森の上申書をきっかけにメンバーの自供が相次いでいる。ただしそれは断片的なものだったので、新聞はそれらを組み合わせ、ストーリーを考え、記事を創作したとしか考えられない。当時これらの情報により、彼らは自分とは違う人間なのだと思っていた。
■3日間夫は泣いた 山本保子(毎日)
山本保子は素直に取り調べに応じ、「私は夫が殺されるのをこの目で見た」と始めて語った。幹部に少しでも逆らうと総括を受け、リンチはしょっちゅうだった。とくに永田のリンチぶりはひどかった。リュックにおしめを入れていると夫の順一が手伝ってくれた。これが永田の目に留まり「夫婦はブルジョア趣味だ。もっと強くならなければならない」となじった。ついに夫は総括を受けることになった。1月下旬、森、永田らは突然、「これから総括する」と言って腕や手足を縛り上げ、木切れや板でなぐったりけったりした。私は駆け寄ろうと思ったが、監視がきびしく泣き声すらあげられなかった。リンチは3日3晩続いた。夫は寒かったのだろう。"オー、オー"と叫びながら助けを求めていた。3日目になると声も出なくなった。夫は死んだのだ。
直接話法でかかれているが、事実とはまったく違う。保子はリンチの現場にはいなかったし、森、永田もリンチの現場にはいなかった。山本順一の総括は坂口が中心に行なわれた。
■処刑の跡 ロープ 無数の弾痕 暗い穴の中に焼けた布切れ(毎日)
榛名山アジトは榛名湖から保育等に約5キロ。4畳半くらいの小屋跡にはバスローブのタオルひも、おしめのような布、クギ、カスガイなどが凍り付いている。小屋のすぐ上に深さ1メートルぐらいの穴があり、細かい布が無数にこびりついていた。すぐ下の大木には、人の背中の高さのところにロープでこすったような跡がある。小屋から5メートルぐらい下ったところに小さな小川が流れている。そのほとりに黒く焼けた木材、石などがころがっていた。ここが彼らの炊事場。炊事場に隣接するこの小川の中がトイレ。おびただしい量の排泄y物や、生理用品が、済んだ水の中に浮いている。・・・榛名山アジトの小屋周辺はすべてが焼き払われており、灰化したような土の山。それは、自分たちの犯行の血なまぐささに耐えられなくなり、その悪夢を振り払おうとして、撤退していく彼らの暗い絶望的な姿を思わせた。
■頼良ちゃんを救え! 連れていた中村手配(朝日)
保子の供述によると頼良ちゃんは1月末、榛名山味とから、迦葉山アジトに移った直後、「夫婦、親子の関係を清算しなければ革命はできない」と幹部に指摘され、保子の手から中村愛子に移されたままという。
中村愛子は2月7日の雪の朝、榛名湖畔でストーブにあたらせてやった食堂経営者佐藤道三さん(48)は「てっきり自殺かと思った。...こちらの心配を気にしてか、"自殺なんかしないわよ"とはじめて笑顔をみせた。あの赤ん坊はどうしているんですかねえ」という。
身元引受人にされた高校時代のAさんも「ひどく疲れているようだった。タクシーの中でほとんど話をしなかった。"事情がある"というだけで、あとはよくわからないまま"サヨナラ"といって行ってしまった」といっている。
■前沢が出頭 リンチこわくアジトを脱走(朝日)
11日親類2人につきそわれて東京・練馬署へ出頭した。2月7日、金を一銭ももたず、乞食のような身なりでやってきて、塗装業の栗田さんの手伝いをしていた。栗田さんは指名手配されて顔写真がいっせいにのった10日の新聞記事をみて驚き、「これではきれいさっぱり話してしまわなければいけない」と前沢を説得、出頭したという。前澤は「リンチの場面をみてこわくなり組織をやめようと逃げた」と語った。
■夫婦も兄弟もなかった 肉親でもリンチ殺人 車もたつき"総括"直前(朝日)
奥沢修一(22)の自供によると・金子みちよの殺害には、当初吉野が不在のときといわれていたが、吉野も手を下していた。加藤には弟も殺害に参加。これは「夫婦、親子、兄弟などの関係は革命の前には放棄すべきだ」とする永田の考え方の実践で、同時に生き残る者に対する「踏み絵」としての意味を持たせた。肉親同士殺し合うという異常ぶりに「革命の精神が高められた」と総括していたという。
山本は運転をしばしば誤って総括されたが、車をミゾに落とすことは、そのまま犯行の発覚につながる恐れがある、と重視されたという。死体搬出でスリップしてミゾに車輪を落とした山本は、味とに帰ってから森や永田に「気合が入っていないからだ」と厳しい追及を受ける結果となった。
2月7日、奥沢は怪しまれてレンタカーを断られると、永田が「革命精神が足りなかったからだ」と総括にかけられた。奥沢は死を覚悟したが、心酔していた森から「あと1日やるから車をかりてこい」と1人だけ残った運転技術を買われて助けられた。8日に車輪を溝の落として近所の人に助けられて人目につき、16日にもぬかるみに車輪を取られて警官にみつかり、グループの破滅につながった。
結局、山も虎の運転技術者を「運転の仕方が悪い」などの理由で次々に殺して言った最高幹部の"過剰殺人"が、奥沢のようなまずい技術者の起用につながり、壊滅的な打撃となって終わった。
加藤は1月上旬ごろ、女性関係のもつれから榛名山アジトで人民裁判にかけられ、リンチされることになった。次男Aもそのメンバーに入れられて一緒に殴った。三男Bは兄の処刑が決まりリンチが始まると「殺される」と思い、森ら最高幹部たちに「兄さんの命だけは助けてほしい」と訴えた。この命乞いに森は「だまっていろ、兄のことは組織に任せておけ」と答え、聞き入れられなかったという。
最後の加藤リンチの状況は事実と違う。次男Aも三男Bも、永田に促されて2人とも殴った。命乞いうんぬんのくだりは彼らの手記にはでてこない。
■「女問題・逃亡は『死刑』」 青砥が自供 山崎惨殺は見せしめ(朝日)
山崎順(21)があまりにもむごたらしい殺され方をしていたため、青砥らを追求したところ、山崎は榛名山アジトに出入りしていた女性をめぐって他の男とトラブルを起こした。森・永田らからとがめられたことから、イヤ気がさし、逃亡しようとしたところをみつかり、人民裁判にかけられた。
同アジトでは、少ない女性をめぐって、他にもトラブルがあったため、森・永田らは、「これ以上女性トラブルが増えると組織がもたない」と考えていた。こうした中で脱走者が出ることを厳しくチェックするようにしたり、山崎の脱走行動がヤリ玉にあがったという。このため山崎は他の処刑者と違って死刑宣告を受け、殺され方もみせしめのため、みんなの前でわざと残虐な方法がとられたという。
山崎死刑は幹部だけで話し合われて、メンバーには死刑の理由を知らされていなかった。メンバーの自供に基づいた記事のため、事実と違う記事になったと思われる。
■永田洋子という女 森しのぐ実力 飛びぬけて激しい言動(朝日)
永田の存在が不気味にクローズアップされてきた。アジト内の会議では議長の森を牛耳った。処刑の場では大声をあげてメンバーを動かしていた。当局の調べに対し、逮捕者が相次いで脱落、自供していく中で、彼女だけは口を割らない。「実質的な指導者は森ではなく永田ではないか」という評価も生まれつつある。
▲リンチ通し地位高める
山本保子の供述によれば、永田はリンチのとき飛びぬけて激しい言動をみせた。集団リンチという異常極まりない行動をとるとき、病的に冷酷な人間が最低一人は必要といわれる。当局によればそれが永田だった。逮捕当時「ナンバー1」の森さえ、永田を抑えきれなくなっていたらしい。彼女はリンチを加えることによって組織内での自分の地位を高め、ついに事実上の「ナンバー1」にのしあがったといえるようだ。
▲死に行く者をあざ笑う
最後に処刑された山田孝は妙義山のほら穴アジトで縛られ、雪の上に放置されていた。死の直前、のどのかわきをいやすためか、山田はからだを必死にねじまげて雪をなめ、そのまま死んだ。居あわせたメンバーは一瞬シーンとなった。洋子はその静けさを破るように大声で笑いながら言った。「こいつは死ぬまで食い意地が張っている」(警視庁への密告から)
これはひどい。山田が死んだとき、永田は森とともに東京アジトにいて現場にいなかった。関係者がそんなこと供述するはずがない。全員逮捕されているのに「警視庁への密告から」というのも奇妙だ。「永田」でなく「洋子」と呼称しているのは女性を強調するためだろうか。
▲警官の心臓めがけ短刀
永田は森恒夫と妙義山中でつかまった。登山ナイフをふりかざしながら機動隊員と取っ組む森に「やれえッ、やれえッ、殺せッ、突き刺せッ」と声を限りに叫んだ。機動隊員が雪ですべって森に組み敷かれると彼女もとがったやすりを振りかざして旨めがけて突き刺そうとした。機動隊員は防弾チョッキを着ていたので、ケガを免れた。あとで、チョッキを調べたら、刺し跡は心臓のみに集中していた。
「十六の墓標(下)」(永田)によると、永田が持っていたのはナイフであり、すぐ取り押さえられたというから、攻撃できたとは思えない。心臓にナイフを刺したのは森。
▲不美人を気にする日常
「色黒。ギョロ目、上歯やや突出した感じ」(手配書から)。美人とは言いがたい永田はそれを自覚してかどうか、仲のいい活動家に「私だって子供には慕われるのよ」といっていた。浅間山荘にたてこもった坂口弘と同性していたところ、わざと腕を組んで見せて「新婚なのよ」と誇らしげに話した。人目をそらすための、偽装だけではなかった、と当時を知る人たちはいう。
▲仲よい山本夫妻いびる
坂口は心臓が弱く「夫婦仲」は必ずしもよくなかったようだ。夫婦仲のよかった山本夫婦のむつまじさにイラ立って「夫婦気取りで革命はできない」と非難した。保子が子供のおむつを味との外に干そうとすると「人にみつかる」ときつくたしなめた。群馬県警に逮捕された1人は「嫁いびりのようだった」と表現している。
▲永田とはだれの名だ
妙義山中の逃避行の際、警官に職務質問されたことがあった。洋子は一緒にいた森ととっさにキスをして、アベック旅行者を装ったという。逮捕後、自分への手配書をみせられると泣いて悔しがったが、取調べでは一番係官を手こずらせている。自分が永田であることを認めていない。留置場につけられた「永田洋子」の名札をみて「これはいったい誰の名前だ」。取調官にたて突く。「殺人罪とはどういうことをいうのか」「刃物を持つのが悪いとはどういうことか」ダバコをすすめると「オマエらのものをすえるか」しかし、しばらくして灰皿の吸殻を拾ってすった。
いくらなんでも職務質問中に「とっさにキス」をしたとは信じ難い。取調べの模様は「続・十六の墓標」(永田)に詳しい。それとはずいぶん違う印象だが、このようなう面もあったかもしれない。タバコの件は「タバコを権力にもらうのはよくないが、落ちているタバコを拾ってすう分には問題ない」という連合赤軍ルールによる。森も「拾って」吸った。
▲コーヒーを飲ませろ
彼女はいま群馬県高崎署に収容されている。朝晩留置場から調べ室に警官が両脇をかかえて進行する。その警官に必ず彼女は言う。「病人だから大事にあつかいな」調べ室ではあいかわらずだんまりを決め込みプイと横を向く。そしてときどき命令する。「病気だから調べをやめな」「下着を買ってくれ」「コーヒーをのませろ」「弁護士を頼んでくれ」永田はバセドー氏病にかかっている。
永田の感情の高ぶりがよくバセドー氏病と結び付けられるが、まったく関係はない。また「永田はバセドー氏病のため子供が生めない体だから、妊娠した金子に嫉妬していた」などとかかれる事もあるが、これも病気とは一切関係がない。事実、永田は妊娠し中絶している。この経験から、金子が妊娠したとき「今後は子供を生んで育てていくようにしよう」と提案し、祝福したから、金子は山に入ったのである。
▲大学生も恐れる論旨
京浜安保共闘の川島豪議長が逮捕されてから「理論面」で永田に並び立つものはいなかった。アジ演説も巧みだし、論旨もそれなりに明快だった。だから議論になっても反論するものはなく、大学生のメンバーでもひたすら恐れ入ってしまったという。
「大学生も恐れる論旨」という見出しからもわかるように、当時、大学生はエリート扱いされていた。だから赤軍派は「労働者諸君!」などと見下すようにアジっていたのである。ちなみに永田は共立薬科大卒業だ。
■13人目のリンチ殺人(毎日)
京浜安保共闘がが独自で山岳アジトを作ったとき、リンチ殺人が行われたとみている。これは中京安保共闘の少年2人と同、寺林真喜江(23)、京浜安保共闘の伊藤和子(22)、山本保子(28)の断片的な自供から得たもの。
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