1972年1月9日 革命左派の丹沢ベース発見される |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(1972年1月9日 朝日新聞)

  連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-1972年1月9日朝日 革命左派丹沢ベース発見


 この日、久しぶりの新聞記事が出た。連合赤軍になる前の革命左派の丹沢ベースが発見されたのである。記事中の「京浜安保共闘」とか「人民革命軍」というのは、革命左派のことだと考えてよい。


(基礎知識編)赤軍派・革命左派・連合赤軍 組織関連図

 

 丹沢ベースのキャンプ跡に残っていた遺留物は驚くべきものだった。


 ダイナマイト包装用油紙、雷管、ペンチ50本、ハンマー、金ノコ、女性用ストッキング、人民革命軍という名入りのビラ、毛沢東学習ノート、クツ6足など・・・80件156点!


 これでは、「革命左派が爆弾作ってました」 と宣伝しているようなものである。事実、丹沢ベースは植垣が爆弾製造方法を伝授 したところであった。


 革命左派はこれまでも、痕跡を残しながらアジトやベースを移動している。真岡銃砲店襲撃後の逃走経路にアシがついた一件 をふりかえっても、後始末が甘すぎるのである。


 当時、永田らに、都内の赤軍派のアジトを提供していた青砥幹夫は、革命左派のメンバーは、アジトに無警戒に人が出入りするので、アジトがばれてしまうのではないかとハラハラしたという。赤軍派のほうがこの点はしっかりしていた。


 連合赤軍では、ベース移動の際、痕跡をなるべく残さないように注意していた。しかし、後に彼らにアシがついて逮捕されるきっかけとなったのは、痕跡ではなく、なんと彼らの放つ悪臭だった。これにはメンバー誰一人気づいていなかったのである。