蓮實重彦『伯爵夫人』 | 空想俳人日記

蓮實重彦『伯爵夫人』

 これ、実は、ブログ記事「熱田神宮千九百年の歴史」に書いたけど、
[その後、神宮商店街の古本屋「コトノハ」さんで、すっごい本を見つけた。思わずゲット! 読んだら、また紹介するね。随分先になると思うけど。]
 その一冊が安部公房『棒になった男』だったけど、もう一冊が、これよ!

蓮實重彦『伯爵夫人』01

 ちょっと待て、蓮實重彦さんって、時代時代を鋭い感性で切り刻んできた評論家さんだよね。そんな彼が、小説を? 右岸から左岸へ?
 ちょっと彼の経歴を。
蓮實 重彦はすみ しげひこ
1936年、東京生まれ。映画評論家、フランス文学者。60年、東京大学文学部仏文学科卒業。65年、パリ大学大学院で博士号取得。東京大学教養学部教授を経て、東京大学第26代総長。映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長も務める。77年、『反=日本語論』で読売文学賞、83年、『監督小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、89年、『凡庸な芸術家の肖像』で芸術選奨文部大臣賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。
 例えば、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』と言う著作で哲学にアプローチし、『大江健三郎論』では誰も書かなかった大江に肉薄し、『監督 小津安二郎』などの映画作家批評も鋭い観点で著わしてきた彼。現役の映画製作者らとも熱心にかかわり、ヴィム・ヴェンダースら著名な監督との交友で知られるが、なんと右岸から左岸へ?
 『陥没地帯』(1986)という小説も書いてられるみたいだが、『伯爵夫人』(2016)は、驚きの 80歳の作品。これで、三島由紀夫文学賞を貰っている。

蓮實重彦『伯爵夫人』02

 どんな作品かと言うと、最初は、よく分からない。だが、矢鱈、ホテルに備え付けの回転ドアの描写に拘る。この回転ドアの擬音というか擬態というか、「ばふりばふり」、これが素晴らしい。その後の展開で、重要な使命を担う(ちょっとだけ、ネタバレ。この回転ドアは、120度、3枚扉構成。90度4枚扉だと、「ぐるぐる」
だが、ここは120度で「ばふりばふり」。これは男の逸物が90度だろうと120度だろうとアソコに入ってしまえばどちらでもよいのに対し、とても重要なのだ、と真剣に)。
 そして、伯爵夫人と、ペタンコ胸の従妹の蓬子、蓬子似のホテルの女などなど、性的描写が錯綜する。エクスタシーの「ぷへー」も重要だ。これが面白い。
 何度も登場する回転ドアの「ばふりばふり」やら、「ぷへー」ばかりじゃない。この小説には、リフレインが多い。戦場シーンでも、「あれ、これ、さっき語られてたのと同じじゃん」とな。あと、「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく拡がっているのが、首筋越しに見えているような気」が、あちこちで出てくる。これって、筒井康隆『創作の極意と掟』の中の「反復」じゃないかな。ボクは読んでないけど、「ダンシング・ヴァニティ」という長編小説で試みたことだよ。で、自分のブログ記事「筒井康隆『創作の極意と掟』」から引用。

「人生の反復」…ここで劇的な文学書にも匹敵しながら尻切れトンボでもある哲学書「存在と時間」を書いた哲学者ハイデッガーの「再極限の未了」という言葉が出てくる。存在として完了しないまま、死に絡め取られる、のだ。
 こうして、この項を読み終えて「ああああああああああああ」と思ったのだ。この項は単に「創作の極意と掟」だけではないんじゃないか、と。そう、この項は、小説「DV」の解説だけじゃない、「生きるということを哲学してる」ではないかあ。著者さんは、「創作の極意と掟」と言い「DV」の解説と言いながら、ここで、「反復」がボクたち人間の生きる上での重要なキーであることを示唆しているのだ。確かに、ボクたちは、生まれた時から死に向かって一直線に生きている。しかし、そのプロセスでいかに多くの「反復」がなされているか、それが言いたいのだ。この本の「表題」の項を読んで、「快楽の漸進的横滑り」が頭から離れず、何度も独り言で呟いている反復。似たようなことが起きる、しかも同時多発的に。演奏依頼が連鎖的にAMIに舞い込んでくる。偶然とは思えない。セレンディピティだ。空想、というよりも、妄想、同じ妄想を夢や白昼夢で見る。叶えられないからいつも妄想として現れる。あの時の失敗を二度と起こさないようにと思うのだが、また同じ失敗を繰り返す。時間はそのままで意識が反復する客観的反復として、同じ経験を繰り返す。小学生の頃に毎年1月1日に親戚が集まる。たまには趣向を凝らそうと、お年玉をいくらくれたかのグラフを貼りだそうとしたら「やめときなさい」と言われた。あと、葬儀でご愁傷さまと言う言葉を慣用句として使い始め何度も繰り返したが「終章」だとずっと思っていた。毎日の繰り返しは時間や順番が変わると焦る。日頃デイサービスで演奏するプログラムは3か月は同じなのに、その3か月の間で変化する。時には演奏の合間のMCで思い付きの変貌を遂げることも。懐かしい歌を自らの手でスコア起こしする。すると、あの時聞いた歌の素晴らしいメロディや和音進行がその頃以上にひしひし感じ、その詩の気づかなかったフレーズに感動もする。AMIデビュー当時に創ったオリジナルソングを久しぶりに演奏すると創った契機となることを中心に当時のことが走馬灯のごとく甦る。小学校の時の女の子や女の人との遊びが多かったことを思い出すが、省略で思い出したり、細部まで蘇って遅延したりする。時には、実際に起きていなかったことまでが起きていたかのように思い起こす。そして、最近になって同じ日々を繰り返すことは惰性ではなく、繰り返しながら、絶えずそこに新たな発見を見出すこと、それが大切じゃないかと思っている。ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」のように。このことが、この項にピタリと当てはまるのだ。哲学的思索を促す「反復」は、人間の人生を紐解くのに重要なキーワードだ。一直性に死に向かうボクたちは、反復によって、それに抗っているのかもしれない。この「反復」は素晴らしい。なので、きっと「DV」も哲学的小説ではないかと思うが、残念ながら読んでいないので、分からない。きっとスーザン・ソンタグが「反解釈」の中でサルトルについて「彼の全著作への鍵は、戦前の小説『嘔吐』のなかに見られる」と述べてるが、その「嘔吐」に匹敵する作品なのだろう。それにしても、人間は「思索の反復横跳び」があるからこそ、人生は有意義なのかもしれない。そうすることで、「幸福」を手に入れられるのではなかろうか。

 ちょっと長くなったけど、ここに書かれているように、反復って結構うちらの日々の中で沢山起きるよね。ここで起きる二郎を主人公として物語には、「反復」が多い。戦争の戦場の件でも、「あれ、これ、前に出てきた」とな。つまり、ボクたちは、時間の流れに逆行することはできないけど、絶えず思い出すことによって、いつでも、過去に戻ることが出来る。
 ここに描かれているのは、濃縮なたった一日の出来事であることを読み終えてわかる。その一日の中で、主人公の二郎は、何度でもチャンスがありながら自分の逸物を相手の中に入れて放出することができない。そんな場面の連続だ。そのメインの相手、冒頭に身を隠すように抱擁する伯爵夫人は、たくさん語られるが最後まで分からぬ人、お祖父さんが多くの女性と交わりながら絶対射精しない(近代の悲劇らしいが)なか、唯一。伯爵夫人を孕ませてしまった、それが二郎と3日違いで生まれた一郎、それに、二郎は、自分が一郎じゃないかと思う。
 ちょっと、これくらいにして、この小説は、情欲と戦争が入れ子構造で語られるのだが、驚くべきことは、小説の始まりの夕方から、小説の終わりは、次の日の夕方、新聞に「米英に帝国開戦」の記事なのだ。
 ここで、ボクたちが経験するのは、なんだろう。読み終えて、解説を見たら、なんと、3人の解説が。しかも、その一人が筒井康隆ではないか。先の、「筒井康隆『創作の極意と掟』」からボクが述べたことを、言ってるよ。

蓮實重彦『伯爵夫人』03

 何故に80歳になって、彼は、この小説を書いたのか。おそらく、これまで彼が批評してきた小説や作品、どれも面白くなくって、じゃあ、「俺が書いてやるわ」が、この『伯爵夫人』ではなかろうか。
 そして、見事に「三島由紀夫賞」を受賞した。
 この小説は、「もっと読み応えのある、今をきちんととらえた小説がない」と思った作者が描いたと思う。じゃあ、これって、カフカの「城」の読みごたえにも似てるけど、結構、映画狂の視線でも書かれていて、ボクなんかは、誰かが監督して映画化すればいいのに、思ったんだ。けど、やっぱ局部のご披露など、18禁で済まぬ描写には、「無理かあ」と思ってもみた。
 読み終えて、「この作品凄いわあ」と思ってたら、解説で筒井氏が次のように言っている。
《大正時代から昭和初期にかけて性的頽廃が徐々に充満しつつあったあの時代の中
、次第に軍人や憲兵の姿が何やらきな臭く彷徨しはじめ、そして破滅に繋がる戦争へと突入していくのはまさに現代に重なる姿あろう》
 筒井氏も、今を、新しい戦前と思っているようだし、この小説を単に娯楽ではなく、文明批評でもあるとすれば、今も帝国主義の戦前と何も変わらない、いや、むしろ今こそ、日本は、いつでも恐ろしい過去に戻るかもしれない、それを著書さんは言いたくて、この作品を描いたと思われる。
 ただ、昔と違うのは、民主主義という多数決社会が、マイノリティを撲滅し、マジョリティに身を寄せる連中の右に倣え世界が確立しているということを、私たちは忘れてはならない。これを恐ろしいと思うのか、いいじゃないのと思うかは、あなたしだいだ。


蓮實重彦『伯爵夫人』 posted by (C)shisyun


人気ブログランキング