいい人のようだし、頭も良くて、家族も大事にして、一般的な意味では本当に使える戦士だったけど、最後の最後で間違ったドアを感情的に開けてしまった。その後にどうするか、という構想もなく。 まあそこで正しいドアを開ける人っていうのは、常日頃から心身ともに備えがある人なのでしょう。 やっぱり感情が昂ぶれば昂ぶるほどに、性分というものをよく見極めて、無理のある行動を起こさないようにしたほうがいいな。これは自分に対する戒めだ。やはり歴史は大事だ。
政治家
最近の政治家の国会論争や対談番組を見ていると、大局を踏まえた意味のある発言をする人が非常に少ないですね。
議論することが目的になっていて、自己満足の世界に浸っているような気がする。
別に政治だけのせいとは思いませんが、国のトップからしてそれなんだから、国民の末端に至るまで、日本人の発想が幼稚だと言われるのも仕方が無い。
私は決して日本の個々の政治家のレベルが低いとは思っていないし、みなさん基本的には優秀な方が日本を引っ張っていっていると思っていますが、いわゆる秀才的な人が多くて、論点を枝葉末節に持って行き過ぎている。マスコミに至っては全く聞いていられない。もう少し戦略的な大局の話しをしてほしい。結論の見えない、議論することに意味がある、みたいな、そういうパフォーマンスは辞めて欲しい。
議論することが目的になっていて、自己満足の世界に浸っているような気がする。
別に政治だけのせいとは思いませんが、国のトップからしてそれなんだから、国民の末端に至るまで、日本人の発想が幼稚だと言われるのも仕方が無い。
私は決して日本の個々の政治家のレベルが低いとは思っていないし、みなさん基本的には優秀な方が日本を引っ張っていっていると思っていますが、いわゆる秀才的な人が多くて、論点を枝葉末節に持って行き過ぎている。マスコミに至っては全く聞いていられない。もう少し戦略的な大局の話しをしてほしい。結論の見えない、議論することに意味がある、みたいな、そういうパフォーマンスは辞めて欲しい。
よしゃはじめるか
とにかくはじめてみよう、そんな程度の気持ちではじめました。
これからネット業界に入るので、仕事でブログって関わり合いそうだし、まだよく知らないんだよね。
やっぱり新しいこと考えるには、まずあるものを使って体験してみることが一番! 今日が第一歩。さあ、ここから自分の発想力がどこまで飛躍するのか、楽しみ楽しみ、、、、書きながらワクワクしてきたぞ。
というわけで、スタート!
なんか、トラックバックって枠が下にあるな、、、これどうやって使うんだろ?
これからネット業界に入るので、仕事でブログって関わり合いそうだし、まだよく知らないんだよね。
やっぱり新しいこと考えるには、まずあるものを使って体験してみることが一番! 今日が第一歩。さあ、ここから自分の発想力がどこまで飛躍するのか、楽しみ楽しみ、、、、書きながらワクワクしてきたぞ。
というわけで、スタート!
なんか、トラックバックって枠が下にあるな、、、これどうやって使うんだろ?