1972年1月1日 小嶋和子の「敗北死」 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(小嶋は何を言っても悪意に解釈された)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-小嶋和子顔写真

小嶋和子(享年22歳)
【死亡日】 1972年1月1日
【所属】 革命左派(中京安保共闘)
【学歴】 市邨学園短大
【レッテル】 ヒロイズム 小ブルジョア急進主義、精神の病
【総括理由】 自己陶酔的態度、加藤能敬とキスして神聖な場をけがした
【総括態度】 「集中していない」「反抗的」「指導部を憎悪」
【死因】 凍死


■メンバーの状況(1月1日夜・榛名ベース)
【指導部】
森恒夫  (赤軍)
永田洋子 (革左)
坂口弘  (革左)
山田孝  (赤軍)
坂東国男 (赤軍)
寺岡恒一 (革左) 新倉ベースから青砥と東京へ
吉野雅邦 (革左)

【被指導部】
金子みちよ(革左)
大槻節子 (革左)
杉崎ミサ子(革左)
前沢虎義 (革左)
岩田平治 (革左)
山本順一 (革左)
山本保子 (革左)
小嶋和子 (革左) 外の木立に緊縛中
中村愛子 (革左)
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 外の木立に緊縛中
加藤倫教 (革左)
加藤三男 (革左)
遠山美枝子(赤軍) 合流したとたん暴力を目にして落ちつかず
行方正時 (赤軍) 合流したとたん暴力を目にして落ちつかず

【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)


■「小嶋は闇を恐れるから、目かくしをするといいんじゃないか」(加藤三男)

 全体会議が終わった頃、雨が降り出したので、外の木立に縛られている加藤と小嶋を小屋の床下に移すことになった。


 N・K氏が、「小嶋は闇を恐れるから、それを克服するために目かくしをするといいんじゃないか」といった。私は、小嶋さんが真夜中がこわいといっていたのを思い出し、「たしかに小嶋は闇を恐れる」といった。すると森氏が、「革命戦士としては、それは克服させねばならないことだ」といった。

(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 このとき、小嶋が1人で歩こうとしなかったことも批判された。

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-目隠しをされた小嶋和子


■「総括に集中しようと思って頭を柱にぶつけていた」(加藤能敬)


 このあと指導部会議が続けられたが、しばらくすると、床下で柱に頭を打ちつけている音がした。それはかなり長く続いた。森氏は、それに対し、「あれは小嶋や。小嶋はあんなことをして総括に集中していないんだ。総括しようとしていないのだ」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森と永田が見に行くと、柱に頭を打ちつけていたのは、小嶋でなく加藤だった。


 森氏が、加藤氏の体をゆさぶるようにしながら、「おい、どうした」と聴いた。それは、驚いた声ではあったがやさしいものだった。加藤氏は、「こうしていても、ボヤーとして総括に集中できなくなる。それが悲しい。総括に集中しようと思って頭を柱にぶつけていた」といった。

 森氏は、「そうか、総括しようとしているんだな。よし、おまえを小屋の中に入れよう」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 加藤を小屋に入れてから、森は加藤の手を湯につけて揉みほぐしたり、「総括できるのも間近だろう。それまで頑張れ」とはげますように声をかけた。柱にしばるときも、「苦しかったらいってくれ」と少しゆるく縛った。


 床下で頭を柱に打ち付ける音がした時、森氏は「あれは小嶋や」と決めつけ、それを総括に集中していない表われとみなした。ところが、打ちつけていたのが加藤氏とわかると、評価は一転して総括していようとしているとみなしたのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 だが、私は、加藤君を床下から部屋の中へ移す段階ですでに加藤君に対しては総括の期待をもっていたが、小嶋さんについては恐らく総括できないのではないかという事、即ち総括できないだろうから死ぬかもしれないがそれでも最後まで可能性を追求してみようという事を思っていた。
(森恒夫・「自己批判書」)


 私は、総括を要求されたものが次々と死んでいく中、兄が総括できそうだと森らに認められたことに胸が熱くなるほどの喜びを感じた。永田は私が嬉しそうな顔をしていると言い、小屋に戻された兄の服を着替えさせようとすると、「兄さんが頑張っているのだから、あなたも頑張らなければいけない」と、私が兄に近づくことを止め、小嶋の見張りにつくよう指示した。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


■「小嶋は永田さんを恨んで死んでいった」(森恒夫)

 私と伊藤とで、小嶋の見張りをしていたが、兄が小屋に戻されてしばらくすると、様子がおかしくなってきた。私たちが見張りについたときには、顔を前に向けていたのだが、突然頭をガクンと垂れてしまった。その様子を見た伊藤が私に、「森さんたちに報告してきて」というので、小屋の中に急いで行き、小嶋の様子がおかしいと報告した。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 森や永田たちが、あわてて様子を見に行き、人工呼吸を施すが、小嶋が息を吹き返すことはなかった。


 森氏は、小嶋さんの顔を見ながら、「怒ったような顔をしている。永田さんを恨んで死んでいったんやろう」といった。私は意味が分からず、「エッ」といった。森氏は、「あたりまえじゃないか。それがわからないのか」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 最後に彼女の様子がおかしいという事で我々が床下へ行った時、彼女はすでに絶息していたが、口を大きく開けて目を見開き点をにらみつける風な感じで恐らく死ぬまで我々のことを憎悪していたと思われる程であった。
(森恒夫・「自己批判書」)


■「死をつきつけても革命戦士にはなれない」(山田孝)
 そのあと指導部会議を開いたが、会議は重苦しく沈痛なものだった。森もすぐには「敗北死」とは言い出せないでいた。


 そうしたなかで、山田氏が、森氏に体を向けて指をさし、少しきつい調子できっぱりと、「死は平凡なものだから、死をつきつけても革命戦士にはなれない。考えてほしい」といった。(中略)

 山田氏は森氏をジーッと見つめ、森氏は考えるような感じで山田氏の目をはねつけていた。2人は火花が散るほど対立し合っていたのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 私は、山田さんに共感したが、助け船を出すことも出来ず、成り行きを見守った。2人はジーッと睨み合っていた。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 そのうち、森氏は、断乎とした強い調子で、「いや、そうではない。死の問題は革命戦士にとって避けて通ることの出来ない問題だ。従って、精神と肉体の高次な結合が必要である。そのために、今後は心理学と医学を学ぶ必要がある」と主張した。山田氏は、「ウーン・・・精神と肉体の高次な結合か。よし、わかった」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「共産主義化には精神と肉体の高次な結合が要求される」(森恒夫)

 森は、小嶋の死は、共産主義化しようとしなかったために、精神が敗北し、肉体的な敗北へとつながったと説明した。


 森氏はさらに、「小嶋は最後まで総括しようとしなかった。だから、死顔は恐ろしい顔をしてにらんでいたのだ。だいたい、あの直前まで元気だったのに急に死んだのは敗北死をよく示している。小嶋は加藤が小屋にあげられ自分だけが床下におかれたため、絶望して敗北死したんだ。共産主義化は精神と肉体の高次な結合が要求されているのだ」と主張した。山田氏はうなずいた。森氏のこの主張に皆もそうかという様子になり、それまでの沈痛な雰囲気が急速に薄れていった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 「精神と肉体の高次な結合」とは、共産主義化しようとしていれば、寒くても凍死しないし、食べなくても餓死しないし、銃で撃たれても死なない、という荒唐無稽な精神主義である。


 それ故、暴力的総括要求による死はすべて、「肉体と精神の高次な結合」を獲ち取れなかった「敗北死」ということになるのである。(中略)しかし、共産主義化に必死になっていた私たちは、ひたすらそのために「努力」し、その荒唐無稽さを考えもしなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 現実に価値をおかず、同志の痛みを自らの痛みとしえない同志愛、人間愛の欠如が、死すら精神で乗り越えるという極端な論理を作り、これをもって同志の死を無視したのです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 我々はその後前述の様に2人の死亡でどの様な違った方法を考えるべきか討論していたが、結局、具体的な回答は出なかった。ただ、今までの殴る-縛るという方法が全く間違いであったという事で問題にしたのではなかった事、革命戦士にとっての"死"の問題は必ず英雄的な気概によって乗り越えなければならない問題であり、でなければ殲滅戦はとても闘い抜けない事、従って死に対する恐怖を払拭し、いつでも権力に死を賭けた戦いを挑む準備がなされていなければならず、縛られてからでも「自分が死ぬのではないか」と考えたり「死にたくない」と思ったりする事がすでに敗北のはじまりであると確認されていった事から、2人の死亡に直面して何とかこうした方法以外の方法を見つけ出そうとすることが考え出されなかったことは当然であった。
(森恒夫・「自己批判書」)


■「遠山さんは動悸が激しくなり、すっかり落ち着きをなくしていた」(永田洋子)

 全体会議では、永田が小嶋の「敗北死」を森の主張の受け売りで説明した。しかし、さすがに3人もの「敗北死」は、割り切れない思いがあったようで、全体会議は盛り上がらなかった。


 それぞれの発言は「敗北死」の規定を追認し、自分は共産主義化した革命戦士になると決意表明するものがほとんどだった。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 遠山さん、行方氏は、暴力的総括要求の現実と死者の続出の緊張感にすっかり落ち着きをなくしていた。特に、遠山さんは動悸が激しくなり、すっかり落ち着きをなくしていた。行方氏は、そういうなかでも動揺してはならない、元気でいなければならないと思って必死に努力しているようであった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「何の根拠ももたない残酷な制裁-憎悪に対する憎悪」(森恒夫)
 森の「自己批判書」を読むと、小嶋のいった言葉や態度をいちいち悪意に解釈して、それを解説している。「彼らの名誉回復の為に」といっているわりには、もう一度「総括」をやりなおしている感じである。


 この日も永田が指摘しているように、頭をぶつけているのが、小嶋だと決めつけ、「総括に集中していない」と悪意にとらえ、加藤だとわかると、「総括しようとしている」に変わった。


 「小嶋さんは殴られしばれても決しておとなしくはせず、毅然として自分の意見や要求をはっきり説明していた」(永田洋子)という。つまり、最後まで屈服はしなかった。それが、森にとっては、「反抗的」と映り、気に入らない存在だったのであろう。


 それを認めるように、森は小嶋について最後にこう述べている。


 彼女(小嶋和子)については・・・(中略)・・・何の根拠ももたない残酷な制裁-憎悪に対する憎悪でしかあり得ない。
(森恒夫・「自己批判書」)


 だが、この一文にしたって、「憎悪」は小嶋が先と決めつけている。その上、「でしかあり得ない」と、対岸の火事を眺めるか如きなのである。


 それに加えて残酷だったことは、メンバーのおそらく全員が小嶋を蔑視し、無視するようになっていたことである。


■またもや歯止めをかけるチャンスを逃した
 この日、山田が、「死をつきつけても革命戦士にはなれない」と、森との対決姿勢を示した。山田のほうが森より、赤軍派的には立場が上(赤軍派発足時の組織図 )だから、暴力や緊縛をやめさせるチャンスだった。だが森はまたしても、「精神と肉体の高次な結合」という言葉を生み出し、イデオロギーと言葉のパワー によって、山田の抗議ををはねつけてしまったのである。


 山田がどういう気持ちだったのかはわからないが、彼は、この言葉によって、振り上げたこぶしをいとも簡単に納めてしまった。理論家の山田が納得したとは思えない。もし、誰かが山田の援護射撃をすれば、暴力と緊縛に歯止めがかかった可能性もあった。


 こうして、尾崎充男が死亡して、「敗北死」の踏み絵を踏んだとき に続いて、またしても歯止めをかけるチャンスを逃してしまった。


 かくて、尾崎君の死を精神的な敗北としたことは進藤、小嶋さんの死によってますます純化され、意識的に死の恐怖に対する挑戦を要求することが必要であるという地点に迄至ったのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


 かくて、森の脳内理論は暴走しつづけるのである。