藤原氏とは一体何だったのだろうか?日本中に藤原さんは多く存在する.名字由来netで調べると藤原姓は全国で289,000人(48位)もいるとある.また,藤原氏は藤原鎌足を始祖とする古い家柄であるとされているが本当か?

 


 ところで,NHK大河ドラマといえば私が若かったころの「翔ぶが如く」は歴代のシリーズの中でかなり面白かった中の一つだろう.翔ぶが如くは近代日本の歴史に大いに関係する鹿児島薩摩を舞台とした幕末・明治維新・西南戦争の物語である.これに対し,つい数年前に放映された「西郷どん」は凄くつまらなかった.このことは以前既に述べた.

 

 

今年の大河ドラマは源氏物語を題材とした物語であるらしい.失礼な言い方だが,どうせつまらないだろうから,最初から私は全く見ていない.

 

 

登場人物を見ると藤原氏ばかりである.一体全体,藤原氏とは何なのか?長年の疑問を晴らす為にも,大化の改新の藤原鎌足から始まったとされる藤原氏一族の真実を私なりに解釈してみたいと今回思い至った.
 毎度のことだが,日本の歴史を語る上で最重要文献である窪田志一氏の著書を参照してみる.藤原氏が関係する個所では次のように説明されている.

「…尊恵親王は藤原氏伊集院家成の請いにより,…」「伊集院忠国は,琉球失陥の余勢をもって,伊集院家との交易を断つに至った朝鮮に復讐する為と,西征府の糧を求める為,正平5年以来,藤原経光なる名において,朝鮮倭寇を開始した…」「…当時,南九州諸巨酋は『藤原氏』と称した…」

要するに,藤原氏とは伊集院氏の事だったのではないか?この前後の文脈から判断すると伊集院氏が嘗ての日本の中枢で2000年も前から権力を掌握していたと考えられるのである.中国春秋時代の「呉」という国があり,その呉太伯という人物が戦争で負けて姫氏と名を変えて南シナ海を渡り琉球を本拠地として生活していた.その一族がそこから数百年後に鹿児島日置伊集院の地に都を開いて「紀氏」となった.紀氏伊集院家一族が北上して近畿地方を制圧するに至り,紀伊半島という名となった.歴代天皇の第10代から何代も続くこの紀氏伊集院一族が天皇家として君臨していた.井筒氏伊集院家が滋賀県で井伊家となったり,伊集院家に勢氏がいて「伊勢」という地名になったなど様々な地名や人名に伊集院の痕跡がある.因みに,島津氏は元々志摩地方を拠点とし,伊集院氏が雇った海女頭であったので志摩津と名乗っていたらしいが,後に力をつけて島津氏となったとされる.

 

 

 鹿児島の真の歴史を隠蔽したい裏の勢力は史実を悉く嘘で塗り固めたのである.その悪事の筆頭指揮者が徳川家康だったかも知れない.実は,徳川家康とは弥次郎こと岩屋梓梁が数百人の女に産ませた子らのうちの一人だったである.

 

 

伊集院氏宗家が徳川家康と島津氏によって関ケ原の戦いの裏で謀殺されたことについても既に述べた.

 

 

要するに,日本の歴史上の大人物である弥次郎こと岩屋梓梁の存在に注目が集まらないような策として,数百年に亘って裏権力が様々に画策して来た訳である.

 

 

その集大成が今年の大河ドラマ「光る君へ」であろう.恰も平安時代に女性が筆の力で活躍したかのような様子が描かれてはいるが,実際は源氏物語・徒然草やその他の古典も含めて多くが岩屋梓梁一人による執筆なのである.聖徳太子や空海なども岩屋梓梁が自身を擬制して登場させたキャラクターである.

 

 

上述の藤原鎌足についてもおそらく岩屋梓梁が自身で執筆した「日本書紀」や「古事記」に登場させたキャラクターだろう.実在はしないが,ストーリー上必要だったのだろう.

 それほどの大人物大英傑大天才の僧名岩屋梓梁,本名橋口弥次郎左衛門兼清を数百年もかけて隠蔽するという裏権力の執念にはほとほと呆れるばかりである.大河ドラマを見て平安時代に思いを寄せる疑うことを知らない純真無垢な人々のうち極一部でもいいので,このブログを読んでみて私の異質な歴史考察に触れてみてほしいものである.

文献
1) 窪田 志一:岩屋天狗と千年王国 上,岩屋梓梁顕彰会,pp.231-252, 八幡書店,(1987).