季節はもうすっかり秋に移りました。気温が上がってもからっとした暑さであり、夏の蒸し暑さではありません。我が家のワンちゃん、ボストンテリアのシエロも、いよいよ散歩を再開です。

 9月の第2弾は、誰にしようかいろいろ悩みましたが、マックス・エルンスト(Max Ernst 1891-1976)にしましょう。ドイツ人のシュルレアリスム画家です。


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 日本ではダリとマグリットに人気が集中しているので、エルンストに注目が行くことが少ないですが、エルンストもまた重要なシュルレアリスム画家です。エルンストのおもしろいところは、絵画制作の起点を偶然の形態から始めるという点です。


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〈セレベスのゾウ:1921年制作〉


 例えば、エルンストは【南スーダンのコンコンボワ族の穀物貯蔵庫の写真】を見て、そこから動物のゾウを連想し、〈セレベスのゾウ〉を制作しました。エルンストにとって重要なのは、ある物を見てほかの別のものを思い起こす連想です。マッソンの自動記述のように完全に偶然なのではなく、かといってマグリットのデペイズマンのように完全に自力でもなく、エルンストの連想を生かした絵には、偶然と自力の2つの要素があります。


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〈博物誌 No.29 光の輪:1926年制作〉


 エルンストは、偶然の形態から絵画制作を進める方法をいくつか開発しますが、まず1つ目はフロッタージュです。フロッタージュとは、木や石や硬貨など表面がでこぼこした物の上に紙を置き、それを鉛筆や木炭でこすって、表面のでこぼこの模様を写し取る技法です。エルンストは写し取られた魅惑的な模様から連想力を生かして、不思議な形の馬や魚や鳥を創造しました。


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〈石化した森:1927年制作


 2つ目はグラッタージュです。これはフロッタージュの応用で、絵の具をたっぷり乗せたキャンバスの上に、何らかの物質を置き、その絵の具をパレットナイフで削り取ることによって、キャンバス下の素材表面の凸部にあたる部分の絵の具がかき取られ、画面上におもしろい質感が浮かび上がる、という技法です。エルンストはこの技法によって、眩惑的な森や都市を制作しました。


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〈雨後のヨーロッパ Ⅱ:1940-42年制作〉


 3つ目はデカルコマニーです。紙の上に絵の具を塗り、それを二つ折りにするか、もしくはほかの紙をその上から押しつけて引きはがすことによって、強烈な幻想的な模様を生み出す技法です。デカルコマニーはもともと、スペイン人のシュルレアリスム画家であるオスカー・ドミンゲスの発明です。ドミンゲスは水彩でしかこの技法を用いませんでしたが、エルンストは油彩にも用いました。デカルコマニーの生みの親はドミンゲスですが、デカルコマニーの絵画表現を発展させたのはエルンストです。


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〈健康と家庭の天使:1937年制作〉


 技法ではなく、今度は内容面からエルンストの絵を見ていきましょう。エルンストの絵にはとにかく、訳の分からない形態の奇怪なモンスターが登場します。そこがエルンストの魅力です。ここにはもちろん、エルンストの深層心理が立ち現れていると思いますが、チッチはそういうことをあまり意識せず、ただただ形態の奇妙さを楽しんでいます。エルンストの絵の中では、チッチは上の〈健康と家庭の天使〉が大のお気に入りです。ちなみに、この絵はスペイン内乱中に描かれていて、エルンスト版〈ゲルニカ〉という側面があります。


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〈花嫁の付着:1939年制作〉


 チッチのお気に入りはもう1つありまして、それが〈花嫁の付着〉です。常識的に考えれば、女性が赤い羽根のマントを羽織っているものと見れますが、もしかしたら、鳥と女性が融合したキメラ的存在かもしれません。折れた槍は《勃起不全》、右下のホムンクルスのような怪物は《理想の挫折》の象徴でしょうか。この絵はとにかく謎の多い絵であり、研究者たちの間でも決定的な解釈を下せない状態です。エルンストの絵の魅力は謎です。マグリットの絵は思弁的で謎解きがある程度可能なのですが、エルンストの絵は解釈を近寄らせず、いつまでも謎めいたままです。


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〈素朴な世界:1965年制作〉


 晩年になると、エルンストの絵には宇宙的ヴィジョンが現れるようになります。それまでの深層心理と錬金術が手を結んだユング的ヴィジョンに、天体のドラマが加えられることによって、エルンストの絵は開放的になります。それまでのエルンストの絵は、どちらかといえば内向きでした。ですがこの絵には、今までエネルギーが内に内に行っていたところを、個人的神秘性を保持しながらも、外に解放しようという意志が見られます。上の絵のようなヴィジョンは、現代ではCGが得意ですね。


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〈天と地の結婚:1962年制作〉


 エルンストも年を取るうちに、《調和》ということを考えるようになったのでしょうか。エルンストの若い頃の絵には、強烈な自己主張や、人を驚かせたりからかう態度がつきものでしたが、老齢のエルンストの絵にはそれがだいぶ静まっています。迫り来る死を意識し始めると、みなこういう感じになるのでしょうか。晩年のエルンストは「迫力が無くなった」といって嫌う人もいますが、チッチは好きです。

以上、マックス・エルンストでした ヾ(@⌒ー⌒@)ノ