宇摩志麻遅命 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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宇摩志麻遅命ーうましまぢのみことー
『日本書紀』では、可美真手命ーうましまでのみことーと表記。

父神 邇芸速日命と、母神 登美夜毘売の間に生まれました。
 

物部氏ーもののべしー、穂積氏ーほづみしー、

釆女氏ーうねめしーなどの祖神で、

物部氏独自の歴史と伝統を象徴する、
伝説上の人物でもあります。

 

 

神武東征の際、最初従っていた伯父の那賀須泥毘古を、
父と共に裏切り、伊波礼毘古命
十種神宝ーとくさのかんだからーを奉じ、
仕えました。

神武天皇即位後は、自らの部族である
物部ーもののべ/もののふー を率いて、
皇城守護の任に当たったようです。
 

また、十種神宝を使って、
国の発展と、天皇の延命・長寿・子孫繁栄を祈願し、
天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、

これが、後世の鎮魂祭ーみたましずめのまつりーの初めとされています。

 

 

伊波礼毘古命から賜った布都御魂剣を、宇摩志麻遅命が祀り、

後に、宮中から遷されたことで創建された石上神宮には、
伊波礼毘古命が平定した、各地の豪族から徴発した
神宝・呪物が集められていたとされています。

その数の膨大さは、図ることが叶わない位だったそうですが、
それを表す逸話として、
天武天皇の時代に、神宝などを各地の豪族の子孫達に返還した後、
既に滅んでしまったりして、行き先の決まらなかった神宝を、
桓武天皇の時代に、山城国へと移したところ、
その作業に、15万7千人の人手がいったという話が残っています。

まぁ、折角移動させたその翌年、
石上大神に、神宝搬出の謝辞と、病気平癒の祈祷をし、
神宝を戻している事から、いろいろとあったんでしょうねぇ。



その神宝などを、徴発し、管理を行っていたのも、
物部氏であったとされています。
その際、神宝だけではなく、
各地の豪族達の祭祀の一部を取り込んだともいわれており、
地方豪族の祭祀と、天孫族の祭祀を結び付ける
重要な役割を担っていたようです。


ご神徳 病気平癒
      健康長寿
      勝運
      文武両道
      鎮魂祈願
      交通安全
      社業繁栄
      厄除け
      勝負運アップ など

鎮魂祈祷を最初に行った謂れから、神職の始めを為す神として、
占い・まじない・祈祷の神としての信仰も厚いようです。
 


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