多事争論(時事所感) -25ページ目

元チーフプロデューサーの宿題【時事所感100】

最近、若い人と話をしたときのこと。


「大東亜戦争」という言葉を知らないことに驚きました。






もう20年以上も前の個人的宿題を思い出したので、その話を。 




戦争について東京キー局の報道チーフプロデューサー(CP)と話をしている時、


「ずうっと君は太平洋戦争という言葉、呼称を使っているが、意味は判って使っているか?」


と問われました。


「他にあの戦争の名前や呼び方は知っているか?」


「第2次世界大戦、あとは大東亜戦争とか・・・。」


と答えると、


「じゃあ何故その呼称、名称を使ったの?理由は?」


「一般的に皆、この『太平洋戦争』という言葉を使っています。だから私も使っているのですが・・・。」


「じゃあ何故こんなに呼称や名称があるの?」


「日本側と米国側の呼び方の違いですか?」


「じゃあ何故米国側の呼び方を使っているの?」



答えられませんでした。



当時はスマートフォンは無くパソコン検索なども今のようなシステムが充実していない時代、

色々と書籍を調べても若造の私には判りませんでした。


今になって振り返ると、知るための事象やヒントになるものを結構知識として持っていたけれど、答えに繋げる術を持ち合わせていませんでした。






話を本論へ戻すと、

「大東亜戦争」と「太平洋戦争」、

日本米国間の先の戦争の呼称・名称が何故違うのか、

現在の若い世代はこれを知らないのか。



理由は、米国側が「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じたからです。


「大東亜戦争」名称使用禁止の理由は、

アジア地域の戦争という意味合いをやめて、

日米間の太平洋地域の戦争という意味合いへシフトさせる、印象を醸し出す必要性があったからです。


終戦直後の閣僚発言や各新聞紙面でも「大東亜戦争」という言葉が使われています。


しかし敗戦から4ヶ月後の12月になると、

発言や新聞紙面では「太平洋戦争」へと表現が変わります。


終戦直後、敗戦国日本の処理について準備を進めるなかで問題が表面化し始めます。


「日本の自衛的開戦は止む無し」


GHQのマッカーサー元帥をはじめ、こうした判断や意見が出始めます。


更に補足すると、欧米諸国列強各国がアジア地域に我先にと進出・展開していた国際潮流のなか、

アジア地域と日本の自衛的戦争という意味は、

これから開廷する軍事裁判には大きな支障があり邪魔だったのです。


「アジア地域を含めた日本の戦争」という意味合いを含む『大東亜戦争』の表記を、

神経質な程に禁じ、

「太平洋地域で起こった米日戦争」という雰囲気を醸す『太平洋戦争』表記へ改めていきます。









発言は元より出版物、記録物の「大東亜戦争」が黒塗りに塗り潰す支持が出され、

学校の教科書も授業時間の大半を黒塗り潰し作業に費やす日々が長い間続いたのです。



日本人の殆どが米国側の心象操作や思想信条の放棄にどっぷりと浸かってしまったのが現在でしょう。














GHQメッセージの12月23日【時事所感99】

12月23日は上皇様の誕生日です。


この12月23日に戦勝国アメリカ占領軍が残したメッセージを御存知でしょうか?


東京裁判でA級戦犯とされた28名が起訴された日が昭和21年4月29日。



時の天皇だった昭和天皇の誕生日です。






因みに5月3日にも意味があります。

新憲法の公布日が11月3日、

11月3日は「明治節」といって、明治天皇の誕生日で、かつて国民の祝日でした。

その半年後の5月3日が新憲法施行日になりました。これに合わせたのが極東軍事裁判開廷日。


東京裁判の開廷が同年5月3日。

翌年の昭和22年5月3日に新憲法が施行。



そしてA級戦犯が絞首刑に処されたのが


12月23日。


当時の明仁皇太子殿下の誕生日、

将来の天皇になる皇太子の誕生日、即ち将来の天皇誕生日に合わせたのです。


ソビエト連邦(現在のロシア)との東西対立の背景があったため、

日本占領政策から朝鮮半島情勢へシフトチェンジせざるをえなくなります。

近い将来に日本は独立して、アメリカ合衆国の手を離れるが故に、

日本が二度と米国を脅かす国家にさせないために、

新憲法を平和憲法と称して施行します。

それでも何れは日本人が憲法改正することを予想し、

更なる手立てはないかと考えます。


あの悲惨な戦禍を日本人達に忘れさせないために、常に思い起こさせるために何かを残そうと考えます。


石碑等の有形物では風化したり、取り壊されては意味が無い。


日本人、日本民族に特別な存在である天皇に目をつけます。


将来の天皇誕生日になる、国民の祝日になるであろう皇太子明仁殿下の誕生日12月23日に、

A級戦犯の絞首刑日を合わせたのです。










現代の日本社会をみるに、

街はクリスマスムードばかりで、

平和に感謝する一方で、複雑な心境にもなります。




※詳しく知りたい方は作家・猪瀬直樹氏の著書を読んでみては如何でしょう。現在は改訂版が出版されているようです。






「丁度よい」が「丁度よい」【時事所感98】

私的な話、

中学の時、雨のために教室自習になったときに、

教室を代替で受け持つ体育女性教諭が時間の終わり間近にこんな話をしていました。


「普段は体育の授業で真面目な話がなかなか出来ないから・・・これは皆に話しておきたい」



「『丁度良い』が『丁度良い』」



普段は気さくで明るく元気、生徒全員と会話する先生、

突然の神妙な面持ちでどんな話をするのか、

教室の皆が関心を寄せたが

拍子抜けしたかのように皆一斉に笑った。


「真剣に話しているんだから、ちゃんと聞きなさい」


「『丁度良い』が『丁度良い』。

貴方達が将来成長したときも、

何事においても、

いつのときも、

如何なるときも、

これは覚えておいて欲しい。」



この先生の話を聞く機会は、

私が転校したためにこれ1回きりでした。




随分と以前の話をよく覚えていたものだとは

我ながら思います。







話を今回の主題にしたいと思います。


バランスです。



判りやすい話からすれば、

肉ばかり食していても弊害がある。

野菜ばかり食していても弊害がある。

栄養の偏りが躰に変調を来します。

 

私は元々幼い頃から

「反権力」の考え方から「反体制」や「戦争反対」「平和思考」「世界市民」の考え方を若い頃まで持ち続けていました。


故に上記の思考や思想については相当に理解しています。


「今もそうか?」


答えは「いいえ」です。


敢えて言うなら、

「バランスを多少取りながらの真ん中」

とでも言っておきましょうか。



右から押し寄せる波が強すぎれば、

それに抗うだろうし、

左から押し寄せる波が強すぎれば、

それに抗うだろう。







単に「左」とか「右」の話だけでは片付けられない。


色々な考え方や意見を持った人々、

したも多数とか大量どころか膨大な数の人々がいる。

もっと視野を広げると、

国、民族、政治体制、経済システム、言語、文化、歴史、思想、哲学、宗教、

あらゆる相当に複雑な関係性がある。


ある事象について1面や2~3面程度を観察思考したところで、

欺瞞や怠慢になってはいけない。


自分達にはまだまだ知らない見識や思考があるのだと、

自分達はそれ程までに完璧なのかと、

自分達に対しての疑いの念を維持しながら、

日々精進していく、努力していく、

そういう忍耐力が必要だと思います。



肉大好きな野菜嫌いな人は野菜の美味しさ、メリットを知る、経験することを、

野菜大好き肉嫌いな人も同様、

お勧めします。


論理や思考の違う相手でも話を交わすことで、

相手にも自分自身にも新たな気付きがあったり、

各々の主張について一理も二理もあることに理解を深める、確認作業が出来る。


唯々相手の論理主張を全否定するのではなく、

寛容の精神、構え方が必要なのです。



極端な考え方、急激な過度なやり方ではなく、

「『丁度良い』が『丁度良い』」