読者の皆様こんにちは。雁木師でございます。今日は「描く将プレイバック」のコーナーでございます。このコーナーは、将棋世界に応募したものの掲載されなかった作品や、あえて将棋世界に応募せず旧Twitter(現在のX)に投稿した作品を掲載して、当時を振り返るという内容です。今回の作品はこちらです。
「これは何の絵だ?」という方もいらっしゃるかと思います。この絵は立派な「将棋めし」のイラストです。この絵は将棋界で最も有名なカレーライスと称される「陣屋カレー(ビーフ)」のイラストでございます。ここで「陣屋カレー」についてご説明いたします。
陣屋カレーの「陣屋」とは神奈川県秦野市にある鶴巻温泉元湯陣屋という旅館。この旅館は、将棋界では幾多の名勝負を繰り広げた対局場としてもとても有名な場所です。陣屋の歴史は古く、1918年(大正7年)に三井財閥の別荘として、当時は「平塚園」の名で創業を始めました。
将棋の名舞台として一躍有名にさせたのが、1952年(昭和27年)に起きた「陣屋事件」です。第1期王将戦七番勝負の第6局。このシリーズは木村義雄王将に升田幸三八段(いずれも肩書は当時)が挑戦した戦いとなりました。結果は第5局を終えて4勝1敗で升田八段に軍配があがりました。しかし、当時の王将戦の規定では、どちらかが先に4勝して決着がついた場合でも第7局まで指さなくてはいけないというものがあり、さらに升田八段は三番勝ち越ししていたので、駒落ちの「半香(左の香車を落とすこと)」で指すことが決まっていたのです。これは「指し込み」と呼ばれる制度です。
王将を失った木村名人(当時)が、相手に駒を落としてもらって対局をしなければならないという前代未聞の対局が陣屋で行われることになったのですが、結果はなんと升田八段の不戦敗で終わります。升田八段は「半香」の第6局を拒否したのです。
ことの経緯を振り返ると、対局前日の1952年2月17日。升田八段は一人で新宿から小田急線に乗って鶴巻温泉駅へ。そこから歩いて陣屋へ向かいます。これは升田八段の主張によるものですが、
「玄関のベルを押したが、だれも出てこない。番頭が通りかかったが、取り合わない。大事な将棋を指すはずの旅館なのに、宴会の騒ぎが聞こえる。30分ほど待ったがだれも出てこない。 我慢が限界に達し、近くの別の旅館にあがった。『今晩はここに泊まり、あすの朝、対局場にいこう』。 いったんはそう決めたが、説得に来た理事らとのやりとりの中で怒りがぶり返し、『旅館を変えてくれんのなら、絶対に指さん』と爆発、そのまま対局を拒否し、東京に帰った」
と旅館のHPにて、当時の記述が掲載されています。
日本将棋連盟はこの升田八段の行動を重く受け止めて、2月22日に升田八段に1年間の出場停止処分と当時の理事全員を引責辞職すると発表します。しかし、この発表に納得しない棋士も多くいて世論も反発。そこで連盟は、木村名人にこの問題を一任することにしました。木村名人の裁定は
・升田八段と連盟の双方が遺憾の意を表明する
・升田八段の出場停止処分を解除し、即日復帰させる
・連盟役員の辞表届は受理しない
というものでした。
結局、第6局は不戦敗となり、第7局は平手で行われて升田八段の勝利。この結果、5勝2敗で升田八段が王将を奪取。のちに、陣屋とも和解し、このような句を残したとされています。
「強がりが
雪に轉(ころ)んで
廻り見る」
かつて升田幸三実力制第四代名人は「名人に香車を引いて勝つ」ということを目標に将棋を目指したと語り継がれています。しかしぞれが実現した当時、升田八段は名人の権威に傷をつけるのではないかという抵抗感があったと言います。後に升田実力制第四代名人は第5期王将戦七番勝負にて、大山康晴十五世名人相手に「半香」の対局を実現させて勝利。「名人に香車を引いて勝つ」を実現させることになります。後にこの「指し込み」制度は、1959年度の第9期から香落ち1局のみになり、1965年度の第15期からは香落ちの対局はなくなりました。
一方、陣屋のほうでもこの事件をきっかけに陣太鼓を設置。お客様を迎える際には陣太鼓を打ち鳴らすという風習が定着されています。
ではここからは、陣屋カレーについて解説していきます。陣屋カレーの誕生背景には、米長邦雄永世棋聖の言葉がきっかけだったとされています。対局の際に、米長永世棋聖は「カレーが食べたい」と願い出ました。しかし、陣屋の板前の方々は和食専門。いわばカレーは専門外の料理です。当時の女将さんは板前さんに頼めないと判断し、なんと自宅でカレーを作って持ってきたとされています。この味が大好評で人気メニューに。当初は、対局者や関係者の方しか食べることができませんでしたが、現在はルームサービス限定でのメニューとして人気を集めています。当時の女将さんの味が受け継がれ、今では板前さんが腕を振るわれています。
陣屋カレーは、昨年行われた第71期王座戦五番勝負第1局でも登場。永瀬拓矢王座(当時)の昼食メニューが豪華と話題になりました。そのメニューとは
・陣屋カレー(ビーフ&伊勢海老シーフード)
・烏龍茶
・抹茶
・ショートケーキ
・シャインマスカット
いかにも健啖家の永瀬九段らしいメニューですね。
さて、陣屋とカレーの解説が長くなりましたので、本題のイラストの解説に入ります。このイラストを描いたきっかけは3年前にさかのぼります。季節としては9月でした。当時の第69期王座戦第3局、永瀬王座(当時)ー木村一基九段戦が陣屋で行われており、永瀬王座が昼食、夕食と陣屋カレー(どちらもビーフ)を連採したのです。王座戦の持ち時間は5時間で、当時は17時半から30分間が夕食休憩でした(現在は17時から30分間が夕食休憩)。夕食休憩は時間が短いので、おにぎりのような軽食を食べる棋士が多い中、永瀬王座の陣屋カレーの連投は衝撃を受けたという方もいらっしゃるかと思います。そして、永瀬王座はこの対局に勝利。対局内容もさることながら、陣屋カレーの連投での勝利も話題を呼びました。
私はこの出来事に衝撃を受け、勝利を呼び込む勝負めしを描かねばならないと思い、描いてみました。しかし、いま改めて作品を見てこれは失敗と思いました。原因としては、原画のチョイスを間違えたかもという部分です。皆さんは、ご自宅でカレーライスを食べるとき、カレールーとご飯は別々に盛り付けますか?それともまとめて盛り付けますか?この陣屋カレーでは、カレールーとご飯は別々分けた状態にで提供されています。もちろん、写真撮影用のためにかけた状態の写真もありますが、過去の陣屋カレーの画像をいろいろ見たときに、どっちがいいのか迷ってしまい、結局私が自宅で普段慣れているカレールーとご飯がセットの状態での写真を参考に描いてみました。
これなら描きやすいかもと思っていたら、これが間違いのもとで平凡なカレーライスのイラストになってしまったという感覚です。ルーに溶け込んだ具材の立体感が失われ、ご飯の描き方も雑。ルーのトロミ感もうまく表現できなかったというところです。アナログ絵で食べ物のイラストを描く難しさを痛感したイラストでした。将棋同様、被写体の研究も欠かせないのかもしれません。
なお、永瀬九段は陣屋カレーの「昼夜連投」を、王座戦五番勝負で2021年から3年連続で実施されており、すべて勝っているという験のいいメニューとなっています。現在、第72期王座戦は本戦トーナメントが大詰め。挑戦者決定戦は、羽生善治九段と永瀬九段という組み合わせになりました。果たして永瀬九段は挑戦者決定戦を勝ち上がり、今年も陣屋カレーの連投を実現させるのか。挑戦者決定戦は7/22(月)に行われます。ぜひご注目ください。
そして、陣屋対局は今年4月に行われた第17期マイナビ女子オープン五番勝負第1局で開催。西山朋佳女王に大島綾華女流二段が挑戦したシリーズの初戦は西山女王が勝利。その後も3連勝で女王7連覇を達成されました。確定しているタイトル戦では、昨日開幕した第65期王位戦七番勝負の第7局での開催が発表されています。第7局開催予定は9/24・25(火・水)。藤井聡太王位に渡辺明九段が王位戦初挑戦のシリーズはどんな決着を迎えるか、そして陣屋対局は実現するか?ぜひこちらもお楽しみに。
今日はここまでとさせていただきます。本日も長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。