1972年1月10日 「6名の死はどうしても回避できなかった高次な矛盾」(森恒夫) |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(1972年当時の小嶋和子・尾崎充男・加藤能敬・進藤隆三郎の埋葬地)
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■新たな山岳ベース調査
 10日の午前中、中央委員会で、山岳調査の場所を群馬県の沼田市の迦葉山(かしょうざん)方面と赤城山(あかぎやま)に決まった。


(迦葉山方面調査へ)植垣康博・杉崎ミサ子
(赤木山方面調査へ)吉野雅邦・寺林喜久江


■「6人の死は回避することの出来なかった高次な矛盾」(森恒夫)


 夕食後、全体会議を開き、調査に行く人たちの決意表明が行われたが、こんなことにいちいち決意表明させる指導部の儀式ばったやり方も、私の肌には合わなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


この時、森氏は、
「これまでの6名の死は、政治的に孤立し軍事的に劣勢の我々が、政治治安警察に対する銃による殲滅戦をおし進め、その波及力によって、自然発生的な反米反軍国主義の闘争を目的意識的な革命戦争に発展させ、沖縄の最前線基地化を解体する遊撃戦を創出し、日本革命戦争の基礎をつくっていく上でどうしても回避できなかった高次な矛盾である」
と6名の死を総括した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 「沖縄の最前線基地化」というのは、ベトナム戦争で、米軍の爆撃機が沖縄から出撃していたことを批判したもの。ベトナム戦争は、テレビ中継された最初の戦争だったため、多くの反戦運動を生み出していた。連合赤軍もその流れの中にある。


 永田は「高次な矛盾」がどういうものなのかよくわからなかったが、次のように解釈した。


私はそれをこれで暴力的総括要求は終わり、これからは殲滅戦に向けて前進していくのだという風に受けとったし、皆もそのような感じで受けとっており、明るい雰囲気になっていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 ところが植垣によれば、明るい雰囲気になったのは、森の総括によってではなく、永田のレジュメ作成の表明によるものだったという。


 この森氏の総括はわかりにくかったが、永田さんが新党の路線や共産主義化の内容に関するレジュメを書くといったことに対し、私たち全員が、「異議なし!」と元気よく答えた。
 共産主義化による党建設といっても、あまりに漠然としていてその内容がわからず、従って、総括の必要を理解しても、自分の問題をどう総括していいのかよくわからなかっただけに、レジュメへの要求は、私たちにとっては切実だったのである。
 レジュメ作成の表明は、共産主義化の闘いに一区切りをつけ、銃による殲滅戦の実践に集中していくことを感じさせるものだったので、全体を明るい雰囲気にすることにもなったのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■被害者と加害者の間には何の違いもなかった
 「高次な矛盾」というのがよくわらない。森はたびたび「高次」という言葉を使う。山田孝が「死をつきつけても革命戦士にはなれない」と異議申し立てをしたとき も、「精神と肉体の高次な結合」という言葉で押し切っているが、大した意味はないから口ぐせなのかもしれない。


 「矛盾」のほうも、何と何が矛盾しているのかよくわからないので、結局ちんぷんかんぷんなのだが、森に、暴力的総括要求は終わりという考えがなかったことだけは確かだ。


 さて、これまで死亡したメンバーは、以下の6名である。


尾崎充男 (革命左派)
進藤隆三郎(赤軍派)
小嶋和子 (革命左派)
加藤能敬 (革命左派)
遠山美枝子(赤軍派)
行方正時 (赤軍派)


 革命左派の3名は、多かれ少なかれ新党結成に疑問を持っていたメンバーで、赤軍派の3名は2軍扱いされていたメンバーだった。


 こうした特長から、「指導部に疑問を持つものを先制攻撃した」(坂口)とか、「赤軍派の弱い部分を取り除いた」(植垣)、という解釈がある。


 残念ながら、逮捕後に、「どうしても回避できなかった高次な矛盾」 を口にする者は、森を含めて誰一人いなかったようだ。


 われわれは、普通こう考える。生き残った者は加害者だから糾弾されるべき存在で、死亡した者は被害者だから同情すべき存在である、と。 ここまでに死亡した6人については、そうした見方も成り立つかもしれない。


 しかし、リンチ殺人が後半にはいると、そうとばかりもいっていられなくなる。今日の加害者は、明日には被害者であり、今日の被害者は、昨日まで加害者だったのである。


 するとわれわれは、加害者と被害者をどのように区分したらいいのだろうか。そもそも加害者と被害者に区分することが、この事件にはふさわしくないように思える。


 被害者と加害者の間には、何の違いもなかったのである。